第6話 駒を数えて

 ***

 気だるい朝の光に、豪奢な調度品が煌めく。庶子とはいえ、皇帝その人の血を引くアスタルの待遇は宮殿の中でも最上に近い。ただ、並んでいる調度品には、舶来の奇妙な壺や、珍しい楽器も混じっている。変わり者の文化人。その噂をそのまま示すような品々だ。

「顔色が悪いな」

 書類に没頭していたはずの主人は、いつの間にかエイラを隙のない視線で眺めていた。

「お気遣いありがとうございます……昨夜、よく眠れず」

「気になることでもあったか?」

「護衛に支障はありません」

 話題を遮る。わざわざ自分から言うことではない。ぼろぼろの孤児だった自分を拾った育ての親に対しても情を抱くことも無く、ただ貴族の籍をいいように使って上を見てきた。その貪欲さを買われ、アスタルは自分を側に置いているのだ。昨日再び出会った友のことが気になってろくに眠れなかったなどと言おうものなら、失望されかねない。

 けれど、心は昨日の夕方から離れてくれない。突き放すようなことを言ってしまった。傷を負った彼女をいたわることすら出来なかった。逃げるように帰ってきてしまった。後悔が胸をひっかき、忘れようにも忘れられないのだ。このままではいつまでたっても以前のように上だけを見ることなどできないだろう。もう一度会って、きちんと別れを告げるべきだ。距離は近くても、立場は遠く離れているのだと言って。

 思考は、アスタルのため息で途切れた。

「そろそろ刻限か」

「……会議ですね」

「どうせ僕の発言など誰も聞かないのなら、わざわざ出席する意味もないが」

「ご出席なされば、アスタル様に心を寄せる者達の力となります」

 上着を差し出しながら言う。アスタルは大儀そうに立ち上がると、長い横髪を耳にかけ、シャツの襟を整えた。エイラの広げた上着に腕を通す。端正な面立ちに、上着の繊細な刺繍がよく映える。

「さあ、行こうか」

 アスタルは優雅に微笑んだ。


 ***

 回廊の柱が、薄雲にけぶる朝日で淡い影を描く。数十年前に宗主国の滅亡とともに独立を果たしたこの国は、かつての宗主国の光を反映した豪奢な建物が多い。国教の象徴である三叉剣が、繊細に彫り込まれている。

「次の聖戦は春を待たないだろうな」

「……前回が初秋ですから、そうなるでしょうね」

「剣闘大会で得た騎士が回復するのがその頃だ。父上達には騎士など数字でしかないのだろう」

 胸が冷えた。動揺を隠そうと、皮肉を口にする。

「当たり前でしょう。私を駒として扱うアスタル様の御父上ですから」

 アスタルはくすりと笑った。

「調子が戻ってきたようだな、エイラ。だが間違ってくれるな。盤上の駒はうまく扱い、むやみに減らさぬのが良い打ち手というものだ。父上と同じにしてもらっては困る」

 アスタルの苦言に答えるように、眉を少しだけ上げてみせる。

「申し訳ございません」

話すうちに、会議の間にたどり着いた。いつものように、アスタルの後について広い部屋に滑りこむ。彼の座る椅子を引き、他の護衛騎士たちと同じように、すぐ後ろに控える。

 会議は、やはり聖戦についてが大半を占めていた。アスタルの想像通り、剣闘大会で得た新たな騎士を投入するようだ。聖戦の度に繰り返される、兵力と経費の調整。戦いの先にある不安にも、とっくに慣れたつもりだった。しかし、その数にロタが含まれると思うだけで、これほどまでに恐ろしい。淡々と交わされる言葉が、怖くてたまらない。

 湧き上がり続けてやまない感情を、どうにかして押し込めようとする。自分には関係のないことだ。聖戦が失敗すればするほど、現皇帝への不満は膨らむ。アスタルが躍進する機が生まれるのだ。

 夕陽が部屋に差し込む。早々に今日の任を解かれ自室に戻ったエイラは、ベッドに掛けたまま、動けずにいた。会議が終わってしばらく経つのに、胸を掻きむしるような恐怖は消えてくれない。

「いっそ、さっさと死んでくれればいいのよ」

 呟いて、気付く。自分は何を言っている。自分はいつの間に、欲に溺れ、雑念を振り払うためだけに友の死すら歓迎するようなおぞましい人間になっていたのか。感情が、嵐のように体内で暴れる。

 腰に佩いていた剣を抜き、思い切り枕に斬りつけた。布が破れ、中からは真白い綿が内臓のようにはみ出す。

 剣を仕舞うことすら出来ぬまま、エイラはその場に座り込んだ。

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