Episode.10 Bloody Night and Blue Daylight

 鬱蒼うっそうとした森の中、不気味な虫の音が鳴り響く。月影の小さな灯りが夜の闇を彩っている。

 肌を刺すように冷たく走る風。不気味に揺らめく、樹木のざわめき。ひとつの影が、退屈そうに身じろぎをした。


 白くて黒い、赤くて青い。そんな、矛盾した影ひとつ。

 黒くて白い、金で銀。そんな矛盾した影ひとつ。


「おいおい、お客サマってか? 気が早いね。俺はまだ眠たいってのに」


 漆黒の髪の毛、光るピアス。決して好青年には見えないが、余裕を備えた空気には、他者を惹きつけるものがあるだろう。

 上半身は裸。いつもは着ているコートも身にまとっていない。銀色のネックレスが肌色の上で輝いているのみだ。


 そんな彼の自信満々にきらめめくつい――赤と青は、真っ直ぐと、目の前に映るある一人の男を見つめていた。

 対象である男はまだ幼さ残る顔つきをしており、成人前の年齢に見える。しかし、その顔つきとは真逆に、敵を見据える紅色は、ひどく鋭い敵意をあらわにしていた。


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくとした態度の青年――シンは、寝転がっていた体を起こし、太い木の枝に腰かけて肩をすくめる。

 そうして、小枝に掛けていた眼帯をその右目にあてた。


 一方、対象である少年といえば。

 肩にかかるくらいの銀色の髪の毛を、黒い輪ゴムのようなもので後ろで一つに結っている。真っ黒いコートを白いカッターシャツの上に羽織り、真っ黒いパンツを穿いた出で立ちだ。

 紅色の瞳は吸血鬼独特のもので、彼もまた、シン同様に吸血鬼であることがうかがえた。


 少年の端正な顔立ちはとても冷たく、ひどく美しい。常に眉間みけんにシワを寄せて難しい顔をしているのは、それこそ彼のつねなのだろう。

 一見、女の子と間違えてしまいそうになるのはその幼さゆえか、それとも陶器とうきのように澄んだ肌か。線の細さは彼の少年らしさからくるのか、まだまだ未熟と思わせる。

 それでも、彼の突き刺すような視線と、何かを覚悟したような空気の強さは、未熟と言うにはとてもでないが、鋭く重いものだった。


「こわい顔だな。睨めっこにしちゃ、ちょっと気合が入りすぎてる。けど間違いなく大会では優勝だろうぜ」


 両手を顔の近くまで上げながら手のひらを上に向けて、まるで何かを雄弁ゆうべん豪語ごうごしているかのようなその素振りは、どこか馬鹿にしたようで挑発的だ。

 少年も感じ取ったのか、その顔を歪めてみせる。そんな不快そうな表情が愉快なのか。シンは少し口元をゆるめた。


「口の減らないヤツだな」


 少年の口調は淡々としていて事務的。ここでもまた、彼の少年らしからぬ雰囲気がうかがえる。

 双眸そうぼうは無関心をみせているが、状況への不快感を消し去ることはできなかったらしい。冷たさを感じさせる空気は、確かに少年から発されていた。


「おっと。俺、無口なクールキャラなはずなんだけどな」

「……お前、僕の嫌いなタイプだ」

「それはそれは残念」


 おどけて告げたシンの姿は、やはりかんにさわるらしい。少年は眉間みけんにシワを寄せ、嫌悪感を惜しみなく主張した。

 口を一文字に結んだその姿を見とめたシンが、呆れた風を装ってからかいのモーションをかける。


「そんな難しい顔すんなよ。泣く子も黙る吸血鬼、みたいになってるぜ」

「僕としてはお前が黙ってくれるのが一番だがな」

「あいにく、気まぐれな性格でね。今日はよくしゃべるらしい」

「迷惑だな」

「それは失礼。次からは少しだけ、このお口が悪さしないように気をつけてみるさ」


 そう言って笑ったシンは、ひどく気だるげな様子であくびをこぼす。次いで「眠くねーか」と少年に聞くあたり、少年の敵意こもった視線には、ずいぶん無関心らしい。

 いや、関心はあってもさほど脅威にはならないという余裕だろうか。シンにとっては気にするに値しないことのようだ。


「夜なのに眠気か。つくづくお前は半端物らしい」

「そのおかげでアンタたちを日中殺ることだってできるんだけどね」

「っ!」


 少年がハッとしたように、木の上のシンを鋭く仰ぎ見た。そんな様子にシンは笑って、木の幹を背もたれにしながら、悠々たる態度で名前を尋ねる。


「アンタ、ナマエは」


 それは先ほどの発言に対し、今ここでいかなる手段で対抗してこようとも、自分には何ら脅威ではないと、圧力をかけるとともに挑発しているようにも思えた。


「お前に名乗る名などない」

「へぇ、相手によって名前を使い分けてんのか、ご苦労さん。そりゃあ大層なことだ。そろそろ名前の案も消える頃だろうよ。それとも、吸血鬼さんは意外にも創作性にあふれているのかな」


