青春コンプレクセス
S
ちょっと高いアイス
俺がその女の子に出会ったのはもう3年前の話で、俺がその女の子に恋をしたのはたぶん2年くらい前の話。そして、俺がその恋を失ったのは、今。まさにこの瞬間の話だった。
「……ごめん」
「いや、こっちこそ。ごめんね」
先に謝ったのは俺の方で、でも、なぜ謝ったのかは自分でもよく分からなかった。でもなんとなく、迷惑をかけた気がした。たぶん、そんなところだ。
冷たい水を頭から被ったみたいに、体の芯が冷えていく感覚があった。いや、冷えたのは俺の頭かもしれない。何を一人で悩んで迷っていたのだろう。馬鹿らしい。俺の一人相撲じゃないか。
夕暮れの薄闇が忍び寄る放課後の教室で、しばらくの間、俺も彼女も黙っていた。窓から吹き込む風がカーテンを揺らす。少しひんやりした外気が、今は心地いい。そこでやっと、背中にかいた汗を自覚した。
葉擦れの音がする。
「帰ろっか」
沈黙を破ったのは、彼女の方だった。いつもと変わらない声音はきっと、彼女の優しさなのだと思う。俺はただ頷いて、座っていた机から降り、学校指定の通学鞄を肩にかけた。
「コンビニ寄っていい?」と付け足された言葉に、短く肯定の返事をする。普段通りに振る舞うつもりだったが、少し震えた声になってしまった。情けない話だ。
教室を出て、古びた校舎を歩く。窓が閉め切られた廊下は静かだった。
俺と、彼女と。
2人の足音だけが、この長い廊下を満たす静寂をすんでのところで退けていた。
窓から見える向かいの校舎の壁の時計は、もうすぐ5時を示そうかというところだ。9月の末、夕刻。仄朱く染まる薄曇りの空を目だけで見上げて、ふと日の短さを実感する。
そうか。もう、秋だな。
口の中でだけ呟いた言葉は、しかし、不完全な形で彼女の耳に届いたらしい。美しく整った眉を上げ、目を少しだけ見開いて、無言でもう一度言えと促してくる。
俺は仕方なく、「ずいぶん秋めいてきたなと思って」と言った。納得するそぶりを見せて、彼女は「ああ」とだけ応えた。
そうして、また、沈黙が帰ってくる。俺たちにとっては、実はよくあることだった。2人で過ごす時間の大半はお互いに黙っていると言ってもいい。
俺たちは毎日ように、放課後、あの教室で、黙ったまま、それぞれのしたいことをしていた。放課後という時間、教室という空間だけが2人を薄く繋ぎ止めていた。
仲が悪いわけではない、はずだ。もし悪ければそもそも、こうして帰路をともにすることもないだろうし。
ただ、なんと言っていいのかわからない関係性が、俺たち2人の間にわだかまっている。
友だち、友だちか。なんか、違うんだよな。いや、友だちと言ってしまえばそうなんだろうけど。
言うなれば放課後同好会とかだろうか、と思いついて、そのあまりにも酷いセンスに自分で驚いた。放課後同好会って。
「私たちって、言葉にするとどうなるんだろうね」
小さな児童公園のブランコに座りながら、板チョコレート(俺の奢りだ)を一口齧って、彼女はぽつりとそう言った。
「どうって」
「友だちって言うのは、なんかさ、違うじゃん」
先ほど自分が考えていたことを彼女の口から聞けるのが変に嬉しくて、つい口角が上がった。正直、気持ち悪いと思う。
気持ち悪いので、誤魔化すように言葉を継いだ。
「振った女と振られた男とか」
「うわ、それ言っちゃうんだ」
もうちょっとなんかプライドとかないの、と彼女が笑う。ねえよ今更、と返事をした。
「ねぇやっぱりさ、私が奢られてるのはどう考えてもおかしいって」
「おかしくはないだろ、別に」
「いやおかしいよ。え、なんか奢ろうか? ちょっと高いアイスとか」
公園の隣、コンビニの方を振り返りながら言われたその言葉が妙に面白く響いた。俺は少し笑いながら、「ちょっと高いアイスね」と言った。
すると今度は彼女も笑い声交じりに、「そう、ちょっと高いアイス」と繰り返した。
「たとえば」
「んー、ダッツとか?」
「略すのそっち?」
「え、じゃあ逆にハーゲンって言うの? その方が馬鹿みたいだよ」
それこそ馬鹿みたいな会話をしながら、俺たちは今度こそ大きな声を上げて笑った。
彼女の、大きな目を糸みたいに細めて笑う顔が俺は好きで。
だから、今はその笑顔を近くで見られるだけで十分だと思うことにした。そう、とりあえず、今はそれでいい。いいんだ。
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