『続いては、今日の青空クッキング!! 今回の食材春キャベツを作って今日は何を作りますか?』

 『今日はですね、甘くて柔らかい今だけの味覚、春キャベツを使ってさっぱりロールキャベツを作りたいと思います』

 画面に表示されたテロップに合わせて淘太が登場すると、いつものテーマソングが流れ始める。

 淘太は液晶越しの視聴者に向け、にこやかな笑みを交えつつ、春キャベツがいかにおいしいか、いかに健康にいいのかなどを説明しながら、海辺に作られた仮設キッチンで手際良く調理を続ける。

 『キャベツはしっかりと沸騰したお湯に、一つまみの塩を加えてからさっと湯通し、この時はあまり加熱しすぎないことが今日のポイント』

 その淘太のセリフに合わせ、今流行りの芸人があれこれ会話をし、陽気な音楽がそれに拍車をかける定番の番組スタイル。

 そんな淘太の仕事光景を眺める一人の女ニート。 

 凛である。

 「今度これを作らせるか」

 彼女は口から紫煙を吐き出しながら、だらしない姿勢でソファーに身を預けたまま呟く。

 テレビに映し出される見なれた淘太の姿、何時もとは違うはきはきした口調で話す姿はなぜか現実味が無く別人を眺めているような気分だった。

 「でも作ってくれるかなぁ、でもロールキャベツかぁ、おいしそうだよなぁ」

 食いたければ自分で作ればいいだけの話ではあるが、もちろん彼女の頭にそんな選択肢は無く。

 かといってわざわざ外食するのも面倒だ。

 持っているスキルのほとんどを堕落に極振りした彼女のステータスでは、繰り出せる技は他力本願が精いっぱいなのである。

 「あれ!! 淘太がテレビ出てる!!」

 ふとその背中を中性的なこれが叩く。

 声の主は、年齢不詳性別不詳な人物。

 ニューである。

 「んあ? ああ、淘太は一応芸能人だからねぇ、こういう番組で愛想振りまくのがあいつの仕事」

 「ほうほう」

 そう言いながらニューも凛の隣に腰かけると、テレビに食いつく。

 「凛の彼氏、本当だったんだ」

 二つ折りにされた問いに凛は喉に煙を詰まらせ激しく咳込む。

 どうやら淘太が芸能人であるということを聞きたかったのだろうが、それ以上に聞捨てならない単語が耳に引っかかった。

 「はぁ? なんで私があいつと……」

 「だって同棲してるんでしょ? ってことは熱い愛に結ばれた……」

 「違う!! 断じて違う!!」

 振り子の様に頭を振りながら否定をする凛、実際淘太とはそういう関係にはなく、あくまでもシェアハウスをするうえでの同居人でしかない。

 「えーでもさぁ、それって変でしょ? なんで一緒に住んでるの? 同棲してるんじゃないの?」

 「同棲じゃなくてシェアハウス、複数人で一つの家を借りる節約術!! 第一、今はいないけど、もう一人男住んでるから」

 納得いかないように目を瞬かせるニューに対してさらに言葉を続ける凛。

 「まぁ確かに、こういうのって色々おかしな構図ではあるけど、そもそもあいつはそういう肝っ玉は無いから大丈夫、どこからどう見ても良く躾された犬」

 「犬?」

 「そう犬、噛みつきも無駄吠えもしないんだよね、淘太は、それなりに顔だって整ってるし、マメで行動的な性格なんだから少し頑張れば簡単に女の一人や二人捕まえられそうなんだけど、なーんかそういう事やりたがらないんだよね、だからこそ私も安心してシェアハウス出来てる訳だけど」

 「ふーん」

 ニューには言葉の意味が分らなかったようだが、凛にとってはこのことは都合がいい、尻尾振ることは得意なくせに噛みつく方法すら知らない同居人でなければ、若い異性とひとつ屋根の下で暮らすなんて普通は考えられない事ではある。

 しかし、その同居人の姿は不自然に見えるときもあった。

 尻尾は振っているがどこかぎこちなく、噛みつく以前にじゃれつき喧嘩をする相手すらいないような。

 飼い主に捨てられた飼い犬が見せる様な、酷く荒んだ目の輝き、そんな物を時々感じる時があった。

 テレビの中の淘太の姿が演技なのはとっくの昔に知ってはいるが、自分の知る彼も、演技の様な気がしていた。

 彼が今までどのような生活を送ってきたのか、それは謎でだが別に土足で踏み入る気も無い、それが彼女の本心だった。

 そんな凛はふと不自然なほど整ったその顔立ちを横目に見て一言呟く。

 「っていうかニューはさ、男? 女?」

 「うん?」

 そんな問いをするのも当然だ。

 しいて言えば幼い少年のような顔立ちをしてはいるが、不自然なほどに性別を主張するパーツはニューには備わっていない。

 人間という最低限の情報だけを備えたような、それ以外の情報はことごとく欠けた姿で声もとにかく中性、口調は人懐っこく、夢見がちな子供を思わせはするが、だからと言って性別は不明で、おまけに一人称はひどく多様性に富んだ『自分』ときたもんだ。

 「いや、だから性別、都市伝説にも性別くらいあるでしょ」

 そういう問いに、今度は子供じみた笑みを浮かべ『無いよ』とだけニューは言い切る。

 「え? いやだから」

 「自分は、どんな人間にも変身できる都市伝説、性別も年齢もなんでも好きに選べる、だから普段の自分にはそういう情報は一切ないの、適当に普段はこの姿でいるけれど、だからこそこれも本当の姿じゃないよ、そもそも本当の姿なんてシェイプシフターって都市伝説には存在しないから」

 「いや、でも普通……」

 「都市伝説ってさ、自分が調べた分だとあくまでも人の概念が凝り固まったものだから、初めから設定されていない情報は外見とかには反映されないの、シェイプシフターって都市伝説も、あくまでも『姿を変えられる』って事くらいしか情報が無いから……自分は便宜的にこんな姿」

 矢継ぎ早に言うニューは言い終えると、また子供のような笑みを浮かべる。

 初めから決まっていないから、自分のあり方が分らない。

 自身の本当の姿が分らないから、別の何かに化けて、関心を引く。

 そう思うと、凛はひどく複雑な気持ちになった。

 やる事が分らない、自分の立ち位置が分らないから適当に過ごす、便宜的に最低限の立ち回りをして過ごす。

 それは今までの自分と少しだけ似ていて、今の自分とは瓜二つな様に思えた。

 そう思った時、ニューがお返しに疑問符を投げ返した。

 「ところで凛は、男? 女?」

 そのどうでもいい問いに対し、凛は今まで頭で動かしていた考えを捨てると、大声で女だと主張するのだった。






 何にしてもだが、色々なバージョンで末永く販売を続けている商品は、その値段の安さや奥深さからコレクションとなりやすく、時にはプレミアなどがつく場合がある。

 その種類は郵便切手、トレーディングカード、フィギュア類、場合によっては馬券などと多種多様だ。

 そして淘太が今持っている小さな金属で作られた道具もこれらの部類に分けられる。

 中に仕込まれた綿と紐にオイルをしみこませ、蓋を開けた先に延びている紐に火打ち石で起こした火花を当てて着火する道具、オイルライターやジッポライターなどと言われているその道具のコレクターは愛煙家を中心に数が多く。

 オイルライター特有の、火をつけた時に香るわずかな特有の匂いが愛煙家にとってはたまらないのだという。

 もちろん今となっては立派な愛煙家の一人となった淘太も例外ではなく。

 何時も同じオイルライターを使い、特有の煙の味を楽しんでいる。

 「さっきからかちゃかちゃと、何やっとんや?」

 「ん? ライターの手入れ」

 机に向かう淘太の背中に言葉を投げかけつつ、人面犬である犬夫は自身の腰をその寸胴な体で器用にさする。

 「こういうライターってさ、先の糸が燃え尽きちゃったり、オイルが切れたりってあるからときどきこうやって手入れをしないとね」

 淘太が言った通り、オイルライターは、オイルをしみこませた糸を燃やすため、普通のガスライターと違い色々なメンテナンスが必要である。

 簡単な所で言えばオイルの追加やすり減った火打ち石の交換、そしてオイル特有ともいえる蓋の裏側にたまった煤の除去。

 そして今淘太がやっている、芯になる紐の交換。

 淘太の手の中では真新しい糸を挿したライター、そして机には煤まみれになった古い芯。

 一緒に入っていた綿を新しく詰めなおすと、最後にオイルを追加して、元のカバーにそれらを差し込む。

 「……出来た」

 「おめでとさん」

 「ありがと」

 小さく呟くと、試しとばかりに口に煙草をくわえて火をつけてみる。

 手入れが済んだばかりのライターは一発で火が点き、淘太の咥えたものの先端を赤く染めていく。

 「これで調子良くなった」

 肺いっぱいにためた煙をゆっくりと吐き出すと、手の中のライターをじっと眺める。

 デフォルメされた一枚の羽がデザインされたライター。

 よく見れば、ライター全体に細かい傷が刻まれており、これがかなりの歳月使い込まれてきたものだと分る。

 「にしてもそげなめんどくさいの使わんでも、もっと楽に火をつける道具あるやろ」

 「まぁね、こいつはやたらと手間がかかる、手入れするのが嫌なら使い捨てのガスライターがあるし、風の強い日でも使いたければターボライターって便利な奴もある」

 淘太は、ステンレス製のキャンパスに描かれた羽を指先で軽くなでながら言葉を続ける。

 「もちろんこの手のライター使ってる人はみんなそれぞれ理由があるみたいだけどね、デザインや使い込む楽しみ、匂いや蓋を閉じる音が好き、そう言うのがこれの人気の理由らしいけど」

