揺るがない蜷川
次の日もセイタン部へ顔を出すと、昨日と同様に収録活動を強いられた。
「よし。今日も張り切って行くぞ、お前ら。俺に付いてこい!」
一人高々と腕を上げやる気に満ちた蜷川。目は煌々と輝き、早く収録をしたくてウズウズしているのがはっきり分かる。その掛け声に私、伊賀先輩、りっちゃんの三人は弱々しい長い溜め息で応えた。
「おいおい、何だよお前ら。気が抜ける溜め息なんかしやがって」
「いや、溜め息しかでないわ」
昨日の女子会で蜷川の声絡みに付き合うとは言った。しかし、日にちを挟んでやるならともかく、毎日となると話は別だ。数えると今日で四日連続。さすがに連日で収録されるのは肉体的にも精神的にも負担が大きい。
「ねぇ。せめて今日は休みにしない?」
「なぜだ? 前にも言ったと思うが、今日の出来が明日を上回るとは限らない。明日の方が質が下がる可能性もある。ならば、今日出来ることは今日やるのがベストだろう」
「そうは言ってもさ……」
「それに、アニメの収録は毎日やる。それが声優の仕事だ」
だから私らは声優じゃねえっての。
「さすがに私もりっちゃんも疲労が溜まってるのよ、祐一」
伊賀先輩もフォローに入ってくれ、りっちゃんの顔にも疲労の色が滲み出ていた。眠たいのか瞬きが多く、今にも閉じてしまいそうだ。
「それに、私今日は喉の調子も少し悪くてあまり声を出したくないのよ」
「風邪ですか?」
「ううん、ただ単に喉を使い過ぎただけだと思う。今日休めば明日には治ると思うわ」
たしかに、よく聞くとホンの少しだけ伊賀先輩の声に張りがないようだ。どこか籠っているような、何かに引っ掛かっているような、そんな響き。
うわ~、ついにこいつ周りの体調にまで影響を及ぼしやがった……。
いつかは迷惑を与える日が来るだろうとは思っていたが、まさかそれが今発生するとは。予想よりも早く訪れ、私は蜷川に余計に嫌悪感を抱いた。
これは確実に休むべきだ。この収録はあくまでも蜷川の趣味の範疇。体調不良者が手を挙げていながら無理にやる必要はない。人間健康第一だ。
「蜷川、今日は何と言おうと絶対休み――あれ?」
きつく叱るつもりで注意しようと目を向けたが、蜷川の姿がない。
「ほれ、これを舐めとけ」
「ありがと」
いつの間にか伊賀先輩の元に寄っている蜷川。喉を痛めたと聞いたからか、のど飴を一つ渡していた。
「リンゴ味、レモン味、イチゴ味、それからハーブエキス配合のヤツとあるがどれがいい?」
「じゃあリンゴ味で」
「ゆっくり舐めろよ。少しずつ溶かして喉に浸透させるのが効果的だから。間違っても噛むなよ?」
「分かってるわよ」
なんとあの蜷川が伊賀先輩の体を気遣っていた。てっきり「何をそんな軟弱な発言を」とか言いながら収録をさせるかと思っていたが、予想外の珍しい光景に私は唖然としてしまう。
「喉の感じはどんなだ?」
「ちょっと固いというか、違和感があるだけね」
「イガイガではないんだな。なら静の言うように疲労の類いだろう」
「でしょうね」
「のど飴だけでは足らんな。これも使え」
蜷川は自分のバッグからマスクを取り出し、伊賀先輩に手渡す。
「それから、のど飴を舐め終わるまでこれも首に巻いとけ。冷やすのも良くないらしい」
次に少し厚手の黒いネックウォーマーをさらに渡す。
「のど飴が無くなったら喉のケアだ。このミスト機を使って潤いを保つ」
さらに小型ではあるが何かの機械を取り出し――って、どんだけ出てくるんだ! というか、あんたそんな重そうな機械いつも持ち歩いてるの!?
