第4話 ライオネル・トランスフィールドは苦悩する

 ニューヨーク五番街、通称フィフス・アヴェニューと呼ばれるこの通りはニューヨークで最も高価な様々なものを売る店が立ち並び、同時にニューヨークで名を馳せる富豪たちが揃って豪邸を構える場所だ。

 昼は観光客と買い物客が絶えず、しかし一度日が落ちればこの通りでさえジャズ・エイジの深い闇の帳が降りる。高級売春宿の客引きが通りを右往左往し、会員制のスピーキージーに富豪たちがこっそりと入っていく……つまるところ、金持ちだろうとこの時代の人間だったというだけの話だが。

 そんなフィフス・アヴェニューの一角には、この通りでも一際大きな豪邸が建っていた。家主の名はライオネル・トランスフィールド、62歳。元アメリカ軍少尉で、第一次世界大戦時には軍隊を率い前線に出て活躍した。退役した後は貿易業で財を築き、対戦の英雄や富豪としてニューヨークでも名の知れた男は、書斎で頭を抱えていた。

 彼の心を現すかのように、書斎の机の上に一つだけ置かれた燭台の心許ない灯りが部屋を照らし、その明滅の隙間から焦燥に駆られるライオネルの顔が覗いていた。

 昼間、旧知の友でありかつての部下だったマーティン・マクスウェルがライオネルの元を尋ねてきた。マーティンは久しぶりの再会の挨拶もままならぬまま、ライオネルに1つ、彼の周りで起こった事件を語って聞かせた。ライオネルもまた、その件に関しては新聞やラジオでよく耳にしていたが……それは、ライオネルが何よりも恐れていた事態の開始を意味していた。

 机の引き出しを開き、中に入っていたものを全て取り出す。そうしてあらわになった底板の隙間に万年筆の先を引っ掛けると、二重底になっている引き出しの下から5インチ四方程の大きさの箱が姿を現した。ライオネルはそれを震える手で取り出すと、蓋を開けた。そこに入っていたのは、掌ほどの大きのある見事なまでに磨かれたブラック・サファイアだった。蝋燭のゆらめきを反射し、紺碧の輝きを放つその宝石を見ると、ライオネルの心は幾ばくか落ち着きを取り戻し……と同時に、ライオネルは宝石を砕き捨てたい怒りとも虚しさとも取れる衝動を抱いた。

「こんな……こんなものさえなければ……!」

 思わず口をついてでる言葉は、後悔と怒りに満ち。ライオネルは振りかぶって宝石を壁に叩きつけようとしたが……思い直し、再び机の中へとしまった。

 だが、現実は彼を放っておいてはくれない。宝石についての件は十二分に彼を苦悩させていたが、それと同等かそれ以上に彼を悩ませる問題があった。

 ライオネルの現在の職業であるところの貿易業。そのとある貿易品は、彼を奈落の底に追いやる寸前だった。机の端に置いてあった取引先から来た封書を手に取ると、ライオネルは半ばヤケになってその封を開いた。

 そこに書かれていた内容を見て、ライオネルは驚きに目を丸くした。手が震え、汗が滝のように溢れ出る。だが、それは決して彼に対しての死刑宣告ではなく……むしろ、彼を地獄から救い上げる蜘蛛の糸の様な内容だった。だが、そうだとしても不気味な内容の手紙だった。なぜヤツらが知っているのか……ライオネルの脳内を同じ疑問が反芻する。

 しかし、救いの手であることに違いはなかった。ペンを手に取ると、ライオネルは取引相手にいくつかの条件を付記して返事を書いた。彼は既に正常な思考を保てていなかった。それは今回の件よりももっと前……正気を失うような、そういった出来事に直面していたことも僅かに関係していたが、それ以上に彼は、既に大戦の英雄としての面影など無く、金に目が眩んだ只の老人に成り果てていたことの方が大きかった。

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