 そう言いきるとまた煙草を咥え、ゆっくりと吸い込む。

 「なら、お前さんもそう言うのが好きなんか? おまえさんなら、そげなかわいい柄や無くて、もっと別の使いそうやしな……もらいもんか?」

 「もらったというより、勝手に取ったってのが正解かな……」

 昔を懐かしむような表情を浮かべると、ゆっくりと煙を吐きだして言葉を繋ぐ。

 「まんま泥棒やないけ」

 唐草模様の手ぬぐいを顔に被って雑貨店から抜け出す、そんな淘太の姿を思い浮かべ、犬夫は小さく悪態を吐いた。

 「泥棒じゃないよ……ただ単に元の持ち主にこの事が伝えられてないだけ」

 半分笑いながら呟く淘太だったが。

 この華奢な背中が一瞬深い悲愴に染まった様に犬夫には見えた。

 ごくごく一瞬、泡がはじけるほどの短い時間だったが、深い悲しみと後悔の念で出来た煤が、彼の持つライターの芯の様に背中を染めた。

 普段は呑気で明るい性格だからこそ素の感情が見えない友人、その背中に意味を問いかける事は、まだこのときの犬夫は出来ずにいた。

 「なんやそれ、そう言うのは窃盗罪っていってなぁ……」

 会話の流れを当たり障りのない方向に向けた犬夫は、ふと机の隅に置かれていたものに目がとまる。

 「なぁにいちゃん、あれ、ついとったか?」

 犬夫が決して高く無い鼻で示した先には、一台のノートパソコンが置かれていた。

 シンプルなデザインのそれは、ごくごく一般的な物で、これといった特徴も無く机の隅で電源を切られていたはずだが、今は液晶に光を灯していた。

 「あれ? 消し忘れ……いやそれならもっと前に気がつくはず」

 そう言うと、何が起きたのかを確かめるためにそれを手元に手繰り寄せた時、再び変化が起きた。

 「あれ? まさか故障……?」

 パソコンの画面には突然大量の文字列が表示され、目にもとまらない速度でスクロールを始める。

 「ちょっとちょっと、何これ……!?」

 淘太が指先でキーボードを叩いてみるが、画面の動きは止まることは無く。

 変化が起きたこの現象が起きてから数秒後、画面が一瞬にして真っ赤に染まった時だった。






 「ん?」

 前振りも無く、突然2階からわずかな悲鳴と何かの倒れる音が聞こえた事に気付いた凛は、ふと天井を見る。

 「何の音?」

 「さぁ? でも今、明らかに悲鳴みたいなのも聞こえたよね」

 「これは事件の予感です!」

 そう言い、メガネをかけなおす仕草をするニューに腕を引かれながら凛は2階へと続く階段を上っていく。

 「いや、別に事件なんて……」

 半分あきれながらも、凛は扉の前に立つと、中の淘太へ向けて扉をノックする。

 木製の扉は凛の手に叩かれ、その振動を空気越しに中へと飛ばす。

 なんてことのない行為、単に相手に対して合図をするためのごくごく簡単な信号でしかなく、返事は『はーい』だの『ちょっとまって』だのと至って気の抜けたものだと思っていた。

 しかし帰ってきたのは、『見るな!!』という大声だった。

 淘太が大声を上げること自体珍しいのだが、特に気になったのはその声がわずかに恐怖に震え、鬼気迫るものだった事だ。

 「ちょ……淘太?」

 自分が何かしでかしたのかと一瞬脳裏を過るが心当たりは微塵もなく。

 そもそも、『来るな』ではなく『見るな』と言ったことに疑問が膨れる。

 「中を見たらだめだ!!」

 続けざまに扉越しに響くその言葉がさらに追い打ちを掛けてくる。

 「ねぇ、どういうこと?」

 何を見たらいけないのか?

 彼の部屋に何かがある、そしてそれは見ることすら許されず、その事の重要度は淘太の声を震えさせる程の物。

 意味が分らず眉根を寄せていると、それまでのやり取りを見ていたニューが突然。

 「男が一人部屋でこっそり鑑賞する物、それは、It`s the エロ本!!」

 そう大声を出しながら勢い良く扉を開ける。

 もちろん健全な男とは言え、淘太が犬夫も居る部屋で昼間っからエロ本脳満載な本を読み漁っている訳も無いのだが、一体何を隠していたのかが気になっていた凛は、部屋の中を覗く。

 その眼に一瞬いつもと変りの無い淘太の部屋が見えた瞬間、目線を隠され、そのまま床に倒させられる。

 「見たら死ぬかもしれないんだ!」

 淘太は凛に覆い被さるかの様にして凛の視線を隠すと、焦りの混ざった声で説教をする。

 「はぁ? 死ぬって……」

 突然の発言に対して思わず声が出た凛だったが、淘太の表情に冗談や悪ふざけの色は一切なく、何か確信があっての発言であることはすぐに分かった。

 「『赤い部屋』だよ」

 「赤い部屋?」

 「あーもう……なんでこんな都市伝説も知らないんだよ……赤い部屋っていうのは、ネット文化が普及するにつれて広まった都市伝説だよ」

 淘太は額に浮いた汗の玉を軽く手の甲で拭くと、その続きを話し始めた。

 「『赤い部屋』って都市伝説は、ネット社会の都市伝説、ある日ネットサーフィンをしていると、真っ赤な画面のページに行きつくんだ、そしてそのサイトを見ていると画面に沢山の人の名前が表示される――」

 「名前? 誰の?」

 「今まで自殺した人の名前だよ、そしてその名前列の最後にそれを見ていた自身の名前が表示されるんだ」

 「自分の名前? まだ生きているのに?」

 凛は素直な疑問の投げかけに、淘太はあきれたように息を吸い込むと、再び続きを話し始める。

 「つまりはその画面を見た人間も自殺する……赤い部屋って名前の由来は、その都市伝説に登場する真っ赤なページをさしてはいるけど、他にも、そのページを見た人がみな自身の血で部屋を真っ赤にすることから来ているんだ」

 彼が言い切った言葉に息を詰まらせ、全身の血の気が引くのを感じながら凛は唾を飲み込んだ。

 淘太自身あまり冗談をつくタイプではなく、ましてやこのような大それたドッキリをする人間ではない、そして何より何故か淘太自身がこういった都市伝説の類に敏感で、豊富な知識を蓄えている事からこれらの事が事実であるのは火を見るより明らかなのだ。

 「どうしよう……」

 「判らないよ……都市伝説ではそうなっているから、あの都市伝説に対策とかそういうのはないんだ、口裂け女とかみたいな具体的な対策があるなら別だけど、こればかりは詳しい情報がないんだ、でも画面に表示される名前を見なければ……なんとかなるかも知れない」

 つまり淘太が見るなといった理由はこういう事である、そして液晶が赤く染まった瞬間、淘太が目を逸らしたのはとっさの判断であったと言える。

 しかし、画面を見なければなんとかなるという保証はなく、もしかしたら赤く染まった液晶を見た時点でもう都市伝説に巻き込まれているのだとしたら、これから先に迎えている結末は決まりきったことでもあるのだ。

 「……」

 淘太が必死に自分を庇ってくれたとは言え、自身も都市伝説に巻き込まれてしまった可能性。

 そして淘太がすでにこの都市伝説に片足突っ込んでいる事は事実で、彼女にとってそれが一番不安なことである。

 そんな不確かな形状の不安と後悔が渦を巻く室内、お互いに息を飲み、激しく鼓動を刻む心臓の鼓動を感じながら凍りつく二人をよそに、それまで無言だった犬夫とニューが声を上げる。

 「あー、赤い部屋だ、ひっさしぶりー!!」

 「何かと思うたら、お前さんか……」

 ニューは凛の横を通り抜けると、机に置かれたパソコンのもとへと歩みより、右手を挙げて自身のアピールをする。

 「あ!! ニュー!!」

 淘太が画面を眺めないようにニューの方向を見るが、ニューは気にした様子も無く、『赤い部屋』であると思われる画面に話しかける。

 「なになにー、しばらく見かけないと思ってたけど、ここにいたの?」

 「ニュー!!」

 淘太はあわててニューの目線を隠すため、後ろからニューの目元を抑えるが、不意にニューに頭を両手でつかまれると、パソコンの画面、つまりは赤い部屋の方向に顔を向けられる。

 「……っ!」

 「赤い部屋は悪させんで」

 息を詰まらせた淘太の背中に犬夫があきれたように言葉を投げかける。

 その事を証明するかのように、画面に広がっていたのは、赤い背景に浮かぶ、アスキーアートと呼ばれる顔文字の群れと、おどろおどろしさに欠けるメイリオ体の文字列だった。

 『はじめまして、赤い部屋です(´・ω・`)』

 あまりにも気の抜けた自己紹介、出回っている都市伝説とは思えないほど、気の抜けた画面に淘太は妙な声を漏らしてしまう。

 『あなたが淘太さんですね、安心するでござるよ(`・ω・)  私は人面犬が言ってる通り、世間で言われている赤い部屋のように悪さはしないただの変態紳士でござるデュフフww』

