覗き? いえ偵察です

【こちらα。配置に着きました。どうぞ】

【こちらβ。こっちも以上なし。どうぞ】


 明里と伊賀先輩のLINEの通知を読み、ベンチに座っている私は近くで買ったホットの缶コーヒーを一口飲んで深い溜め息をついた。今日は一段と冷え込み、口からは白い吐息が漏れる。


 事件の核心に触れた私達は次の日に神島先輩へ迫ろうと意気込んだものの、生憎翌日は土曜日で学校は休み。残念ながら翌週に持ち越しとなった。


 土曜日なら運動部のテニス部は練習しているはずなので会いに行くことは可能だったのだが、蜷川がどうしても外せない用事があるとのことで、その理由から私はわざわざ外出してダウンコートを羽織り、野球帽を被って伊達眼鏡を掛けていた。


【Σ! どうしたΣ! 応答しろ!】

【まさか敵にやられたの!? 応答して!】

【Σがそう簡単にやられるはずはないのに……くそ! 奴ら姑息な手を使ったな!】


 明里と伊賀先輩はまるでスパイ映画の如くコードネームやら台詞を使い回し、私からの返信がないので慌てふためいている。無視したいところだが、放置して余計に拗れるのも嫌なので打ち込む。


【敵にもやられてませんし、ちゃんと言われた場所に着きました】

【無事か! ったく、心配させるな。ちゃんと連絡をせんか。連絡の義務を怠るなと言ったろ、軍曹!】

【誰が軍曹じゃい! というか何だこのやり取りは、明里!】

【バ、バカモノ! コードネームで呼ばんか! 敵にバレたらどうする!】

【敵、って誰よ。何がコードネームよ。私は普通にやるからね】

【んもう、由衣はノリ悪いな~】

【まあ、由衣ちゃんはこういうの好きじゃないわよね】


 普段通りに戻って一安心。私はノリに乗れないが、明里達がスパイもどきのやり取りをする理由も分からなくはないので強くは止められない。


【んで? どんな感じなの?】

【蜷川君はまだ来てないみたいだよ】

【りっちゃんだけね】


 その通知を読んでから私も眼鏡をずらして視線をある場所へと移した。


 首元と手首にフワフワが付いた白のコート。その下からはチェック柄のスカートが見え、肩からは可愛らしいポシェットを掲げている。手にはピンクの手袋。黒いブーツを履き、そわそわと指を何度も絡めて緊張に取り込まれながらも、期待の輝きがその目に宿る可愛いいりっちゃんが佇んでいた。


【あああん、りっちゃん可愛い!】

【すっごく似合ってるよね!】

【りっちゃん、頑張っておめかししたわね。エライ!】


 三人で興奮する。きっと二人は悶えていることだろう。私も気分の高鳴りが収まらない。


 自分の可愛さを極限に引き出したようなファッション。私達はそれを身近ではなく遠くから見ている。その理由は……。


【りっちゃん、落ち着かないね】

【そりゃあ意中の蜷川君と初デートなんだから落ち着かないでしょ】

【ああ~初々しい~】

 

 そう。りっちゃんは今日、蜷川とデートをするのだ。


 事の発端は昨日の蜷川のどうしても外せない用事から始まる。神島先輩に会う事が出来ないならそのためのミーティングなりをした方がいい、と私は提案したのだが蜷川が強く断った。


