Episode.16 Catch Me If You Can!

 音が消える。思考が止まる。

 視覚が捉える映像をそのまま享受きょうじゅしながら反射で行動する。銀髪の瞳に獰獣もうじゅうを実感しつつ、彼が何気ない動作で何か投げたのを確認した。

 それが何なのかを判断する間もなく、最小限の動作でを避ける。

 鋭い銀色がシンの隣を横切る。流すようにして見えたそれはファインティングナイフで、殺傷能力の高いものだった。

 木に突き刺さったまま、ぶるりと震えている。


 的確に目を狙っていた――そう感じる。

 その一連の流れがでなされたことから、一片いっぺんの狂いもなく確かにシンを仕留しとめようとしていたことが分かった。


 ファインティングナイフは、スローイングナイフと呼ばれる「投げるためのナイフ」とはちがう。つまり、飛び道具には向かないそれをあえて投げて扱ったということ。

 それでいて、この精度。投げた主――キルが、ナイフの扱いに長けているらしいことが容易にうかがえた。

 ナイフは、直接接近戦に持ち込んだ方が遥かに使い勝手が良いというのに、飛び道具として活用しているあたり、イオンの銃さばきとは逆に手慣れているようだ。


「くっ、はは、はははっ」


 上機嫌な様子でシンが笑う。彼の瞳にも、そして笑い声にも、「愉しい」という感情が露わになっていた。

 そう、キルだけではない。彼の中にも潜んでいるのだ。確かな狩人かりうどの影が、なりをひそめてそこに。


「パーティーってのはこうじゃねーと!」


 愉悦ゆえつの色を浮かべてキルを見据える。

 ゆるく細められた赤はそれでも鋭く対象を捕らえており、見定めるように一挙一動、息遣いそのすべてまでを観察しているようだ。


「でもまぁ残念と言えば、花がないことだな。男ばっかりなんざ、むさ苦しいもんだ」


 軽口を叩くのは忘れない。これが彼のだ。


「ふふふ、君ならば私を満たしてくれるかもしれませんね。この血へのえを、かわきを、除いてくれるかもしれない」


 そしてキルの目にもまた、気味の悪い狂気が浮かんでいた。その赤を見るや、血を求めて早く早くと叫んでいるようだ。

 まさに彼の言う「飢えと渇き」を、目が最大限に求めている。


「知っていますか。美しい血は、血を好む者しか持ち得ない。だからこそ、君でも私でも良い、どちらかが血に染まればそれで十分なのです。生きるか死ぬか、その中に見える確かな美しさ。嗚呼、待ち遠しい……っ」

「俺だって血は好きだが、全身に浴びるつもりはねぇ。俺にとっちゃ血はあくまで食料であって、服じゃないもんでね」

「おやおや、素直でありませんね。君の心はたいそう激しく、血を求めているというのに」

「血の服がいま流行りのファッションだっていうなら考えるぜ」

「では我々のなかで流行らせようではありませんか!」


 キルが笑いながら、常人では捉えることのできない速度でシンに向かって体を詰めた。ナイフを振りかぶる彼に、「おいおい、振りかぶってカッコいいのは甲子園球児だけだろうよ」とシンは憎まれ口を叩く。

 そんな彼の軽口など関係ないのだろう。キルは全く無駄のない動作で、シンの頸動脈けいどうみゃくを一寸もたがわず狙った。メガネの奥に隠すことのない狂気を見せつけながら、避けたシンのその先に、さらにナイフを1本投げつける。

 とっさにシンがそいつを蹴って軌道きどうを逸らせば、その背後にはイオンが迫っていた。見事な連携プレーだ。感心しながらも、余裕は一気に彼の中から消え去る。


 銃口をシンの頭に向けるイオンの動作を見留めると同時に、さらに心臓あたりへキルのナイフの切っ先が向けられていることを認識した。

 シンは戦略を練る間もなく自身の経験と反射に従う。勢い良く逆さまになり、足を振り回した。

 瞬間、イオンとキルが飛び退く。けれども自分のすべきことは忘れなかった。同じタイミングで勢い良く響いた銃声と、地面にナイフが突き刺さる音とが、世界中に響いたかと思うような大きさで強くシンの鼓膜を刺激した。


