乙女心は複雑に

「あ~、マジしんどかった~」


 テーブルに頭を伏せて息を吐くように私は愚痴った。


 時刻は十八時半頃。ようやく収録を終えた私達女子四人は商店街にあるファミレスに足を運んでいた。蜷川は今日の収録声を編集すると言って先に家に帰っているのでここにはいない。


「今日はさすがの私も疲れたわ」

「蜷川君、全然妥協しなかったもんね~」


 前の席で首を回しながら肩を揉む伊賀先輩に、ドリンクをストローでちびちび飲む明里の顔にも疲労の色が出ていた。


 結局、あの後もこれでもかというぐらい収録に取り組められ、蜷川からOKの声を貰えたのはテイク十七であった。


「由衣、NG出し過ぎ。蜷川君からカットが入ったの全部由衣だよ」

「ご、ごめん」


 明里の言う通り、テイク十七まで掛かったの私が台詞を間違ったり、声の雰囲気を上手く表現出来なかったりしたせいだ。


「でもさ、あいつの要望はいちいち細かすぎよ。『口では戸惑いながらも心の中では絶対の信頼を寄せている感じ』ってどんな感じ!?」

「だからそんな感じよ」

「いや、具体的にどんなよ?」

「だからこう……フワッ、ってなって、心の中がズガーン、ってなる感じ」

「一ミリとも参考にならないわね」


 明里は感覚で生きている面があるので、こうした擬音での説明が多い。本人は分かりやすく説明しているのだろうが、はっきり言って擬音は不鮮明で何の役にも立たない。


「りっちゃんはどんな感じでやってるの?」

「……」


 声を掛けるが返答がない。りっちゃんも疲れたのだろう、目線が定まらない状態で頭が左右に揺れている。


「りっちゃんりっちゃん! 大丈夫!?」

「……フニュ~」

「あらら。りっちゃんも相当堪えたようね」

「今にも倒れそうですが!?」

「大丈夫よ。久し振りにがっつり声の収録したから疲れただけ。由衣ちゃん達が入る前もこんな感じだったから。はい、これ飲んで」

「ファ~イ……」


 伊賀先輩から受け取ったドリンクを胸元で両手で持ちストローで飲む。チューチュー、と飲むその姿はまるでハムスターみたいで愛らしく、一気に癒され疲れなど吹き飛んでしまった。


「はぅ~! かあいいよ! おっ持ち帰り~!」


 同じようにりっちゃんを見ていた明里が自分で自分の体を抱きながら捻り始める。


「すっごくその気持ち分かる!」

「だよね! 愛でたくなるよね!」

「しかもその動きなんかいい!」

「おっ持ち帰り~!」

「おっ持ち帰り~!」


 私も明里の真似をしてりっちゃんを見ながら悶えて体を捻る。


 明里のこれ楽しい! この気持ちをまさに正確に表しているし、ちょっとハマりそ――。


「由衣ちゃん、それアニメの『ひぐらしのなく頃に』に出てくるレナ、っていう女の子キャラがする仕草だけど平気なの?」

「アニメかよ!」


 明里のオリジナルかと思いきや、アニメと知って私は一気に萎えて動きを止めた。


「まったく。アニメの何が良いんだか」

「面白いじゃん。キャラも可愛いし、私は好きだよ」

「可愛いのは分かるけど、その台詞や仕草を真似するほど?」

「分かってないな~。可愛いから真似したくなるんだよ。由衣もひぐらし観れば分かるよ」

「それどんなアニメよ?」

「え~と、田舎に住む少年少女達を描いた――」


 おっ、ほのぼの系かな。だったら観れるかも……。


「――惨殺ありのグロッキーなアニメ」


 惨殺!? そんなん観たくないわ! どこが面白いの!?