 ※※※


『悪いが明日は大事な用事がある』

『用事?』

『ああ』

『どんな用事よ?』

『その用事とはだな……水樹奈々のライブだ!』

『……は?』

『その用事とはだな……水樹奈々のライブだ!』

『いや、聞こえてたから二回言わんでいい』

『水樹奈々のライブ? あ、もしかして』

『そうだ。この依頼の報酬で七瀬から貰ったあのライブだ』

『ああ、あれ明日だったんだ』

『だから明日は無理だ』

『だったら、次の日曜日に――』

『二日目はライブの余韻に浸り、尚且つ入場から終わりまでを脳内で復習するという儀式をせにゃならん』

『いらない儀式!』

『奈々様! 明日はよろしくお願いいたしまぁぁぁす!』

『どこに敬礼してんだ!』

『止めたい所だけど、報酬を無駄にもしたくないわね。いいわ、許可する』

『ありがたき幸せ!』

『テンションうぜぇ』

『というわけで、俺は明日の活動は無理なのだが、ここでお前らに一つ報告がある。このライブチケット、実はもう一人分余っているんだが誰か行くか?』


 ※※※


 という流れになり、りっちゃんが選ばれた。蜷川と二人でライブ。要はデートだ。りっちゃんが相手になるのは必然的。


 こんな特大イベントを見逃すわけにはいかない。残った私達は、こうして物陰から変装をしながら内緒でりっちゃんの様子を眺めることにしたのだ。ちなみに、明里は探偵のシャーロック・ホームズばりの格好にグラサン、伊賀先輩は身なりは普通だが、かつらと付け髭をこしらえた。


【ああ。今私、ものすごく出ていってりっちゃんを抱き締めたい!】

【ダメですよ、伊賀先輩! 私達は何もせず見守ろうと決めたじゃないですか!】

【そうだったわね……ああ! でもあのりっちゃんを抱き締めたらさぞかし癒されるんだろうな! ハァ、ハァ、ハァ】

【伊賀先輩! 堪えて! 気持ちは分かりますが堪えて! 伊賀先――いや大佐!】


 りっちゃんの初めてのデート。傍に居ることができず、でも不安だから遠くから見守ろうと始まったこの偵察の会。聞こえはいいが、要はただの覗きだ。それが興じて、二人はスパイごっこのようなやり取りが始まったのだった。


 やっぱり、これって良くないよね。せっかくりっちゃんが蜷川と二人っきりでデートするのに、それを観察するなんて。もし自分が誰かとデートしていたなら、絶対に陰からこそこそ覗かれたくない。


 そう思った私は撤退を申し出るため連絡する。


【やっぱり帰りません? りっちゃんに悪いですよ】

【いや、ここはもう少し様子をみましょ】

【でも、覗きはやっぱ良くないですよ】

【何よ今さら。だったら何で最初に言わなかったの?】


 言われてみればその通りだ。伊賀先輩と明里の提案に、私は強く引き留めようとはしなかった。普段なら止めていただろうに、なぜだろう……やはり私も心のどこかで気になっていたのだろうか。


【ずっと覗くつもりはないわ。祐一と合流するまででいいから。私、不安なのよ】

【不安、って何がですか?】

【善からぬ輩にナンパされたりですか?】

【それはたしかにありそう。りっちゃん、めっちゃ可愛いもん】

【なら、引き締めないとだね!】

【いや、りっちゃんが祐一と合流した瞬間、緊張と嬉しさのあまり気を失わないか】


 あっ、そっち? いやでも、たしかにりっちゃんなら起こりえそうだ。五秒に一度は時間を確認してるし、手鏡で何度も髪の毛と服の確認。緊張が目に見えて分かる。


【それにしても、蜷川君遅いね】

【待ち合わせの時間までまだ十分あるけどね】


 りっちゃんは待ち合わせ時間の三十分前には今の場所に着いていた。りっちゃんはこういうライブに行くのは初めてと言っていたので、きっとそれも早めに着いた要因だろう。


 問題は蜷川だ。蜷川も事情は知っているはずだし、自分も早めに着いて緊張を和らげてあげるのが優しさなのでは、と私は考えてしまう。


【遅刻してるんじゃないですか?】

【水樹奈々のライブだしそれはないと思うけど……そろそろ来るんじゃないかしら?】

【おっ、噂をすれば。蜷川君来ましたよ】


 明里のラインに私は示された方へ目線をすぐに向ける。一つ懸念があったからだ。


 どんな格好で来た!? バンダナ額に巻いてチェックのシャツをズボンの中に入れて黒の手袋してるとか、水樹奈々がプリントされたジャケット着てるとかやめてよね!?


