第5話『独眼竜シャッター』


 ご飯を食べ終わった後、一緒に食器を片付けようとしたが、彼女に「お客様だから」と断られてしまった。

 仕方がないので、適当にリビングで待っていると、彼女が早足に戻ってきた。


「おばあちゃん、今日はお泊りだそうです」


「そりゃ、弱ったな」


「あっ、先に戸締りしちゃいましょう。手伝ってもらえますか?」


「もちろん」


 彼女と家の中を回りながら、戸締りをする。かなり広い家で、戸締りをするだけでも数十分かかってしまった。

 外は街灯も無いので、本当に真っ暗であり、都会が如何に明るいかを再確認する事が出来た。

 俺が泊まらなかったら、この家には彼女一人と考えると、俺は案外役に立っているのかもしれない。

 しかし、それとこれとは話が別だ。戸締りを終え、彼女の部屋に戻って来たタイミングで俺は話を切り出した。


「両親には、俺が泊まる許可を貰ったのか?」


「多分いいって言ってくれますよー」


 曖昧な返事が返ってきた。ここは、はっきりと言った方がいい。彼女の為にも。


「両親には、人を泊めていると言うことをちゃんと言った方がいいし、出来る事なら俺は電話で直接話したい」


 彼女はその言葉を聞くと少し悩んでから、何か思い付いたように、自身のスマホを掲げる。


「じゃあ、わたしと写真撮ってください」


「……なんでだ?」


「それを送るんですよー」


「いや、まぁ…………それは、別にいいけどさ」


「うちの親は人を見る目はあるので、それでオッケーなら、問題は無いでしょう?」


 いささか変な条件だが、断る理由もない。俺は了承の返事をしてから、彼女の隣に移動した。

 彼女はそれを見るとスマホのカメラを起動する。


「はーい、笑って、笑って〜」


「伊達政宗」


「…………ぷっ」


 彼女が笑った瞬間を見逃さずに、俺はシャッターのボタンを勝手に押した。


「ちょっと! 撮り直しですよ!」


「いいじゃないか、それで」


「ダメです、もっとちゃんとした写真じゃないとっ」


「ちゃんとしているだろう、ほら見てみろ」


「なんですか?」


 俺は写真を指差した。その写真の中で、彼女はとても楽しそうに笑い、それを見て俺も少し貰い笑いをしていた。


「……まぁまぁですね」


「だろう?」


「でも後でもう一回、一緒に撮ってくださいね」


「伊達政宗」


「もう効きませんよ」


「独眼竜」


「効きません」


 俺は歌舞伎のような感じに手を突き出し、首を回す。


「どぉ〜くがんりゅ〜う、だぁ〜てまぁさむねぇ〜」


「…………ふふっ、ふふふふっ」


「はい、俺の勝ちむね」


「あっ、勝ちむねってなんですか!」


「もう寝るむね」


「じゃあ、わたしも」


「お休みなさい」


「はーい、おやすみなさーいっ」


 俺は彼女の部屋から出て、隣の部屋へと向かう。襖を閉めようとすると、彼女がスルッと入ってきた。


「なんだよ」


「もう少し、お話しましょ?」


 俺は無言で電気を消してから布団に入った。すると彼女は豆球を付け直してから、ナイトスタンドの灯りもつけて、俺の布団に忍び込んできた。


「寝るぞ」


「まだ、8時ですよ?」


「寝るの」


「では、げんちゃんがちゃんと寝るまで、ここで見張ってます」


「寝た、あとはじめ」


「なんのお話をしましょうか〜」


「おやすみ」


「あっ、東京の話をしてくださいよ〜」


「おやすみ」


「どうして、そう冷たいんですか〜?」


「君こそ、なんだ、急に布団にまで入ってきて……」


「いけませんか?」


「俺と君は今日会ったばかりだ」


 重ね重ね言うが、俺と彼女は初対面だ。そして彼女は間違いなく、俺に気がある。

 その理由は定かでははいが、おそらく彼女は、都会から来た若い男という未知の存在に幻想を抱いているのだろう。

 しかし彼女の口から出たのは意外な言葉だった。


「…………あなたを昔、テレビで見たことがあります」


「…………そうかい」


「それで、わたし、ちょっと期待しちゃったのかも知れません」


「…………よくある事さ」


 俺は深いため息をつきながら、オレンジ色に輝く豆球を見つめる。彼女は俺を知っていた。泊めてくれた礼もあるが、もしかしたら、昔の事を話して少し楽になりたかったのかもしれない。


