第12話

「今、三週目で、あと二週間したら悪阻が来ると思います。今は特に何も変化はありませんが、ネットで調べました。店長には、この後言うつもりです。」

目を伏せて、自分の腹に視線を配る彼女を見て、脳味噌がぼうっと熱くなる感覚になる。

「三週目か…。やっぱり、まだわかんないね。」

この小さい身体に、もう既に新しい命が宿っていると考えると、女性のすばらしさについて、改めて気づくことが出来る。

「それで、休職ってことも考えたんですけど、辞めることにしました。」

「……え?辞める?」

「はい。もし、悪阻が収まったとしても、膨らんだお腹では仕事に支障きたしますから。その後も長いことお休みをいただくことになると思うし、今住んでいるところより、少し広いところに引っ越す予定なんです。次は、橋本さんの番です。私の後任は貴方しかいません。引き受けて、くれますか?」

峯田さんの薬指がやけに眩しい。


「それを決めるのは…僕じゃないんじゃないのかな…?ちょっと待って。色んなことが一度に起こりすぎて、よくわかんなくなってきた。しかも、僕じゃなくて、伊野田さんの方が適任なんじゃないんですか。」

そうだ、僕に務まるわけない。他人ともろくにコミニュケーションを取れないような人間が、一つの店を支える立場になることは非常にまずい。他の従業員に比べて劣っているところもあるし、僕は配達員だ。たまに弁当を作って出すこともあるけど、そんなの当たり前にみんなができるじゃないか。

「そりゃ、働いている歴や年齢だけで判断してしまうと伊野田さんの方が上ですが、そんなこと、関係ない事じゃないですか。私は橋本さんにやってもらいたいんです。言ったじゃないですか。私に後任がまわってきた時、年齢なんて気にしなくていいって、思うように、好きにやっていいんだって。今回の事、急な報告になって申し訳ありません。ですが、私はこの仕事以上に、大切なものに出会いました。幕引きは自分で、納得のいくようにしたいんです。」

峯田さんの、赤くなった目頭が、僕の心を突き刺してくる。何も言えない。涙に誘われたのではなく、彼女が言っていることは間違っていないのだから。確かに僕は、彼女に向けてその言葉を言っただろう。無責任に僕は峯田さんを追い詰めていた。誰かに縋り、それを愛と錯覚させるまでに。


「峯田さんは、僕の言葉を、僕の無責任な発言を、僕を恨まなかったの?」

僕の口から零れ出たのは、しょうもなく許しを乞う、好い加減な言葉だった。

峯田さんは眉に皺を寄せ、口を食いしばり、その大きな目で僕を見る。

「橋本さんは狡い。」

落胆した、と言うような表情で、峯田さんは俯く。

「幼かった私に、あんな優しい言葉を投げかけて、安心させて、面倒な事が自分に回ってこなかったのがよかったと、一人、安堵していたんですか?今の、その言葉にもっと、深い別の意味があるなら、今すぐ弁解してください。」


耳鳴りがうるさい。

シンとした休憩室には、うっすらと従業員が注文を繰り返している声と、小さい子供が愚図っている声が、交差して聞こえる。今、この空間は幸せに溢れていた。

僕は、同期の結婚と、妊娠を聞き、喜んだ。

その幸福感を峯田さんと共有していたはずだ。

すると、閉めていたドアからノックが聞こえた。

「ごめんなさい、まだお話中でしたか。」

僕は店長に感謝するしかない。

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