第22話 春になったら

 ***


 下級騎士用の宿舎は、以前よりがらんとして見えた。命を落とした仲間のことを思い出し、じりじりと胸が痛む。連なるドアの一番端が、ロタに与えられた部屋の入り口だ。いないうちに錆びてしまったのだろうか、ドアの金具が大きく音を立てる。すると、隣から同じような軋みが聞こえた。目を向けると、ドアの隙間からフレックが顔を出していた。ロタを見て、驚いたように眉を上げる。


「よう、ロタ」


「フレック!あれ、訓練は?」


 フレックはバツが悪そうに頬をかいた。


「……かったりぃからサボりだ。お、嬢ちゃんもいるのか」


 ドアの影にいたエイラを見つけるなり、フレックは機嫌良さそうに手を振る。しかし、当のエイラは興味なさげに彼を見やり、再びロタに目を移した。おかしくなって思わず吹き出す。


「何笑ってるの? ロタ、さっさと中に入りましょう」


「そうですね」


「おい、無視すんなよ」


「じゃあ、またあとでね」


「おいってば!」


 騒ぐフレックを横目にドアの内側に足を踏み入れる。狭い部屋に陽光が差し込み、舞い上がった塵を輝かせた。


「うわ、埃っぽい」


 慌てて木窓を開けて風を入れる。途端に、薄暗かった部屋は優しい明るさに満ちた。風が抜け、冬のまま止まっていた部屋にも春の予感が流れ込む。ロタに続いて恐る恐る入ってきたエイラに、にこりと笑いかける。小さな食卓の椅子を引いて座らせ、自分はベッドに掛けた。


「ね、狭いでしょう」


 ロタの声が聞こえていないかのように、エイラは外を眺めていた。つられて目を向けると、ちょっとした木立とその上に広がる青空が見える。吹き込んだそよ風が髪を揺らし、頬がこそばゆい。


「……素敵だと思います」


 かすかな声で、エイラは呟いた。何故か胸がざわめく。もう一度見た彼女は先ほどと何も変わっていなかったが、端正な横顔にはうっすらと疲れが滲んでいる気がした。


「エイラさん?」


「何です?」


「いえ、別に」


「ああ、これね。ふふ」


 さっき感じた薄暗さは、気のせいだったのかもしれない。そう思えるほど嬉しそうに微笑み、エイラは持っていたかごを机の上に置くと、中身をくるんでいた布をふわりと広げた。ベッドから立ち上がり、身を乗り出す。


「うわあ!」


 布の下から現れたのは、かすかに焼き色のついた白くて丸い菓子だった。


「城下で一番人気の菓子店の焼き菓子です。ごめんなさい、前話した菓子は春まで待たないと食べられないの。でもこれも、とっても美味しいですよ」


「食べてみていいですか?」


「もちろん!あなたのために持ってきたのよ」


 そっと手を伸ばし、一つつまむ。羽のように軽いその焼き菓子は、口に入れるとすぐに崩れ、とろけた。口に広がる甘さに、自然と笑顔になる。


「雲を食べてるみたい……」


「ロタもそう思う? 私も雲みたいって思ったの。美味しいでしょう」


 目を輝かせてこちらを見て、エイラは自分も一つ口に放り込んだ。もぐもぐと口を動かし、頬に手を当てる。


「やっぱり美味しい」


 いつもなら高位騎士としての気品に満ちているエイラが見せる少女のような仕草に、胸がほんのりと暖かくなった。


「……エイラさんと城下を歩いてみたいなあ」


 焦げ茶の瞳がくるりとこちらを見る。声に出してしまっていたようだ。慌てて口を塞ぐ。


「あ、なんでもないです。すいません」


 自分の贅沢さに呆れる。身分の全く違うエイラがここにいるだけでも奇跡のようなことなのに、もっともっとと願ってしまう。


「……春になったら、あなたの怪我も治ってますよね」


困らせてしまったかと思ったのに、エイラは真剣に考えこんでいるようだった。もう一つ菓子を口に入れて、腕を組む。


「あ、はい。たぶん」


「じゃあ、行きましょう。どうせなら、花祭の時がいいわ。アスタル様に頼んでみます」


「いいんですか?」


「一度ちゃんと行ってみたかったの。花祭なら人が多すぎて、かえって目立たないし」


 そう言って微笑むエイラを見て、胸の一番奥からわくわくとした気持ちが溢れだしてきた。皇都の花祭は、ヴェトルの娘なら一度は憧れる華やかな祭りだ。それをエイラと一緒に回れるなんて。考えただけで心が踊る。


「……楽しみです!」


「だから、あなたは早く傷を治してくださいね。花祭まであとひと月ほどしかないんですから」


「すぐ治します!」


「ちょっと、ロタ、浮かれすぎよ。まだまだ先なのに」


唇を尖らせて、エイラは言った。


「ほら、私ばかり食べてて恥ずかしいわ。あなたも食べてください」


 そう言ってかごをずいと差し出し、そっぽを向く。そんなエイラの様子がおかしくて、くすくすと笑いがこみ上げる。声を聞いて、エイラはこちらを見た。そしてこの上なく温かな色を浮かべて、ロタに笑い返す。


 昼前の澄んだ光が、二人が向かい合う小さな食卓を照らしていた。

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