純粋な心は尊い

 夜になるのを待ち、これまでのように学園に侵入した私達。目的地の屋上へ真っ直ぐ向かう。屋上へ続く階段は一ヶ所のみ。私達のクラスがある校舎から上に続く階段を昇れば辿り着ける。


 屋上には周囲に張り巡らされてる高さ四メートルの金網の側にベンチが置かれており、昼休みには私達生徒が友達とお弁当を食べる場所として利用されている。屋上のベンチとなればカップルがお互い『あ~ん』して食べさせ合う恋愛漫画の定番シチュエーションであろうが、現実にそんな事が出来る猛者はいない。解放感ある人気の屋上で二人きりになれるわけもないし、周りの目を気にせずやれるカップルはバカップルに認定だ。これからの学園生活をどんな目で見られるか。


 まあ、彼氏のいない私には無縁のイベントだし、仮にいたとしてもやろうとも思わないわね。何で普通に食べないのかしら。味が変わるわけでもないでしょ。


 ※※※


『はい、蜷川。あ~ん』

『あ~ん』

『どう? 味は?』

『ふむ、普通の玉子焼きだ』

『でしょうね』

『だが、堀江由衣に食べさせてもらえば濃厚さ、のど越し、萌えは倍増するに違いない。よし、声を付け加えてくれ!』

『誰がするか!』


 ※※※


 やっぱロマンもへったくれもな――って何で私は蜷川相手で妄想してんだぁぁぁ! いやぁぁぁ気持ち悪い! な~にが『あ~ん』だ。『あん?』の睨み付けでゴミ放り込むわ!


「さあ、着いたわよ」


 伊賀先輩の声で現実に意識が戻ると、いつの間にか屋上のドアの前まで来ていた。ブンブンと頭を左右に振り、たった今浮かべた気持ち悪い妄想を取り払う。


「さて。鬼はどこにいるのか……」


 屋上のドアの前は横二メートル、縦五メートル程のスペース。壁際には古い赤い三角コーンが三つあった。


「あれが鬼の正体、とか?」

「いや~、さすがにそれはないでしょ」

「そうだよ。鬼の角は基本二つのはずだし」

「基本なの?」

「お、鬼の描写ではたしかに二本角が多いですが」

「あれが角ならとんでもない大きさだな」


 たしかに、角で三角コーンの大きさなら本体はバカでかい。私達人間なんか一口で飲み込めるぐらい口も大きいだろう。とても太刀打ち出来そうにない。


「まあいい。鬼が現れるのはどこだった?」

「扉の前ね」


 屋上の扉は両開きのアルミ製。壁が灰色に対し茶色の扉でよく目立つ。窓から差し込むのは月明かりか、斜めに四角の形で床を照らしている。


「鍵……は掛かってるわね」

「な、七不思議では扉の前で現れる、とありましたよね」

「となると、扉の向こうが魔界と繋がってて開いてないと鬼は出ない?」

「よし、ならぶち破ろ――」

「やめんか!」


 躊躇なく体当たりをしようとする明里の頭を叩いて止める。


「扉の前……鬼……魂……。針宮、七不思議の内容は正確には何だ?」

「えっ? は、はい。た、たしか【屋上ヘ続ク扉ノ前デ鬼ガ現レタマシイゴトクワレタ

】です」

「“タマシイゴトクワレタ”は妙な表現だな。普通に食われたじゃダメなのか?」

「そういえばそうね。魂を入れる理由がある、ってことよね」


 魂を連想するとなると、空中をフラフラと舞う白い塊、云わば人魂だ。あれがイメージしやすい。


「針宮、他に何かこの不思議について知ってることは?」

「ご、ごめんなさい。特にこれといったのは……」

「そうか。他に知ってるヤツは?」

「私は知らない」

「私も」

「ないな~。噂の一つぐらいしか」


 いや、持ってんじゃん。それを言いなさいよ、明里。


「噂はどんな?」

「いや、大したものじゃないよ。この不思議に経験した生徒はこの階段で意識を失ってる事が多い、って」

「意識を失うってことは倒れてる、ってこと?」

「そう。魂ごと食われたとは言ってるけど、実際に血溜まりがあるわけでも姿が消えるわけでもなく、階段で見つかるんだって」


 私達が昇ってきた階段に目を向ける。別に何の変哲もない普通の階段だ。そこでいつも生徒が気を失っている。何か意味があるのだろうか。


「意識を失う生徒……階段……鬼……魂ごと食われた……いや、違うな。魂を食われたんだ」


 魂、だけ?


「峰岸の言う通り“タマシイゴトクワレタ”とありながら、誰一人体を食われた生徒はいない。実際に起きているのは気を失ってるだけ。これはおそらく魂だけを食われたからだ」

