Episode.08 Checking the Curious Answers

 お風呂から出てきたちはるにニヤリと微笑んで(それを微笑みと呼ぶには、いささか語弊ごへいがあるかもしれない)、シンはベッドの上に腰かけるよう彼女を促した。

 私の家なんだけど、と思いながらも素直に従うあたり、ほだされている気がしないでもないが。


「さて、お嬢さん」

「な、なに」

「何を知りたい」


 そう聞かれて、困惑する。

 何度も言うように知りたいことは多々あるが、あまりに多すぎてまとまらないのだ。結果、何を知りたいかと問われて、それに返せる的確な答えが今のところない。

 それを分かっているのか、「あのオジサンはだな」とシンが勝手に話し始めた。


「名前はクリード。吸血鬼の中でも、まぁ偉いオッサンだ。ちなみに、吸血する時にセックスしてんのは、なにもあのオッサンだけじゃない」

「……あなたも?」

「さあね」


 適当にはぐらかして終了したのか、それとも単純に面倒だったのか。彼が濁して答えた理由は定かではない。

 ただ、ちはるもそこまで気にしているわけではなかったため、それ以上の追及はしなかった。


 吸血鬼にとって身体の交わりセックスは、そこまで意味を持たない。

 人間にとっての性行為が体の交わりならば、吸血鬼にとっては「血の交わり」こそがそれであった。

 互いが互いの血を吸い、分け合う。それが、血の交わり。


 とは言っても、身体の交わりというのが人間と同じく吸血鬼にとっても子孫繁栄の行為であるのもまた事実。そのため人間的な意味においての性行為セックスは、吸血鬼という種族を存続させるために必要な行為ではある。

 が、最上級の愛情表現がそれでない以上、体を重ね合わせることに対する意識の比重が少ないことも、彼らの性行為に対する認識が薄い一因と言える。

 ゆえに、身体の交わりを、単に楽しんでいるところがある。


「体の交わりによる快楽ってのは、人間と変わらねぇと思うぜ。けど、子孫繁栄のためって認識が強くて、手当たり次第シちまう傾向にある。つっても、吸血することでも増やせるわけだから、数こなして快楽得たいってよりも、かな」


 獲物はその快楽と甘美さに溺れてくれるため、体の関係を持てば、従者は本来付随した従属的感情以上に、あるじを慕うようになるのだという。

 狂ったほどに慕い、崇拝するため、より従者の持つ血は甘く、やわらかく、美味なるものに変わり、を作り出してくれる。

 この“最上級の味を作り出す”というのがポイントで、吸血鬼が人間に対して身体の交わりを求めるのは、人間的な意味における快楽はもちろんのこと、“自分に合った最上級の血”を飲み干すための長い前戯ぜんぎとも言える。


「野蛮な種族だと思ったけど、なんだかこだわりに対してとてもストイックというか、いえ、この場合は禁欲主義ストイックと言うと、とても矛盾しておかしな感じがするんだけど、その」

「はは、そうだな。吸血鬼にとっちゃ、吸血ってのが何よりもの行為になる。だからか、唇を渡すことだけは避けるって点では、人間的な禁欲主義ストイックかもしれねーな」


 ということは、ある意味、キスは性行為以上に重たい行為であると言える。

 ちはるにとってはその感覚がとても不思議であるが、血を吸う時に使う部分が“唇”である、ということを考えると、納得できないわけではなかった。

 なるほど、と思いながら、「そういえば」と次の疑問を投げる。


「さっきから、従者、って表現が何回か出てきたけど……」

「おっと、そうだったな。意外にアンタの記憶力と理解力が良いことに気付けてうれしいぜ」


 腹がたつわね! そうは思ったが、言い返したら言い返したで、なん百倍もの勢いになって返ってくることもわかっているので(この短期間でずいぶん“シン”について理解してしまった)、ちはるはぐっ、と言いたいことの数々を抑え込んで、イライラする感情にふたをした。


 さて、ここで言う主従とは何なのだろうか。


「吸血鬼は主従に分かれる。血を吸った側を主人、吸われた側を従者とすんの」


 まぁ、純血種と準血種ってことな。

 そう紡いだシンに、どっちがどっちかよく分からなくなる。


「純血が始祖からの血、つまりオリジナル。準血の方は次の血、つまりは後に吸血鬼になった元人間だ。セカンドって言うこともある」


 とても分かりやすい説明だった。なるほどそうだったか、と思いながら納得する。


「さて、お嬢さん。ここで取り上げるのは準血種セカンドだ。血を吸われた人間は吸血鬼になって、血を吸った吸血鬼に絶対的な忠誠を誓う」

「絶対的な忠誠……、なんだか途方もない話ね」

「破られることのない絶対的で盲目的な忠誠だ」


 忠誠とはなかなか聞き慣れない言葉だ。小説の世界などでは見かけるが、リアルな日常ではそうそうお目にかかることはないだろう。


「想像できねーかもしれねぇが、言ってみりゃクリードに血を吸われていたあのオンナは、吸血鬼になったら“クリード様”とやらに忠誠を誓うってわけ。まぁそのからくりってのが、ほぼ否応いやおうなしに本能的に誓わざるをえないっていう、まさかの最悪オプション付きなんだけど」