 もういろいろとわけがわからない文字列、どこかの大型掲示板のように大量の文字列が表示されていくのを見つめ、軽い頭痛を感じながら淘太は口を開いた。

 「どうなってるんだ? だれかハッキングでもしてるのか?」

 しかしそれに反応して画面に表示されたのは次の通りである。

 『都市伝説だよ( ^ω^) ハッキングじゃないよ、自分はネットの中にすむ都市伝説、ご存じの赤い部屋です』

 「全然危機感感じないよ、赤い部屋って言ったら一時期ネット中毒の連中を恐怖のどん底に突き落としたことで有名な奴だろ」

 『確かにそうですねぇ、でも自分たち都市伝説は人の妄想の塊(笑)……つまり誰かが自分たちの存在を認識してくれないシュレティンガーのぬこ状態、冗談交じりにそんな事やってもメリットないし、自分たちは人間が大好きだからね (※ただしイケメンに限る)』

 「にいちゃん、都市伝説ってのになんか勘違いしとるようやけど、ワイらは悪させんで」

 犬夫が背後から声をかけ、凛も安心したのか画面に近寄る。

 『自分たち都市伝説は確かに人の創造で作られている、だからこそ自分たちのやることまで世に広まってる都市伝説だと思ってたらwwwwwwwwwww

 自分たちは確かにその大まかな特徴は一般的なそれらと同じだけど、自分たちにとっても自我ってのはあるからね』

 「つまり?」

 「ワイらは自分らなりちゃんと考えて、自分等なりには悪させんちゅう事や、もしかしてニューを捕まえるとき、道教えてくれたんのもお前さんか?」

 凛の問いかけに床に寝そべったままの犬夫が答え、さらに赤い部屋に対しても疑問を投げかける。

 『(ノ゚Д゚)ノ 正解! 困ってるみたいだったからちょちょっとね』

 これで合点がいった、ニューと初めて会ったときに起きたあの不可解な現象、次に進む道を教えるかのように街頭の明かりがついたのは赤い部屋のやった事らしい。

 「兎に角、赤い部屋、君が悪さする都市伝説じゃないのは分かった、でも、っていうかだからこそあんな登場はないでしょ、普通に驚くよ」

 『いや、雰囲気出さなきゃねwwww』

 声は出すことができないのか、赤い部屋は明るいノリで画面に文字列を表示させると、自身が笑っている事を表すためか、画面に『(笑)』の意味を持つ『W』の文字を一気に表示させていく。

 「にしても、その赤い部屋は一体なぜここに?」

 淘太はふと脳裏に浮かんだ疑問を投げかける。

 『そうそう、それだよ、忘れてた、実はお願い事があってね(#・ω・)』

 「いや、めんどくさそうだから断る……」

 そう即答したが、続けざまに表示された文字列が食いつく。

 『そう言わないで、話だけでも聞いてよ、自分たち都市伝説をちゃんと認識してくれて、関心を示してくれる相手は貴方たちだけなんだから』

 その文字を読んで淘太は黙り込む。

 『関心を示してくれる相手』、ニューの時もそうだったが、都市伝説は皆自分らにかまってほしくて動いている。

 自身を認識できても、現実じゃありえないような存在、だからこそ無視をされて、存在しないものとして認識されてきた、そんな存在にとってちゃんと存在を認め、自分らの声を聞いてくれる人間は限られている、そう思った時、淘太の脳裏を一人の人物がよぎった……

 『(*´・ω・) お願い』

 「わかったよ……」

 淘太はまためんどくさい事に巻き込まれた、そう思いつつ投げやりな返事をした、すると画面にはどこかのサイトの画面が表示される。

 それはある種の声かけ事案の内容だった。

 彼らが住まう緑川町、その中にある一つの道に入った女子児童が、妙な人物に脅迫された。

 もちろん危機感を感じたその児童はその場から走り去り事なきを得たが、その場所ではこれまでにも似た事案が起きているという物だった。

 言っては悪いが、今どきといえばよくある事件。

 子供が遊び心に富んだキーホルダーではなく、ポップではあるけど無骨な用途の防犯ブザーをランドセルからぶら下げている事を考えれば、声かけ事案はありきたりな事件だ。

 だけど、ふとその中に書かれたいたいくつかの特徴が気にかかった……

 一つ目が、事件の起きた場所が三ヶ池公園前という3という数字にちなんだ地名。

 そして犯人が赤いコートを着て、マスクで顔を隠した女性であった事。

 最後が……

 「その女性は、『わたし綺麗?』と声をかけた?」

 事という事実。

 これらの特徴、それらをつなぎ合わせると一つの話が組みあがる。

 そしてそれが赤い部屋が助けを求めた理由であると気がついた。

 「それって……」

 凛がぼそりとつぶやいたのに合わせ、淘太がふと言葉を繋ぐ。

 「口裂け女!!」






 何かしらの出来事に関係したい場合、その出来事に自分も入りこむ必要がある。

 ただ、その出来事との直接的なコンタクトが無い場合その出来事に入り込むことは格段に難易度が上がる、何故なら、その出来事の居場所が分らないからだ。

 接点が無いから絶えず動き回るその相手の現在位置も分らない、そのため手探りに探すしかなくなるが、ある事に気をつければ、その出来事に交わるチャンスを大幅に膨らませる事が出来る。

 その方法こそが『真似』である。

 相手の現在位置が分らなくともその相手の行動範囲、行動パターンに合わした場所で行動をすればいずれその相手とも目を合わすチャンスが生まれる。

 座標のX軸とY軸を少しずつ合わせていく様に、出来事に巻き込まれやすい相手の特徴、そしてその居場所、時間帯などを座標計算のように合わせて行き、出来事に巻き込まれやすい環境に自身を持っていくのだ。

 そして今彼らが巻き込まれようとしている相手は、今巷をにぎわせている都市伝説、口裂け女の騒動である。

 そこで淘太は今回の口裂け女の特徴を調べているといくつかの特徴に目が留まった。

 大抵は今まで通りの口裂け女の都市伝説に挙げられている特徴、三という数字に関わる場所に現れる事以外目新しい情報は無かったのだが、一つ気になる事があった。

 「被害に遭ってるのはみんな女子小学生だ……」

 「なんで子供?」

 隣にいた凛が声をかけるが、それに対する答えが見当たらず、曖昧な憶測を並べる淘太。

 「口裂け女ってのは確か、小学生を中心に広まった都市伝説だよね……たしか、それで小学生の前に現れるってのは分るんだけど……都市伝説って全般的に子供には見えやすいとかそういうこととか……」

 すると彼らが眺めていたパソコンの液晶画面に文字が表示され始める。

 面白みの欠けたメイリオ体の文字列は、まるで掲示板の書き込みのようにだらだらと続き、その要所要所には絵文字も含まれていた。

 この文字を書き込んでいる人物もまた、都市伝説らしく己の名前を『赤い部屋』だと名乗っている。

 『まぁ自分らは人に認識されないと存在出来ないシュレティンガーの猫のようなものだから、色々な固定概念の薄いはぁはぁ……子供には……はぁはぁ……認識されやすい傾向はあるけれど。

 子供の数は大人よりも少ないし、見える比率ってのもほんの少し多い程度(当社比)だからそのことが影響してるとは考えにくいでござるよ……今回被害受けてるのが子供……はぁはぁ、小学生だったとしても……はぁはぁ』

 液晶に書きこまれた文字に若干の生理的嫌悪感を感じつつも、淘太は赤い部屋の言った、もとい書いた言葉を少しだけ反芻してみる。

 冷たい液晶に書きこまれた『シュレティンガーの猫』という文字。

 その言葉通り都市伝説は皆誰かの概念によって構成されている、存在を認識されて初めて存在することが出来、存在の肯定を止められたらその時、人間の記憶と同様に存在も消えて無くなる。

 自分自身をろくに肯定出来ないから、何かしらのアクションを起こして誰かに肯定してもらう、自分がその場にいるのだと信じてもらうために行動を起こす。

 ニューがそうだった、誰かの注意を引くために犯罪者と同じ格好をすることで沢山の嫌悪感を被り、その事で自分を肯定していた。

 だったらこの口裂け女も同じなのだろうか?

 自分の存在を認めてもらいたいから悪さをする、噛みつくことによって自分を認めてもらう、たとえその存在の証が誰かの腕に付けられた醜い噛み跡だったとしても。

 「彼女も、認めてもらいたいんだろうか?」

 ふと溢れた淘太の問いを聞いて、これまで静かだった犬夫が床に寝そべったままだみ声を鳴らした。

 「やめとき」

 犬夫が初めて放った否定的な意見に淘太は不意を突かれた。

 「え……どうして?」

 「おまえさんら、今回のは怪我をするかもしれへん、今度のやつはワイ等と違ごうて、誰か傷つけることで認められようとしてるんや、そげな馬鹿に付ける薬はなか」

 犬夫は目も合わさず、フローリングの床に付いた細かな傷を眺めながら凛の疑問に追い打ちをかける。

 犬夫が言っている言葉の意味も良く分かる、もともと好意的な目を他人から向けられる事の無い自分らのような都市伝説にとって、注目を集めるために悪さをするのが許せない、ただでさえまともに扱われない彼らにとってそういう悪評は好ましい事ではないのだ。

