必死の逃避行

 私達は必死に逃げた。暗くて足元が見えづらく、懐中電灯で床を照らそうとするもその光はごく一部。階段など安全性を考えれば一段一段確認しながらでないと踏み外して転げ落ちる危険があるが、それでも全速力で駆け降りざるを得なかった。


 何!? あれは何なの!?


 何なのと自問するも答えは分かりきっていた。あれはどう見ても人体模型なのだから。理解しているはずなのに頭の中はその自問自答が繰り返され、そしてただただあの人体模型から逃げなくてはという一点だけが体を動かしていた。


「あああああれ、じじじじ人体模型だったよね!?」


 逃げながらテンパりまくりの明里が口を開く。


「み、見間違いじゃなきゃね」

「なな、何であんな所に!?」

「わ、私が知るわけないでしょ!」

「まさか本当に出るとはね」


 口調は変わらずであるが、伊賀先輩も声が少し震えていた。


「いいいい伊賀先輩! どどどどどこに逃げればいいんですかね!?」

「そんなの分からないわよ! とにかくあの人体模型から離れる! それしかないわ!」


 伊賀先輩の言う通り、今は逃げることだけを考えよう。


 七不思議の人体模型は走るとしか明記されていなかったが、追い掛けてくるとは考えもしなかった。追い掛けてくるということは私達を狙っているということ。捕まったら一体何をされるのか。分からないからこそ恐怖が煽られる。


「はぁ、はぁ……あ、あの、何で逃げるんですか……はぁ、はぁ」


 ただ、オカルト好きなりっちゃんは逃避している行動に疑問を持っているようで、息が切れ切れになりながら聞いてきた。


「いやだって人体模型が動いたんだよ!? ヤバいでしょ、あれは!」

「そそそそうだよ! 普通なら考えられないじゃん!」

「そ、それはそうですが……で、でも私達、七不思議の解決に来てるんですよね?」

「針宮の言う通りだな。目標が向こうから出てきてくれたんだ。なぜ逃げる。これじゃ解決などできんだろ」


 蜷川の言う通りなのだが、得たいの知れない物に追い掛けられたら逃げてしまうのは当然ではないか。


「で、でも捕まったら何されるか分からないんだよ!?」

「何もされないかもしれんだろ」

「追い掛けられて何もされないわけないでしょ!」

「おそらく大丈夫だろ。危害は加えんはずだ」

「何でそう言い切れるのよ!」

「そういう相手だろうからだ」

「そういう、って……蜷川君、何か知ってるの?」

「ああ。俺は大体アレの目星が付いている」


 目星だって? 蜷川にはアレの正体が分かっているのか?


「少し確かめたいことがあるから俺はこの後一人別行動をする。静、アレを上手く引き付けろ」

「ちょっと祐一!?」

「蜷川君、そこは男らしく『俺が食い止める。お前達は先に行け』の場面じゃないの!?」

「漫画やラノベで昔はよく使われていたがな。最近は死亡フラグとして確立されている。自ら死亡フラグを立てるのは愚か者のすることだ」


 いや、死亡フラグとか関係ないわ! 男一人なのに集団から離れて女子に引き付け役任せるとかあり得んだろ!


「というわけだ。お前ら、捕まるなよ」


 三階に着いた時、蜷川は一人私達とは反対の方向へ走り出した。目的地があるのだろうか、迷いのない走りでどこかへとその姿を消していった。


「本当に私達と別行動しやがった!」

「何で!? 何で!?」

「あの口振りから何か気付いてるんでしょうね」

「だったら何で私達にそれ教えてくれないんですか?」

「まだ確信がないみたいだったわね。それを確認するために一人で行った」


 本当か? 私達を囮にして逃げたんじゃないの?


