Episode.13 Close Relationship in the Sun

「本当にだいじょうぶなのね」


 快晴とは言い難いが、太陽がちらりと顔を出している14時26分。ちはるとシンは買い物に出ていた。

 土曜日というのはちょうど買い物時。冷蔵庫から食糧がなくなるのだ。そのため、食料調達のため近所の商店街に向かって歩いている最中である。


 さて、日光を体に浴びているにもかかわらずピンピンしている吸血鬼とやらは、どうやら本当に大丈夫らしい。

 吸血鬼は夜行性で太陽の光が天敵だというのは、メジャーな吸血鬼のイメージだが、それはシンの言葉通り否定されるべきもののようだ。


 むしろ人間であるちはるの方が、確実に太陽に体力を奪われているという事実もあった。

 情けないと思えど、年齢が進むにつれて落ちていく体力は、こんなところで明確に表れてくる。


「心配してくれるなんてうれしいね。お礼に今日の夜、泊まってやってもいいぜ」

「お礼どころか罰じゃないの」

「おや、そんなに嫌がられるとさすがに傷つくな。夜は優しく相手してもらいたいもんだ」

「誰がしますか」

「はは、でもさ。優しくしてくんねーと、もっと鳴かせてやりたくなるっていうか」

「もう黙って!」


 人通りが少なくてよかった。ちはるはその部分に安心しながらシンを警戒する。

 ニヤリと意地悪く笑う彼に睨みをきかせて、商店街への道のりを歩いて行った。

 そんな彼女の後ろを、くつくつ笑いながら付いていく影ひとつ。必死にその影――シンを振り向かないようにし、意識から遠ざけているちはるの姿が、彼にとってはまた面白いのだが。


「誰も、こんな街中を吸血鬼が歩いているだなんて思わないでしょうね」


 ウェーブのかかった栗色の髪の毛をふわふわと揺らしながら、ちはるはそんなことを呟いた。そんな彼女の言葉に、シンは笑って目を伏せる。


「妄想癖のある人間なら、わからないぜ」

「確かに今は吸血鬼ブームね。吸血鬼がいたら、と脳内妄想旅行を楽しんでいるひともいるとは思うわ」

「はは、吸血鬼なんざろくな奴いねぇってのに」

「あなたが言う?」

「俺だから言うの」


 そう言ってくしゃくしゃと、大雑把おおざっぱにちはるの髪の毛をかき乱したシンは、「さっさと行くぞ」と言ってちはるの手を掴んだ。

 突然の接触に「わっ」と驚いたように声を出したちはるだったが、嫌な気はしない。触れた手の温かさは確かに自分と同じもので。吸血鬼も温かいんだ、なんて感想を抱いてしまった。


 つないだ手は、すっかり体の一部。上手く溶け合って、心地よささえ感じてくる。

 ようやくシンの歩くテンポにも慣れ、彼の隣に並ぶことができるようになってきた。そうなると余計に、自分の手と彼の手が一体化しているような気がしてくる。


 ふ、と風がふいた。髪の毛をさらって、さわやかに吹き抜ける。

 聴覚のすみで多くの子どもの騒ぎ声が聞こえ、近くに公園があることが分かる。道沿いに並ぶ花壇は相変わらず美しい花を咲かせていた。

 いつも欠かさず手入れされていると分かるこの花壇の彩りは、見るものを和ませる力を秘めている。通行人にとっての癒しにほかならない。


「……」


 無言が心地良いと感じるのはいつぶりだろうか。ふと、彼の顔に視線を向ける。そうすれば、血のように紅い綺麗な瞳とかち合った。


「、あ」


 まさか、視線が重なり合うとは思っていなかった。

 ちはるはシンの赤と引けを取らないくらいに、その顔をその色で一気に染め上げてしまった。彼女の白い肌はその様子をいとも容易たやすく相手に伝えてしまう。

 その一部始終を見ていたシンが、その様子に思わずキョトンとしてしまうほど、わかりやすいものだったのだ。


 だって――。

 叶うならば、言い訳を早口で並べ立てたかった。


 誰もが振り向くような端正な顔立ちをしている上に、強い光のもった瞳は射抜くような鋭さで対象を捕らえてくる。黒色の髪の毛は彼が闇の住人であることをほのめかすと同時に、ルビーのような赤色のそれを際立たせた。

 そんな彼と、予想だにしないタイミングで目が合ってしまったのだ。赤面するのもうなずけるだろう。

 あまりにもの衝撃に思わず声まで上げてしまった彼女は、さらなる恥ずかしさに一瞬でシンから顔を逸らす。

 そんなちはるの様子に、彼がたのしそうに笑った。


「ははっ、アンタってホント、見てて飽きねーな」

「うるさい! ほら、早く行くわよ!」

「おうおう、まった照れちゃって。なんなら勢いついでに、俺がイロイロ教えてやってもいいけど?」

「結構よっ」

「そんなに遠慮ばっかしてると幸運が逃げちまうぜ。たまには売られたケンカも買ってみるもんだ」

「だったら、もっとマシな提案のひとつくらい、してみるものね」

「おっと、俺にとっちゃ最高の提案だったんだがな」


 口を開けばペラペラと……っ!

