女神が自分の治めるべき世界を作ろうとした話

冬野ゆな

第1話

 ある所に女神がいた。


 女神はそろそろ自分が治めるべき世界を作ろうと考え、先人たちの世界を見に行くことにした。


 その世界を作った神々はとっくの昔に統治することに飽いてしまって、未来のことがわからなくなっていた。

 かわりに、神々にそっくりな姿の人間という生き物が統治していたが、崇めるべき神もばらばらで、いろいろな問題を抱えていた。しかし、一部の人間たちには想像力という力がつき、世界を直接作ることはできないまでも、文章や絵という能力によって好きな世界を作り上げていた。


 女神はそれらを見て、ファンタジーと呼ばれているものを選んだ。


 その世界は女神が女神としてきちんと崇められ、魔王や悪魔という脅威に立ち向かうもので、女神が治めたい世界にぴったりだった。

 正邪のバランスもとれているし、舞台となった物語は数多くある。

 つまりは多くの人間に望まれているということだ。


 だが人間の作り出した世界を借りるには、人間の想像力を借りる必要があった。

 女神が最初から女神であるためにも、力を示さないといけなかった。


 女神はさっそく適当な年代の子供をひとりつまみあげると、自分の前につれてきた。


「こんにちは。わたしは女神アルデール」


 連れてきた少女はしばらく驚いたように口を開き、言葉がきけなかった。

 何度もこれは夢ではないかと頬を引っ張るのを、女神はにこやかに見ていた。


「私は死んでしまったんですか?」


 少女は戸惑いつつ尋ねる。


「そうともいえるし、そうでないともいえます」

「どういうことですか?」

「本当に申し訳ありません。おわびに、あなたには新たな世界に転生してもらいます」


 女神は、こういう言い方をすれば相手が食いついてくるのを知っていた。

 少女はさらに狼狽していたが、やがて納得したように言った。


「……そんな小説みたいなことが起こるなんて……」


 少女のつぶやきは、女神にとって完璧な答えだった。


「どんな世界に転生したいか、今から祈ってください。そうすれば、あなたの望んだ世界に行くことができるんです」

「……それは、どんな世界にも、ですか?」

「はい。どんな世界にも、です」


 きっとこの少女にも願望があるはずだ。

 人が羨むほど強くなりたいとか、あらゆる知識が欲しいとか、悪役の女性の運命を変えたいとか、そういう願望が。

 女神は彼女にきちんと力を示すために、褒美も用意していた。


「かわりにひとつだけ、能力を授けてあげましょう」

「……わかりました。それなら、いろいろな問題に巻き込まれる体質をください」

「おや、そんなことでいいのですか?」

「はい。いろいろなことがあったほうが面白そうですから。それと、ここであったことの記憶も消してしまいたいんですが……」


 女神はちょっと考えた。

 きっと、新鮮に世界を楽しみたいという欲望なのだろう。


「本当にそれでいいなら、それも可能ですが……」

「どうせなら、未来がわからないまま楽しみたいんです」


 なるほど、それくらいなら追加で叶えられないこともない。

 それにこの世界の人間はずっと、神々に捨て置かれてからずっと未来がわからないまま暮らしてきた。現状を楽しむ余裕くらいはできたのだろう。

 女神はうなずいた。


「わかりました。では、そうしましょう。これから”行きたい”世界をイメージしてください」


 女神が言うと、少女はそのとおりにした。

 二人の間で光が生まれ、小さな点だったそれは大きく輝くと、あたりを包み込んだ。


「えっ? こ、これはいったい……?」


 女神は戸惑い、驚いた。

 かくして、世界はひとりの人間が望んだとおりになった。

 何もかも完璧だった女神の唯一の誤算は、連れてきた少女が憧れ、求めていたものだった。


 女神は失意のまま、再び人間同士が争うことになった世界をどうしようもなく見つめた。



 *



 世界は今日も、波乱に満ちていた。

 どれほど科学技術が発展しても、夕暮れ時になれば否応なく満ちてくる影に、人々は闇を見た。

 治安は決していいとは言えない。


 暗闇からは人攫いが子供を付け狙い、大金持ちの屋敷では盗難事件がたびたび起こり、ただの人間や獣とは思えないものが世間を賑わす……。

 ついこの間なんて、『連続人間消失事件』と呼ばれた不可解な誘拐事件が起きたばかりだ。

 警察も頭を悩ませ、その権威は地に落ちていた。


 そして、今日もひとりの怪人が少女に真鍮製の銃を向けていた。


「このわたしにはじめての人殺しをさせるつもりかな? さあ、武器を捨てたまえ!」


 真っ黒な三つ揃いのスーツに黒いマント、そして黒いシルクハットをした仮面の男が、笑いながらそう言った。仮面の三日月は、目の前にいる白いスーツの青年へと不気味な笑みを向けている。