 差し迫るような空気の圧迫感。

 汗が頬を伝い、流れ落ちて地面に溶けた。


「っと、危ねーな。そんなにも熱烈な求愛されちゃ、コッチも応えないわけにはいかねーか」


 言いながら、シンも彼らと距離を置くように、地に足を着いてすぐ後ろに下がった。

 緊張感で張り詰めてきたこの空気は、シンの眼光の鋭さからなのだろうか。

 ――戦闘がもたらす高揚感が、シンの中の狂気に火をつけたか。


 自然な動作でシンの手がその眼帯を捕らえた。ハッとしたイオンが、その動作を止めようとシンに迫る。

 その右手に向かって素早く振り下ろされた爪は、シンが体を逸らしたことで空気を切るだけだった。

 体を逸らしたと同時。シンの眼帯は見事に外れたらしい。彼の紅色と対になるかのごとく、美しく鮮やかなサファイアブルーの瞳が輝いていた。

 少し不気味にも思えるのは、紅がひどく印象的だからか。


 能力発動装置。

 言い方こそ機械的だが、瞳自体は天然であり、このサファイアブルーの瞳こそがシンの能力を発動させるもの。

 この瞳がもたらす能力は「感覚操作」。いわゆる、幻覚である。


 キルが感心したように「ほう……」と息を出す。

 本来の吸血鬼とはちがうことから、このサファイアブルーがただの飾りでないことに気付いているのだろう。新たな戦闘の楽しみが増えたことを感じ取ったようだった。

 イオンは逆に、発動が防げなかったことを後悔するように眉を寄せている。それもそうだろう。彼は、シンの能力が面倒なものであることを知っている。


「おやおや、美しい藍玉です。ふふ、その青さえも血の赤に染め上げることができたなら、私にとってそれは極上の快感。ふふ、ふふふふふふ」

「……あー」


 恍惚の表情でどこかにトリップしてしまっているキルに、シンは顔を引きつらせる。

 キルの隣にいるイオンは、わずらわしそうに眉を寄せて隣を睨んでいた。なんだこいつは、という感情が紛れもなく露わだ。

 ついでにネロは、3人の攻撃が届かない場所に腰を下ろしたまま、


「あーあー猫耳メイド、期待してたのになぁ。猫耳だったら語尾は『だにゃ』が基本だけど、やっぱりツンデレ萌えだよね! てゆーかねーねー、オレの話聞いてるー?」


 と未だにマイペースな様子で話し続けていた。本当に自由人である。


 そんなネロに「お前は戦え」と律儀にツッコミを入れるのはもちろんイオン。いい加減にしろと言いたげな表情だ。毎度お疲れさまである。

 シンはシンで、純粋に楽しんでいるのか「ユニークだな。イオンと愉快な仲間たちってか」と挑発しながら頭の後ろで手を組んでいる。こちらも毎度、よくするものだ。


 ネロはぶつぶつと自分の好みを語り出す。キルは恍惚を浮かべながら血に染まる姿を想像している。シンは余裕の様子で笑みを浮かべ、この状況に高揚感を得ていた。

 そんな時、イオンがシンに視線の標的を変えた。それが重なり合うことのないまま、瞬く間に姿が消える。合わせてキルがナイフをひと舐めすれば、メガネの奥がきらめくと同時に、ナイフが光を放った。


「クリード様にお前のしかばねを献上する」


 気配を消し、森の中に紛れているのだろう。イオンの姿は、視覚で捉えることのかなわない場所にあるよう。

 それでも確かに聞こえた少年らしさを含んだ声は、無機質な様子でシンの耳に届いたのだった。


「おいおい、あのオジサンが俺のむくろなんていると思うか? もしいるってんなら趣味を疑うね。オンナの趣味は悪くねぇと思っていたが、もう少しセンスを磨くことをオススメするぜ」


 そう言い切るやいなや、イオンが一瞬でシンの前にやってきた。

 速いな、と思いながらたかぶる感情を野放しにしたまま、シンは自身を3人に増やす。

 「なにっ」と驚愕し、一気にシンから距離を取ったイオンに、3人のそいつが笑った――馬鹿にしたような、いつもの笑みで。


「チッ、三つも同じ顔に見られるなど、いや笑われるなど非常に不愉快だ。ましてやこの半端物!」

「おやおや、イオン。突っ込むべき場所はそこですか。貴方はどこかズレていて面白い。それより」


 キルが官能的に舐め上げたナイフを掲げ、言の葉をつないだ。


「3人もの強者と殺り合えるのですよ。狂気と狂気が愛おしそうにぶつかり合う。反発しながら、最高の血の音色を奏でてゆく。嗚呼、素晴らしい! 興奮してきました。3人の彼と愛し合えるのですよ! ふふ、ふふふふふ!」

「おー……、その表現は鳥肌モンだ、お兄さんよ」


 そう言って制するように手を上げるシンは3人もいて、本物はどれか分からない。ニヤニヤと目を細めて挑発的に笑む存在がこうも複数人いるとは、対応している者にとっては屈辱ものだろう。