 恥ずかしくてたまらないのに、それを拾い上げるようにして追い打ちをかけてくる吸血鬼を、心底わずらわしく思った。羞恥心をつつかれるのは、感情ある存在にとって最たる仕打ちかもしれない。

 クツクツと喉の奥で噛み殺したような笑いを響かせている姿が、どうにも馬鹿にしているように聞こえて苛立いらだたしい。それを指摘しようとも、きっと言葉の応酬おうしゅうになり、そして、ちはるが負けてしまうのが見えてしまっている。

 悔しいかな、彼の口の達者さには勝てそうにない。


 この存在は、人間ヒト吸血鬼なのだから――必死に自分に言い聞かせて、恥ずかしさにも似た甘い感情から手を放す。

 本当にわずらわしいのは、慣れに沈んだ自分の甘いココロだと、ちはるはどうしようもない感情に舌打ちをして、後ろから鼻歌交じりについてくる影から、意識を逸らすのだった。


 そうこうして歩いていると、ざわざわとした喧騒けんそうの中に足を踏み入れた。

 これまでは穏やかな住宅街で静かな自然の美しさを堪能たんのうできたが、ここからはようやく人間たちの生活のいとなみが顕著けんちょになってくる。

 活気づいてきたな。シンがそう感じるほどに、人々が忙しく動き回っている様子がありありと見て取れた。


 止まることのなかった歩みがここにきてようやくその動きを止めた。そんなちはるに釣られるようにようにしてシンが足を止めれば、彼女は早くも値札を見始めている。

 食品の質と賞味期限をしっかり確認するために、ちはるは熱い視線を商品に注いでいる。熱い彼女の視線がどれほどの目利きとして役立っているかは分からないが、それでも彼女は必死のよう。


 一方でシンの方もまた、同じような状態にあった。

 彼は周囲から、ちはるが食料品に向けるものとはまたちがった、色のこもったあつーい視線を注がれていたのである。


「……俺は食料品じゃねぇっての」

「え、何か言った?」

「いーや、独り言」

「そう」


 シンなど気にも留めていないという感じで、ちはるは時に財布を確認しながら食料品に視線を走らせる。

 そんなちはるの様子に、「周りのオンナもこれくらい無関心だったらなぁ」とシンが小さく呟いた。


 たりぃな、と思いながらちはるに視線を向ければ、彼女の持つ買い物かごの中には、ずいぶんと多くの食材が投入されていた。キャベツ、生ハム、豚肉、ウインナー、山芋、大根、人参――次々と埋められていく。

 それを見て、シンはやんわりとしたひどく緩慢かんまんな動作でカゴを奪い取った。ハッとして彼を振り向いたちはるにあごで先をうながせば、戸惑ったような視線と交わる。

 その様子が男慣れしていないことを感じ取らせ、シンは少しだけ愉快な気分になった。


「厚意は素直に受け取っておくもんだぜ、お嬢さん」


 言われた言葉に、ちはるは目をパチパチさせる。しばらくキョトンとした表情をしていた彼女も、何か感じるものがあったのだろう。そうね、と納得したちはるに、シンが小さく笑みをこぼした。


