生きた人体模型

「祐一!」

「み、蜷川君!」

「み”~な”~が~わ”~ぐ~ん”!」


 蜷川の登場に各人が名前を呼ぶ。明里に至っては涙鼻水唾、顔から出る水分全てをさらけ出していた。


 み……。


 私も名前を呼びそうになったが、寸前の所で留まり頭を振った。間一髪で登場して危機を止めてくれたのはヒーローみたいだが、蜷川は私達に人体模型を擦り付けて一人別行動したんだ。感謝の前に説教が先だろう。


「蜷川! あんた今まで何してたんよ!」

「いいかげん、お遊びはそこまでにしましょう」

「私達がどれだけ怖い思いしたか!」

「理由はまだ分かりませんが、あまり良い趣味とは言えませんね」

「もう少しで食べられそうになったのよ!? 私が死んだら責任取れんのか!」

「とりあえず、詳しく聞かせてもらいましょうか」

「聞けやコラァァァ!」


 透明人間にでもなったのかというぐらい、蜷川は私を完全に無視して人体模型も対峙していた。


「蜷川君! 悠長に何言ってるのさ! 話なんていいよ! 早くそいつやっつけて!」

「いや、それよりもここから逃げなきゃ! 祐一に気を取られてる内に!」

「ほ、ほら意思疏通ができるんですよね! 私、話ができるならしたいです!」


 三人がギャーギャー喚いていると、深い深い溜め息をついて蜷川はボソッ、と呟いた。


「チッ、うるせーな……揃ってガキかよ」

「ああん!?」

「ああん!?」

「ああん!?」


 私、明里、伊賀先輩が同時に睨み付けた。


「ちょっとお前ら黙ってろ。話が進まん」

「んだとコラ! 何を偉そうに文句垂れてんだ!」

「そうだそうだ! 私はガキじゃない! おっぱいだってあるもん!」

「祐一、いつから私にそんな生意気な口聞けるようになったの?」


 先程の恐怖はどこへやら。私は床を叩き、明里は腕を高く突き上げ、伊賀先輩は指をポキポキ鳴らす。三人の怒りが溢れ返っていた。


「人体模型の前にあんたを潰してやろうか?」

「全力で協力しますよ、伊賀先輩」

「まずはくすぐりの刑だ!」


 それは幼稚すぎよ、明里。まずは腹部に一発。それで床に悶絶した蜷川を皆で踏みつける。日頃の鬱憤、全部そこで晴らさせて――。


「……見つかってしまったか」


 えっ!? 今……。


 男性の声だが、蜷川ではない。私達セイタン部の人間ではない聞き慣れない声。その発生源は……。


「誰もいないと思っていたんだが、まさか人がいるとは」


 じ、じじじじ人体模型が喋った!?


 カタコトでもなく、ましてや機械っぽくもない。私達を襲おうとしていた人体模型がはっきりと流暢に日本語でそう口にした。私は驚きに目を見開いた。それは明里達も一緒だろう。


「電気をつけても?」

「ああ。その方がいいだろう」


 驚く私達を他所に蜷川は落ち着き人体模型と会話をし、入り口にある電灯スイッチを押した。数回の点滅後、暗い理科室に一気に光が広がり、その明るさに一瞬目が眩んで 目を瞑ってしまう。


 少しずつ目を開けながら明かりに慣れ、ようやく視界がはっきりなると私は人体模型へと目を向けた。


 半身が裸、半身が内臓剥き出し。人体模型に間違いない。ただ、プラスチックで出来ているはずなのにどこか肉質感が漂っていた。


「あっ!」


 突然、明里が何かを見つけたようで指を差す。その先に目を向けると私も同様に声をあげた。なぜなら、直立不動の人体模型があったからだ。


「人体模型が、二人?」

「えっ、えっ、どういうこと?」

「七不思議の人体模型はその模型の方じゃなかったということだ」


 ゆっくりと近付いてくる蜷川が明かした七不思議を解説し始めた。


「この理科室に忍び込んだ日、俺はおかしなことに気付いた」

「お、おかしなことですか?」

「そういえば、由衣もそんなこと言ってたね」


 蜷川も違和感を覚えていた。しかも、私と違ってその正体を突き止めている。


「でも、皆で人体模型調べた時は特に何も変な所はなかったわよ」

「人体模型じゃない。この理科室に対してだ」

「理科室?」

「お前らもこの教室にいる時点で気付かないのか?」


 私達四人は顔を見合わせて考えるが、眉間に皺が増えるだけで答えは出せなかった。


「理科室は実験をする教室だ。その都合上、中には取り扱いに注意が必要な器具や薬品なんかも棚に仕舞われているだろ」

「そうね」

「そんな物が保管されている教室に?」

「それだ!」


 私の頭の中の靄が一気に晴れた。


 教室に入ってすぐ黒板の横にある掲示板。そこにギザギザの見出しで【鍵は掛けること】と明記されていた。棚や他の引き出しは鍵が掛かっていたのに、肝心の入り口が開いたままなのだ。


