第4話『テレパシー理論』

 風呂場から出ると、床に水色のブラと、グレーのショーツが転がっていた。

 彼女が先程まで着ていたであろう衣服も床に散らばっており、俺は自身の身体を軽く拭いてから、それを拾い、丁寧に畳んだ。

 ちょこんと置かれた椅子の上には、彼女の着替えと思われる部屋着と、黒いブラとショーツが置かれていた。見なかった事にしよう。

 俺は唯一持参した替えの下着を穿き、八分丈のジャージを着てから、化粧水を持ってくるのを忘れた事を思い出した。

 このご時世、メンズケアは大事だ。辺りを見渡すと、そこそこいい化粧水があったので、軽く拝借して、肌に馴染ませる。

 その後、お風呂場をチラッと盗み見てから、隣にあった乳液も手に取り保湿する。もう一度言うが、メンズケアは大事だ。

 黙って拝借したのは、男なのに化粧水などと、言われたくなかったからだ。しかし、「脱衣所にある物は好きに使っていい」と言われていたので、悪いことをしているわけではないと、自分に言い聞かせる。

 髪の毛を丁寧にタオルドライしてから、鏡の前に置かれていたドライヤーを手に取り、髪の毛を整える。

 その後スボンとは違い、ちょうどいいサイズのシャツを着てから彼女に声をかける。


「先に部屋に戻るからー」


「あっ、分かりましたっ」


 俺がいつまでもここにいては、彼女はお風呂場から出られないからな。




 *




 与えられた部屋で待っていると、隣の部屋から物音が聞こえ、コンコンとノックする音が聞こえた。


「どうぞ」


「失礼しまーす」


 隣の部屋の主がタオルを被りながら、またまた顔だけ、ひょこと突き出してきた。


「髪の毛を乾かしちゃいますので、ヒマでしたらわたしの部屋で漫画でも読んでいてくださいっ。少女漫画しかありませんけど……」


「なら、そうさせて貰おうかな」


 漫画を読む気は無かったが、何となく彼女の近くに居たかった。慣れない場所で、唯一の知り合い…………とも言えなくもない彼女の近くは、案外安心するのである。

 俺は適当に漫画を手に取り、それをペラペラとめくりながら、鼻歌を歌いながら髪の毛を乾かす彼女を眺めた。ドライヤーは脱衣所にあった物とは違い、少しコンパクトな物であった。

 鏡越しに目が合うと、彼女はニコッと微笑んでくれ、なんだか背中にこそばゆさを感じて視線を漫画に向ける。

 その漫画は少女漫画だが、俺の知っているものであった。たしか、同じタイトルのドラマが昔あった覚えがある。

 漫画をペラペラと半分ほど読み終えた辺りで、彼女はドライヤーのスイッチを切り、今度はヘアブラシを使い、髪の毛を梳かし始めた。

 その仕草は何とも女性らしい。


 彼女はまたまた俺の視線に気が付いたのか、髪の毛を梳かしながら話しかけてきた。


「そのシャツ、ネットで注文したのですが、わたしにはサイズが大きくて……」


「よくあるやつだ」


「そうなんですか?」


「俺もやった事があるよ」


「それ以降、ネットで注文をするのは辞めましたが、サイズを間違えたおかげで、サイズが合ったので良かったですっ」


 彼女はその後に「あれ、日本語おかしくなっちゃった」と照れ笑いを浮かべた。


「だから俺でもぴったりだったのか」


「下もぴったりじゃないですか、八分丈、オシャレさんですっ」


「東京だと、こんな格好で外に出たら逮捕されるぞ」


「うっそだ〜」


「本当だ」


「本当に、本当なんですか?」


「本当だ。特にこの女子校って文字はヤバい」


「えっ、女子校って悪いんですか? わたし、女子校なんですけど……」


 どうやら、話が通じていないようだ。しかしタイミングよく、彼女の電話が鳴ったので話は中断された。

 彼女はディスプレイを見ると「あっ、おばあちゃんだ」と呟いた。


「おばあちゃん?」


 彼女は俺を見ながら通話ボタンを押した。


「あっ、もしもし? おばあちゃん? うん、お風呂出たところ。あっ、ご飯ね、今行く〜」


「家の中で電話するなよ!」




 *



 食卓には、唐揚げ、ほうれん草のおひたし、さつま芋ご飯に、わかめとジャガイモの味噌汁が並んでいた。びっくりする事に全て俺の大好物である。


「すごいな、全部大好物だよ」


「ふふふっ、テレパシーですよ」


 彼女は得意げに箸を渡しながら、大きな胸を張って見せた。

 たまたまだとは思うが、俺は「ありがとう」と箸を受け取り、座る。

 おばあちゃんが来るを待っているが、中々来ない。


「あの、おばあちゃんは?」


「おばあちゃん、今日は会合があるみたいだから、この後お迎えが来て、外で食べるそうですよ」


「なのに、ご飯作ってもらっちゃった訳か……悪い事したな」


「ううん、『久々に家族以外の人にご飯を作る〜』って張り切ってたよっ」


「なら良かった」


 俺は『いただきます』を言って手を合わせてから、唐揚げを1つ取る。匂いから分かってはいるが、これは絶対に美味い。

 熱いので半分ほど噛みちぎり、唐揚げを頬張る。

 衣にもしっかりと味が付いており、中からはジューシーに唐揚げの旨さが染み出したきた。


「美味いな」


「でしょ? おばあちゃんの唐揚げは絶品なのだよー」


 次にさつま芋ご飯に手を伸ばす。お芋の甘さが染みており、優しい味わいだ。

 ほうれん草もごま和えとなっており、食が進む。

 味噌汁も出汁をちゃんと取ってあるもので、じんわりとした暖かみのある味だ。


「げんちゃんは、美味しそうにご飯を食べますね〜」


「実際すごい美味しいよ、あとはじめ」


「毎日食べたい?」


「悪くないな」


「あっ、ご飯のおかわりありますよ〜」


「いただこうかな」


 彼女は自分の箸をお茶碗に置き、俺のお茶碗を手に取るとご飯をよそってくれた。


「これくらい?」


「十分だよ、ありがとう」


「どったまして〜♪」


 さつま芋ご飯を食べながら、唐揚げを頬張る。美味しい。思えば仕事以外で誰かと食事をするのは久々かもしれない。

 だからかもしれないが、箸はいつも以上に進み、俺のお腹はパンパンに膨らんでしまっていた。

 彼女はそんな俺を見ながら、1度台所に行くと、スプーンとアイスを持ってきた。


「デザートはいかがですか?」


「いただこう」


「クッキーアンドクリームですっ」


「大好物だ」


「なら、良かったですっ」


 彼女から手渡されたアイスを頬張りながら、お茶をすする。

 時間はひたすらゆっくりと流れる。東京では毎日が早く感じられたが、ここは全く違う時間が流れていた。

 アインシュタインは『相対性理論』について、こう言っていた事がある。


『熱いストーブの上に手を置くと、1分が1時間に感じられる。でも、綺麗な女の子と座っていると、1時間が1分に感じられる。それが、相対性です』


 なるほど、綺麗な女の子か、なるほど。

 解釈は少し違うだろうが、人によって流れる時間の感じ方は違う。

 そして今日の俺の時間は、とても穏やかで幸せな時間でもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る