 だからこそ、犬夫が淘太らの身を案じてこういった否定的な発言をしている事にも納得できた。

 しかし、淘太は少し考えて口を開く。

 「確かにそうかもしれないけど、口裂け女も苦しんでる筈、だから少しでも進展させてあげないと……だからこそ、俺は口裂け女と話をしてみたい」

 「……好きにせい、ワイは知らんからな……」

 犬夫は拗ねたように言い捨てると鼻を鳴らして判りやすい仕草で狸寝入りを始めた。

 口は悪かったが、これが彼なりの照れ隠しなのはすぐに分った。

 「でもどうやって会うの? 口裂け女に合う方法わかんないじゃん」

 部屋の隅で犬夫の背中をブラッシングしていたニューが明るい口調で問題点を指摘する。

 確かにその通りである、もしかしたら三の数字にちなんだ場所に行けば、つまりは三ヶ池公園前に行けば都合よく出会えるかもしれないが、その望みは正直薄い。

 そもそも今回はそれよりも大きな問題がある、それは……

 「目撃してるのはどれも女子児童、大人の前じゃ姿を現してないよなこいつ……」

 すると、その淘太の言葉を聞いてかニューが『いいこと思いついた』と言い、凛の手を引いて部屋の外へ出て行く。

 それを見送り犬夫がまたぼそりと呟く。

 「おまいはほんとにお人よしやな」

 「お人よしなんじゃないよ……尻尾振るのが人より得意なだけ」

 「なんやそれ、それと、今回はワイもこんな状態だから力なれんさかいな」

 犬夫は自身の腰を鼻で指して曖昧な表情を浮かべる。

 彼の腰はこの前のニューの騒ぎの際逃走を図ったニューに踏まれたのだ、そのためこの部屋を動くことも出来ずにずっとこんな調子だ。

 「分ってるよ……そもそも、これは単に俺がやりたくてやってることだしね」

 「それがお人よしっちゅうねん」

 そう犬夫が言い切った瞬間、部屋の扉が開いて服を持った凛が飛び出す。

 「「じゃじゃーん! 秘密兵器!」」

 ステレオ放送で凛とニューの声が響くと、凛は手に持っていた服を広げる。

 紺色でスカートの裾を揺らすそれは、近くの小学校の制服である。

 「これを使えば、口裂け女もやってくるはず」

 「ロリコン口裂け女もイチコロ」

 再び何とも言えない頭痛に眉根を寄せる淘太、画面を見ていないので分らないが、赤い部屋も同じような状態になっているのだろう。

 ちなみにステレオで聞こえる声の一つは凛が持つ服から発せられてあたり、ニューが自身の姿を変えて服になっているのは容易に想像がついた。

 「それで凛さん、その服があっても着る人がいなければどうしようもないでしょ」

 すると凛は自身ありげに手招きをして。

 「おいで、この服を着ようか」

 この一言で淘太を襲っていた頭痛が最高潮に達し、一言罵声が響き渡ったのは言うまでも無い。






 時間が変わって夕方、もう日も半分以上暮れ、家路に急ぐ人が奏でるわずかな生活音が閑静な住宅街を抜ける中、犬夫を除いた4人もとい3人と1台が家の前に出そろう。

 先ほどまでパソコンの中に入っていた赤い部屋は、さすがに持ち歩くのが大変なため、今は凛の手の中のケータイに乗って、もといインストールされている。

 ニューと言えば、先ほどの服を着た子供の姿に化けて、慣れない縮尺の体に慣れる為か、一人ストレッチをしている。

 もともとの姿が無く、関節の位置はおろか骨格と言う概念が欠けた水のような体を持つニューにとって、この動きがなんの意味があるのかは不明だが……

 ふとその姿をケータイの小さなカメラ越しに見た赤い部屋が一言、画面に文字を表示させる。

 『もっとスカートは短めに (´・ω・`)』

 「……ん?」

 『もっとスカート短めに、絶対領域をもう少し見れるように……はぁはぁ』

 「黙れロリコン!」

 凛は律義にスカートの裾をまくり上げようとするニューを制すと、ケータイの画面を睨みつける。

 先ほどからしばしば怪しい発言を繰り返していた赤い部屋に一喝入れる目的もあったが、それ以前に赤い部屋の言うことを聞いていたら絵的に問題があり、下手したら口裂け女以外のいざこざに巻き込まれる可能性も大いにあった、淘太もこのやり取りに再びおさまっていた頭痛に眉根を寄せる。

 『大丈夫でござるよ……私赤い部屋、健全なる紳士、いえ、変態紳士……イエスロリータノータッチの精神に乗っ取り」

 「黙れロリコンピューター!!」

 「あ、進化した」

 凛の渇にどうでもいいコメントを入れるニューを脇目に、淘太は口を開いた。

 「とりあえず行くよ、それでニューこれ持ってて」

 そう言うと、自分の持っていたケータイをニューに手渡す。

 「これでどうすればいいの?」

 「俺たちが近くにいたら口裂け女も出てこないかもしれないしな、俺たちは近くで待機してるから、これでやり取りをしてくれ、口裂け女と会ったら自分たちもすぐにそっちへ向うから」

 「うん!」

 子供の手には大きな淘太のケータイを両手で持つと、ニューは明るく返事をして制服のポケットに入れる。

 そもそも都市伝説がケータイを操作できるのかが不安ではあったが、このケータイにも赤い部屋は入り込むことが出来る、いざとなったら赤い部屋が連絡してくれるだろう。

 「それで? 三ヶ池公園って何処なの?」

 凛がケータイに話しかけると、赤い部屋がすぐさまケータイの画面に目的地までの地図を表示させる。

 赤い部屋はネットワーク上に存在する都市伝説、つまりは高性能なスパイウェアのような物らしく、そんな彼にとっては周辺の地図情報を自在に抜き取り、このように扱うのも容易な事なのだ。

 その画面を確認して、一同は問題の場所へ向かう事にした。

 問題の場所、つまりは三ヶ池公園は彼らの住まいからそう離れた場所では無く、歩いて10分ほどの距離、その道中凛が再び口を開いた。

 「そもそも、口裂け女って『私、綺麗?』って決め台詞を言うのは知ってるけど、具体的にはどういう内容なのかさっぱりなんだよね」

 「口裂け女ってのの設定は、整形外科に行った女の人が、手術で失敗して口が裂けてしまったって話しだよ、それで口の裂けた彼女は行きかう人に『わたし綺麗?』って声かけて、その返事が『綺麗です』なら、『同じようにしてあげる』って言って相手の口を手術用のメスで切っちゃう。

 もし『綺麗じゃないです』って答えたら、怒り狂って同じ思いをさせるためにメスで口を切り裂いちゃうって話だね」

 淘太はいつもの手なれた口調で説明を始めた。

 「肯定否定、どっちで答えても同じだね」

 ニューがゴム紐で結われた髪を尻尾のように揺らせながら笑みを浮かべるが、この事が問題なのである、肯定否定、どちらで答えても結果は同じで、だからこそ被害者が辿る運命は同じ、しかし……

 「まぁ確かに否定や肯定的な意見じゃ口を切られちゃうけど、こういう理不尽な都市伝説には対抗呪文って呼ばれる言葉があるのがせめてもの救いだよね」

 淘太は記憶の奥に沈んでいたその呪文を思いだす。

 「対抗呪文?」

 「そう、対抗呪文、『ふつう』って答えると良いらしいよ」

 淘太は記憶の奥にあった曖昧な答えをひっぱりだしてそう答える、『ふつう』なんてごくごく曖昧で、肯定否定どちらにも捉えられない答えこそが正解であり、口裂け女はそのごく曖昧な答えに対して困惑し、その隙をついて逃げる事が出来るという。

 「普通ねぇ、曖昧すぎない?」

 「その曖昧さがいいんだよ、他にも『まぁまぁ』とかってのもあるみたいだけど、そう言う肯定否定どちらにも捉えられない言葉が口裂け女の隙を突くのにぴったりらしいよ」

 そんな曖昧な対処法を聞いた凛は、部屋に籠る生活から生まれた有り余る脳の容量にその対処法を詰め込むと、ふと今まで気になっていた疑問が口をついて出ていた事に気がつく。

 「そう言えば、淘太はなんでこんなに都市伝説に詳しいの?」

 淘太はごくごく一瞬の間を置いて、曖昧な笑みを浮かべて『昔そう言うのが好きな人が居てね』とだけ呟いた。

 淘太自身はごく軽い口調で言ってはいたが、凛にはその言葉の前の一瞬の間が妙に胸の奥につっかえる感じがした。

 「その人ってどんな人?」

 凛は黙っていようと思ったのだが、ニューが代わりに疑問符を投げかける。

 まともな付き合いではないと言え、淘太との付き合いはそれなりにある、だからこそ凛はこの問いがやってはいけない事だと分ったのだが、流石にニューにとってはその事は分らないらしい。

 「……昔の友達だよ、そんなつまらない話より、もうすぐ目的地だね、ニューはそこの狭い道から公園に向かって進んでね、俺たちはそこの角で待機してるから」

 淘太は淡々と説明をしたが、一瞬言葉が歯切れ悪くなったのは凛には分ったが、ニューはそれでも空気を読まずに言葉を繋ぐ。

 「その友達ってどんな……」

 「ニュー! そんな話よりもさっきの対抗呪文って覚えてる? もし危なくなったらそれを言うんだからね」

 「『ふつう』だね」

 凛はニューの言葉を慌てて止めると、どうでもいい話題に話を振る。

 幸い淘太はその気遣いに気が付いていないらしく、また凛もその事にふと胸を撫で下ろすのだった。

 淘太たちはごくごくありふれた住宅街の交差点、ブロック塀が己の存在儀を主張するかのように軒を連ねる交差点の一角、錆の浮いたカーブミラーの下で立ち止まるとニューを先に歩かせる。