「ったく。やっぱアニメ好きはロクな奴がいないわね」

「祐一はアニメというより声優押しだけどね」

「声優、か~」

「祐一は他の事はさらっと流すけど、声の事だけは融通利かないからね~」

「正直、常軌を逸していますよね」


 蜷川の声への執着は尋常じゃない。それは周りから見ても一目瞭然だ。本来なら控えるよう説得するのが筋だろう。だが、私達は止めるつもりも辞めさせるつもりもなかった。なぜなら、蜷川の声への情熱は亡くなった母親との大切な約束だからだ。


 小さい頃に亡くなった蜷川の母親は声優をしていた。声優名は藤瀬勇子。私も見ていた子供向けのアニメの主人公もやっていて、有名声優の一人としてその名を広めていた。しかし、癌が発覚して治療を行うも、藤瀬勇子は快復することなくこの世を去ってしまう。


 入院中、蜷川は毎日のように母親の見舞いに行っていた。そんなある日、蜷川は母親から一つの約束をした。それは『声を大切にする』ということ。


 声はとても大事なもの。相手にきちんと気持ちを伝えるには、正しい発音で聞かせなくてはならない。例えば、低い声で「楽しい」と言うのと高い声で「楽しい」と言った場合、どちらが楽しく聞こえるだろうか。答えは後者だ。


 もちろん楽しさだけでなく、喜び、悲しみ、怒り。あらゆる感情も正しい発音で言わなければ相手に伝わらない。正の意味を伝えるべきが逆に負の意味で伝わる可能性がある。その逆もしかり。声の発音一つで、それを聞いた人はどのようにも変わる。声は万能であり、だからこそ大切にしなければならない。蜷川の母親はそれを蜷川と約束した。声優をしていた人間だからこそ持ち得た信条だろう。


 私達は蜷川のその過去を知っている。ただのオタクとは違う、信念を持った蜷川を。そんな蜷川を止めるべきだろうか?


「あの熱の入れようはたしかに常軌を逸している。けど、私達はそれを止める権利はないし、止めるべきでもない」

「もちろん、そんな気はありません」

「私も!」

「わ、私も出来る限り付き合いたいです……」


 私達は声の大切さを教えられた。その声を大切にしている蜷川に救われた身でもあった。蔑ろにするという選択は持ち合わせていない。これからも蜷川の声絡みに付き合うつもりでいた。


「まあ、今に始まった事じゃないから適度に相手してやって」


 蜷川と幼馴染みの伊賀先輩が落ち着いた声でお願いしてくる。まるでダメな弟を頼む姉のように。


「さて、祐一の話しは終わりにして明るい話でもしましょ」

「明るい話ですか?」

「そうそう。女子が集まって話す明るい話と言えばアレでしょ?」

「アレ、って言うと……」

恋話コイバナですね!」


 即座に明里が答える。たしかに、女子トークに恋話は定番だ。ただ、ここで恋話というと……。


「それで? りっちゃんはいつ祐一に告白するの?」

「んぐっ! ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」


 直球に矛先を向けられたりっちゃんが傍目からも分かるように慌て始めた。


 りっちゃんは不幸にもと言うべきなのだろうか、あの蜷川に恋心を抱いていた。同じセイタン部に所属しているものの、内気な性格のりっちゃんは中々話も出来ず蜷川と接近できていない。


「今は女っ気がないけど、いつライバルが現れるか分からないんだし、ずっと立ち止まってるだけじゃ進展しないわよ?」

「だだだだでででで!」

「いっそのことデートに誘ってみたら?」

「むむむむむむむむむ!」


 沸騰しそうなほどに顔を赤くし、激しく頭を横に振るりっちゃん。


「そうそう。行動あるのみだよ。今の時代、女の子から近付かなくちゃダメなんだよ」


 明里も伊賀先輩に加わり、りっちゃんへの助言を始める。

 

「学校にはいっぱい女の子がいるんだから、楽観視はできないよ」


 そうそう。恋愛は戦場とも言うしね。


「近くに可愛い女の子がいる以上、自分をアピールしなきゃ相手は気付かないよ。特に蜷川君は鈍そうだし」


 あ~、それはあるだろうな。アイツ、その手の事に関しては無知そうだし。


「だから、そんな傍観してないでさっさと行動しないと。後から後悔したら遅いんだから」


 明里には珍しく、まともな意見を次々と挙げていく。


「明里、良いこと言うじゃない」

「は? 何言ってるの? 私は由衣に言ってるんだけど」


 ……?


 ちょっと待て、何で私? 今のはりっちゃんの事でしょ? そもそも私は恋などしてないよ?


 私は明里の意味がさっぱり分からず、首を傾げるしかなかった。

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