 対照的に、白いスーツを着た青年は、隣にいる帽子を深くかぶった助手の少年にちらりと目をやった。

 二人の視線が交錯したあと、青年は怪人へと視線を戻す。


「いいや、怪盗X。きみはけっして人を殺しはしない。僕は探偵として、何度もきみと戦ってきたからね。それはきみの矜持でもあるし、それに……」

「それに、僕がいます!」


 少女が突如叫んでワンピースを脱ぎ捨てると、そこには吊りズボンを穿いた頬の赤い少年が、護身用の拳銃を突きつけていた。


「手をあげろっ、怪盗X!」

「なにっ! 貴様は、大林!」


 そう叫んだ怪盗Xは、恐るべき身体能力で大林から飛び退いた。

 大林は一瞬の隙をつかれ、怪盗Xを取り逃がしてしまった。


「しまった!」

「いや、きみはよくがんばったぞ大林君」


 青年の言葉に、大林はやや誇らしげに顔を紅潮させる。


「ならば、そこにいる大林は……」

「そのとおり! 姫宮君の変装さ」


 青年が笑うと、青年の隣にいた少年が帽子を取り払った。

 ぱさりと長い髪が溢れ、大林に変装していた本物の姫宮が姿を現わす。


「はははっ、姫宮君は途中で大林君と入れ替わり、きみが盗んだ宝石とともに帰ってきていたというわけさ。さあ、今度は大林君から逃れたようにはいかないぞ。何しろきみの後ろには、既に警官隊が取り囲んでいるんだからね……。観念するがいい、怪盗X!」


 青年の声を合図に、後ろの警官隊がわあっと声をあげて殺到した。


「かかれーっ! って、ちょ、ちょ、なんで貴様らワシの号令より先に行くんだ!」


 太っちょの髭の警部が声をあげる。

 それからすったもんだの大捕物が展開される間、警部も警官隊の波をかき分けて前へ進んだ。やがて怪盗Xの両手には、警部の手でがちゃりと手錠がかけられた。

 スクープを約束された記者がいの一番にそれを撮ると、喜び勇んで新聞社へと走り去っていった。


 翌日、各所で怪盗Xがついに逮捕されたと大々的に報道され、新聞の一面には青年を名探偵と称える記事が載った。むろん、警部の記事も端のほうで、部下の警官隊のピース写真とともに載っている。


「怪盗Xついに逮捕!」


 探偵事務所で大林は興奮気味に言った。


「おめでとうございます、先生! ついにやりましたね!」


 姫宮が手を叩きながら続ける。

 何度目かの対峙によってもたらされた青年の完全勝利は、助手を自称する二人を興奮させるに充分だった。


「この間の連続人間消失事件も先生が見事解決されましたし、先生の評判もますますうなぎ登りですからね!」


 大林は自分のことのように胸を張る。


「あのときも、まさかこの街に来ていたサーカス団が関わっているなんて、思いもしませんでしたからね。あやしげな『人魚』や『蛇人間』が、誘拐されて洗脳された一般市民だったなんて、びっくりしましたから!」

「そうね。手下の『怪力人間』や『豹男』をものともしない先生もかっこよかったですよ!」

「そういえばあのときも姫宮さんは無茶をして。なんでそうもすぐに事件に巻き込まれるんですか? そもそもレディなんですから、もうちょっとおしとやかに……」

「あら、そういう考えは古くさいのよ大林君!」


 言い争う二人を横目に、青年はニコニコと笑ってコーヒーを飲んだ。


「きっと私は前世でもこういうのに憧れていたのよ。そんな予感がするの」

「はあ、まったく……、……あ、そうだ。そういえば先生、最近街で妙な噂が流れてるのをご存じですか?」

「ああ、知っているよ。電氣人間と呼ばれる怪人のことだね。なんでも全身に電気を纏っているとか……」

「この街は騒動がつきませんね。神様とやらがいるなら、聞いてみたいですよ。どうしてこんなに事件が起きるのかって」


 大林はハァッとため息をついた。

 そのときだ。

 リンリンリン、と特徴的な鈴の音が鳴り響いた。青年が電話を取り、黒い受話器を耳に当てる。


「はい、こちら……ああ警部さん! この間はどうも……え? なんですって?」


 青年の顔から笑顔が消え、真面目な顔になる。


「怪盗Xが脱獄?」


 大林と姫宮の間に緊張が走った。

 どちらとも知らずお互いを見ると、ひとつ頷いた。


「わかりました。すぐに向かいます」


 青年が電話を切った時には、大林は調査用のカバンを手にし、姫宮は青年の上着を用意して待っていた。

 二人を見ながら、青年はにやりと笑った。


「もし神様とやらがいるなら、きっと今頃あきれているさ。こんなに退屈しないのだからね!」


 その言葉に、前世の記憶を持たぬ少女はころころと屈託無く笑った。

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