「待って、否応なしに本能的に?」

「そ。拒絶きょぜつ渇望かつぼうもない。本能的にただストレートに何の濁りもなく受け入れるしかない従属感情さ。突然、あの女はクリードのことをあるじとして仕えるようになるぜ」

「どうして……」


 吸血鬼と言っても、あくまで元が人間だ。例え人間ひとであったという記憶を失くしていても、そう簡単に様々なものが変化するとは考えにくい。


 ちはるの拭いきれない疑問に気がついたらしい。

 シンはくつくつと喉の奥で噛み殺したような笑いを零しながら、まぁまぁとなだめるように声を出した。


「ちゃんと説明してやるって。ただ、口下手だからさ。ゆっくり一つひとつ自分で噛み締めるように言わねぇとうまく説明できねぇんだよ」


 そして、冗談とも言えるセリフが返ってくる。

 ニィ、と口角を上げてみせるシンに、「どこがよ」と呆れた風に突っ込むしかなかった。

 もちろん、「どこか不満でも」なんて、彼は肩を竦めてのらりくらりとかわして見せるのだけど。


「はぁ、ほんとツッコミどころ満載な性格ね」

「おいおい、突っ込むのは俺の役目だろ」

「は?」


 あなたに突っ込まれるような悲惨な性格はしていないはずだけど。それこそ、シンに指摘される方がしゃくというもの。

 嫌味たっぷりにちはるが返せば、彼はハッと鼻で笑った。


「性格はちがっても、体はそうだろ」


 何を言いたいのかようやく理解した。顔を真っ赤に染め上げたちはるに、「何を期待したんだよ」とたのしそうに言うシン。

 しかしこれにいちいち反応していては、もっと面倒くさいことになりそうだ。

 ちはるは怒鳴り散らしたいのをなんとか抑え、「良いから、続き」と先を促した。正しい判断である。


「ったく、つれねぇの。事実だろ? 俺がアンタに突っ込むちん――」

「わああああああ! あなた、なんてこと言うつもりよ!」

「なんだよ、照れてんのか。初々しいね、お嬢さん」

「最低!」


 そう言って眉間にシワを寄せ、シンの顔を見なくなったちはるは、ベッドの上に腰掛けたまま不機嫌さを強調した。シンは窓際の壁に寄りかかって、彼女の様子にくつくつと笑うだけ。

 まぁ、丁度ベッドの上にいるだけなのだし、このままお望み通りどうにかしてやってもいいんだけど。なんて、冗談とも本気ともとれるような考えを脳内に流しながら、シンはやっぱりおかしそうに笑って口を開くのだった。


「従者は主の血を吸わねぇんだ。これが、なんで絶対的忠誠を誓うかってことのポイント」


 語り始めたシンに、嫌そうな顔をしながらもちはるは耳を傾ける。


 言わば従者とは、あるじにとっての文字通りの従者であり、えさ。主に絶対的忠誠を誓い、仕え、守り抜く立場でありながら、主の血のかわきを満たす餌である。

 その餌――従者が、敬愛すべき主の血を飲むなど、禁忌きんきと言えるだろう。

 従者が主の血を飲むのは、二人が恋愛関係になった場合のみ。だが、主従が結ばれることは近親相姦に値するため、滅多にないことだった。

 それは従者が、主の血を得て“吸血鬼”になったからである。


「吸血鬼は人間の血をぜーんぶ吸う」

「う、うん」

「そうすることで人間側は、人間としての自分を殺されるわけだけど。じゃあ何で吸血鬼になるかってことと、何で血を吸った吸血鬼だけに忠誠を誓い、そいつを主とすんのかってのは、密接な関係にあるわけ」


 じゃあ、何で? ちはるが聞けば、「さあ、何でだろうね」と、逆に問われる。

 あててみろよ、と言われてすこしムッとしたちはるは、それでも必死に思考を巡らせる。ここで何も思い付かないのはなんとなく悔しかったのだ。

 しかし、どうにも思考は動きを見せない。結局、皆目見当もつかなかった。


「はい、時間切れ。じゃあ罰ゲームでキス1回な」

「ひどい!」

「うそうそ、俺、好きなオンナ以外にキスしねーし」

「それこそ嘘よ」

「ほんとだって」


 心外だな、とでも言いたげな彼の表情が、またうさんくさいと思ってみたり。

 するとシンはちはるに見せていた横顔を逸らし、真っ正面を向いて彼女と向き合った。ドキリ、と心臓がざわついたちはるだったが、平静を装って「で」と先を促す。


「血を吸われた人間は、血液不足で死ぬ。けど、もし吸血鬼がその人間を吸血鬼にしたいなら、己の血をその人間に飲ませるのね」

「あ!」

「そ。つまり、準血種セカンドの体内を流れる血ってのは、“あるじとなる吸血鬼”の血がもとってわけ」


 ようやく、今までの話が繋がってきたように思えた。

 そういうことか。だから「近親相姦」であり、禁忌にあたる。


「吸血鬼の血って特殊なもんでな。その凄まじい力で人間の細胞や器官に馴染なじみながら、物凄いスピードで量を増やし一気に体中に行き渡る。だから死は一瞬のことで、人間はすぐ生き返るのさ。ま、吸血鬼として、だけどね」