 焦りと不安が私を掻き立て、どうか恥ずかしくない格好でありますように、と強く願いを掛けながら蜷川を捉える。


 黒のジャケット、中は薄目の水色のシャツにズボンはベージュで、首からは目立ちすぎない細身のネックレスを掛けていた。途中で脱いだのかコートを腕に掛け、手には大きな手提げカバンを携えている。たぶん中身はペンライトやうちわといったライブグッズが入っているのだろうが、傍目からは至って普通……いや、中々良い。


【おお。蜷川君、カッコイイじゃん】

【祐一も最低限のファッションには興味持ってるわよ】

【良かったです。私、てっきりチェックのシャツとかバンダナ巻いてくるかと思ってましたよ】

【由衣ちゃん、それいつの時代のオタク?】


 そんなやり取りの間に、蜷川はりっちゃんと合流。りっちゃんの体が強張り、何か話をしているみたいだが、その最中に蜷川はホットの飲み物とホッカイロを渡していた。


【温かい差し入れ。蜷川君優しい!】

【いや、これくらいは普通じゃない?】

【ふむ。祐一も中々やるじゃない】


 何はともあれ、これなら問題なさそうだ。


【見た感じ、大丈夫そうね】

【じゃあ、私達は退散しますか】

【いいな~、好きな人とデート。私もしたい】

【すりゃいいじゃない】

【嫌味か? お? 嫌味か? いたらしてるわ!】

【私も憧れるわ~。男の子と並んで歩くとかお喋りとかしたいわね】

【伊賀先輩が……】

【乙女な発現……】

【おいぃぃぃ! 私も女子だぞ!】


 デートへの憧れを口にする私達。目的も果たしたのでこれ以上ここに留まる理由はない。


【それじゃあ、退散ということでいいかしら?】

【ですね】

【りっちゃん、頑張って!】


 安心を得られてその場を後にしようと私は腰を上げながら、一瞬蜷川とりっちゃんの方へ目を向けた。


「んなっ!?」


 私は驚愕の光景を目にした。


【メーデーメーデー! 蜷川がりっちゃんと手を繋いだ!】

【しかもさりげなく。これは予想外。蜷川君、やるね】

【祐一はたぶんはぐれないように、って意図でしたんだろうけど。あら~、りっちゃん顔真っ赤】

【何を悠長に! 緊急事態ですよ!】

【やっぱデート時は手を繋ぎたいですよね】

【まさに理想のデート】

【相手は蜷川ですよ!? あの可愛いりっちゃんに容易に触れていいわけないでしょ! 今なら近付いて背後から狙える! 大佐! 許可をください! 私が必ず仕留めます!】


 早くりっちゃんを救出せねば。私は特攻覚悟で今にも飛び出しそうだった。許可を得ようとラインで続けざまに文字を打つ。


【由衣、さっきから通知うるさい】

【ついさっきまでそっちもやってたじゃろがい!】

【もう目的は果たされたじゃん】

【新たな問題が浮き彫りになったでしょ! いきなり手を繋ぐとか!】

【別に問題ないでしょ。手を繋ぐぐらい】

【それに、さっき由衣ちゃん大佐とかやらないとか言ってなかった?】


 言いましたよ。たしかに言いましたけども、何で二人はそんなに落ち着いていられるの!? 蜷川がりっちゃんと手を繋いだのよ!? あの蜷川がよ!?


 私は焦り驚愕し、内心乱れまくり。二人の言うように、はぐれないよう手を繋ぐのは自然なことかもしれない。だが、私は納得できなかった。


【さて、と。帰りにファミレスでご飯でも食べて行きましょ】

【賛成です~】

【えっ、偵察しないんですか?】

【もう十分よ。これ以上はりっちゃんに悪いわ。楽しんでもらわなきゃ】

【ですね!】


 偵察はここまでとなり、合流するため私はその場から腰を上げる。


 もう蜷川とりっちゃんの姿は見えない。でも、私は明里達のいる方へ向かう途中何度も振り返り、二人の手を繋ぐ姿が脳裏に浮かんだのだった。

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