水樹奈々様、あなたは最高です!

 神島先輩の悲報を受け、私達の空気は重く苦しい。誰一人口を開くことなく、ただただ項垂れて自分のいる机に目を落とすだけだった。


 自殺未遂。


 結果だけを見れば、私達が真相を突き止めそれを知られて恐れを為した、と考えられなくもない。昨日、下駄箱で神島先輩へ詰め寄ったその後に起きているのだ。私達の行動と先輩の自殺未遂が無関係とは言い難いのではないか。


 それを誰もが思っている。だから集まってもいまだに口を開く者はいないのだ。あの明るい明里でさえ口許に手を添えて微動だにしない。


「……事件解決、と素直には喜べないわね」


 ゆっくり、そして覇気が籠らない伊賀先輩の声が静寂を破る。その声に思い出したかのように次々と声が上がってきた。


「犯人は神島先輩。それは間違いないですよね」

「私達セイタン部はやるべきことをやった。でも……」

「そ、その犯人が自殺未遂……」

「犯人を見つけても、怪我を負わせるような事をしちゃ意味無いわよね」

「でも、私達は何もしてないです」

「直接は何もしてなくとも、そのきっかけを与えたのであれば……」


 伊賀先輩はそれ以上何も言わず、私達もまた口を閉ざし静かな時間が訪れる。まるでこの場の空気中に言葉を発するのを妨げる物質が漂っているかのように、冷たくそして重い何かが体に纏り付く。


 七瀬さんから来た七不思議の呪い解決の依頼。

 久し振りに舞い込んだセイタン部への依頼。


 最初は不安ながらも、セイタン部なら解決出来るとどこか自信があった。それはこのメンバーならどんな困難にも立ち向かえ、そしてどんな難題だろうときっと乗り越えられると心のどこかで安心感が根付いていた。


 だが、結果はどうだ。依頼人全員が入院するほどの怪我を負い、しかも依頼の解決も出来ていない。全てが最悪な形になり、何一つ果たせていないではないか。何が声優探偵部だ。探偵らしい活躍は皆無ではないか。

 

 後悔と怒りに満ちながら、私は蜷川へチラッ、と目を向けてみた。認めたくはないが、蜷川はセイタン部の頭脳と云える。声優オタクで気持ち悪くも、何だかんだで蜷川を頼る部分が大きい。その彼も何か思考に没頭していた。


「これはこうで……いや、これだと意味がない……ならこうなら……ダメだ。そうするとこっちの意味が……」


 何かのまじないか、蜷川は水樹奈々のブロマイドやペンライトなどのグッズを机に並べては動かし、ずっとブツブツ呟いていた。


「蜷川君、さっきから何やってるの?」


 明里も同じように目を向けて蜷川の様子に気付いたのか、近付いて声を掛けた。


「ん? ああ、少し頭の整理をしようとしてな」

「整理、って何の?」

「この事件についてだ」

「いや、それはもう終わったじゃん」

「終わった? 本気で言ってるのか?」

「だって、神島先輩が犯人なんでしょ?」

「そうだな。


 表面的? どういう意味だ?


「たしかに、星野先輩に対する言動、七瀬への呼び出しの件を考慮すれば、神島先輩が犯行をしバレたから自殺未遂をした、という構図が浮かびやすいし、綺麗に収まるかもしれん。だが、俺は納得いかん」

「どこが納得いかないの?」

「七不思議との関連だ」

「うん? それはあれじゃないの? 七不思議の呪いに見せ掛けるために犯行に及んだ、っていう」


 明里の言う通りだ。別にそこに疑問が発生する余地はない気がするのだが。


「それはそうなんだが、そうすると……」


 するとまた蜷川はブツブツとグッズを動かしながら思考に耽る。一体蜷川は何が納得出来ないのだろうか。


「というか、蜷川君はそれいつも持ってきてるの?」

「ああ、水樹奈々グッズ? うん、声優イベントに行った後の数日は持参してるわよ」


 蜷川の代わりに伊賀先輩が答えた。


「何で持ってくるんです?」

「本人が言うには、余韻が収まるまで常に持ち歩きたいらしいわ」

「まだ余韻残ってるんかい……」


 水樹奈々のライブから三日は経っているはず。それでもまだ残っているとは、さすが生粋の声優オタク。


 私は何かのファンになったことはまだ一度もないが、ファンの人達はこういったグッズを持つことが多いと聞く。ロゴやイベント名が印字されたタオルなどはまだ理解できるが、本人が写ったブロマイドやポスターの何が良いのか、私にはさっぱりだった。


 こんなの持ってて何が楽しいのかしら?