 ここから先の道は昔かあらある古い道らしく、ブロック塀も苔むし街灯はやる気なさげに明かりをちかちかと点滅させている暗い道。

 内心口裂け女らしいと思いつつ、淘太はまだ真新しいブロック塀に背を預けると、凛のケータイを確認して煙草に火をつける。

 「怖いよぉ……」

 「『海外じゃ妖怪にも認定されてるシェープシフターがそういうこと言うな』だって」

 凛がニューの声に反応して赤い部屋が書きこんだ文字を読み上げると、ニューの背中を軽く押して先に進ませる。

 酷く暗く、夜になれば本当に不審者が出没しそうな道。

 この先に一人行かせるのは気が引けなくもないが、監視カメラも無くこの道がいまだに存在するのなら、口裂け女以上の脅威は存在しないだろうと無理矢理結論付け、淘太は短く紫煙を吐き出した。

 薄暗い道の先に消えていくニューの背中を見ながら、凛は小さくため息を吐くと、その背中に小さくエールを送る。

 もちろん、水のように形状不明な体を持つニューがメスで切りつけられて怪我をするとは思えなかったが、今は子供の姿になっている、その背中はどこかか弱くその瞳には映っていた。

 「どう思う?」

 その鼓膜を淘太の問い掛けが叩く。

 「どうって?」

 「いや、こういう事をする口裂け女の気持ち」

 「そんなのわからないでしょ、認めてもらいたいから悪さをするだけ、真面目にやるより不真面目な人間が得をすることって沢山あるでしょ?」

 真面目にやる人間が馬鹿を見る、確かにそれは事実だ、ゴミをちゃんと分別して捨てるよりもその辺に投げ捨てる方が楽であり。

 ルールが破られる事で馬鹿を見るのは、そのゴミをせっせと拾う真面目な人間の方だ。

 拾っても拾ってもゴミは増える、不真面目な人間は好き放題捨てても、ゴミで町が溢れかえることはなく無尽蔵に不真面目を続けることができる。

 不真面目な人間に起きるデメリットと言えば、悪い意味で注目を集める位だ。

 もし対象がどんな意味でも注目を集めることが目的だとしたら……

 「どんな形でも目立つのなら簡単な方が良い、いい評判よりも悪評の方が世間に広がるスピードは速いし、手っとり速いか……」

 確かに理には叶ってる。

 だが、何故か淘太にはいまだにつっかえてる部分があった。

 あまりにも曖昧な、まるで一般家庭の食卓の隅に薬莢が転がっているような。

 ぱっと見はわからない、どこか不自然な物がこの仮定には混じっている気がしていた。






 ニューにとって自身の容姿というのはさしたる意味は持っていない。

 シェープシフターのニューにとって、自身の身長や体系というのは自在に変える事が可能で性別すらも好きに変える事が出来る。

 ふと成人男性になりたいと思えば瞬きする間にその姿に成れ。

 気まぐれに老婆になりたいと思えば、全身に深い皺を刻み、腰を骨格ごと曲げて杖をついて歩き回ることだってできる。

 だからこそニューには自分という物を知らない。

 最初は街ゆく通行人の姿を真似。

 それに飽きるとモデルや芸能人の姿を真似、兎に角色々な姿を真似てきて、その内今の当たり障りのない中性的な姿に落ち着いた訳だが。

 それでも一つだけあまり化ける事の無い姿があった。

 それが子供の姿である。

 子供にならない理由の一つは、単純に不便な事が多いこと。

 世の中大抵の物は大人の体に合わせて作っている、そして低い身長では見える世界に限界があり、短い手足では活動も不便が多い。

 だが、これ以上の問題点が、『恐怖心』である。

 発達途中の子供の体は不安定であり、ひどく脆弱だ。

 元々存在があやふやな自分の体が、ましては形すら定かではない自身の体が怪我をするのか怪しかったが、得体の知れない恐怖心がわずかでも動いていたからニューは自分の姿をあえて子供にすることは無かった。

 だから本当なこのような事はやりたくない。

 でも自身にとっての恩人からの頼みだ、自分の存在を認めてくれた数少ない友人、その頼みだから、そしてその友人が守ってくれると言ったから自分はこの危険な行動にかかわった。

 「あやや……分かれ道だよ」

 ニューが歩く道、その先に一つ枝が分かれていた。

 一つは街頭があり、これまで通りのやる気無く街頭が光る道。

 そしてもう一つは、街頭も無く、薄汚れたいかにも怪しい裏通り。

 できれば向かいたくはない、薄暗いこの道には入りたくなかったが。

 不意に間抜けな通知音がニューの懐から響く。

 その音の主は、小さな手の中でお守りの様に握られたケータイからである。

 ニューはその小さな手でその体には大きな画面を確認すると、画面には赤い部屋と思われる文字列が表示されている。

 『その道、薄暗い方に進まなきゃだね』

 「えーでも……」

 『問題の口裂け女はその先でいつも目撃されてるみたい』

 「……うん……」

 ニューは手の中でわずかに熱を持つケータイを握りしめ、とぼとぼと歩みを進めていく。

 「そういえば赤い部屋ってさ、なんか淘太達の前だとキャラ違うよね?」

 ふと先ほどから気になっていた疑問を口にするニュー。

 『そうか?』

 「ほらやっぱり、凛や淘太の前だと絶対変な絵文字入れたりしてたでしょ」

 すると画面の文字が消える、そして何か言いたげに短い文字が書かれては消えを繰り返しているのを確認すると、ニューはさらに質問を重ねる。

 「やっぱりそうだ、なんでキャラ変えてるの?」

 『なんでって言われてもな、私はこんな都市伝説だ、【姿を見た人間は死ぬ】そんな奴が普通に話しかけちゃ怖いだろ』

 「怖いねぇ、それなら自分を使ってくれたらいいのに、そしたらちゃんと説明して紹介してあげたよ?」

 『いや、確かにそうではあるんだが、私は大抵の電子機器に入り込める分、沢山の人間とコンタクトを取る事は簡単、しかしシェイプシフター、お前が私の入り込める道具を持っていなければどうしようもないだろ。

 さらに言うと、都市伝説全般がそういう機械とは縁がない存在だからな、今起きている一連の出来事を他の都市伝説に伝えるにしても、一旦人間とコンタクトを取る必要があるのは道理だろ「?』

 長い文字列を目で追ってからニューは彼の言いたい事を何となく飲み込む。

 確かに赤い部屋は機械の中でしか姿を現す事は出来ず、道具という物を扱わず、ただ存在するかしないかの境界線を曖昧に行き来していたニューにとって、疎遠な存在ではあった。

 『つまりは私はある種一人ぼっちだ、人間からは認識されず、仲間である都市伝説とまともにコンタクトを取る手段を持たない』

 「まぁ確かにそういう点では難しい都市伝説だよね」

 ニューは自虐じみた文字列に曖昧な笑みを浮かべて返答すると、会話の中で表情と同じ様に曖昧になった本来の疑問を再度投げかける。

 「それでもなんでまたあんなキャラに」

 『いや、確かにそうなんだが、どうもネットワークを通じてあの二人の行動を見てみると、ああいう言葉口調の人間とネット内で会話してるみたいだから』

 「何それ」

 『それともう一つ言えば、そういう連中だってネットを通さないとコミュニケーションをまともにとれない連中だ。

 そういう点は私となんだから似てると思ってな、それに私自身実態が無い、本当の形なんて物は持ち合わせていないからな』

 付け足された最後の言葉にニューは目を大きく開くと、子犬のように明るく言葉を投げかける。

 「そこは自分と一緒だね、ニューも形が無い! でも淘太から名前をもらった!」

 自分という物がひどく曖昧なニュー、性別も年齢も、そもそもの本来の自分の姿すら不明な存在にとって、淘太からもらった名前は大きなものだった。

 シェープシフターなんて味気のない記号から、人の血の通った、自身らが好いている人間が作ってくれた名前、それがニューにとっての一番の宝になっていた。

 『名前かぁ……私も赤い部屋なんて味気ない名前は早く卒業したいものだ』

 「それじゃ後で淘太にお願いしよう!!」

 明るく返事をするニュー、あまり会話をする機会が無かった相手との会話は楽しく、おどろおどろしい道を歩いているとはいえ、気分は明るくなった。

 道行く先に佇む、真っ赤なコートの女の存在にすぐに気がつかなかった事は、その明るい空気で恐怖心が和らいでいたある種の副作用でもあった。






 不意に響いた警告音が凛の掌で響いたのは、ちょうど彼女が2本目の煙草の火をつけた瞬間だった。

 突然耳をつんざく音に驚いた凛は、口に咥えていたそれを思わず地面に落とすと握られていたケータイを確認する。

 「口裂け女見つけたみたい」

 凛の口から出た言葉で事態を把握した淘太は、彼女の落とした煙草を拾い上げると持っていた携帯灰皿に詰め込む。

 まだ火をつけたばかりなのでもったいない気もするが、事態が動いた限りこうやってのんびりと歩き煙草という迷惑行為に花を咲かしているわけにもいかず、もったいないと悪態をつく凛をやんわりと制して駆ける。

 「なんていうか……最近走ってばっかだな」

 ぼそりとつかれた淘太の悪態に凛は小さくため息を吐きながらもケータイの表示を見つめる。

 地図の中で表示された矢印は想像通りの場所を指し、二人の現在位置からそう遠く無い事を知らせている。

 しかし実際に走ってみるとその距離はひときわ長く感じられた。

 実際には大した事の無い道、その道を駆ける最中に一つの疑問が浮かんだ。

 一般的に知られている都市伝説の口裂け女は『三』という数字にちなんだ場所に現れる。

 もちろん今回の場所も『三ツヶ池公園前』、確かに『三』という数字が含まれている、しかし都市伝説が現れるなら、あえて『公園前』と書かれた場所では無く、『三ツヶ池』そのものに現れるのではないか。

 そしてその疑問が浮かぶと、一旦保留にしていた疑問も湧き上がる。

 彼らが住む町、緑川市にはほかにも『三』という数字が含まれた場所があるのではないだろうか?

