第3話『祝日アトム』

 シャワーで身体を流していると、背後で物音を感じた。

 おそらく様子を見に来てくれたのだろう。


「お湯の出し方分かりますかー?」


「問題ありませんよー」


「あっ、それと、シャンプーを持ってきましたー」


「シャンプー?」


「あっ、わたしのシャンプーです。ちょっといいやつなんですよー、でも、お母さんが勝手に使っちゃうので、隠してるんです」


 なんとも家庭的なお話だ。俺は別に普通のシャンプーでも構わないのだが、せっかく持ってきてくれたのならと、そちらを使う事にした。


「扉の前に置いておいてください、使う時に取りますからー」


「入りますねー」


 一瞬疑問符が浮かんだが、背後から扉が開く音が聞こえ、理解した。俺は落ち着いて冷静に対処する。


「セクハラですよ」


「じゃあ、わたしの裸も見せたらおあいこですねっ」


「なっ……」


「ふふっ、じょーだんでーす。ちゃーんと、水着を着てますので、大丈夫でーすっ」


 確かに曇ってはいるが、鏡越しには紺色の生地が薄っすらと見えた。

 俺は彼女の方は見ずに椅子に腰掛けて、用件を聞いた。


「それで、背中でも流してくれるんですか?」


「いいえ、違いますよー」


「では、何の用ですか?」


「あっ、わたしは頭から洗う派なので」


 彼女はそう言うと、シャンプーを4回ほどプッシュした。


「あっ、これわたし用だ」


「俺は2プッシュでいいですよ」


「まぁ、大丈夫ですよね。よく泡だててっと……」


 後ろでは手の平をこすり、シャンプーを泡立てる音が聞こえていた。

 本当に頭を洗ってくれるらしい。


「では、行きますねー、目を閉じていてくださいねー」


「子供じゃないんだから……」


 しかし目はしっかりと閉じる。髪の毛全体に泡を馴染ませてから、指の腹でゴシゴシと頭皮を撫でられる。美容室でされるような、上手な洗い方だ。

 シャンプーの香りもよく、少しいいやつと言うのは本当のようだ。


「かゆいところはございませんか〜?」


「美容室みたいですね」


「行った事はないんですけどね〜」


「じゃあ、髪の毛は床屋?」


「あっ、うちはお母さんが切ってくれてます。上手なんですよっ」


 確かに上手だ。それは彼女が証明してくれていた。

 髪の毛を1つに泡でまとめられ、垂直に立てられる。


「スーパーサイヤ人〜!」


「ふざけない」


「アトムもやっていいですか?」


「もう好きにしてくれ」


 髪の毛を洗ってもらっている心地良さからか、少し彼女に気を許してしまっていた。言葉遣いもどこか、ぶっきらぼうな感じになってしまったが、彼女は気にも止めない。

 それと、先程から彼女の胸が背中に度々当たってはいるが、そこには触れない。

 あの大きさだ。前かがみになると、どうしても当たってしまうのだろう。

 初対面の俺に対して、いささか気を許し過ぎ感は否めないが、どこか気に入る部分でもあるのだろう。

 シャワーで丁寧に髪をゆすがれながら、ぼんやりとそんな事を考える。


「気持ちいいからって、寝ちゃダメですよ〜?」


「起きてるよ」


「なら良かったですっ、トリートメントはどうしましょう?」


「一応頼む」


「お任せくださーい♪」


 彼女は「出し過ぎないように……」と2回ほどプッシュしてから、手の平でトリートメントを伸ばしてから、髪に馴染ませる。


「これ、頭皮にも付けていいやつなんですよ〜」


「いいやつだな」


「はいっ、なのにお母さんはいっぱい使っちゃうんですっ」


「それはよくないな」


「そうなんですよー、あっ、流しますね」


 もう一度シャワーで髪をすすがれる。洗い残しが無いように、丁寧に何度も髪の毛を揉みほぐされながら。


「美容師になれるよ」


「本当ですかっ?」


「でも手が荒れるから、気を付けた方がいいね」


「それは困りますね……」


 シャワーを止めてから、軽く髪の毛の水滴を絞られる。


「はいっ、これで髪の毛は終了ですっ。次はお背中流しますね〜」


「聞いてもいいか?」


「なんでしょう?」


「どうして、こんな事をしてくれるんだ? 彼女でもないのに」


「あーっ、忘れちゃったんですか〜? 今日は祝日ですよ」


「冗談のつもりだったのに……」


「酷いですっ、わたしは本気だったのに……」


 言葉とは裏腹に彼女は冗談っぽく、楽しげに笑った。

 それ以上聞いても、またはぶらかされそうなので、大人しく背中を差し出す。


「では、背中をお願いできるかな?」


「よろこんで〜! あ、前失礼しますね〜」


 脇から、彼女の手がにゅるりと伸びて、ボディーソープを手に取ろうとするが、届かない。必死に手を伸ばし、胸を俺の背中に押し付けるが、ボディソープの容器に指先がふれるくらいであった。

