第2話『空手あられ』
彼女に案内され、神社の後ろにある民家と思われる家の前にやってきた。なぜ「民家と思われる」かというと、この民家も神社に見えるからだ。
濃い茶色の屋根に、同じ色の柱。トイレが外にあると言われても不思議ではない。
しかし、彼女が戸を開けて「ただいまー」と言い放ったので、家なのだろう。俺も入り口で靴の泥を落としてから、続いて中に入る。
「お邪魔しまーす」
「あっ、わたししか居ませんよ」
「不用心な……」
「わたし結構強いんですよ」
彼女はそう言うと、空手の型のようなものを披露し始めた。
「あちょー!」
ふざけた掛け声とは裏腹に、拳は神速のスピードで突き出され、空を切る。冗談では無いようだ。
「ご両親は? 確か父親は……」
「あっ、今日は商店街の福引で熱海旅行が当たったとのことで、2人して、熱海の方に……」
「置いてきぼりってわけだ」
「そうなんですっ、酷いと思いませんか?」
しかしその顔は怒ってはおらず、どこか楽しげでもあった。
「でも、いいの?」
「何がですか?」
「そんな時に人を家に泊めたりなんかして」
彼女は「そりゃ、だめですけど……」と下を向くが、すぐに下から俺の顔を覗き込む。
「あなたは、なんかおっけーですっ」
「意味が分からないな」
「彼女さんとかは、いるんですかっ?」
「話が飛ぶな」
「で、どうなんですかっ? いるんですかっ?」
「7人くらいいるよ」
「嘘ばっかりー」
「本当さ、月曜日の女、火曜、水曜、木曜、金曜、土曜、日曜。いまなら、祝日の女が空いてるよ」
「あっ、ちょうど今日は祝日ですね」
「本当だ」
「なら、わたしが祝日の女になっちゃいますね」
「そうなるな」
「あっ、おばーちゃん! この人、わたしの彼氏!」
「人居たのかよ」とか、「彼氏じゃないだろ」とか、色々な感情が渦巻いたが、何も言わずにおばあちゃんに頭を下げる。
「あらー、優ちゃんに彼氏さんがねぇ〜」
「違いますよ」
「今、お茶をいれますからからねぇ〜」
「あっ、お構いなく」
髪の毛が真っ白なおばあちゃんは、「よいしょっ」とゆっくり立ち上がる。背筋は少し曲がってはいるが、足取りは軽やかである。毎日毎日あの階段を登り降りしているとするならば、それは当然なのだろう。
朝倉…………さんは、おばあちゃんに続いて、台所と思われる場所へ消えていった。
人が居なくなったリビングと思われる部屋をぐるりと見渡す。
濃い茶色の柱に、縁側。縁側からは庭が見える。クーラは付いていないようだ。
他には仏壇に、ちゃぶ台。それに、少し大きめな液晶テレビに、いくつかの賞状。賞状の名前には「朝倉 優」と書かれており、全て空手の大会の物であった。
「ふふんっ、どうですか? わたし、強いんですよっ」
お盆にお茶とあられを乗せて戻ってきた空手少女は、得意げに答えた。
あられは…………すごい、手作りだ。
「これ、手作りですよね」
「おばあちゃんが作ってくれるんです。子供の頃から、おやつ代わりでしたっ」
「すごいな、なんか田舎って感じが––––」
俺は言葉を途中で飲み込み、苦笑いを浮かべた。なぜなら目の前の彼女が「むぅっ」と唸り始めたから。「田舎」という単語はここに泊まる以上、禁句とした方が良さそうだ。
あられを1つ摘み口に放り込む。醤油がまぶしてあり、甘じょっぱい。
お茶をひとすすりしてから、もう一つ食べる。
「これ、止まらなくなっちゃうんですよっ」
「参ったな、本当に止まらない」
「お母さんもこれ大好きで、いつもぽりぽり食べてるんですよ」
「母親なんてどこも変わらないな。うちもよくおやつ代わりにラーメンを食べているよ」
「それで、こう言うのでしょう?」
『晩御飯が食べられない』
俺と彼女は目を見合わせて笑った。
彼女は空になった俺の湯のみを見ると、お茶を継ぎ足してくれた。
「ありがとう」
「いえいえ、お茶っ葉はよく貰うので、いっぱいあるんですよっ」
「そうなのか」
「はいっ、法事やら、その他の要件でいらっしゃる方が、いつもくださいまして……」
神社にも色々あるようだ。ある意味神社のご近所付き合いというものなのだろうか。