 目撃情報がたまたまこの場所だっただけで、落ち着いて考えてみるとほかにも『三』の数字にちなんだ場所はいくつかある。

 なぜわざわざ同じ場所に現れるのか? 大多数の人間の注意を引くことが目的ならば、ほかの場所も含め転々としていればいいのではないだろうか?

 たまたまこの場所だった、そう思ってはいたがニューが向かってすぐに口裂け女は見つかった。

 大多数の人間に牙を剥きたいのなら、同じ場所に場所に留まらない方が良い、同じ場所に居る事が判ると、おのずと人はその場所を避けてしまう。

 じゃあなぜ同じ場所なのか?

 その疑問の答えが浮かぶ前に、そしてニューに危害が加わる前に、良くも悪くも目的地に到着してしまった。

 目に映ったのは完全に怯えきって身動きの取れなくなったニューの姿。

 そしてその体に覆いかぶさるように立ちはだかる赤いコートを着た人物。

 頭にはコートと同じ真っ赤なベレー帽を被り、その端から長い黒髪を垂らしている。

 暗い道であるためか、一見コスプレか何かに見えるその服装は異様な雰囲気を醸し出し、そんな背中に、正確にはその先のニューに向けて大声を発する。

 その声に反応してか、赤い服の女つまりは口裂け女と思われる後ろ姿はびくりと震え、ゆっくりとこちらを振り返った。

 マスクを着けているため表情は窺え無いが、目は血走り爛々と輝く姿は暗い月明かりの下では一層恐怖心を誘う。

 獣のように目を輝かせ、口裂け女は体ごとこちらに向けると、思わず凛が小さく悲鳴を上げる。

 淘太は最初、その仕草に驚いただけだと思ったが、凛の目線を追っていくとその原因が分かった。

 口裂け女の手に握られていたそれは、手術用のメスである。

 濡れたかのようにしっとりと輝く刃物に怯え、凛は鞄の中に入っていた物を取り出す。

 「え? 凛勝手に持ってきたの?」

 思わず間抜けな声を漏らした淘太。

 彼の目線の先には、見覚えのある棒が握られていた。

 塗料などは塗られていない、円筒形の長さ40センチほど棒、主ににクッキーの生地を平らに延ばすために使われるそれはまさしく、彼の使う愛用の麺棒であった。

 「手頃な大きさだったから……」

 がちがちと歯を震わせる凛に向けてあきれた表情を浮かべると、淘太は口を再び開く。

 「いやね……凛、それは俺の調理器具であって武器じゃないの、っていうかさっき教えたでしょ? 危ないときの対抗呪文」

 「でもさ……この町の都市伝説って時々言われいるのと違う性質持ってるのいるじゃん、赤い部屋とか……」

 この声を聞いてか、彼女の携帯には『私が異常であると!? デュフフ……それは無いでござるよ』などと赤い部屋の抗議なのかよくわからない文章が羅列されていくが、勿論凛は気が付く訳も無く。

 一人麺棒を木刀のように構えた彼女を見て溜め息を吐き、気を取り直して口裂け女に向き直る淘太。

 「色々説明しても時間の無駄みたいだから簡単に尋ねるけどさ……貴方は口裂け女で合ってる?」

 なるべく刺激しないためか、淘太はいつもよりも若干落ち着きを込めて質問を投げかける、しかし帰ってくるのは血走った目から放たれる不気味な視線のみである。

 まるで獣のような視線は鋭く、マスクの下に隠れている裂けた口がどれだけ凶暴な物かはそれだけで伝わってくる。

 「もう一度聞きますけど、貴方は口裂け女ですか?」

 淘太は鋭い視線にめげず、もう一度質問を繰り返す。

 実際、淘太も凛と同じように恐怖心は煽られていた、しかし彼が凛と違いあまり怯えていないのは、彼の頭に詰め込まれていた知識が支えになっていたからだ。

 何の世界においても知識は武器である、そしてこの場合でも知識は武器になる。

 都市伝説には大抵対抗策がある、その対抗策さえ行えば大抵の都市伝説は危害を加える事は無い。

 情報の豊富な都市伝説ほどその対策は多くなっていく傾向があり、事実として淘太はその対策を既に心得ている。

 いざとなればその対策、つまりは『普通』と言えば自身が逃げるチャンスはいくらでも用意できる。

 「貴方は口裂け女ですか?」

 淘太はその事を頭の中で反芻し、再び質問を投げかける。

 「私……綺麗?」

 口裂け女と思しき存在はマスク越しに口を開いた。

 「いやね、質問に質問を重ねられても困るんですけど……」

 淘太は額を軽く掻き、再び昼間の頭痛が復活したことに眉根を寄せる。

 その時、ふと口裂け女が自身を見ていないことに気がつく、彼女の視線の先を追っていくと、それは自身ではく凛に向けられていた。

 「あの……質問聞いてますか?」

 淘太はこれまでよりも少しだけ大きな声を出すがやはり反応は無く、少しずつ凛に歩み寄り始める、その手にはメスが握られ、さらには刃先を凛に向けているのも確認出来た。

 「あーもう……」

 淘太は苛立たし気に凛の前に立つと、再び口を開く。

 「単刀直入に聞きます、貴方は何の為にこういう行動をしてるのですか?」

 しかし帰ってきた言葉は……

 「私、綺麗?」

 という、口裂け女のセリフのテンプレートでしかない。

 そうしている間にも、二人の距離はどんどん近付いていき、ついにはあと数歩というところまで迫っていた。

 質問の答えは返ってこず、疑問の答えも返ってこない。

 このままでは話に進展が起きず、もしかしたら自身の身に、最悪凛やニューの身にも危害が加わる事を懸念した淘太は、再び大きくため息を吐き。

 そして、この作戦が失敗に終わったことに一人落胆した。

 「私、綺麗?」

 口裂け女は更に歩み寄り、手を伸ばせば淘太に触れる事が出来る距離になった時、淘太は重い口を開き、あまり使いたくなかった言葉を放つ。

 「普通です」

 対象に一切の異常や特徴が無いことを示す漢字2文字の言葉、普通という言葉が口裂け女にとって大きな意味を持つことを知っている。

 綺麗か綺麗じゃないか、その二つしか答えを求めていなかった相手にとっての普通。

 ごくありふれているという言葉は、口裂け女にとって厄介な答えである。

 2択しかない答えの中から第3の答えが突如湧き出した現状、口裂け女は一人困惑し、動きが止まると淘太は確信していた。

 しかし、帰ってきたのは淘太の肩を掴む口裂け女の、鋭い視線であった。






 複数人の中に混じり賑やかな時間を過ごしているときは感じる事が無いが、それかふと一人になった瞬間、急に孤独を感じる事は多々ある。

 それは映画館で映画を見終えた瞬間のように急に訪れる静寂に似ており、正直煩いほどの会話や生活音の羅列が自身にとって、ある種の精神面での安定を取っているのだとつくづく実感させられる。

 そしてその変化は、これまで一人でいる事の多い存在にとっては顕著に感じられるものだ。

 たとえば一人部屋にこもった生活を余儀なくされた人間。

 たとえば人とコミュニケーションがうまく取れず、結果として孤立した人間。

 たとえば一人自身の存在を認めてもらえず、存在すら曖昧な概念。

 「暇やなぁ……」

 この場合は三つ目の例が丁度当てはまる、数多い人からは認識されることすらなく、ごく稀に自身を認識できる人間からは無視される。

 そんな犬夫にとって、孤独という物は対して珍しい物ではない。

 「ほんと久々やなぁ、こうやって一人なんちゅうのも」

 一人でいる事には慣れている、ただふとその孤独に嫌気が注しほんの気まぐれにこの家の住人に声をかけた。

 どうせ無視をされると思っていた相手から帰ってきたのは、無言の静寂ではなく堅い固形石鹸で、それから幾つかの出来事があり今現在に至る。

 一人こうしてヤニのせいで僅かに変色した壁に向かって悪態をついてみるが、やっぱり帰ってくるのはこれまで通りの静寂。

 慣れているはずなのにどこか物足りない。

 そして僅かに寂しさを感じてもいる。

 その感情を教えてくれ、紛らわせてくれた相手は今何をやっているのだろうか?

