リアルホラー
身を隠すために入った部屋がまさか問題の人体模型が置いてある理科室とは。体力回復とかやり過ごすとか、そんな悠長に構えているどころの話ではない。
「伊賀先輩、これかなりヤバいんじゃ?」
「ヤバいね。夏に汗だくで帰ったのにお風呂が壊れてお湯が出ず、次の日まで使えないことが判明したぐらいに」
分かりやすい説明ありがとうございます。でも、それぐらい本当にヤバいのだ。お先真っ暗なこの状況。打開しようにも打つ手が出てこない。
「教室出る?」
「ダメよ、峰岸さん。今動いたら鉢合わせする可能性が高いわ。おそらく人体模型は近くにいる」
明里が目を見開き口を一文字に閉じて、ブンブン、と激しく頭を左右に振る。
「な、ならここは私が――」
りっちゃんやめて~! 人智を越えた存在は友達にはなれないから~! お願いだから諦めて~!
チャンスと見たのか、目を輝かせて意気揚々と立ち上がろうとしたりっちゃんの腰に腕を絡み付け、断固阻止した。
「でも伊賀先輩。動かないといっても、ここでじっとしてるわけにもいかないですよね?」
「そうね。人体模型は拠点となる理科室に戻ってくるはずだから、長居はできない」
「だったら早く出た方が!」
「だから今はタイミングが悪いんだって。さっき追い掛けられてた距離を考えたら、人体模型はたぶんこの辺りを散策してるはず。通り過ぎるの待つためここは我慢よ」
なるほど。ドアを開けて目の前に人体模型がいたら即詰みだ。逃げ道を塞がれ為す術はない。伊賀先輩の言う通り、ここは待機に限る。
数秒間、私達は息を潜めじっ、としていたが、りっちゃんがあることに気付く。
「で、でももし散策せずにそのままこの理科室に入ってきたらどうするんですか?」
「……」
「……」
「……」
そうかぁぁぁ! そのパターンもあるのかぁぁぁ! しかも、一番最悪なケースじゃん!
部長である伊賀先輩にその場合の対処を求め、一斉に目線を向けるとボソッ、と呟く。
「……来ないよう願おう」
神頼みぃぃぃ! 何にもなかったぁぁぁ!
「いや、何かないんですか!?」
「ないわよ! そのパターンはどうしようもないでしょ!」
「もし入ってきたらどうするんですか!」
「だからそうならないように皆で祈るしないじゃない!」
「頼りない先輩ですね!」
「やかましい! 私だってね、何でもかんでも出来るわけじゃないのよ! 一つ上の先輩だからってナメんなコンチクショー!」
本来なら後輩に威厳を見せるはずの先輩という言葉。それを否定的な意味で使われるのは初めて耳にした。軽い逆ギレに反応に困る。
とはいえ、伊賀先輩だけに頼るのも間違いだ。私達は仲間であり協力し合うべき関係。そこに先輩後輩の立場など頭に入れる必要はない。自分も考えなければ。
人体模型が侵入してきた場合を考え、何か武器になる物が必要だろう。私は周りを見渡してみた。
目に入るのは棚に仕舞われた薬品の数々。その中の劇薬でも投げつければあるいは倒せるやもなんて考えたが、表記は英語だかドイツ語だかで中身はさっぱり。内容が分からないので逆に自分達にも被害が出るかもしれない。それはリスクが高いだろう。
ならばと他にないかと見回してみるが、掲示物にある整理整頓と施錠の言葉通り、テーブルにも床にも不要な物は一切なく、手に入りそうな物は見つからなかったが、私はまた違和感を覚えた。
やっぱり何か引っ掛かる。この違和感は何だろ。どこかおかしいはずなんだけど……。
喉に小骨が残っているような違和感。その正体が掴めず、モヤモヤがまた膨れ上がってきた。
「どうしたの、由衣?」
「う~ん、やっぱり違和感があるのよ」
「ああ、そういえばさっきそんなこと言ってたわね」
「な、何が引っ掛かるんですか?」
「それが分からないの。なんかこう、目では気付いてるはずなのに脳に伝達されてないような、神経がうまく繋がっていないような感覚」
「私は由衣がお医者さんみたいなこと言ってることにすごい違和感があるけどね」
うっさい。私だってらしくないのは自覚してるけど、そう表現するしか思い付かないのよ。
「う~ん、私は普通の理科室に見えるけどね」
「わ、私も特には」
「そうかな。でもなんか……」
「由衣の勘違いなんじゃないの?」
勘違い。果たしてそうなのだろうか。この蟠り具合、とても勘違いの一言で収めるには強すぎる気がする。
「そ、そういえば、蜷川君も何かに気付いたようでしたが、何に気付いたんですかね?」
蜷川? はん! 私達を見捨てたあんなクズ野郎なんてくたばればいい!