「いくら保管がきっちりされていてもそこへの侵入が容易じゃ意味がない。なぜ入り口の鍵が開けたままなのか。俺はある仮説を取った。もしかしたら、俺達が侵入できたのは鍵は掛ける前だったからじゃないか、と」


 完全に蜷川のペース。この理科室を支配しているのは間違いなく蜷川だ。あの人体模型ですら静かに耳を傾けている。


「だから俺はさっき駐車場を確認してきたんだが、誰もいないはずなのに一台だけ停めてあった。そして現在の状況。俺達は今も鍵が掛かっていない理科室に入っている。それはなぜか」


 もう答えが出ているも同じだろう。誰もがわざわざ口に出すことはなかった。


 音楽室なら高橋先生がいるように、各教室には担当の先生がいる。美術室なら美術の先生、体育館なら体育の先生、と。そして、大半はその担当の先生が鍵を閉めているはず。当然、理科室にも担当の先生が存在する。つまり……。


 人体模型から小さな笑みが溢れる息が漏れた。それから観念したように、自らの首の辺りに手を伸ばす。すると、皮が……いや、布が捲れ始めたのだ。少しずつ頭の方へ捲れ上がり、最後には見覚えのある顔が登場した。


「ぷはぁ。いや~、これ結構息苦しいんだよね~」

!」


 篠原和則しのはらかずなり先生。白峰学園で化学、生物の授業を請け負っている男性教員。一八○を越えるスラッと細身で、丸の黒縁眼鏡を掛けている。その見た目から一部では博士という愛称で呼ばれていた。


「う~ん、やっぱ体動かすと気持ちがいいね」

「篠原先生、どういうことですか?」

「それはこちらの台詞だよ。下校時間はとっくに過ぎているし、今は家にいるはずの君達がなぜ校内に残っている?」

「そ、それは……」

「学園七不思議について調べていたんです」

「七不思議? なんだい、それ」


 私達が校内にいる理由を説明する。そして、理科室の人体模型についても話をすると篠原先生は頭を抱えた。


「あちゃー、そんな噂が立てられてたのか」

「噂、って……じゃあ、人体模型の不思議は篠原先生の仕業?」

「七不思議に興味はないけど、結果的にそうなるだろうね」

「というか、そもそも何でそんなの着てるんですか?」


 篠原先生が身に付けていたのは人体模型がプリントされた黒タイツ。ご丁寧にも全身に施されているので、遠目に見たら人体模型と見間違うのも無理からぬことだろう。現に私達はそうと思い込んでいたのだから。


「ああ、これ? 実はさ、毎年教師達で行われる忘年会があるんだけど、その時に一芸を披露しなくちゃならなくてね」

「一芸……」

「去年はダンスをしたし、その前は骨格標本のタイツを着た先生とコンビ組んでコントやったかな」

「なぜわざわざその格好で!?」

「仕方ないだろ。これを着てやるのが理科担当教師恒例らしいから。ずっと続く催しでさ」

「いい大人が何やってるんですか!」

「これも仕事の内さ。ちなみに、今年はトップ狙っていくつもり」

「トップ狙ってるんですか!?」

「その忘年会での一芸で大賞取った人には学園長から臨時ボーナスが入るんだから」


 金かよ! 黙って酒飲んでろよ!


「もしかして、その練習を今日?」

「ああ、うん。運動も兼ねて校内を走ろうかと思ってさ。そしたら君らが見えたから」

「だったら最初からそう言ってくださいよ! 追い掛ける必要ないじゃないですか!」

「いや、不審者かと思ったから」


 あんたの方がよっぽど不審者じゃろがい!


「先生、やるのは構わないですがもう少し周りに気を配ってください。俺ら以外にも出てくるかもですから」

「え~? 意外にもストレス発散なのに」

「別の発散方法を考えてください」

「はいはい。それより、この事は誰にも言わないでよ? ネタバレしたらこれまでの苦労が水の泡なんだから」

「分かってますよ。その代わり、俺らの事もお咎めなしで」

「交渉成立。よし、話はここまでだ。君達はもう帰りなさい。僕ももう今日は帰るから」


 パンパン、と手を叩いて篠原先生が締め括る。


 なんか、ものすごい疲れた……。


 人体模型の七不思議を解呪した。でも、その対価としては精神的にも肉体的にもかなり消耗したような気がした。

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