 俺は笑いながら、ボディーソープをひょいっと持ち上げて彼女に手渡した。


「あっ、すいません」


「うちもこのボディーソープですよ」


「じゃあ、同じ匂いですねっ」


 彼女はボディーソープを出すと俺にスポンジを見せてきた。


「くまさんですっ、可愛いでしょ?」


「可愛い、可愛い」


「今日はこの子が、げんちゃんを綺麗にしちゃいますっ」


「そいつは頼もしい。あとはじめ」


「それでは洗って行きますねー」


 ため息をつき、彼女に身を任せる。スポンジは泡立てるのに使っているようで、背中は手の平でゆっくりと擦られていた。

 ちょっとくすぐったくもあるが、悪くない。


「腕、上げますねー」


「いや、自分でやるから」


「くまさんは『まだまだ洗いたりないよ〜』って言ってますよ〜」


 俺は今日何度目かのため息をつきながら、腕を上げた。


「はーい、いい子、いい子〜」


「子供じゃないですよ」


「あっ、脇をやりますので」


「はいはい」


 脇の下を丁寧に、洗われ、反対も同じ様に洗われた。

 その後、スポンジを手渡された。


「あのっ、その、前は……そのっ」


「あぁ、自分で洗いますよ」


「でっ、ではっ、わたしはシャンプーしながら目をつぶってますので!」


 彼女はそう言うとシャワーに手を伸ばし、髪の毛を濡らしてから、高速でシャンプーを泡立てて髪を洗い始めた。目を『><』こんな風に閉じながら。

 俺は手渡されたスポンジにをぎゅっ、ぎゅっと2回ほど握り、泡立ててから、前を洗い始めた。

 後ろでは、俺に洗ってくれた時とは違い、シャカシャカと激しく洗う音が聞こえていた。


「ハードだな」


「ふぇっ?」


「洗い方」


「あっ、えっと、その、わたしの洗い方痛かったですか?」


「そうじゃなくて、君の髪の洗い方」


「あっ、そうですよねっ、ハードでしたよねっ」


 彼女はそう言うと、今度は丁寧に長い髪を手で挟み、洗い始めた。

 よく見ると、水着は競泳用のものであり、名札まで付いている。学校指定の水着なのだろう。女性をいつまでもジロジロと見るのは紳士的ではないので、俺は身体をサッと洗い流してから彼女に声をかける。


「先にお湯に浸かりますね」


「どっ、どうぞっ」


 自分で言って思ったのだが、『先に』ということは彼女も浸かるのだろうか?

 彼女も同様の事を考えていたようで、一瞬髪の毛を洗うのを止めるが、すぐに先ほどのハードな洗い方をし始めた。


「またハードになってるぞ」


「へっ? あっ、えっと……」


 俺はしょうがないとお湯から上がり、彼女の後ろに回り込む。


「俺が洗う」


「えっ、だっ、大丈夫ですよ!」


「俺だって洗ってもらったんだ。別におかしくないだろ?」


「それはそうですが……」


 俺は彼女の手を取る。「ひゃっ」という小さな悲鳴は上がったが、目はしっかりとつぶったままだ。

 彼女の手に自身の手の平を合わせて、彼女の手に付いているシャンプーを泡立てながら、自身の手に馴染ませてる。

 その後に、彼女がしてくれたように、丁寧に頭皮と髪に指の腹をなぞるようにして、洗髪していく。


「あっ、気持ちいいですっ」


「昔、髪の毛の上手な洗い方を教わった事があるんだ」


「それは、その……」


「なんだ?」


「彼女……さん? とかですか?」


「仕事の人だ」


「ふ……ふーんっ」


 それ以上会話は続かなく、俺は無言で彼女の髪を洗う。指が透き通るように、スルスルと通り、枝毛や、痛んだ毛も見受けられない。

 毎日丁寧にケアをしているのにだろう。


「髪の毛、綺麗だな」


「お母さんがですね、『女の子なんだから、髪の毛は大事にしなきゃ』って言うんです」


「都内だと、この髪を維持するには月に4万は必要だな」


「そんなにかかるんですか!?」


「それほど状態がいいって事さ」


「なんだ〜、びっくりした〜」


 嘘ではない。この長さで、それなりの所に毎月通えばこんなものだろう。

 彼女に断りを入れてから、シャワーで洗い流し、続いてトリートメントを手に取るが、彼女が「自分でやりますっ」と言うので、俺は大人しく湯船に戻る。

 彼女がトリートメントを洗い流したら、湯船から出ようと思う。

 水着の下を洗うには、脱ぐ必要があるからな。


「俺はそろそろ出るよ」


「ダメです、ちゃんと千数えてください」


「多いな、百にしてくれ」


「では、わたしが入るまで」


「水着の下はどうやって洗うんだ?」


 彼女は自身の水着を見下ろしながら瞬きをした。

 そして、スポンジを手に取ると水着の下に強引に手を入れる。


「こうやって、洗います!」


「脱げば?」


「ふぇっ!」


「冗談だ、それじゃあ、しっかりと洗えないだろう? 俺は出るから、ゆっくり洗ってくれ」


「そっ、それじゃあ––––」


 彼女の言葉は聞かずに、勢いよく湯船から出る。

 案の定彼女は目を『><』こんな風にしていた。

 軽く身体をシャワーで流してから、彼女の耳に口を近付けて囁く。


「お先に、いいお湯でした」

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