 無事に事が済んだのか。

 もしくは?……

 「にいちゃん……無事やっとるといいんやけどな」

 ふと口からこぼれたその言葉は行き場の無い6畳間に響き、僅かな余韻を残してすぐに消えていく。

 厚みの無い溜め息が口を突いて漏れたのを感じると、再び床に伏せるように眠りについた。

 




 「私、綺麗?」

 口裂け女は淘太の肩を掴むと、再びその言葉をマスク越しに投げかける。

 「淘太!!」

 凛が淘太を案じて声をあげるが、もちろんそれだけで事態が改善される訳でも無く、自身の心臓の鼓動が急に早くなるのを感じていた。

 なぜ『対抗呪文』が通じなかったのか? 頭の中で疑問が浮かび、それに対抗する仮定が溢れだすがいちいちこの仮定を反芻する暇は無く、メスで顔を切りつけられる危機から脱する方法を優先的に導き出す。

 淘太は自分を掴んでいた腕を、右手で掴むと小さく息を吐き、力を込める。

 すると口裂け女の体は掴まれていた腕を中心に大きく重心を崩し、見えない相手から背負い投げをされたかのように宙を舞い、背中から地面に落ちる。

 その隙に淘太は数歩だけ距離を置き、再び起き上がろうとする相手を睨み据える。

 「ごめん、乱暴な事をして」

 少しだけ謝ると、淘太は握りしめていた左手を開いて口裂け女に突き出す。

 「相変わらずなんでそういう変なスキル付いてんのさ」

 凛は感嘆の声を淘太の背中越しに投げかける。

 ちょうど真後ろにいた凛にはその手の平が見えなかったが、その掌には『犬』とだけ書かれている。

 「口裂け女の対策は沢山ある、だったらこれなら……」

 何か作戦を行う場合は、もしものために備え、別の計画も予め用意しておく事が大事だ。

 物事が計画通りに進むのならもちろんそんな手間は必要ないが、もし計画通りにいかず、何かしらのトラブルが発生した場合、それをカバーするためにあえて失敗を見越して準備をしておくと事態は最悪の事態を免れる事が出来る。

 高所作業をする際の命綱やパソコン作業などのバックアップの手間もこれに該当し。

 淘太の行為も同じだ。

 手にマジックペンで書かれた『犬』の文字、都市伝説の口裂け女は犬が苦手で、この文字を見せられるだけで怯えて逃げ出すという。

 しかし……

 「私、綺麗?」

 口裂け女はその文字を見ても一切反応を見せず、再びゆっくりと歩み寄る。

 「犬が来た! 犬が来た!」

 「ねぇ淘太……何言ってるの?」

 しかし口裂け女は変化無く、更に歩みを進める。

 「ニンニクニンニク! ハゲ! ハゲ!!」

 口裂け女に合わせてゆっくりと後ずさりする淘太の背中を見て凛が眉根を寄せるが、淘太自身はいたって真面目に口裂け女対策を行っているつもりだ。

 どの言葉も真剣味に欠けた単語だが、どれもが口裂け女への対策である。

 これらのふざけてるとしか思えない言葉は全て口裂け女への対策でありある、都市伝説上の話ではこれらの行動に口裂け女は激しく動揺する為、その隙に逃げれば良いとされているが……

 「私、綺麗?」

 現実の口裂け女は違った、淘太の行動のどれにも反応する事無く、ただ先程から続けている行動を繰り返す。

 「なんで効果無いんだよ……」

 今度こそ手詰まりだ、こうなってしまってはどうしようもない。

 そう思い、淘太は凛に逃げるように声をかけたが……

 「って、居ない?」

 と間抜けな声を上げ、視線を少しだけずらしてみると。

 「淘太!! 私! 先にニューと家帰ってるから!!」

 そう大声を上げながら、どこかで見覚えのある肉体派俳優に担がれ、淘太の後方、はるか彼方を疾走している凛の姿が見えた。

 どうやらこの男に化けたニューが、凛を抱えて全力で逃げているらしい。

 「あいつ……便利だな……」

 淘太は思わず関心の声を上げると、口裂け女の伸ばしてきた腕を、少しだけ体を反らして避けると二人の後を追いかける。

 「一体どうなってるんだ、普通は……」

 そう言い、後ろを振り返ると、一人立ちどまったままの口裂け女の姿が見えた。

 「そもそも口裂け女って70キロとか100キロとかで走れただろ、どうして追ってこないんだ?」

 そう戸惑いつつも、自身を追って来ないことに安堵して淘太は一人胸を撫で下ろした。

 そもそも追いかけようと思えば自分を追いかける事など口裂け女には容易な事である。

 『なら、何故彼女は立ち止ったままなのか?』そう思いつつ、前を向き直ろうとした時、突然胸に強い衝撃を感じ、そのままバランスを激しく崩して地面に倒れこむ。

 一体何が起きたのかと手を地面についたまま右を見ると、一人の男が自分と同じ様に倒れていた。

 「あ……すみません」

 とりあえずと謝罪の言葉を男に投げかけると、男はあわてた様子ですぐに立ち、地面に落ちていた鞄を掴み明後日の方向に走り出そうとする。

 しかしその光景を見ていた時淘太の脳裏にある疑問が浮かび、気がつけば男の持っていた鞄を掴んでいた。

 まるでバーゲンセールのやりとりをする主婦の様に、鞄の肩ひもの両端を掴んで視線を重ねる男二人。

 普通に考えたらお互い良く前を見ないで走っていたためぶつかり、落とした鞄を拾って走り出そうと相手がしただけ。

 ただ、なぜ相手は体がぶつかっただけなのに、これほどにまで驚いているのか、そしてこんな視界の悪い道で走っていたのか。

 そして自身に対して謝罪を連ねるでも暴言を吐くでも無く、息を切らしたまま鞄を拾って走り去ろうとしたのか。

 そしてその二つの疑問から生まれた予想は、男の持っている鞄を見て確信へと変わっていた。

 「つまらない事を聞きますけど、これいい鞄ですね」

 淘太はまるで道を尋ねるように明るく声をかける、ただ、そんなのんきな声を出す淘太の目は鋭い光を放っていた。

 淘太の予想が確信へと変わった理由、それは男の拾った鞄である。

 革張りで品のある作り、金具の処には小さく名の知れたブランドのロゴが彫りこまれていたそれは、暗がりでも分かる高価な品だった。

 身だしなみに気を使う人間なら持ってても不思議ではない、地面に落ちた時の傷を気にしてすぐに拾い上げるのも分かる。

 ただ、ひとつの問題点は、その鞄が女物だった事だ。

 「こんな鞄を男が持っているのは変ですよね? 失礼な言い方ですけど、これ、誰かから盗んだ物ではないですか?」

 淘太は口の端を得意げに少しだけ釣り上げて見せると、相手は力を込めて鞄を引っ張った。

 その時後ろから甲高い女の声が響く、どうやら本来の持ち主が後を追ってきてたらしい。

 淘太は鞄を握る腕の力を込めてじわじわと男を引き寄せると、空いていた方の腕で男の服を掴もうとする。

 「くそ!」

 するとすぐに男は鞄を手放し先ほど淘太が走ってきた闇に姿を消す。

 「ひったくりとかねぇ、今時どれだけ治安悪い道なんだ、口裂け女にひったくりって……」

 そう呟くと、遅れてやってきた女に鞄をそっと手渡すと、そのままそっぽを向いて走り始める。

 気になるのは口裂け女の事だ、ひったくり犯のようなありふれた犯罪ではなく、犯人すら定かではない事件を防ぐことが淘太にとっては重要だった。

 口裂け女は想像もできないほど速く走れる、もちろん淘太自身の足よりも速いだろう、じゃあなぜ自分を追いかけてこない?

 追いかける事が出来ない理由があるのか、もしくは追いかける必要がないのか、何にしても淘太にはこの答えは出せそうも無い。

 口裂け女が一般的に言われている都市伝説とは違う性質を持っている可能性はあった、だが自身の存在を見せ付けるならば、今回のように自分をただ取り逃がすのではなく淘太の口をメスで切る筈だ、何故なら犯行の証拠を作り誰かに見られる、それが口裂け女にとっては重要な筈だから。

 ならば自分が逃げ出した瞬間に取る行動は決まっている、追いつかないにしても自分を追いかける筈だ。

じゃあ何故自分を追いかけて来ないのか? その疑問譜は、答えと銘打たれた旋律を奏でないでいた。






 「一体どうなってるんだ……」

 淘太は家に帰り一人頭の中で反芻されていた言葉を思わず口に出す。

 「これってさ、一般的に言われている都市伝説とは全然違うって事じゃないの?」

 凛が鞄の中から麺棒を取り出して、台所の棚に仕舞いつつそう呟く。

 「それは間違いない、でも……俺の思ってた予想とは違う動きをしていたんだよ、口裂け女は自分を追いかけようとしなかったんだ?」

 「淘太が怖かったんじゃない? あんな投げ技いきなり披露しちゃ」

 「にしても彼女は武器を持ってたんだ、最悪持ってたメスを使えばよかった訳だし、そもそも直前まで俺を捕まえようとしてた癖に、いざ俺が逃げ出したら追う気配すら見せないでその場に立ち尽くしていたのはおかしいよ」

 「それは、淘太が言ってた口裂け女は3という数字に関係した場所に現れる事と関係してるんじゃ?」

 凛が淘太から得た知識をもとに否定をするが、淘太は小さく鼻を鳴らす。

 「いや、確かに3という数字に関係した場所って事は当てはまってるけど、さっきの口裂け女の行動は全部既存の都市伝説の設定を無視してるよ、それにそもそも三ツヶ池公園前って場所の名前の概念が不確定過ぎる、どこまでが三ツヶ池公園前に判断される距離なんだろうか、あの数歩の距離で明確に線引きされてるとは思えないよ」

 「それはそうかも……じゃあなんでだろ……」

 「そんな事分かんないよ、そういえばニュー、さっき乱暴とかされなかった?」

 すると部屋の片隅、何故か不自然テレビの横に置かれた段ボールが突然跳ね上がる、そしてその段ボールの中からニューが姿を現す。

 「……なにもされなかったよぉ」

 弱々しく、まるでライオンに睨まれた子供の子山羊の如く口を開いたニューの表情を見るところ、今回の出来事は相当怖かったのだろうと感じ取れる。

 元々ニューはちょっとした出来事で悲鳴を上げるあたり、元々恐怖心に対して免疫が薄いらしい。

 問題はその怯えているニューの姿が、ガチムチガテン系な肉体派俳優な事ではあるが……

「そう言えば、あの道になんか嫌な思い出でもあるの?」

 淘太の問いにニューはヒグマを素手で倒しそうな肉体を、段ボールから露わにしながら説明を始めた。

 「だってあの道……昔からいろいろ犯罪とか多いもん、強盗とか乱暴をされたとか……」

 ニューは渋いバリトンボイスで幼い言葉を並べていく、むしろお前の方が怖いと突っ込みを入れたい気持ちを抑えつつ、淘太は無言で頷く。

 すると突然胸元から軽快な電子音が響き渡った。

 音の発生源でもあるケータイを淘太は胸元から取り出し、確認するとそこには赤い部屋の言葉が書き込まれていた。

 『あの場所は昔からいろいろ問題があるのでござるよwww 元々人通りが少ない上に街頭は少ない、監視カメラなんてもちろん無いでござるww

 だから強盗、暴行、強姦その他デュフフな出来事が盛りだくさん、さらに言えばあの場所は塾の近くでござるww、だから塾帰りの小学生を狙う変態紳士がデュフフフww だからこそ、今度その道に監視カメラが設置されるから拙者、楽しみでござる』