 そういう意味ではない。そんなことはシンも分かっているだろうに、こうして飽きず挑発する。

 少年は「イオンだ!」と半ば叫ぶように名を告げ(告げる必要などなかったはずだが、挑発に耐えられなかったらしい)、睨み上げた。


 そんな少年イオンに――期待通りの反応をくれたことに対するものだろう――シンは満足そうに微笑む。

 そんな様子が、イオンにとっては煽りの要素にしかならないわけだが、事実彼が自身を煽っているのだろうと分かるため、安易に踊らされるのは本意ではないと、すぐに気持ちを切り替えた。


「はーい、ご丁寧にどーも。ところでアンタ、クリードのおつかいか? ちゃんとお遣いも果たせたようだし、ご褒美はいるかよ」

「そんなもの不要だ。それに、僕も名乗ったんだ。お前が名乗らないのは不公平だぞ」

「アンタは俺のナマエ、はなっから知ってたろ。不公平なのはどっちだ」


 言い返せなかったイオンに、内心「面白い」と思いながら、シンは愉快そうに上からイオンを見下ろしている。

 その見下ろされている感じが気に食わないのか、イオンはギリ、と分かりやすく歯軋はぎしりをした。


「……それとも、逆に俺に手土産プレゼントでもあるのかな」


 クルリと回転しながら木の上から降りてきたシンに、イオンが少し身構える。その様子に笑みを浮かべるも、視線は何かを見定めるかのように鋭い。

 警戒の色さえ示しているのではないかというほどには、シンの紅はいつになく丹念たんねんに、相手の一挙一動、そしてその周辺を観察していた。


 イオンが腰に何やら刀のようなものをぶら下げていることを、シンはずっと気にしていた。それが何かなど、よく分かっている。

 そして分かっているからこそ、むやみやたらにイオンに近付くなんてことはしない。


 では、そいつがいったい何なのか。

 自分にぶちあたって刺激してくる風が、嫌というほど伝えてきているのだから、これからわかりやすくで説明してくれるだろう。

 頼んじゃいないがな。皮肉な思考を浮かべたところで、「そうだな」とイオンが独り言のような大きさでこぼす。


 瞬間、空気が変わったのを肌で感じた。


 ざわ、と木々が声を上げる。悲鳴にも近いその叫びは、恐ろしい侵入者に恐怖し、怯えているようにも感じ取れる。ここから立ち去れと非難しているのだろうか。そうかもしれない。

 その一方で、木々のざわめきはどこか吸血鬼という存在に呼応しているようにも思えた。


 イオンの動きが一瞬止まる。水を打ったように静かになった森の中。空気の張り詰めた様子を肌が感じ取っている。

 呼吸が合わさる。視線が重なる。そして、一陣いちじんの風が常人じょうじんでは掴みとれないほどの速さでシンへと向かって行った。


「手土産なら――くれてやる」


 シンの首元に、刃先が狙いを定めたように向いている。犯人はもちろんイオン。鋭利えいり先端せんたんをためらいなく突き付けた彼の瞳は、冷静なまでに冷淡だ。

 しかし、ただでやられてやるようなヤツではない――シンという男は。

 軽いステップで後ろに避けたシンは、無言で凄絶せいぜつな笑みを浮かべた。彼の目には、たのしそうな狂気が灯り始める。


 それは、血を流す行為に反応する吸血鬼としての求血本能なのか、彼自身が持つ激しい闘争本能か。

 そんなものはどちらでも良い。

 確かにシンが、今から始まる戦いを心待ちにしているということは、空気そしてその存在すべてからはっきりと分かった。


 イオンが刀を収めていたであろうさやを取り出し、シンに向かってこじり――鞘の部分名称で刀身を差し入れる部分――を投げ出した。

 意識を逸らせるためだろう。分かっていても、意識はそちらに向く。

 シンの顔を目掛けて飛んできたそれを、軽く体を反らすことで避ければ、避けた方向からイオンの刀の切っ先がシンを襲ってくる。「やっべ」と呟いて仰向けに背中を逸らせば、なんとかその攻撃自体は避けることができた。危機一髪だ。


