恐怖の侵食

 私達クラスの教室がある校舎から対象に位置する三階建ての校舎。そこは職員室や会議室など教師が利用する部屋が多いが、その三階の端に図書室があった。


 高校の図書室と聞くとこじんまりとした印象があるかもしれないが、白峰学園の図書室は広い。大きさで言えば六~七クラス分ぐらいで、その内四クラス分程は蔵書が並び、余りのスペースには学習机が置かれている。


 蔵書は資料や一般文芸を始め勉強の参考書や大学の過去問が多く収納されている。普段はあまり生徒は利用しないようだが、受験の時期になると三年生がよく顔を出すらしい。現に私達が図書室に入ると、三年生らしき生徒の数人が学習机で過去問と睨みっこしていた。


 学習机に七瀬さんの姿はない。別の場所にいるのだろうと探していると、図書室の奥の人目の付きにくい所に七瀬さんはいた。傍には二人の女子生徒。この二人が先輩なのだろう。


「おまたせ、七瀬さん」

「あっ、伊賀先輩。すいません、呼び出してしまって」


 私達の姿を見た七瀬さんが律儀に頭を下げる。運動部らしく、先輩に対して挨拶を怠らない。


「いいよ。これが依頼なんだし。その二人が?」

「はい。テニス部の先輩で……」

星野奏ほしのかなでだ」


 一人目の先輩が自己紹介する。一七〇は越える長身で髪はショート。少し陽に焼けた褐色の肌で目付きが鋭く、男勝りな印象がある。細身に見えるがスカートから覗く足はしなやかそうに引き締まっている。冬服で測れないがおそらく腕も同様で、無駄のない筋肉が付いているように思えた。長身も活かして放たれる打球は強力に違いない。


「あんたらが七瀬の言っていたセイタン部か?」

「そうよ。私は二年の伊賀静。こっちは後輩の部員」

「ふ~ん。なんか頼りない感じだな」

「初対面でいきなり頼りないは随分な言い様ね」


 私達を一瞥しての感想。印象通りというか、上からの話し方をする。さすがの伊賀先輩もカチンときたのか、負けずと腰に手を当てて反論する。


「思ったことをそのまま言っただけだ」

「正直な人は嫌いじゃないわ。でも、仲間を侮辱されてこっちも良い気分にはならないわね」

「なら信頼に足る実績か何かがあるか? 悪いがこっちも遊びでやってるわけじゃないんでね」

「実績ならあるわ」

「ほう。どんな?」


 伊賀先輩が私の事件を話すと、星野先輩は驚いたように目を見開いた。


「ヒュー。あの事件、あんたらが解決したのか」

「そっ。だから安心して。みんな信頼できる優秀な部員だから」

「なるほど。なら問題ないな」


 信頼を得たのか、雰囲気が少し和らいだように感じた。


「それで、もう一人は?」

「ここにいる。ほら、出てこいよ」


 星野先輩の後ろからブレザーを着た女の子が姿を現した。


 身長は一六十台で肩まで伸びる黒髪。小さな鼻と口が童顔さを滲ませ、どこかりっちゃんと雰囲気が似ていた。ただ、今は酷く憔悴していて覇気がない。


神島かみしま……結香ゆいかです」


 消え入るようなか細い声で自己紹介をする神島先輩だが、それでも綺麗な声だった。きっと普段なら明るさと相まって男子生徒から人気があるような気がする。


「神島さんね。これで全員ね、七瀬さん?」

「はい、そうです」

「まあ、立ち話もなんだしそっちのテーブルに座りましょ」


 ちょうど人数分の席が空いているテーブルを見つけ、全員が腰を掛けるとさっそく本題へ入った。


「さて、と。ダラダラ喋る時間もないし、直ぐに本題へいきましょ。あなたたち三人が今回の依頼人で間違いない?」

「間違いありません」

「もう一度確認すると、三人は忘れ物を取りに学園に戻って七不思議の一つを経験した。【誰モイナイ体育館デボールノ跳ネル音ガ響イタ】を」


 その説明に神島先輩がビクッ、と体を震わせた。


「ああ。忘れ物をしたのがこの神島でな。私と七瀬がそれに付き添った」

「よかったらその経緯を詳しく教えてくれる?」

「詳しくもなにも、神島が部室に定期を忘れたのに気付いて三人で戻った。その後、体育館に行ったら七不思議を聞いた。それだけだ」


 神島先輩とは裏腹に、星野先輩は淡々と説明を続ける。


「体育館に行こうと言ったのは誰?」

「私だ。ただ、最初に話題に出したのは神島だったか?」

「たしかそうです」


 神島先輩にみんなの目が向く。


「わ、私はその、今部内で体調不良や負傷者が相次いでて、それは白峰学園七不思議の呪いのせいだと噂を聞いていたから……」

「私は馬鹿馬鹿しいと言ったがな」

「星野さんは信じてないの?」

「私は呪いだとか幽霊だとかの類いは信じない質なんでね」

「じゃあ、何でセイタン部に依頼を?」

「神島が言ったように部の中で噂が浸透していてな。一応、私はテニス部のキャプテンを務めているんだが、その立場もあり放置するわけにもいかない。部員の悩みを聞いて対応するのも仕事だ」