りっちゃんから出た今この場にいない人物の名が出て、私は怒りが沸き上がった。
「さあ。私も分からない。でも、祐一は今それを必死に突き止めている。それは間違いないよ」
「蜷川君、一人でやるなんてカッコイイね!」
「わ、私もそう思います!」
「そうですか? 怖くなって一人逃げたと私は思ってるんですけど?」
「それだけは絶対にないよ」
明里やりっちゃんと違い、一人逃げ出したと決定付けている私は嫌味を連ねたが、それを伊賀先輩が即否定した。
「何で分かるんですか?」
「祐一は仲間を見捨てるような真似だけは絶対にしないからよ。幼馴染みの私が保証する」
「保証、って何を根拠に――」
「祐一のお母さんが演じたアニメ、魔法少女カミナ。仲間が苦しんでたら守り、仲間が囚われたら助ける、常に仲間と共に苦難を乗り越える。そんなアニメだったよね?」
伊賀先輩はそこまで言うと、それ以上口を開くことはなかった。なぜなら、私にも十二分に理解できたからだ。
亡くなった声優の母親が演じたアニメ。それを侮辱するような行動を蜷川はしない。ただのアニメの設定や世界観であっても、蜷川はそれをこの現実でも守っていこうとする。そんな奴だ。ならば、セイタン部の仲間である私達を置いて逃げるような真似はしない。伊賀先輩はそう言いたいのだ。
ま、まあ、伊賀先輩の言うことは私も理解できますよ。でも、この目で見るまではやっぱり確信は――。
――ガララララッ。
理科室の開閉音が木霊する。その音に私達はビクッ、と体が硬直し、声が出ないよう口許を手で力強く抑えた。
まさかまさかまさかまさか!?
私は意を決して陰から入り口を覗いてみる。そこには人体模型が立っていた。慌てて体を陰に戻す。
皆が目線で問い掛けて来たので、私も黙って首を立てに振った。さらに緊張感が強くなる。
耳を澄ませ、人体模型の動きを量る。足音は聞こえないので辺りを見回しているのだろう。体を捻るような微かな雰囲気を感じた。
『どうしますか?』
『今は絶対動いちゃダメ。衣擦れの音でバレるかも。あと息も抑えて』
『息も!? 私、一分も止められないです!』
『気合いで長引かせて、峰岸さん』
『べ、別に止めなくても大丈夫です。は、鼻から吐くのではなく、抜くように息を出すといいらしいです』
『なるほど……って、抜くってどうやるの?』
もう声を出して会話することはできない。あとはアイコンタクトと動きだけで意思疎通するしかなくなったが、予想以上に私達は通じ合えてる気がする。
そんなやり取りをしていると、人体模型は動き出し、前の黒板のある方へ歩き始めた。それを察知した私達は、見られないよう反対へと移動する。
並ぶテーブルが上手い具合に死角になっているのか、人体模型にはまだ気付かれていない。なんとか移動できるようだ。
『くそっ、前じゃなくて後ろに移動してくれてたら脱出できたものを』
『何で後ろの定位置に行かなかったんだろ?』
『なんか探していますね』
人体模型は黒板前、先生が使うテーブルの周りを物色し始めている。いや、あれは私達を探しているのだろう。
『やっぱり、私達を捕まえて食べちゃうとか?』
『だったら絶対見つかるわけにはいかないわね』
『皆、最新の注意を払って物音を立てないで』
伊賀先輩を筆頭に、私達は四つん這いの状態で移動を開始。亀のような速度だが、おかげで物音は一切ない。これならバレずにやりすご――。
ぐぅ~……。
「……」
「……」
「……」
くぐもった音が理科室にはっきりと響いた。聞き慣れた音で、お腹からよく発せられる音。当然、人体模型にも聞こえただろう。恐る恐る覗き込むと、確実に私達を捉えていた。
「ぎゃぁぁぁ!」
「見つかったぁぁぁ!」
「ごめん! お腹の音までは抑えられなかった! まだ晩御飯食べてなかったから!」
「伊賀先輩、そりゃないっすよ!」
意外にも音の犯人は伊賀先輩だった。とはいえ、時刻は二十時近く。晩御飯を食べずにいたら鳴ってしまうのは致し方ないだろう。
見つかったならもう声も潜める必要はない。立ち上がると大きく話し始めた。
「どうしますか!」
「逃げるわよ!」
「大賛成!」
「わ、私は残りたい――」
「ぜっっったいダメ!」
入り口へと向かおうとした私達。だが、予想外な機敏な動きで人体模型に退路を塞がれてしまった。
「うわ、俊敏!」
「か、関節も筋肉もないのにどうして? や、やっぱり魔の力が……」
「感心してる場合じゃないよ、りっちゃん!」
人体模型は軽快な動きで私達四人を追う。動きを止めようものならすかさずテーブルを回り込み、長い腕を伸ばして掴まえに来ようとしてくる。
「後ろに避難!」
ジリジリと詰め寄ってくる人体模型に後ろへ逃げざるを得なかった。しかし、それは詰みへの一手だ。壁に追い詰められ、完璧に逃げ場を失った。
「く、来るな!」
明里が叫ぶが、人体模型は意に介さずゆっくりと近付いてくる。そして私に狙いをつけたのか真っ直ぐに見つめ、私の頭に向かって腕を伸ばしてきた。
いや……いや……!
涙が出そうになりながら首を横に振って懇願をするが、人体模型はもう目の前だ。抵抗する気も完全に無くなっていた。ギュッ、と目を瞑り、助けを乞う。
……助けて、蜷川!
――ガララララッ。
「お遊びはそこまでだ」
ドアの開閉音。その後に聞こえてきた男子の声に私はハッ、となって顔を上げた。
入り口には人体模型に懐中電灯を照らした蜷川が立っていた。
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