 お腹の上で空気を切った刀の様子を見ながら、そのままの勢いで地に手をつけ、イオンに向かって両足を蹴り上げる。

 体をじらせればたちまち、足が竜巻のようにして対象を攻める。

 イオンはその攻撃に一瞬顔をしかめたが、それも一瞬のこと。ポーカーフェイスで体を逸らすのだった。


「僕にそんな攻撃は効かない」


 イオンは無表情にそう言って、一瞬の逆立ち状態であるシンの背中を、縦長に切り裂くように刀を振るった。

 ザシュっ、と嫌な音が響き、あたりにシンのものであろう血飛沫ちしぶきが舞う。


 呆気ない、戦いの終わり。


 ぐ、と息を詰めたようなシンのうなりが聞こえたと同時に、地面に重たい何かがぶつかるような音が響く。もちろんそれは、シンの身体。

 背中を切り裂かれた彼は、呪いがかかったかのように力を失ったのだ。


 そう、これこそが、シン自身が説明していた

 “不死を操作している背中の術文字を、十字架を描くようにして切る”。ただそれだけ。

 それだけなのに、彼ら吸血鬼にとっては致命傷だ。


「く、そ!」

「覚悟だ」


 背中を切られ悔しそうに声を出したシンに、今度は十字を描くように横長に刀を振るい、イオンはを刺した。

 シンの絶叫が森中に響き渡る。が、イオンはただ無表情に、痛みに苦しんでいる血濡れの吸血鬼を見ているだけ。


 しばらくして、す、と彼の力が完全に抜けたのがわかった。肢体したいがだらしなく地面に横たわっている。

 ぐったりして動かなくなったシンに、「つまらない」と一言つむいだイオンは、血に汚れた自身の刀を一瞥いちべつし、その刀をさやにおさめた。


 そして、彼は興味を失くしたかのように視線の方向転換をする。

 血を流したまま横たわった「つまらないもの」に背を向け、自分の住処すみかに戻るのだろう、その方向へと歩き出した。


 その瞬間だった。


「おいおい、そんな危険なモン持ってたわけね」

「っ!」


 イオンの背後で、悪魔が笑った。


 ハッとして後ろを振り向いたイオンは、無意識にだろう。左手の親指をつばにかけ、さやから少し刀を押し出した。

 右手はの部分をしっかりと持っており、いつ刀を抜き出しても良いような状態だ。


 そして、イオンは驚愕きょうがくを露わにした。

 無表情の少年の目は、いつになく驚きに満ちあふれて見開かれている。

 何だ、どういうことなのだ。

 その感情が明確に表情となって出ていた。


 それもそうだろう。振り向いて見た先の姿に、信じられないものを見たのだから。


「お、まえ」


 さらさらと風になびく黒髪のストレート。肩にはつかない程度の長さで舞うそれは、軽やかに踊っている。彼の赤は燦々さんさんきらめき、いつものように余裕そうな笑みを携えている。

 コートを着てはいないが、上半身はほど良く引き締まった見事な裸体で、黒色のパンツのポケットに手を突っ込んでいた。


 そう、イオンが確かに、刀でとどめを刺したはずのシン。

 その彼が、飄々ひょうひょうとした態度で、いつもの馬鹿にしたような薄笑いを浮かべながら、立っていたのだ。

 負傷した様子など一切感じられない余裕な態度で、静かに、しかし、確かな強さの視線で確実に獲物を捉えながら、彼はそこに立っていた。


吸血刀きゅうけつとう、ね。ずいぶんな手土産だ」


 眼帯のないサファイアブルーをさらけ出したシンが、面倒くさそうにゆっくりとした足取りでイオンの方へと向かっていく。


「厄介なものを持って来たもんだなぁ」


 口調はとても軽やかだが、シンの内心は穏やかじゃなかった。


 吸血刀。それこそが、吸血鬼を狩るためのすべ

 この吸血刀で、背中にある不死の血化粧ちげしょうを切り裂けば、吸血鬼の魂は完全に滅する、と言われている。


 実はこの刀で血化粧を切り裂かずとも、吸血鬼の背中のそれをで十字に切れば、そいつの不死を止めることは可能だ。言ってみれば、“死”を与えることは可能であるということ。

 しかし、それは完全なる死――すなわち、魂の滅亡ではない。

 長い時を経て、その吸血鬼は生き返る。過去のすべての記憶をその脳に植え付けたまま、まるで過去をその身にも刻みつけるかのようにそのままの姿で、吸血鬼は――


 だから、吸血刀で完全なる“死”を与えるのだ。

 生き返ることのないよう、魂から狩る。ゆえに吸血刀は別名『死神刀しにがみがたな』と呼ばれるのである。

 魂を根っこからり取っていく様が、まるで死神のようで――。


 問題視すべきなのは、ここだ。イオンにとっての明らかな違和感と疑問。

 そう、死神刀で十字に切られた吸血鬼がなぜ、今ここで健康な様を見せているのだ。イオンはめずらしく困惑していた。


「お、お前、半端物だからっ、だから、死神刀が効かないとでも言うのか!」


 叫ぶように問いかけられたイオンの質問に、シンは笑って「頭使えよ」と言う。

 頭の悪いシンには決して言われたくない言葉だが、初対面であるイオンがそんなところまで知るはずもない。


「アンタ、あのオジサンから何も聞いてねーの」

「クリード様をオジサン呼ばわりするな!」

「っとと、悪い悪い。クリードサマに何も聞いてないのかって」

「何をだ!」

「俺の、能力」


 ニヤリ、と描かれた弧。ハッとした、少年の面。

 始まりの風は、ひどく優しかった。

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