 そのとき――キルがナイフを3つ、並んでわらっているシンに向かって投げつけた。ぶれることなく真っ直ぐ放たれたその先に、しかしシンの姿はない。


「これがクリード様の仰っていた幻覚か」


 小さく紡いだイオンだったが、かすかな違和感を感じ取り、1つの大木に向かって銃弾を数発撃ち込んだ。

 大木がぐにゃりとねじ曲がり、突然破裂する。砂が舞い、視界がぼやける。「やはり幻覚か!」叫んだイオンの後ろに、シンが背中を目掛けて迫っていた。


 もはや無意識の、まさに第六感とでも言うべきか。反射の域でイオンが体を背け、背後に迫っていたシン目掛けて素早く銃の引き金を引いた。

 自分に向かってくる銃弾。まさか気付かれると思っておらず、仕掛けた犯人は驚きに目を見開く。

 とは言え、決してシンが背後にいることに気付かれたわけではない。そう、これはイオンが培ってきた数々の戦闘経験がもたらす「勘」による警告からだった。


 げ、と声を漏らしなんとか避けようとしたものの、シンの腹に銃弾が2つ撃ち込まれた。瞬間にそこから溢れ出す、鮮やかな赤。

 重ねるようにキルがナイフを投げつけ、追い打ちをかける。殴って落とし、迫ってきたキルから避けようとしたところで、撃たれた個所が突然痛み、反応が遅れてしまった。

 キルの爪が、シンの腹を引き裂くように攻撃。血が飛び散り、痛覚を確実に刺激する。身がよじれるような痛みに、思わず「くっ」と痛みに堪えるような声が漏れた。びりびりと身体に電撃が走る。


 ふらつく体。上手く視線の焦点があわない。

 それでも、精一杯の力でイオンとキルの腹部へ、順番かつ続けざまに蹴りを一つずつ。二人の体は大木に打ちつけられた。油断していたらしい。

 呼吸が奪われる感覚を味わっているだろう二人の様子を確認し、近くに落ちていた大きめの石をさらに素早く投げつけた。念には念を、である。

 意外にも彼らに直当たり。それを見留め、シンは木にもたれて座りこんだ。


 こちらも油断しすぎたか。

 心の内で思いながら、さてどうするかと思考を巡らす。


 意識は確実に痛みへと一直線だ。自分の意識を占めているのは痛覚以外のなにものでもない。

 それは、自分の感じているそれが非常に強いものであるということの表れだった。


 ふと、痛覚を忘れ去るかのようにして、周囲に意識を向けた。そこでハッとする。

 ざわ、と嫌な気配が感じ取れると同時に、個性的なネロのつぶやきが、とたんにシンの耳に入り込んできたのだ。


「猫耳メイドの良さを分かる人ってたくさんいるけど、どうもどうも吸血鬼にはいないんだよねー。最高だと思うんだけど困った困った。黒タイツや網タイツより、裸足がいやらしいんだ! なんでなんでわっかんないかなーかなー」


 いつから呟いていたのだろうか。

 妄想世界に逝ってしまっているネロは仲間――イオンとキルが吹っ飛ばされたというのにお構いなしのよう。すっかり自分の世界に入り込んでいるあたり、猫耳メイドにしか興味がないらしい。

