第27話 皇都の花祭


 ***


 縦長の青空を抜け、路地から通りへと走り出る。その瞬間、体中に喜びが駆け巡った。


「うわあっ……!」


 少女が夢見る皇都の花祭の華やかさは、ロタの想像を軽やかに飛び越えていった。国内各地から集められた咲き始めの春の花が道をうめつくすように売られ、並ぶ店々の窓はこの日のために準備された可憐な鉢植えで飾られる。そこここに食べ物を売る出店がいい匂いをさせ、どこにいたのか不思議なほどに人で溢れかえっている。道端では音楽家が見たこともない楽器を吹き鳴らし、柔らかな風に乗って花びらが目の前をふわりと飛んで行く。


 思いもよらない風景に驚き辺りをひたすらに見回しているロタの袖を、エイラがくいっと引っ張る。エイラを見ると、彼女は少し得意気に眉を上げた。そして、完璧な仕草で上質なクナッドの裾をつまみ、貴族にふさわしい上品な発音で言う。


「皇都の花祭に、ようこそ」


 いたずらっぽく片目を閉じたエイラは、なめらかな動作でロタの前に手を差し出した。華奢で美しい指先に目を奪われる。


「お嬢様、お手を」


 エイラがふざけているのだとはわかっているのに、どうしてか鼓動が早まる。恐る恐る自分の武骨な手を差し伸べ、優美な手のひらに重ねる。温かい。


「ロタの手は、大きくて羨ましい。……とにかく、この人出だとはぐれてしまいそうだし、しばらくこうして歩きましょう」


 エイラはそう言って、ロタの手を引いて人の流れに足を踏み出した。瞬間、懐かしさがどくりとこみ上げる。幼いころは、いつもこうだった。踏み出せず、その場にとどまるしかできないロタを、引っ張ってくれる。売られた先で絶望に沈みそうだったロタが逃げ出すことを決めたのも、エイラがいたからだ。会いたい一心で、辿り着いた。今、一歩前で彼女の焦茶の髪が弾んでいる。この瞬間の尊さに、ロタは空いている手でこっそりと目を拭った。


 人の波をすり抜けながら、並んで歩き、時に手を引かれ走った。エイラがこちらを振り向き、嬉しそうにある花屋を指さした。


「ロタ見て!あそこの花屋、一番綺麗だと思いません? 私、花束が欲しいの」


 見れば、多くの花売りの出店が並ぶ中、そこの花は確かに美しい。二人で側に駆け寄り、しゃがんで眺める。


「気に入りましたかな?」


 店主の老人が眩しそうに微笑む。


「ええ、とても。……ねえロタ、一緒に花束を作りましょう。好きな花を三種類ずつ選んで……」


「楽しそう!じゃあ、私は、」


 ロタが指差そうとすると、エイラはその手を握って首を振った。


「待って!まだ教えないで」


 目を合わせた途端、エイラの考えていることがわかった。エイラはこれも遊びにしたいのだ。くすくすと笑いがこみ上げる。


「じゃあ、せえの、で順番に指さしましょうか」


「そうしましょう!じゃあ、まずひとつめ……。せえの!」


 エイラは鮮やかな赤の小さな花、ロタは黄色の花房を指差した。もう一度、そして、もう一度指を差す。三度選び終えたときには、色とりどりの大きな花束が出来上がっていた。老人から渡されたその花束を、エイラは二つに分ける。そして一度自分の花束を置くと、二つに分けたうちの一つを、ロタに差し出した。


「うわ、くれるんですか? ありがとうございます」


 笑って受け取ろうとして、息を飲む。エイラの笑顔はすっと消え、ぞくりとするほど静かな瞳がこちらを見ていた。受け取った花束を抱えて、濃い色の瞳を見つめ返す。一呼吸ほどの沈黙を経てエイラは自分も花束を抱え直し、ふっと優しく笑った。そよ風が、溢れるほどの花とエイラの髪を揺らす。


「やっぱり、あなたには花が似合います」


 心臓がとくりと打ち、それが邪魔で声が出せない。けれど、ロタも同じことを思った。エイラには花が似合う。


 何も言えないうちに、エイラはくるりと踵を返してロタを手招いた。


「さあ、花祭はまだまだ続くからね。前話したお菓子を今日こそ食べさせてあげます。花祭の日にふさわしいお菓子です。きっと驚くわ」

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