第2話 反撃する妻
信博は不安と強迫観念にとり憑かれた男だった。
仕事がうまく行っているのか不安、心配事が現実に起きないか不安、不安だからこそ入念に計画を練るし、臆病さがあらゆるリスクを徹底的につぶしていく。その病的なまでの不安症が、逆に仕事に有利に作用し、生き馬の目を抜くセールスという仕事でそこそこ成功していた。
元来、大雑把で勢い任せの仕事をする同僚が多い中、信博のように慎重に思慮をかさねつつ、不安の撲滅のために先回りしてリスクを潰す働き方は、バランスがとれていた。
しかし、その性格にまつわる歪な状態と、セールスという過酷な仕事のプレッシャーが、信博をドメスティック・バイオレンスの泥沼に追いやった。
信博が妻に暴力をふるう行為は頻度を増すようになった。妻への暴力の中に、愉悦を見出してからは、その暗い衝動のはけ口として殴るようになった。
こうなってはもはや自分では止められない。
ある朝は、目玉焼きの焼き加減が下手だと殴った。
「朝飯もまともに作れねぇのか!なんだこのカスカスの卵は!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、次はもっときれいに焼きますから。」
またある日には、掃除機の音でテレビのスポーツ中継が聞こえないからと殴った。仕事がない休日を台無しにされたという理由だ。
「オレがゴルフ見てるのわかってて掃除機かけてんだろ!?このグズが!」
「ごめんなさい、でもせっかくのお天気だからお掃除をしたくて」
顔を殴ると近所にバレるので、もっぱら腹や背中を殴った。
またある日は、信博が仕事の付き合いで飲んで帰った時、美沙子が玄関に出迎えに来なかったことに怒り狂った。寝室で寝ている妻に馬乗りになって顔を殴った。顔に痣ができたので、信博は美沙子に外に出るなと厳命した。
そんなある日、妻は寝室で寝ようとしていた信博にこう告げた。
「もう・・・殴るのをやめてもらえませんか。」
美沙子は消え入りそうな声で懇願してきた。その声に欲情して妻を押し倒そうと体を見回したが、青あざをつくった顔や腕がやけに貧相に見え、信博は美沙子の腹を蹴飛ばした。
すると美沙子は狂ったように信博につかみかかり爪で腕をひっかき、噛み付いた。
「きぃいいいいい」
声にならない絶叫が獣のような声で耳をつんざく。
「何しやがるこのクソアマ!!」
信博は美沙子の側頭部をいつものように殴りつけた。美沙子は床に倒れたが、白目を向きながらすぐに起き上がり、なおも信博に掴みかかろうとした。
信博は恐怖を感じ、更に頭を殴った。
美沙子はあらぬ方向に向かってフラフラと歩くとそのまま倒れた。
魚のように何度も痙攣したかと思うと、そのうち動かなくなってしまった。
「はぁはぁ。。おい、なんだ?どうした?」
信博は倒れた美沙子に恐る恐る近づき、鼻と口に手をあててみた。
息をしていない。
「し、死にやがった・・・・!」
暴力の末、妻を殴り殺してしまった。
妻を心配して救急車を呼ぶことよりも、会社や世間体の心配が頭をめぐった。
「あ、あしたの会社は・・・・どうする・・・!?」
胃の中に冷たい重りがのしかかったような気がして、吐き気がしてトイレにかけこんだ。
妻の死体を見るのが恐ろしくなり、朦朧とした意識のまま1階に降りるとリビングでおもむろにウィスキーをあおった。
「お、おもえば顔と体だけで選んだ女だ・・・そうだ、家具みたいなもんだろう。それがオレの人生の邪魔をしやがって・・・クソ!クソ!クソ!」
人を殺したことにより、信博の精神はドス黒い暗黒に満ちていく。自分を正当化し妻に責任転嫁をさせるために、おぞましい妄想に浸った。それはいともたやすく湧き出てくるえげつない妄想だった。
「あぁ・・・!おれの人生はおしまいなのか?クソ!クソ!誰か殴るやつはいないのか!!あぁ!弱いやつを殴りたい!」
信博は身勝手なことをつぶやきながら酒を煽った。
ふと、スイッチの入っていないテレビ画面に映る自分の姿が気になった。
その後ろに人が立っていた。
「な・・・!!」
信博は驚いて振り返る。美沙子が息を吹き返したのかと思ったが、そこには見知らぬ男が立っていた。
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