第3話 過去と血と

 主人の視線に気付き、姿勢を正す。

「申し訳ありません、すこしぼうっとしていました」

「珍しいことは重なるものだ。君が集中を切らすなど」

 アスタルは、柔らかな笑みを浮かべながら、仕方ないな、と息をつく。

「何が君の心を惹きつけたかはわからないが、僕の護衛はしっかりしてもらわなければ困るよ、エイラ・ヘディン」

「申し訳ありません」

「さあ、観戦の続きだ。あの女騎士がどれだけ勝ち抜けるか、見ものだな」

 アスタルの言葉に、拳をそっと握りしめた。まだ戦いは続くのだ。先ほどの鮮やかな勝利が続くとは思えない。

 そこまで考えて、自分が嫌になった。たとえ彼女がロタであったからといって、一体何だというのだ。自分は上を目指すためだけに生きているのではなかったか。過去など不要だ。唇を引き結ぶ。

 北の競技場で次の試合が始まった。女騎士は相手の攻撃をやはり軽い身のこなしでかわしていたが、攻撃が弱い。何度打ち込んでも、相手はものともしていないようだった。次第に疲れが見え始める。しかし、相手が大きく剣を振り上げた隙をつき、彼女は足を踏み出した。鎧の隙間から血が滴り、相手はがくりと膝をつく。

 瞬間、ほっと息をつく。なんとか勝てたようだ。エイラを見て、くすりとアスタルが笑う。

「やはり今日の君は珍しい。こんなに表情が豊かだったとはね。……なかなかこの剣闘大会を楽しんでいると見た」

「野蛮な行事を楽しむ私もまた野蛮。……そうお思いですか」

「怒るな。同じ女騎士だ。肩入れして見てしまう気持ちはわかるよ」

 話す間に、次の試合が始まっていた。女騎士の素早さは明らかに鈍っている。

「下級騎士と『同じ』とは、あまりのおっしゃりようです。それに、あの女騎士……どこぞの騎士団に所属しているかだって怪しいではありませんか」

 この国の騎士は、位が厳しく定められている。貴族や皇族に仕える中級以上の騎士は一握りで、残りはすべて下級騎士だ。その中でもどこの騎士団にも属していない者は自称であることが多く、嘲りをもって「野良騎士」と呼ばれることもある。女騎士の攻撃を受け、相手はよろめく。今回の相手の力量は、大したことがないように見える。勝てるかもしれない。

「だがエイラ、この大会で何度か勝ち抜くとどんな野良であろうと皇都騎士団への入団が認められるそうだよ」

「体の良い兵力集めでしょう。先の聖戦で削がれた分を補う……勝ち抜いた者を集められれば、訓練の手間も省けます」

 競技場で、相手の男が倒れる。女騎士は肩で息をしていたが、勝ち抜けたようだ。

 心中胸を撫で下ろしたエイラの隣で、アスタルは整った眉を歪ませた。抑えた声で低く呟く。

「国民をすり減らしてまでの『聖戦』とはな……。愚かなことだ。父上の望みが早々に潰えることなどわかりきっているのに、止められなかった」

 何度も聞いたはずの嘆きなのに、変わらず引き込まれる。その訳はわかっていた。この人には、国の頂点に立つだけではない、その上が見えているのだ。その景色に、憧れた。

「今や国民全体が主戦論に傾いています。異教徒を打ち倒し、豊かさを取り戻せ、と」

「ふざけたことだ。戦うには他の使い道があるだろうに。……おや、あの女騎士まだ勝ち残っていたのか」

 四戦目、女騎士が対峙していたのはいかにも屈強そうな騎士だった。今も息の荒い彼女に勝てるはずがない。胸の奥がぎゅっと冷たく固まる。

「次は、まあ、無理だろうな」

 試合が始まる。女騎士は勇敢に剣を振るう。しかし、軽々と避けられ、すぐに重い一撃を食らった。彼女の足元にぼたぼたと血が滴る。それでも彼女は再び立ち上がり、攻撃を仕掛けた。だが、やはり剣は空を切り、代わりに彼女の肩から血が吹き出した。よろめいた彼女は、血の染み込んだ地面に倒れこむと、そのまま起き上がることができなくなった。居所のわからない焦りが体中を走り、思わず口を開いてしまった。

「アスタル様」

 声が震えないように、低く尋ねる。

「負けた騎士達は、」

「……気になるのかね?」

「いえ」

 浅慮だったか。鋭いアスタルを出し抜くつもりはない。ただ、自分の奥底深くに根付く感情までは見られたくないだけだ。

「何度か勝ち抜いた騎士は、皇都騎士団の下級騎士の位を与えられる……傷病者棟に収容されるんじゃないか。さすがに、使おうとしている騎士をあのまま放置はしないだろうよ」

「……そうですね」

 唇を噛んだ。引きずられるように場外へと連れられていく女騎士の姿に、胸がきりきりと痛む。こんな感情は、とうに捨てたはずだった。けれど、幼馴染が怪我を負ったのだ。それを案ずるくらい人の心が残っていたっていいはずだ。自分へ言い訳をするように、エイラは思った。

 北の競技場では、新たな試合が始まっていた。

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