第5話 エルドレッド・ターナーは俯瞰する
ニューヨーク、マンハッタンの一角には移民達が方を寄せあって暮らす区画がある。それらはそこに住む人々の国の名を冠し、ここも例に漏れずチャイナタウンと呼ばれていた。そんな中華アジア系移民が多く暮らすこの場所には多少不釣り合いな白人男性……アルフレッド・ウォルフォードは、チャイナタウンの一角にある雑居ビルの2階にある事務所の戸を叩いた。
すると、すぐに中から「どうぞ」と男の声が聞こえてくる。アルフレッドは慣れた様子で戸を開くと、事務所の中へと入っていった。
「そろそろ来る頃だと思っていたよ」
事務所はお世辞にも綺麗とは言えなかった。そこら中にファイルや紙の束が散乱し、オマケに酷くタバコ臭い。ゴミこそ散らかってはないものの、この様子ではどれがゴミでどれが必要なものなのか、訪れた者にとってはおよそ判断することは出来なかった。
そんな部屋の奥で待ち構えていた男は、アルフレッドの顔を見てニヤリと笑った。
「ターナーさん、貴方いつもそう言いますよね。少しは相手を選んで話したらどうですか?」
「おいおい、手厳しいな。僕は本当にそう思ってるから口にしてるんだぜ?ましてやお前に軽々しく嘘なんかつけるもんか」
そうおどけた様子で笑いながら言葉を返すが、エルドレッドと呼ばれた男の目は決して笑ってはいなかった。
エルドレッド・ターナーは、有り体に言えば情報屋という職業を営んでいる事になる。街のあらゆる情報は彼の元に集まり、そして依頼した誰かに伝わる事で拡散していく。しかし、なぜ彼がそれほどの人脈を持っているのか、どこでどうやって情報を手に入れているのか、その多くは謎に包まれている。エルドレッド自身のことでさえ、知るものは少ない。ある者は元ギャングだと言い、ある者は元軍人だという。生まれも、育ちも、経歴も、もしかしたら名前さえ……何もかもがデタラメで隠されたものであるのに関わらず、不思議とこの男は信頼されていた。
アルフレッドもまた彼を信頼するひとり……いや、信頼と言うよりは頼りにしているという所かもしれないが、捜査に行き詰まった時はエルドレッドのもとをよく訪れていた。
「それで?天下のBOI様が僕に何のようかな?」
エルドレッドのこの嫌みたらしい話し方に、アルフレッドは表情ひとつ変えること無く言葉を返した。アルフレッドにとって、こういった挑発はもう慣れたものだった。
「どうせもう知っているんでしょう?僕がアルバトロス捜査チームの補佐係に任命されたことも、その後起こった2つの事件について何の成果も挙げられなったことも」
「おやおや、それは初耳だ」
「わざとらしい……」
呆れて思わずため息が口をつく。エルドレッドのこの対応も、もう何度目か分からない。アルフレッドのこういった一面も、アーサーの前では決して明らかにならないものだろう。しかし、それ自体がエルドレッドに買われている部分であると言うことに、アルフレッドは気づいてさえいなかった。
「ハハ、まあいいや。それで?アルバトロスについてかい?」
「何度も言わせないで貰えますかね」
「悪い、悪かったよアルフレッド。そうかっかするな。実を言うと、僕も君の事を待っていたんだ。この件に関しては、正直な所僕の手に余る。悔しいが、情報規制が敷かれたんじゃ手出ししようがない」
降参のポーズを取りながら、なおもふざけた様子で話していたエルドレッドは、一瞬だけ鋭い目付きになると「そこでだ」と話を切り出した。
「情報交換をしたい。俺の持っている情報と、君の持っている情報。物々交換、金のやりとりは一切ナシだ」
どうだ?と言わんばかりの表情で視線をよこすエルドレッドに、アルフレッドはあからさまに胡散臭い態度の目の前の男に問いかけた。
「僕としては、金の方が後腐れがなくて良いんですがね……まあいいでしょう。では先にエルドレッド、貴方から話して下さい」
条件を飲んだアルフレッドに、エルドレッドは指をパチンと鳴らした。
「よし、そう来なくっちゃな。いいだろう、まずは僕から話してやる。まずは……」
※
半刻ほどで2人の情報交換は終わった。エルドレッドの表情からは相変わらず真意を読み取ることは出来ないが、アルフレッドの表情から察するに、彼にとってこの情報交換はさほど有意義なものでは無かったようだった。
「お気に召さなかったかな?」
わざとらしく尋ねられ、アルフレッドがムッとした表情で言い返す。
「何が情報交換ですか。結局根掘り葉掘り聞き出して、そっちたいした情報も無いくせに」