 私は机に並べてあるうちの一枚のブロマイドを手に取って眺めてみた。  


「おいこら、勝手に動かすな。考えがまとまらんだろ」

「これ、ライブで買ったの?」

「当然だ。ファンとしてグッズを買わずに帰るなど言語道断」

「いや、他にもあったんじゃないの? タオルとかさ」

「タオルなんかは人気グッズで即行売り切れる。あの時買えたのはそのグッズだけだ」

「そんな人気なんだ」

「あの水樹奈々のライブだぞ? グッズ一つで戦争が起きるぐらいなんだぞ? 水樹奈々をナメるなぁぁぁ!」


 いや、別にナメてないし。


「りっちゃんも何か買ったの?」

「え、あ、は、はい。私もブロマイドを一枚……」

「まさか、蜷川に強制的に?」

「ち、違います。私も記念に買おうと思って……。あ、そうだ。蜷川君、CDお返しします」


 思い出したように、りっちゃんは自分のバッグからCDを取り出した。


「何のCD?」

「み、水樹奈々のアルバムです」

「ライブに行く前の予習として貸したんだ」

「見せて見せて」


 興味を持った明里がりっちゃんから受け取り、私も近付いて見てみた。水樹奈々本人が大きく写り、こちらを笑顔で見つめている。


「これ何? ベストアルバム?」

「そうだ」

「お~、名曲が入ってる~」


 明里がCDを引っくり返すとそこには曲のタイトルが並んでいたが、私の知らない曲ばかりだ。


「これ、名曲なの?」

「名曲だよ。えっ、もしかして由衣知らないの?」

「いや、聴いたことないし」

「ななな、何だってー!」

「いや、そんな驚くこと?」

「驚くよ。あの水樹奈々の曲を聴いたことないとか、絶滅危惧種並みにレアすぎるよ」


 そんなにレアなのか。でも、知らんもんは知らんしな。


「せっかくだから由衣も借りて聴いてみたら?」

「興味ないからいい」

「そう言わずに。名曲ばかりだからオススメだよ」

「遠慮します」

「一曲だけでも! この中から一曲だけ選んで聴いてみてよ! さぁ! さぁ!」


 何をそこまで熱くなるのか、明里が必死にアルバムを私の顔の前に押し付けて選ばそうとしてくる。面倒臭かったので私は適当に選んで答えた。


「んじゃ、この【粋恋】ってやつで」

「ほほう。その理由は?」

「いや、唯一漢字のタイトルで目に付いたから」

「うわ~、つまんね~」


 本当につまらなさそうに目を細める明里。じゃあ、どんな理由なら納得するんだあんたは?


「これ見て思ったんだけど、水樹奈々の曲って英語のタイトル多い?」

「う~ん、そうだね。多いかも」

「アニメの主題歌でよく使われたりするから多いのかもね」

「ああ、そうかもですね。アニメの曲って英語タイトルが多い気がします。なんかカッコイイし興味惹かれますし」

 

 カッコイイのだろうか。私にはやはり理解が及ばず、会話に入り込めないでいたら――。


「――そうか! それだ!」


 突然、勢いよく立ち上がり蜷川が大声を上げた。


「ビックリした。いきなりどうしたのよ」

「違和感の正体はこれだ!」

「違和感? 何の?」


 問い掛けるが返事はない。一人興奮してその場を右往左往している。


「だとするなら……いや、これは調べる必要があるが、もしこの仮定が正しければ……そうだ。これで全て当てはまる! さすが奈々様! 感謝します!」


 最後には両腕を天に広げる。言動全てが意味不明だ。


「堀田!」


 私の名前を呼ばれてビクッ、と体が震える。蜷川は私に近付くと、いきなり頭を撫で始めた。


「よくやった。お前のおかげでもある」

「えっ? えっ?」


 わけも分からず頭を撫でられ続け、その後調べたいことがあると一言告げると蜷川は教室を出ていった。


「えっと……私、何かした?」

「さぁ? 私にもさっぱり」

「祐一、何かに気付いたみたいね」

「な、何にでしょうか?」

「何かに、よ」


 混乱して何も分からない。全員が蜷川が出て行ったドアに目を向けるだけ。それ以上のことは出来なかったが、私だけは今蜷川に撫でられた頭に手を添え、僅かに残る温もりを感じていた。

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