「で、でもそれじゃあ蜷川君の方に人体模型が追い掛けていったら……」

「蜷川君が危ないじゃん! はっ! もしかして、蜷川君はああ言いながら自分が囮に!?」


 心配になった私達は足を止めて後ろを振り返る。暗闇の中を凝視して気配を感じとろうとすると、人体模型がこちらに走ってくるのが見えた。蜷川囮説は五秒ももたなかった。


「こっちに来てんじゃん!」

「蜷川君、本気で逃げたよ!」

「走って!」

「み、皆さんは先に行ってください!」


 走り出そうとした時、りっちゃんは一人残ろうとした。


「りっちゃん、何してるの!」

「こ、ここは私に任せてください!」

「何言ってるの、りっちゃん!」

「そうだよ! 逃げなきゃ!」

「だ、大丈夫です。私は……私は……」


 さっき蜷川に求めた行動を、一番か弱いりっちゃんが移していた。今のりっちゃんは二回りも三回りも頼もしく大きく見えた。


 でも、りっちゃんだけを残して逃げるなんて私には出来ない。大事な仲間なのだから。犠牲は蜷川だけで十分よ。りっちゃんがその代わりをする必要は――。


「わ、私は……人体模型と仲良くなりたいですから!」


 違ったぁぁぁ! 身を呈して守るんじゃなくて己の欲望に忠実なだけだったぁぁぁ!


「わ、私、なんかあの人体模型とは友達になれそうな気がするんです。き、きっと話が合うと思――」

「仲良くなるの無理ぃぃぃ! 逃げるよ!」


 りっちゃんの手を掴むと、私達はまた走り出した。


「な、何するんですか? 私は人体模型と――」

「無理無理無理無理無理無理! 私の第六感がアレは無理だって言ってるから!」

「む、無理じゃありません! 私の第六感は仲良くなれるとビンビンに反応してます!」

「ぶふぉ!? お、女の子がビンビンに反応とか言うんじゃありません!」

「えっ? わ、私何か変なこと言いました?」


 キョトン、と不思議そうに首を傾げるりっちゃんに対し、私は顔が熱くなるのを感じた。


「由衣、りっちゃんはそんなつもりで言ったんじゃないよ?」

「この危機的状況で下ネタ連想……堀田さんの頭の中は意外にピンク?」

「ちちちち、違いますよ! ほ、ほら! 人体模型って半身裸でしょ? それでたまたま思い浮かんだだけです!」

「本当かな~?」


 私もなぜ思い浮かんだのかはさっぱりだが、幸か不幸かおかげで逃げながら少し余裕ができた。


「それで、どうしますか伊賀先輩?」

「そうね……このまま走り続けるのは得策じゃないわ」


 体力にも限界がある。私はまだ平気な方だが、りっちゃんはもう肩で息が上がり始めている。この逃避行も長くはもたない。


 となれば、次に取るべき行動は身を隠すことだろう。全員それが分かっているのだろう、走りながらキョロキョロと頭を動かす。


「あっ! 先輩、あそこドア開いてます!」

「本当? よし、皆そこに一旦避難よ!」


 明里が見つけた唯一の避難場所。私達は迷わずその部屋へ飛び込みドアを閉めると、物陰に身を隠した。


 はぁ、はぁ、はぁ……バ、バレてないよね?


 荒れた息を整える。静かな部屋だからこそ、自分達の息遣いが騒音に匹敵するぐらいに聞こえた。このままでは人体模型に聞こえてしまうかもしれない。早く落ち着かせようと胸に手を当て呼吸に集中し、それから見つからないよう祈る。


「別の方に行ったかな~?」

「峰岸さん、静かに。声を潜めて」


 緊張と微かな呼吸だけが部屋を包み、私はもう一度大きく息を吸い込んだ。そして、あることに気が付いた。


 ま、まさかここって!?


 他の教室にはない独特の匂い。鼻にツーン、と軽い刺激を与え、取り扱いに注意が必要な薬品が数多くある教室。


「い、伊賀先輩……」

「しっ。堀田さん、今はなるべく口を開かな――」

「ここ……理科室です」

「……えっ?」


 タイミングを計ったかのように、月が雲から顔を出す。薄手のカーテンから差し込むその明かりが理科室を妖しく照らしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る