「まぁまぁ、君の情報をもとにまた情報収集を続けるさ。そうだ!次にあった時は必ず有益な情報を約束しよう!」
「どの口が言うんですか、どの口が」
実際のところ、エルドレッドにとってもこの結果は予想外だった。彼はアルフレッドの能力を高く買っている。その力さえあれば、捜査チーム発足から既に2ヶ月が経ち、3件起きた事件とその被害状況から何らかの答えにたどり着いている頃だと考えていたが、全くあてが外れたのだ。アルフレッドは何も知らない。不自然な程に。現場のBOI捜査官にですら隠蔽されている情報が存在する……その事実がエルドレッドには気に入らなかった。
そして、そうであるならアルフレッドがここに来た理由も理解出来なかった。彼は自分の推測を確信に変えるために、通常の捜査では及ばない範囲の情報を保管するために、いつもエルドレッドのもとを訪れる。だこらこそ、何も分かっていない今の状況でここに来る理由が分からなかった。
「なぁ、アルフレッド。君はどうしてここに来たんだ?」
通常の客であれば、この程度の心理戦は手に取る様に相手の考えていることが分かるエルドレッドでも、アルフレッドとなると相手が悪かった。だから、彼は率直に疑問を口にした。
「どうしてって、情報屋に来る理由が情報を求める以外にありますか?」
「いいや、違うね。君はいつも捜査の最終段階で、答え合わせでもする気軽さでここに来る。が、今回は違う。ヒントを求めに来た訳でもないだろう?何を考えてる」
普段は感情を隠すエルドレッドも、今回ばかりはきつくアルフレッドを睨みつけた。
その目を見て……それとも、元々そうするつもりだったのか。分からないが、アルフレッドは諦めたように溜息をついた。
「いやね、今回は僕にとっても少し相手が悪くてですね。少しばかり貴方に手伝って頂けないかと思って、本当はその相談をするつもりだったんですよ」
その意外な答えにも、エルドレッドは表情を変えることは無かった。気が付くと、彼の目はいつものように心理状態を探られないような目に戻り、そしてなんの感情も込めずにアルフレッドに答えた。
「アルフレッド、それは悪い冗談だ。俺が捜査協力だって?バカ言うんじゃないぜ。俺はな、どこまで行っても傍観者だ。どこにもつかないからこそ君達でさえ掴めない情報を手に入れることが出来る」
エルドレッドは立ち上がると、今度は少しだけ言葉に力を込めて話した。
「俺は世界を俯瞰する。その為の力を持っている。その俺がわざわざ下に降りて世界を見上げたところで、それは存分に生かせない。君が裏方での仕事を得意とし、現場の最前線で捜査を行わないのと同じだ。俺の情報収集力を神業か何かと勘違いしているなら、その考えは捨てた方がいいぜ」
アルフレッドは黙って話を聞いていた。その上、エルドレッドの話を聞いて何か考えていた様だが、やがて諦めたように小さく笑うと席を立った。
「確かに、そう言われると納得せざるを得ないですね。分かりました。今後また頼りにすることもあるかと思いますが、その時にまたよろしくお願いします」
そう言うと、アルフレッドはくるりと出口の方へ歩き出し、部屋を出る直前に「期待していますよ」とだけ言うと部屋を出ていった。エルドレッドはそれ以上言葉をかけることはなく、アルフレッドが出ていき扉が閉まるのをその目で見ると、脱力して椅子に腰を落とした。
「……全く、頼むぜホントに」
エルドレッドの表情は、諦めの様に見えた。
「もう遅いんだよ。お前がそう俺に告げた時点で、俺ほもう傍観者でいられなくなっちまった。分かってやってるだろアイツ……」
乾いた笑いが、事務所に響く。エルドレッドはその性格と話し方から、いい加減な人物だと思われがちだが、それは偏見に過ぎなかった。彼をよく知る人物であればあるほど、彼を動かす為の術を知っている。アルフレッドの先程の話は、特に最後に放った言葉は、彼を動かす上でほぼ最善と呼べる台詞だった。
「まぁいい。どうあれ俺は傍観者で居続けるぜ。羽をもがれても、蝋で繋ぎ合わせてまた飛ぶ。陽の光で溶かされても、今度はエンジェルラダーを登ってやるさ」
そう決意した言葉は、彼自身に……そして、扉の前で聞いていた人物へ向けられた言葉だった。扉の前にいた人物はそれに満足したのか、階段を降りていく音が外から聞こえた。
「……ま、もう事件の渦中に巻き込まれちまったのだけは、諦めるしかないみたいだけどな」
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