思考の施行

 神島先輩に会いに行くため、テニスコートへと赴いた私達は部員の一人に神島先輩を呼ぶようにお願いしたが、神島先輩はなぜか今日は部活を休んだそうだ。体調が悪いのか、理由は誰も聞いていないとのこと。


「ますます怪しいね。七瀬さんが救急車で運ばれた日に休むなんて」

「や、やっぱり神島先輩が七瀬さんと星野先輩を?」

「七瀬さんのLINE相手の話を信じるなら、ね」

「間違いないですよ! 犯人は神島結香です!」


 もう皆、神島先輩が犯人と思い込みそこに疑いの余地を挟むことはなかった。かくいう私も、神島先輩犯人説に異論を唱えることはない。


 七不思議の呪いのように見せ掛け、ターゲットとなる人物に危害を加える。神島先輩の犯行は、明里から聞いた蜷川がLINEで伝えた通りのものに違いないだろう。


 七不思議の呪いは気になるが、今は現実に起きた事件の方が重要だ。そして、事件はついに解き明かせたのだ。


「……」

「蜷川、さっきから何を考えているのよ?」

「……」


 尋ねるが反応はない。七瀬さんのスマホの時から蜷川はずっと考え事をし、聞き取れないぐらいの小さな声でブツブツと呟いていた。


「蜷川。おーい」

「……」

「み、な、が、わ」

「……」


 目の前で手を振るも一語一語で声を掛けても無反応。自分の世界に浸り混んでいる。


「伊賀先輩、蜷川がフリーズしました」

「ああ、たぶん何言っても無駄よ。集中しだしたから」

「集中、って何に?」

「思考の集中」


 思考の集中? 蜷川がそんなまともな人間みたいなことを?


「祐一は祐一なりに事件について考えているのよ、由衣ちゃん」

「考えて、って……蜷川がですか?」

「いや、事件について考えるもなにも犯人は神島先輩ですよね?」

「祐一にも思う所があるみたいよ。だから思考に集中してる」


 皆の視線が集まるも、やはり蜷川はそれに気付かずじっ、と耽っている。


「……祐一もね、心から悔しがってるんだよ」


 諭すような口調で話す伊賀先輩に振り向く。


「悔しがる? 何にですか?」

「もちろん、星野さんと七瀬さんが被害に遭って」


 蜷川が悔しがってる? そんなバカな。七瀬さんが倒れてた時も平然としてたじゃないですか。


「誤解されやすいけどね、祐一も依頼人が被害に遭ってはらわた煮え繰り返ってる」

「いつもと変わらないじゃないですか。別に七瀬さんに駆け寄ったわけもなく、我関せずみたいにただ突っ立っていただけですよ? 信じられませんね」

「だから誤解されやすいんだよ。祐一はね、怒りの対象がない時は黙って内に秘めるタイプなの。この場合、対象は神島さんかな?」


 現場に神島さんがいたら間違いなく詰め寄っていたとのこと。以前、私が声優をバカにした時のように。


「伊賀先輩は幼馴染みだから分かるかもですが、私にはそんなの分かりません」

「由衣ちゃんでも一目で分かるよ。気付いたか分からないけど、七瀬さんのスマホを弄っていた時、片方の指を曲げ伸ばししてたでしょ?」

「あっ。わ、私見ました」

「私も」


 そういえば、たしかに蜷川は人差し指を曲げたり伸ばしたりを延々繰り返していた。


「アレね、祐一の癖というか、怒りを溜め込んでる時に出る症状なの。アレが出てる時は爆発寸前」

「そ、そうなんですか?」

「うん。アレが出てる時はあまり祐一に近付かない方がいいわ」


 あれ? 私、その時蜷川に詰め寄っていなかったっけ?


「その状態で由衣ちゃんが喚き出した時は正直焦ったわ~」

「いや、分かってたんなら止めてくださいよ!」

「イヤよ。私までとばっちり食らうじゃない」


 見捨てた!? じゃあ何? あの時ヘタしたら私はヤバイことになってたかもしれないの!? 何もなかったから良かったものの、ただの結果オーライじゃん!

 

「そんなことよりも、今は神島さんのことよ」

「そんなこと!? 結構重要案件だと思うんですが!?」

「神島先輩、絶対逃がさないんだから!」

「ど、動機は分かりませんが、神島先輩を捕まえて聞きましょう」


 二人もスルーかい!