 その血は紛れもなく、主となるべく吸血鬼の血。とは言っても、体を形成する細胞はその体特有のものであるため、体内に行き渡ると同時に完全なる主の血ではなくなるのだが――つまり、その吸血鬼特有の血に変化していくということ。

 しかし、だからこそ主従が結ばれることは確かな近親相姦となる。

 いくらその吸血鬼特有の血に変化していくとは言え、元は主の血。主の血を糧として変化していくのだから、根本的な部分においては主の血以外のなにものでもなく、そういう意味で主従の交わりは近親相姦といえよう。


「従者は主の血を分けた分身みたいなもの。そういうこともあって従者は主に忠誠を誓うし、そんな崇拝すべき主の血をいただくっつー下賤げせん真似まねはできねーってことさ。ついでに言えば、従者は従者を持てねーし。まぁ、主が主を持つことはあるけど」

「じゃあ、咬まれた人間が必ずしも吸血鬼になるってわけじゃないのね。その吸血鬼が人間に血を与えなかったら、吸血鬼にはならないでしょ」

「そういうこと。だが、吸血鬼を途絶えさせる気はねぇから、吸血鬼は吸血鬼を増やしたいだろうぜ」

「あ、そっか」


 納得しながら、うなずく。

 それが例え準血種と呼ばれる生粋の者でない吸血鬼であったとしても、「吸血鬼」であることに代わりはないのだから、準血種を増やした、すなわち、種族を増やした、と言えるだろう。


「まぁ、そうして主従関係が成り立つってこと。純血種が主、準血種が従者と思えば手っ取り早いだろうよ。そんでそのクリードってのは純血種――主の集まりの中でも特に力の強いお偉いさんってわけさ」


 そうして考えてみると、あのクリードという男がいかに上にいるか。そして、どれほどの強大な力を持っているのか。思い知らされるようだった。

 しかし、そんな存在に刃向かった目の前の男も同時に、異質のようにも思える。


「ま、近親相姦とは言ったけど、だからって許されねーわけでもなくてな」

「へ?」

「つーか、むしろ人間的な意味では近親相姦しなきゃならねーとも言える。ほら、元は近親相姦で吸血鬼っつー種族、増やしてたし。それに、純血種同士は人間と同じように体の交わりで子孫を増やすから、結局近親相姦だしな」


 確かに、そうでなければ純血種自体は、死にはせずとも増えもしなかっただろう。


「ただ、俺たちの言う近親相姦は、純血種と準血種の体の交わりのことでな。交わったからって嫌悪されるとかでも禁止されてるわけでもない。だから性欲処理としてセックスすることはある。クリードとかその典型じゃねぇかな」


 くつくつと笑いながらそう言うシン。笑えないのはちはるだけのようだ。

 性欲処理と聞いて「あら素敵」なんて思えないし、そういう存在がいるのは勝手だが喜ばしいことのようには思えなかった。


 盲目的忠誠を誓うということは、きっと敬愛しているのと同じとも言えるだろう。

 そんな存在に性欲処理にされるというのはいかがなものか。


「まぁ、主従で近親相姦しても良いんだけどよ、その場合だと『能力』を授からねーんだ」

「能力?」


 またえらくファンタジーな言葉が出たものだ。これが現実だと思うと、いっそ笑えてくる。

 もちろん、彼らにとってはそれが「普通」で「当たり前」の感覚なのだろう。だが、まさかこんなところで異文化交流することになるとは。軽いカルチャーショックだ。


「純血種同士から生まれた吸血鬼は『能力』を持つ。その『能力』が吉と出るか凶と出るかは分かんねーけどさ」

「有害な能力もあるってことかしら」

「そういうこと。まぁ何にせよ、吸血鬼同士にも争いや殺し合いって結構あってな。能力がねぇと生き残れないわけ」

「なんか、本当にものすごーくファンタジーね」

「確かにな」


 そう言われて、ちはるは「あっ」と声を上げた。

『貴様、力を使っているのか』

 あのクリードの言葉。そこから予想できるのは、シンが純血種同士の間に生まれた吸血鬼であるということだ。


「シンは、純血種なのよね」

「え?」

「え、だって、力。持ってるんでしょう?」


 ちはるがそう言った瞬間、一瞬だけだがシンの顔に闇が降りた気がした。もちろんそれはほんの一瞬で、ちはるが気付くことはなかったが。


「さあね」


 誤魔化された言葉に、ちはるはただ不思議に思うだけだったが、シンは少しだけ眉を寄せたのだった。

 それが一体何を意味するのか。今のちはるにはわかるはずもなく。そしてシンもまた、言うつもりもなかった。


 虚と実が反発しあいながら、交わり合う。それは、どこが終点だろうか。

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