俺がお茶を飲み終わったのを見て、彼女は立ち上がる。
「それでは、お部屋案内しますねっ」
「今更だが、泊めてくれてありがとう」
「いえいえっ、お部屋は沢山余っていますならっ」
ニコニコと微笑みながら、楽しそうに歩く彼女に続いて廊下を歩く。
廊下はピカピカであり、頻繁に来客のあることが伺える。
が、途端に、おんぼろ床に変わってしまった。
「あっ、そこ、少し沈みますから気をつけてくださいね」
「さっきまでは、ピカピカだったのに……」
「こちらは、基本家族しか入らないので」
なるほど、来客のあるスペースのみ、新築し綺麗になっているというわけか。
軋む床をすり足で歩く。彼女は突き当たりの襖の前で止まった。
「少し待っていてくださいね」
「了解」
俺はわざと目をつぶってから、後ろを向いてみせた。
彼女はそれを見て、笑うと襖を開き、中に入ってから、「しめまーす」と言ってから、襖を閉めた。
きっと、お部屋をお掃除してくださるのだろう。
お客さんに片付いていない部屋なんて、誰でも見られたくないものだ。
物を拾い、ゴミ箱に捨てる音。衣服を拾いバザバサとする音。音は丸聞こえだが、聞かなかった事にしてあげよう。
数分後、襖は開き、彼女がひょこと顔を出す。
「お待たせしましたっ」
「別に、俺は気にしないよ」
「そういうわけにはいきません。さぁ、どうぞっ」
彼女は襖を開き中へ促してくれた。畳に、勉強机。本棚には赤いラベルの漫画。おそらく少女漫画だろう。
それに、セーラー服がぶら下がっていた。
「わたしの部屋ですっ」
「おかしいな、俺は泊まる部屋に案内されたはずなんだが」
「分かってますよっ」
彼女は自身の部屋を進み、奥の扉を開く。その奥にも6畳程度の空間が広がっていた。
「この奥が、げんちゃんの部屋ですっ」
「隣かよ!? あとはじめ」
「他にも部屋は空いていますが、何かあった時に近い方がいいかと思いまして……」
どうやら彼女なりに気を使ってくれたようだ。慣れない場所に、慣れない部屋。不安が無いと言えば嘘になる。
「ありがとう、助かるよ」
「どーいたましてーっ」
彼女の部屋を横切り、今日泊まる部屋に入り、荷物を降ろしてから、腰を下ろす。
すると彼女も入ってきて、隣に座った。
「なんだ?」
「お風呂に入った方がいいですよ」
「いいのか、1番風呂で」
「いつもはわたしが1番ですが、今日は譲ってあげましょうっ」
「1番風呂はお湯が硬いから嫌いだ」
「あっ…………ふふっ」
「何笑ってるんですか」
「それ、おばあちゃんもよく言っています」
*
お風呂場に行くと、タオルが2枚と着替えと思われる赤いジャージが用意されていた。ジャージを広げてみると、「夢原女子校」という文字が書かれいた。案の定、小さい。
試しに下を穿いてみたのだが、八分丈といったところだ。ウエストが入ったのが、幸いだが…………。
お風呂場というか、脱衣所の景観は、なんだか老舗の温泉宿が小さくなったという感じだ。これは、浴槽も木とかで出来ている雰囲気のあるものに違いない。
そんなバスタイムに思いを馳せていると、扉が開き、彼女がするっと入ってきた。
「あっ、まだ入ってない」
「すまない、このジャージ小さいんだが。それに、これ君のだろ?」
「そうですよ、うん。ピッタリじゃないですかっ、流石わたし、足長いからな〜」
確かに足は長いかもしれないが、俺の方が長い。だから、八分丈なのだ。
「他に服は無いのか?」
「んー、ワンピースとか?」
「これでいいです」
俺はやれやれと首を振って見せた。彼女はそれを見て満足したのか、「脱衣所にある物は好きに使ってもいいですよっ」と言い残し、扉を静かに閉めた。
服を脱いでから、お風呂の扉を開けるとびっくり。ユニットバスであった。しかもうちのより大きいし、ジャグジー機能まで付いている。
田舎と都会の境界線は案外お風呂場にあったのかもしれない。
このお風呂は大都会だ。
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