「……昔話をしても?」


「どうぞ」


「俺は君の知っている通り、昔は天才子役として、よくテレビに出ていた」


「可愛くて、カッコよかったですよ」


「でも親の言いなりで、セリフを覚え、演技する毎日に、子供ながら嫌気がさしていた。他の子と遊ぶ事も出来ない。学校に通う時間もなく、宿題はいつも車か楽屋でしていた」


「そうだったんですか……」


「中学に上がる頃には親に反発して、子役を辞めた。スタッフや、関係者からは惜しまれたが、俺は天才子役だ。"嫌われるような演技"なんて、簡単だ」


 彼女は黙って俺を見つめていた。俺は静かに話を続ける。


「そうする内に、俺に声をかける大人は居なくなった。高校では、俺が元子役だって事に、ほどんどの人が気が付いたが、今では、気が付く人はいないよ」


「わたしは気が付きましたけどねっ」


「驚いたよ。髪型や、顔の形が大人になり、少し変わったから、バレないと思ってたよ」


「目の形とかは一緒ですよ」


「さては君、俺の大ファンだな?」


「バレちゃいましたかっ」


「あとで、サインを書いてあげるよ」


 彼女は「わーい」と布団から手を小さく出して喜んだ。

 俺は静かに、それでもはっきりと思い出すように話を続ける。


「普通に就職して、普通に暮らしてきた。案外普通な人生だと思っている。ちょっと嫌な事もあるけど、それはみんな変わらない」


「東京でのお仕事、辛いんですか?」


「辛くはないよ。確かに時々辛い事もあるけど、仕事ってのはそういうものだ」


「わたしはそんな仕事いやです……」


「しょうがないだろ、生きていくには必要なんだ」


 彼女はゆっくりと息をはいた。その後に、意を決したようにこちらに顔を向ける。


「ここで…………ここで、働きませんか?」


 俺はその質問に一息置いてから、彼女の顔を見ずに答える。


「俺は高いぞ」


「お給料はそんなに出せませんが、その、ご飯は美味しいですし、あっ! なんなら、わたしが毎日髪の毛を洗ってあげます!」


「そいつは、いいな。考えておこう」


「こっちを向いてくださいっ」


 彼女に顔を掴まれて、ぐいっと首を捻られてしまった。

 彼女の瞳を正面から見据える。辺りは暗く、豆球の灯りのみだが、その瞳の奥に俺の顔の輪郭がはっきりと見えた。


「では、もう1度聞きます。ここに住みませんか?」


「さっきと質問が違うぞ」


「お給料はどのくらい出せるかは、お父さんに聞かないと分かりませんので……」


「そんな事君が決めていいのか?」


「ダメですよ、そりゃ……でも、頼んでみます」


「なんで、そんな事を聞く?」


「だって……」


「なんだ?」


「だって、辛そうなんだもん……」


 ……そんな顔をしていたのか、俺は。天才子役だなんてのは大きな間違いだったようだ。女の子の前でそんな顔をするなんて…………

 一度顔を逸らしてから、目を閉じて表情を作る。楽しそうに、冗談を言うように…………


「ここに住んだら、君の事を襲っちゃうかもよ?」


「その前にわたしが、襲っちゃうので大丈夫です」


「なっ……」


「あっ、ふふふっ」


「……なんだよ」


「その表情は始めて見ましたっ」


 彼女は今まで見た事もない、最高に輝くような笑顔で微笑んだ。こちらまで思わず微笑んでしまうような、笑顔だ。


 その笑顔は俺の心まで照らしてくれた気がした。人が恋に落ちる瞬間は、案外こういう時なのかもしれない。


「………………俺はもしかしたら、君の事を、将来的に、好きになるかもしれない」


「奇遇ですね。わたしはもう、あなたが好きだったりします」


「いつから?」


「伊達政宗〜?」


「昔から好きなんだ、伊達政宗」


「知ってますよ〜、昔インタビューで答えてましたよね〜」


 俺は笑いながら、今まで嫌だった子役時代の事を彼女に話した。

 彼女はそれを楽しそうに頷きながら、聞いてくれた。

 彼女は俺の好き好みまで、よく知っていた。子供の頃にインタビューで答えていたのを覚えてくれていたらしい。

 一通り話終わると、彼女は俺の事をじっと見つめる。


「なんだ?」


「もし、今日の出来事が小説の話だとしたら、主人公はわたしですねっ」


「なぜ、そう思うんだ?」


「子供の頃からの憧れの人に会えて、沢山お喋り出来ちゃいましたっ」


「だが、現実ではその憧れの人はただの人に過ぎなくて、普通の社会人だ」


「それでも、ですっ」




 *




 気がつく頃には俺は寝ていて、朝起きると、彼女は俺に抱きつくようにして眠っていた。がっちりホールドである。起きるには彼女が起きるのを、待つ必要がありそうだ。


 お昼過ぎ頃に彼女の両親が帰ってきて、俺を見ると、一目散に写真撮影とサインをねだってきた。

 家族揃って大ファンだったらしい。ここで暮らす話も、トントン拍子に話しが進んだ。悪い気はしなかったので、俺は『オーケー』の返事を返してから、東京へと戻った。


 その後、上司に辞表届けを出した。驚かれはしたが、すんなりと受け入れられた。

 友達でもなんでもないただの上司が、その日以降はやたらと親しく感じられ、辞めるまでの数週間は何度もお昼休憩を共にした。

 思い返せば、いつもお昼は一緒に食べていた気もする。それによく缶コーヒーを奢ってくれていた。

 そしてお別れ会では抱き着かれて、号泣までされてしまった。


 悪かったのは、社会でもなんでもなくて、本当に悪かったのは、俺自身だったのだろう。




 *




「げーんちゃんっ」


 彼女はにこにこと笑いながら俺の顔を覗き込んだ。

「げんちゃん」と言うのは、俺の昔のあだ名というか、愛称みたいなものだ。

 有名な俳優さんが、俺の名前を見て、そう読み間違えて以降、定着してしまった。

 はっきり言って、当時はそう呼ばれるのが嫌だったのだ。

 昔の人は、悩み事は全て時間が解決してくれると言っていた。当時は意味が分からなかった。しかし、今なら分かる気がする。


 なぜなら、彼女にそう呼ばれるのがとても嬉しかったからだ––––




 おーわり!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る