「……ありがとう」


 ちはるからつむがれたお礼の言葉に、今度はシンが目を瞬かせた。

 しかしすぐに、その顔はいつもの意地悪気な、余裕あふれる笑みに変わっていく。


「いーえ、お嬢さん」


 その響きは、とてもやさしい色を持っていた。

 そんなシンにちはるも薄く笑って、飲料水コーナーに向かっていく。何を買おうか――そう悩んでいたとき、見慣れた後ろ姿が目に入った。


 くせっけのない茶色くさらさらとした髪の毛に、モデルのようなすらりとした体格。きれいな指先が商品を取る、その一連の動作がまた美しい。

 後ろからでも、やわらかい雰囲気がにじみ出ているように感じたのは、そのひとが「彼」だという先入観からなのだろうか。


みなとさん!」


 ちはるが、その名前を呼んだ。そうすれば、一人の男性が、ちはるの声に導かれるように振り返った。


 そう、高槻たかつき みなと。ちはるのバイト先の店長である。


「あ、ちーちゃん」


 ふわりと微笑んだ湊に、「こんにちは」と頭を下げる。

 ちーちゃんも買い物? そう尋ねた湊がふと、見覚えのある姿を目に留めた。

 印象的なその存在を、たった数日で忘れることなどできるはずがない。


「彼は……」


 確か、以前いらしたお客様だよね。

 湊の言葉に、曖昧に返して苦笑してみせる。

 奇抜な格好の知り合いだと認識されていることだろう。なんとも言えない気分だが、ちはるには苦笑しか返す反応がなかった。


「彼氏?」

「まさか!」

「あはは、ちーちゃん、顔真っ赤だよ」

「うあっ、もう!」


 湊相手に「うるさい!」と怒鳴るわけにもいかず、ちはるは少し困った様子で頬を赤く染めた。

 そんなちはるを少し離れた場所から見ていたシンだったが、話が片付いたのを見計らってだろう。少々だるそうな様子で二人のもとにやってきた。

 何を言い出すかとびくびくしながらその動きを眺めているちはるが、シンにとってはおかしくてたまらない。シンの姿を認識した湊が、柔らかく笑った。


高槻たかつきです。以前はお店にお越しいただき、ありがとうございました」

「いや、良いモン食わせてもらった。美味うまかったぜ。俺はシン。コイツの保護者だ」

「ストーカーなだけでしょ」


 コイツ――ちはるは、シンの言葉に静かな反論をかます。

 む、とするわけでもなく、無表情で少し会話を楽しむように発されたそれは、湊の笑いを誘っていた。


「おいおい。お兄サンに悪印象を与えないでもらいたいもんだね。俺がいつストーカーしたってんだ」

「あら、自覚なし? 困ったものね」


 心外だというように肩をすくめてみせたシンに、ちはるのさらなる攻撃が加わる。

 ここで甘い雰囲気を出せば、付き合っていると勘違いされるのがオチだからだ。それが分かっているのと恥ずかしさとやらで、少し強い物言いになっているのである。

 そんな様子に、湊が楽しそうに笑う。微笑ましそうに細められた目は、優しい色を持っていた。


「仲が良いんだね」

「錯覚です!」


 鋭い否定を投げたちはるは、声を出して笑い始めた湊にむっとする。

 しかしここでそれに言及していてもどうにもならないことは百も承知。そうとなれば、これ以上の会話は避けるべきだ。


「そ、それでは私はこれで……」


 ぺこりと一礼をし、低脂肪乳を探してシンが持っている買い物カゴに1本詰める。

 それを確認した湊は、いろいろと思うところもあったようだが、「じゃあ、明日またよろしくね」と切り出すのだった。


「シンさんも、ぜひまた」


 柔和にゅうわな笑みにちはるも小さな微笑で返し、去って行った湊の背中を見送った。


「……湊さん、素敵なひとでしょう」


 多くの人が並んでいるため、レジはずいぶん待つことになるだろう。中年のおばさん方のカゴには大量に食材が入り込んでいる。

 一番人が少なそうに見えるレジ列に並んで、ちはるが話し始めた。

 そんな彼女の言葉にちいさく笑って、「ああいうタイプはモテるだろうね」とシンが軽い調子で返す。その軽さと素早い返しはいつものことなので気にしない。


「あの性格だもの。誰からも好かれそうだわ」


 高評価を言葉にしたちはるに、シンは納得したように笑みを零した。


「ああいう、は嫌いじゃない。悪くないと思うぜ」


 挑発好きなシンが素直に人を褒めた――ちはるは驚いたようにシンを振り向く。

 そんな彼女の心情を悟ってか、「俺は悪魔じゃないのでね」と言ってのけるが、なんとも言えない気持ちにさせられるのはどうしてか。「素敵ね」と一応褒めておいた。


「なんだよ、その適当な感じ」

「適当じゃないわ。素直に人をほめることができるのは素晴らしいことよ」

「かわいいよ、ち・は・る、ちゃん」

「すごく腹が立つのだけどどうしましょう」

「おや、素直に褒めたんだけどな」


 肩をすくめる彼の、なんと挑発的なことか。

 ちはるちゃん、なんて普段言いもしないくせによく言ったものだ。もっと言えば、掘り返すのもそれはそれで嫌なのでこれ以上触れないが、「ちぃ」などと馴れ馴れしく呼んだことも、忘れてはいない。これだからこういうチャラい男は!

 そんな気持ちで彼をジト目で睨んでしまうのも無理はない。その視線を受けても相変わらずどこ吹く風といった様子は、どうにも彼のデフォルトらしい。


 この煽りに慣れるにはもう少し時間がかかりそうだと、ちはるは小さく息を吐き出すのだった。

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