「神島さんが犯人というのはほぼほぼ間違いないわけだし、どうしようか」

「犯人確保! 家に乗り込みましょう!」

「それは無理でしょ。それに、家分かるの?」

「分かりません!」

「じ、じゃあ無理じゃないですか」

「でも、神島さんを捕まえるのは賛成ね。となると、男手が必要」

「蜷川君! 出番だよ!」


 明里が声を掛けるも反応なし。


「まだ無理そうね。まずは祐一の意識が戻ってくるまで待ちましょう」

「は~い」

「伊賀先輩、無理矢理戻せないんですか?」

「う~ん。やったことないけど、声なら戻るかも?」

「こ、声ってまさか……」

「そっ。アニメキャラで声を掛ける」


 またか、と私は露骨に嫌な顔をする。


「だいぶ時間経ってるし、もしかしたらだけどね」

「んで? 誰がやるの?」

「私は絶対イヤ」

「わ、私も……恥ずかしいです」

「では伊賀先輩で」

「え~? まあ言い出しっぺだし、しょうがないか」


 ホッ、と私は胸を撫で下ろす。伊賀先輩は気合いを入れているのか、腕を伸ばしながら蜷川に近付いていく。


 どんな台詞で声を掛けるのだろう。これまで演じてきた伊賀先輩の伊藤静ボイスは年上のお姉さん系が多かった。今回もその手でいくのか、それともまだ聞いたことのない年下の女の子キャラの声でいくのか気になるところだ。


 どう出るのか観察していると、伊賀先輩は蜷川の背後に回り、ゆっくり体を前に倒し始めた。これは耳元で囁くパターン――な、ななな!?


 私とりっちゃんは目を見開いて驚愕。なぜなら、伊賀先輩が蜷川に背後からハグしたのだから。二人で慌てて引き剥がす。


「ちょちょちょ。伊賀先輩、何してるんですか!?」

「何、ってハグだけど?」

「ななななななハハハハハハ!?」

「何でハグしたんですか!? と、りっちゃんは言ってます」


 混乱の極みに達したりっちゃんの代わりに明里が通訳をする。


「いや、ハグして耳元で囁こうかと思ったんだけど、それが?」

「ハグの必要ありますか!? 囁くだけでいいじゃないですか!」

「それだけじゃつまらないな~、と」

「つつつつつおおおおおいいいいい!」

「つまらないとか面白いとか今は関係ないと思います! とのことです」


 すげーな、明里。完璧にりっちゃんの緊張混乱語を翻訳してる。


「祐一を引き戻さなきゃならないんだから、こらくらいはしないと。じゃあ、もう一回――」


 また蜷川にハグしようとする伊賀先輩を必死に食い止める。


「ダメですよ! ダメですダメです!」

「いいいいいずずずずず!」

「伊賀先輩ずるいです!」

「何でダメなの?」

「何でって、そりゃあ……」


 ……あれ? 何でだ? りっちゃんは分かるとしても、何で私まで必死に止めているんだろ?


「ダメと言われたらしょうがない。じゃあ、二人に任せるわ。よろしく~」

「えっ!?」

「えっ!?」


 ポンポン、と私達の頭に触れ、伊賀先輩は一人離れて見守り始めた。その顔はいたずらっ子の様に微笑んでいる。ここで私は伊賀先輩の意図に気付いた。


 しまった! これは私達にやらせるための伊賀先輩の策略だ!


 止めようとしたので今さら伊賀先輩に続行を促しづらく、私はりっちゃんと顔を見合わせた。


「りっちゃん、どうぞ」

「いいいいハハハハむむむむ!」

「いやいやいや! ハグするなんて無理です! だって」

「いや、ハグは別にしなくてもいいでしょ」


 伊賀先輩の行動のせいで、なぜかハードルが高くなったような気がする。りっちゃんには荷が重いかもしれないし、かといって私がやるのも絶対やだ。


「じゃあ、二人でやる?」

「そ、それならなんとか……」


 りっちゃんの合意も得て、私達は蜷川に近付く。普通に声を掛けても意味がなかったので耳元で囁く方法を取り、二人で蜷川の顔付近まで寄る。そして意を決してアニメキャラボイスを発するその時だった。


「……何だお前ら? そんなに近付いて」

「ギャァァァ!」

「ヒャァァァ!」


 思考から戻ってきた蜷川が両サイドにいた私とりっちゃんに怪訝そうに声を掛けてきた。思わず二人で悲鳴を上げてしまう。


「あた~。タイミング悪いわね~」

「もう少しだったのに~」


 私達とは裏腹に、伊賀先輩と明里は悔しがる。


「お前ら、まさか俺に何かしたんじゃないだろうな?」

「してない! まだしてないから!」

「まだ、ということは何かしようとしたのは確かなんだな」

「う、うるさい! あんたがずっと考えてて話に加わらないからでしょうが!」

「話? 何のだ?」

「星野先輩と七瀬さんのことよ!」

「ああ。それは俺もずっと考えてた」

「で? 祐一、何か気付いたことは?」


 首を左右に振って筋肉をほぐしながら蜷川がゆっくり口を開く。


「考えはまとまった。神島先輩に話を聞く」

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