 おもしれーなぁ、と感想を抱いたとたん、ふと「これは使えるか」と気付く。

 鬼が出るが蛇が出るか。しかしここでもし仮に吉の方向へと向かってくれたならば、これほど幸運なことはない。一か八か。不自然のない様子で、彼は口角を上げた。


「くく、ネロっつったか。アンタ、猫耳メイドが好きなのか」


 痛みに耐えながらもニヤリと笑みを浮かべるシンは、木にもたれかかり座ったままの状態でネロに話しかけた。

 ――そう、ネロを使う。これがシンの作戦だ。

 一歩間違えたら地雷を踏む。けれども、このような博打ばくちもしてみないことには意味がない。


「わわっ! わかるわかる!?」


 ネロが嬉しそうに目を輝かせながら、飛び上るようにして立ち上がった。座っていた状態ではいられなくなったらしい。

 そして、シンのもとに素早く駆け寄った。何やらぶんぶん振れている尻尾が見えるのは幻覚か――いや、幻覚ではない。単なる錯覚である。


「アンタもなかなかの個性派だな。ま、吸血鬼ってのはこうでないと。じゃあさ、今度良いメイド服があったら持って来てやるよ」

「ほ、本当!?」

「おう。だからさ、アンタと争いたくねぇんだ。コイツら止めてくれないか」


 これは、賭け。

 この男のメイド服への関心がいったいどれほどのものなのか。測りきれていない状態での、完全なる博打だ。

 それでも良かった。このネロまでもが敵になりえないなら、それで良かったのだ――その時だ。


「うんっ、止める止める!」

 ネロの元気な声が、森中に響き渡った。

「っネロ!」

 シンの口角が上がる。成功した――手懐てなずけた、と。


 妙な勝利を確信して、痛みがぶっ飛ぶような感覚に襲われる。それと同時にイオンの鋭い声が、ネロの名を乗せて空気を裂いた。ネロと会話を楽しんでいる間に回復したらしい。

 彼はカハッと息を盛大に吐き出し、口から吐き出した血を右手の甲でぬぐう。ぎらつく目は未だに彼の戦意が喪失していないことを示している一方、その中には確かに、焦燥しょうそうの色が浮かんでいた。


「お前、クリード様を裏切るつもりか!」

「オレは元々フリーだよー。契約もまったくまったくしてないもんねーっ」


 契約。それが何を示しているのか分からない。けれども、恐らく主従関係を得ることだとシンは推測した。

 そこで目を細める。どうやらこのネロという吸血鬼、少々異端らしい。

 クリードのような相手と主従であれるということは、行動の制限はあれど、身の安全がある程度保障されていることと同義だ。

 吸血鬼は戦闘を好むものが多く、奴らの世界は常に危険に満ちあふれている。ゆえに、クリードのような上位吸血鬼との主従関係は貴重だった。


 そのクリードと契約は結んでいない。けれど協力はする。

 なんとも不思議な関係だろうか。クリードにとって手放したくない存在なのだろうことは想像できる。


「ならばなぜ、クリード様の下にいるんだ!」

「えーとえーと、……頼まれたから?」

「チッ、くそ、退けネロ!」


 イオンが、目の前に落ちていた自身の銃を構えた。ほぼ四つんいの状態だが、目には確かな殺意が込められている。

 シンを狙った銃口。少しの震えにぶれそうになっている。


 しかし、それは必然的に、シンの前に立っていたネロに向けられた。

 それでもネロは退かなかった。その様子が、ネロの意思を言葉もないままに率直に表している。

 イオンの顔に冷や汗が浮かぶ。それは、今後のことを考えた上での、生理的なものだった。


 ネロが、ゆるんだ顔を真剣なものに変えた。同時に、森の中が静寂に包まれる。それぞれの息遣いが感じ取れる程度に、しずまっていた。

 瞬間、イオンの顔色も変わる。その顔に、これ以上にない焦りが出たのだ。

 それを確認してか、キルが目を細めた。それは見極めるためというより、嬉々としたもの。


 ネロの瞳が真剣味を帯びたと同時に、イオンが叫ぶ。


「ネロ!」


 牽制けんせいであろうその声を完全に無視して、ネロは素早い動きでイオンに迫った。イオンは、チッと隠すことのない苛立ちを舌打ちで表現する。

 こんなはずではなかった。彼はどうにもならない黒い感情を押し込めた。

 ネロの瞳が闇に染まった虚ろな色を持って、イオンを確実にとらえた。イオンが再度彼の名を呼ぶが、まったくと言っていいほど聞く耳を持たない。


 瞬間に、ネロが気配と姿を消し去った。その場にいた誰もが目を見開く。

 風を切る音も、移動する際に擦れあった地面との音もないまま、自身に向けられていた銃を、手刀を入れるようにして叩き落とした。

 さらにそのまま素早い速度でイオンの腹部に蹴りを一発。そのあまりにものスピードになす術もなく、イオンは簡単に背後の大木にまた背を打ち、口から血を吐いた。


 一瞬のうちに行われたその行為。あまりに速く、あまりに重い。ネロには似合わない無表情が、さらに恐怖を煽るようだった。

 赤子を相手にするような、その圧倒的な力の差。全員の目を見開かせるには十分なもので。そしてさらにキルの興味を煽るのにも十分だった。


「ふふふふふ、楽しくなってきましたね。実に愉快ですよ、ネロ」

「っ、く、そ。キルっ、能力、を、くっ……発動させろ!」

「嫌ですよ。今日はジメジメしている。お断りだと言ったはずです」

「チッ、役立た、ず、めっ……!」

「おやおや、心外ですねぇ」


 そんな3人のやり取りを見ながら、「やっぱりイオン、人選間違えてるぜ」とシンは心の中で呟く。仲間であるのに助けようという意志がどこにも見当たらないのだ。

 けれどまぁ、これがこの吸血鬼たちらしいところでもあるのかもしれない。どうせこの組み合わせなど即席なのだろう。クリードの配下であるという点で共通しているだけで、意思はてんでバラバラだ。