「き、気を失ったのはそのせい、って事ですか?」

「いや、魂食われちゃったら死ぬでしょ。気を失う程度で済むわけないじゃん」

「本当に魂が食われたわけじゃない。七不思議に合わせて脚色してるんだ」

「じゃあ、実際の七不思議はどうなの?」

「んなもんこうだ」


 そう言うと蜷川は壁際にあった三角コーンを掴むと、床に二つ並べた。


「何してんの?」

「鬼の正体だ」

「どこに?」

「ここだ」

「ここ?」

「おお! 鬼だ!」


 そこにはたしかに鬼がいた。


 扉の窓から斜めに入り込む月明かりが床に照らし出す四角形。それが顔の輪郭となり、その端に蜷川の置いた三角コーンが突起を作り、角の生えた頭部に見えなくもない。


「これが鬼の正体だ。実際はもっと階段に近い場所だろう」

「何で階段付近なの?」

「ちょうど階段に差し掛かる床に染みと傷があるだろ? これが目と口の役割を果たし、床に映し出される光の輪郭と合わさって鬼になり、それに驚き倒れたからだ」

「なるほど!」


 明里が蜷川の推理に目を輝かせ、ポン、と手を叩いて納得している。たった一人で。


「……」

「これが……鬼?」

「なんていうか……ねぇ?」

「……シ、ショックです」


 私、伊賀先輩、りっちゃんはなんとも言えない表情で言葉に苦しむ。オカルト好きなりっちゃんはこの推理に明らかな落胆だ。


「こんな鬼で気を失いますか?」

「子供も泣かないと思うけどね」

「ほ、他に解答はないですかね?」

「あるかもしれんな」


 いつの間にか蜷川が私達の輪に加わってきた。


「これはさすがにないんじゃない、祐一?」

「そうよ。床に映った光と染みで鬼と捉えてビビる高校生がいるわけないじゃない」

「まずいないだろうな。俺もそう思う。それよりも、このフロアが滑りやすくて転んで頭を打ち失神、の方がしっくりくる」

「だったら――」

「だが『鬼の出現』『食われない肉体』『気を失う』。この三つの共通点を繋げるにはこれしか思い浮かばん」

「こじつけかよ」

「こじつけの何が悪い。そもそも、これが正しいのか間違いなのか、俺達は判断出来んだろ」


 蜷川の言う通り、いかに幼稚な推理であっても答えを知らない私達はこの推理が間違いであるとは断言できない。


 それに……。


「うおー! 鬼の正体、見破ったり!」

「明里ちゃんが完全に受け止めちゃってるからね~」


 ただ一人、明里は蜷川の推理に何の疑問も持たず、解決のガッツポーズを何度も振りかざしていた。


「あの勢いに水を差すのは気が引けますね」

「ここは明里ちゃんの純粋な心を守るために」

「だ、黙ってましょうか」

「それがいいだろ」


 七不思議、というより明里のために解決という結果を作り出す事に私達は一致した。


「よし! これで七不思議の内、二つを解決! 残り五つ!」

「どうしますか? 別の七不思議に行きます?」

「そうね。帰りにプールに寄りましょ」


 プールは学園の入り口の側だ。帰るルートの途中で寄れる。スマホで確認すると、時刻は白い文字で十九時二十分と表示。時間的にもちょうど良いだろう。


 すぐに取り掛かるため、私達は階段を降り出口である昇降口へと向かう。


「七つの内二つ、か。進行度としてはいまいちね」

「なんか、二回に一回しか解決しないよね~」

「解決率五十パーセントか」

「こ、このままじゃまずいのでは?」

「そうね」

「だが、焦っても意味はない。期限までまだ約一週間はある」


 逆に言えば一週間しかない、とも取れる時間だ。悠長に出来る時間でもない。なにせ、七不思議は全て解決しないと呪いが振りかかるのだから。


 残り五つの七不思議の解決。そう考えると、焦るなと言われても無理があるだろう。迅速に解決するため、私はある提案をした。


「伊賀先輩。皆でもう一回理科室行きません?」

「えっ、何で?」

「いや、ついでにまた確認してみてもいいんじゃないかな、と。先に全ての不思議に取り組むのもいいですが、私的には正直そんな悠長にしてられないんじゃないかと」

「ん~、まあそうね」

「でも、何で理科室?」

「いや、なんというか……」


 明里の当然の疑問。だが、私は上手く説明できないでいた。


 実は、理科室に赴いた時から何か頭に引っ掛かっているのだ。違和感というか、おかしな部分を見た気がするのだが、頭に霞が覆い被さったかの様にそれが思い出せない。


「気になるんなら行く?」

「いいですか?」

「皆は?」

「わ、私は平気です」

「異議な~し」


 皆の好意に甘え、ルートを理科室へと変更する。


「理科室に行かずとも、今人体模型が走ってれば取り掛かれるんだけどね」

「いやいや、そんなタイミングよ、く――」


 息が止まった。

 体が硬直した。

 思考が止まった。

 私、堀田由衣という女の子の活動全てが止まった。


 向こうの窓に現れた。私の目は一瞬にして固まったかのように凝視していた。


「どったの、由衣?」

「あ……あ……」

「あ~あ~果てしない~♪」

「明里ちゃん、そんな古い歌よく知ってるね」

「お母さんが好きなんですよ」

「ほ、堀田さん。どうしたんですか?」


 凝固した体に精一杯の力を振り絞り私は右腕を上げていき、プルプルと震えながら指を差す。皆がその先のに目を向ける気配を感じると、同時に息を飲む音も聞こえた。


「あ、ああああれ!」

「まさか!」

「……っ!」

「……人体模型だな」


 幻であって欲しかったが、間違いない。月明かりに照らされたその姿。半分は肌、半分は内臓を露出させている人体模型。理科室に置いてあるはずのそれは今、廊下に鎮座し私達を見返していた。


 そして次の瞬間、なんと人体模型体は私達の方に向かって走り出した。それを見た伊賀先輩が叫ぶ。


「皆、逃げて!」

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