教科書や弁当箱も入っているはずなのに、小さめの学生バックから出てきたとは思えない量だ。四次元バックか。
「そういえば、りっちゃんも声が少しかすれてるわよ」
「なにぃぃぃ!?」
緊急事態と言わんばかりに、蜷川がりっちゃんに駆け寄った。
「針宮! お前も喉をやられたのか!」
「ふぇぇぇ!?」
急に近寄られたので、眠そうなりっちゃんは覚醒して慌てふためく。
「どんなだ? イガイガか? 重いのか?」
「え、あの、んと……」
「普段からうがいは徹底しろとあれほど言っているのに」
「う、うがいはしてま、す。の、喉は別に、大丈夫で、す」
「いいや。くぎゅうのツンデレボイスは日本の宝だぞ。問題があってからじゃ遅い」
「ほ、本当にだ、大丈夫ですから……」
「ええい、まどろっこしい。直接診てやる。口を開けろ!」
「ふあぁぁぁ!?」
りっちゃんの口を開けようと蜷川が手を口元に持っていくが、りっちゃんはそれを必死に阻止する。そりゃあそうだ。好きな人に口の中を見せれる女の子などいるわけがない。
でも、りっちゃんの声かすれてたかな?
疑問に思った私は発言者の伊賀先輩に目を向けてみる。すると、ウインクして親指を立てて、してやったり顔だ。
ああ、嘘ね。りっちゃんに蜷川を近付けさせようととっさに付いた、と。確信犯だな。
最近の付き合いでようやく知ったのだが、伊賀先輩は時々強引な所がある。もっとこう、自然に取り繕う気があまり感じない。
「ふむ。針宮も疲労の類いだろう。こののど飴とマスクで対処すれば問題ない」
自分流に診断してそう結論した蜷川。大事に至っていない事に安心しているが、患者のりっちゃんはフラフラしており、沸騰の如く真っ赤に染まっている顔からは湯気が立ち上っている。むしろ診断前より悪化してないか?
「静と針宮の喉が戻るまで収録は中止。喉は声の生命線だ。各自ケアを怠るな」
念願の休みになったが、今繰り広げられた光景のインパクトがでかすぎて喜びよりも驚愕の方が大きかった。
へ~、蜷川も人に優しく出来るのね~。
普段の性格から見れば体調不良者にも容赦なく接する印象を持っていたが、そこはきちんと割り切っている対応に私は感心した。
これが声絡みでも適応してくれれば文句ないんだが、まあそれは大目に見てやろう。
「堀田、お前はどこも悪くないのか?」
「私? ん~、そうね~」
私にも心配の声が掛かる。今日の蜷川は普通の男子に見えた。これなら労ってくれるかもしれない。私は素直に言ってみた。
「ちょっと肩が凝ってるかな~?」
「そうか。それはよかったな」
「そうそう。よかっ――ってよくないわ!」
「いや、問題ないだろ」
「肩揉むとかしてくれないわけ?」
「はぁ~? 何で俺がお前の肩を揉まなくちゃならないんだ」
「だから、肩凝ってるんだって」
「鉄棒にでもぶら下がってろ。そうすりゃ和らぐ」
何で私だけ塩対応なんだよ! おかしいだろ!
「伊賀先輩とりっちゃんには優しくて、私にはその態度は何だ!」
「健全者に何を心配する要素がある?」
「肩凝ってる、って言ってんだろ!」
「肩凝りは声に関係ないだろ」
おいまさか、声の源である喉じゃないからその態度だと? だったらこっちも……。
「あ~、実は喉からくる肩凝りで――」
「ダウト」
「なにぃぃぃ!?」
「喉からくる肩凝りなど存在しない。そんなこと小学生でも分かるぞ。バカも休み休み言え」
前言撤回。こいつは腐っても声絡みを基準に物を考えるクソ野郎だ!
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