 キャプテンと聞いて私は相応しいと納得する。しっかりしてそうな印象だし、こうしてわざわざ神島先輩と七瀬さんに付き添ってるところを見ると、しっかりと務めているように思えた。


「神島のそれを聞いて最初は否定していたんだが、七瀬も興味を持ち始めてな。なら行ってみるぞ、と言った」

「それは何で?」

「ただの噂だと証明するつもりだったんだ。さっきも言ったが、私はその類いは信じない。だが、実際に行ってみたらたしかにボールが跳ねる音が聞こえた」


 自分の発言で神島に嫌な思いをさせたとなれば責任を取らなければならず、こうして共にセイタン部に依頼をする形になったと付け加えると、伊賀先輩がなるほどと唸った。


「もう一つ確認したいんだけど、部内で体調不良者や負傷者がいるのは本当なの?」

「それは本当だ。ここ最近多い」

「七瀬さんが言うには、高熱で体調を崩した人がいれば怪我をした人もいる、と」

「ああ。そうだ」

「や、やっぱり呪いのせいよ!」


 神島先輩がすがるように星野先輩の腕を掴むが、あっさりと払われた。


「馬鹿馬鹿しい。呪いなんてあるわけない」

「で、でもこんな連続で起きる普通!?」

「連続で起きるのはたしかに普通じゃないが、他の連中のはただの不注意からだ。高熱を出した奴は風呂上がりに外で長時間電話した、足を怪我した奴はよそ見をして段差で挫いた。それのどこが呪いだ」

「自転車とぶつかって骨折した人もいるんだよ!? 自転車で骨折っておかしくない!?」

「それも別に特別でもなんでもない。自転車だって車だ。ぶつかれば軽傷で済むわけがない。詳しく聞いたが、そいつはスマホを弄りながら歩いてて前方不注意だったらしいぞ? そんなの自業自得だろ。誰もが自分の怠慢から起きた事例だ。私に言わせれば、呪いと揶揄して大袈裟にしているようにしか聞こえないな」


 現実主義なのだろう、星野先輩は何一つ恐れを成していない。むしろ部員達に説教する勢いだった。


 たしかに連続で起きるのは気になる所だが、星野先輩の話からそれぞれの件は呪いとは程遠いように思える。呪いに当て嵌めるには苦しいような気がするのは私だけではないはず。


「その怪我とかした部員は全員学園七不思議を経験してるのか?」


 珍しく蜷川が自ら質問すると、七瀬さんが答えた。


「それはほぼ間違いないかな」

「ほぼ、ってなんだよ」

「何人かは曖昧なのよ。見たり聞いたりしたような気がする、みたいな」

「なんだそれ」

「実はね、前々からウチの部でその七不思議の話題がよく出てたのよ。みんな最初は星野先輩みたいに噂程度で信じてなかった。でも、一ヶ月前ぐらいからかな。実際に七不思議を調べ始めた部員が出たの」


 その部員は噂が本当かどうか、七不思議を順に回ってみようと挑んだらしい。


「その部員はどうなった?」

「怪我をしたかな? 練習中にイレギュラーボールが瞼の上に当たって腫れたの」

「うわ~、痛そう」

「実際危ないところだったわ。瞼の上だったから幸いだったけど、もう少し下だったら目に当たって眼球にダメージが残ったかも、って」


 硬式といってもテニスボールは柔らかい。窪みのある目なんかに当たるとめり込むようになり、内部までダメージが来る。後遺症が残るのも珍しくないから注意する必要がある、と中学の頃に読んだテニスの指導書に記してあったのを思い出す。


「その時はまだ誰も七不思議の呪いなんて言わなかったわ。アクシデントぐらいに感じてたし。けど、他に七不思議を経験した部員に次々と不幸が訪れるようになって、呪いだと口にするようになったの。それからかな、別に七不思議に関わらなかった部員までも、怪我や体調崩す度にもしかしたらあの時見たアレは……みたいに言うように」

「恐怖に心が侵されてるゆえに、だな」


 恐怖に心が侵される。


 一度恐怖を抱いてしまうと、人はありもしないイメージを描くことも少なからずあるだろう。ただの影が人が佇んでいる様に見えたり、誰もいないのに何かが後ろから付いて来ていると錯覚したり、と。部内で呪い話が蔓延していれば、その恐怖により「アレはそうだったのでは?」と記憶に後付けされてしまうのは無理からぬ思考だろう。


「正直、今テニス部ではその呪いのせいで部員達が練習に身が入っていないのが現状だ。キャプテンとしては放っておけない。早急に解決して欲しい」

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