「正直、ワンコがここまで番犬として機能してくれるたぁ、予想外だぜ」


 マイペースで見た目もどこか子犬っぽいネロの戦闘能力には、はっきり言って期待していなかった。クリードにとって手放したくない理由があれども、恐らく戦闘能力云々ではないだろうと思ったからだ。

 しかし、イオンにとっては焦燥感を煽る存在――それが、ネロだということにいやでも気付かされた。


 もちろん、いくら期待していなかったと言っても、イオンが連れてくる、さらにはクリードが寄越すくらいだ。それなりには戦えるだろう。

 しかし、あのイオンをいとも簡単にねじ伏せもてあそんだ力は、圧倒的すぎて驚愕してしまうほどだった。

 これがクリードの手放したくない理由か? いや、それだけではない何かが潜んでいるのだろう。それが何かは想像がつかないけれど。


 ――まぁ、でも。

 そこまで考えたところで、段々と景色が明るさを帯びてきた。徐々にまどろみから引き上げられるような感覚と同様に、世界が目覚めていく。

 どうやら、そろそろ朝日が昇るらしい。


「っ……、太陽、か! チッ、」


 イオンが吐き出すように言葉を発した。悔しそうに眉を寄せ、射抜くような視線でシンを見やる。

 そんな彼を、同じように顔を歪めたまま見返し、シンは意識をなんとかつなぎ止めようと試みた。


「っそ! ま、た、お前を、殺しっ、に、来るっ!」


 さすがに、太陽の下殺り合うというのは過酷のようだ。

 昇ってきたそいつは世界を光に包み込む。けれども闇に生きる吸血鬼にとって、敵のような存在だった。なぜならそう、吸血鬼にとっての太陽は――毒、だから。

 イオンはチッと再度舌打ちをした後、力を振り絞りその場から姿を消した。吐かれたイオンの血だけが、彼の分身として地面に残る。それを静かに確認し、シンは小さく息を吐いた。安堵からだろうか。


「あ、オレもイロイロ探しに行こっと。じゃあじゃあ、シンシン。まったね~」


 シンが何かを言う前ににっこり笑顔で手を振りながら、ネロはスキップでどこかに消えた。

 そのあまりにもの素早さに、シンは一瞬キョトンする。そして、呆れたように溜息を吐いた。あれだけすごいものを見せたというのに、本人はまったく気にも留めていないようだ。


 そうこうしていると、未だこの場にいるキルが、ふふふと笑った。その笑い方は相変わらず不気味である。引きつりそうになる口元はその笑みのためか、それとも体を貫くような痛みのためか。

 シンは遠くなる意識を引き寄せ、キルに視線を合わせた。


「私も太陽とは相性が悪い。今日はこれにて帰らせていただきます。ふふ、またお会いしたいものですねぇ、シンくん。私は君という存在に巡り合うことを心待ちにしていました。今日はお会いできて非常に嬉しかったです。狂気を備え、強大な力を持つ貴方に会えて、本当にね」

「っ、そりゃ、嬉しいモンだね」


 ズキズキと痛む腹部。流れ出る血が止まらない。

 遠のきそうになる意識を、何度必死に手繰り寄せたことか。


 いつもどおりの笑みをみせ、なんとか残った余裕をみせつけているシンだが、さすがに血を流しすぎてしまったようだ。表情は堅い。いくら吸血鬼と言えども人間より回復が早いだけで、一瞬の内に傷が消え去るわけではないのだ。

 霞み始めた視界をなんとか繋ぎ止め、再度キルの姿をとらえた。焦点を必死に合わせようと試みれば、なんとか彼を視界に入れることができる。しかし、痛みのせいで一瞬捉えただけとなり、すぐに視線は下に落ちてしまった。


 その様子におやおやと言って、キルが愉しそうに目を三日月にさせる。


「ふふふ、油断していたとは言え、貴方の動きには目を見張るものがありました。素早い動作はもちろんのこと、未だ持て余した力にも、です。ふふふ、いや、是非とも本気の貴方を血に染め上げたいものですね。ふふふふふ、流石さすが

「――っ!」


 シンがハッとしたように、キルを見上げた。

 驚愕にいろどられた表情には、いつものような余裕は一切残っていない。しかし、見上げたその先にはもう白衣の姿は無く。

 泳ぐように揺れた視線だけが、そこに残っていた。


 吹く風、唄う森。

 残された真実の在り処の先は、結局闇の中に消えたのだった。

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