 毎度の頭痛にもう慣れた淘太はその画面を無言で眺め、ふと気になった事を尋ねる。

 「口裂け女の目撃されたのっていつ位か分かる?」

 いろいろ問題多い発言を繰り返す赤い部屋だが、ありとあらゆる電子機器に入り込む力を持った彼の力は情報収集に役立つ、もちろん今回の出来事に対しても赤い部屋の発言は役に立つだろう。

 淘太は耳もとい、目を傾ける。

 『それはもう把握済みでござるよw あの道で口裂け女が目撃されたのは今日から約3カ月前、丁度そこの小学校の生徒が声かけ事案に巻き込まれた時期でござるな、デュフww変態紳士は眺めるだけ、声なんて掛け――』

 赤い部屋が言葉を続けようとするのを目を反らして無視すると、ふと得られた情報を自分の中で反芻する。

 口裂け女の行動、人通りの少ない道の危険性、3か月前の声かけ事案……

 その時、淘太の頭の中で一つの結論が弾けた。

 淘太は無言で今まで座っていた椅子から立ち上がると、キッチンに向かいその引き出しの中から道具を取り出しポケットに詰める。

 「にいちゃん、どうしたんや」

 先ほどリビングに下ろされてきた犬夫の声が耳を叩くが、淘太は『そこに居て』の一言で制すると、一人部屋を出る。

 大抵の人から見える事の無い都市伝説相手の出来事とは言え、それなりに大きなリスクの伴う行動、それは淘太自身避けて通りたい選択肢ではあったが、やむを得ず淘太は自身が今一番落ち着ける3LDKを飛び出すのだった。






 これでいいのか、正直なところ不安はあった。

 もし間違えていたらとんでもないことになる、たとえ相手が都市伝説だとしても。

 これから先の自分の生涯に大きな支障をきたす場合だってあり得た。

 だけど、淘太は一人薄暗い道であたりを見回し、自分以外誰も居ない事を確認してからポケットの中から、先ほど持ちだした道具を取り出す。

 「多分……これが一番なんだよな」

 淘太が取り出したそれは包丁だった。

 よく手入れされ、まるで濡れたように光を反射する刃物。

 本来は食材を切るための道具だ、だけど自分はこれを間違った使い方をする。

 そう思うと淘太の胸の奥で、まるで氷の塊が落っこちたかのような感覚が広がる。

 「こんな事やりたくないさ」

 自分の言葉に反論を向ける相手はこの場には居なく、それどころか計画を邪魔するからと置いてきた事を思い出して溜め息を吐く。

 誰も止めてくれる相手はいない、そう改めて結論付けると淘太は包丁を片手に道を歩き始める。

 不安は決心を決めたこの瞬間もあった。

 自身の判断が間違えてる可能性も無くはない。

 だけど淘太には確信があった。

 自分の判断は間違っていない、そう思える判断はこれまでにもしばし発揮されてきた推理力に支えられていた。

 その推理力を自分に与えてくれた存在が淘太にとっての原動力だった。

 もう楽しい会話をする事は出来ない、自分に繋がれた紐を引いて行く先を指定してくれることも無い、だけど自分にはまだ首輪が付いている。

 ボロボロになって見てるだけで残念な気持ちになる首輪だったが、それを付けてくれた相手を裏切る気は無かった。

 淘太は包丁を逆手に持ちかえると、大きく深呼吸をする。

 何故なら、その目線の先に時間にして1時間前に出会った相手が立っていたからだ。

 「私、綺麗?」

 相変わらずな言葉を繋れる相手、それは間違いなく口裂け女だった。

 「これからが本番か…」

 淘太は深呼吸をして構える。

 口裂け女は先ほどからの言葉を続け、少しずつ距離を詰めそして程無くして淘太に手が届く距離までやってくる。

 「私、綺麗?」

 その問いに、淘太は小さく鼻を鳴らすと……

 「3ヵ月前の事、気にしてるんですよね?」

 とだけ答えた。

 呆れた様に淘太が口を開いたように見えたが。

 「わた……わたし綺麗?」

 ほんの少しだが、口裂け女の返答が変わった。

 まるで蛇口を開いたら水ではなく、真っ赤な錆が流れ出した時の様に。

 本来予想していた答えとは全く違う回答が寄せられたかの様に、口裂け女がほんの少しだけ動揺した。

 ほんとに些細な出来事だったが、淘太は自身の予想は間違いないと判断し、呆れたように口を開いた。

 「なぁ、こんなテンプレートはいいから、普通に会話をしよう」

 「私……」

 「それはいいから、口裂け女、俺は危ない人じゃない」

 そう言うと、淘太は持っていた包丁をハンカチで包みポケットに仕舞い込む。

 「え……あの……」

 それが口裂け女が初めて話した本音だった。

 それを確認すると、淘太は小さく溜め息を吐き会話を始める。

 初めから包丁はこうするために用意していた、口裂け女を呼び出すために。

 なぜ包丁を持っていたら彼女が現れるのか、その謎は淘太の言葉によって説明された。

 「この道っていろいろトラブルが多いらしいな、だからあんたはこの場所に人が来ない様に、人が来て事件に巻き込まれない様にしてくれてたんだよな。だから事件に巻き込まれた時に自分で対処できない子供を守るために、この場所を通った子供を怖がらせてこの場所に来ない様にした。

 明らかに危険性がある相手をこの場所に寄せないために、なんかしらの凶器を持った人間をここから遠ざけた」

 淘太が包丁を持っていたのはその為だ、普通刃物を持って男が一人歩いていたら誰もが警戒をする。

 だからこそ、口裂け女はその人物をこの場所から排除する為に現れる。

 そう淘太は考えていた。

 「なんで……そこまで」

 口裂け女が焦ったように口を開く。 

 「安心して良いよ」

 「え?」

 「この場所でのあんたの役目はもうすぐ終わる、街角に姿を現す恐怖の口裂け女である必要はもうすぐなくなるよ」

 淘太は煙草を取り出して口に咥え、小さな声で呟く。

 「この道にはもうすぐ監視カメラが付くらしい、そうとなれば自然と物騒な奴らはこの場所から居なくなるし、あんたが人を怖がらせる、嫌われ役を演じる必要はなくなる」

 「その言葉を言うためにわざわざ私の処……」

 すると淘太は煙草に火をつけて言葉を制する。

 「俺は君達みたいな都市伝説を見捨てる気はないよ、どんな奴らだって精一杯生きている、俺も昔はそうだった、居ても居なくてもいいなんて思われてた人間だけど、俺を見捨てないで手を差し伸べてくれた人間が居たから……そんな奴らを見捨てる事なんてできない」

 ふと、自身の視界が歪むのを感じ、口裂け女は自分が涙を流している事に気がついた。

 これまで自分はだれかの記憶の片隅に恐怖を植え付ける事しかしていなかった。

 ほんとは仲良くなりたい、自分の存在を認めてもらいたい。 

 そして自分を認めてくれる相手だからこそ、大切な相手だからこそ少しだけ傷つけて、自分から遠ざける事で、その大切な相手がもっと傷つく事を防いでいた。

だからこそうれしかった。

 一目散に恐怖を感じて逃げていく相手から、自分に手を差し伸べてくれる相手が居たことがうれしかった。

 だから自身が涙を流しているのだと分かった。

 誰かから怖がられ、畏怖の念を向けられ流した涙ではないと彼女は感じていた。

 その涙は少しだけ暖かかった。

 「あり……がとう……」

 そう泣きじゃくる口裂け女の頭に、どこからか舞い降りた桜の花びらが落ちる。

 醜く裂けた自身の口とは違い、その花弁は可憐で綺麗で、口裂け女は涙を拭きながらその花弁を手に取って小さく笑う。

 「礼なら仲間に言ってよ、俺は判断しただけだからさ。

 この答えを出す為のヒントをくれたのは、あんたの仲間の都市伝説だ」

 淘太は口裂け女の持つ花弁を見て、ふと思いつく。

 「あんたって言うのもあれだし、口裂け女って呼び方もなんだしなぁ、そうだ! あだ名とか良いな……そうだ! さくら!」

 「さくら?」

 「そう、その花の名前だよ」

 淘太は大げさにその名前を反芻すると、わざとらしく鼻を鳴らして誇らしげな表情をする。

 「さくら……口裂け女じゃなくてさくら」

 口裂け女は初めて自分と意思を交わした相手からもらったプレゼントを反芻して頷く。

 「いやさ、なんか他の都市伝説にも名前付けててさ、ほら都市伝説って全部変に長い名前だから短い名前いいなって」

 淘太は自分の発言を恥ずかしがり、言い訳をするが口裂け女はうれしそうにその名前を反芻するだけだ。

 「そうだこれ、都市伝説ならこれが好物だって聞いたから持ってきた」

 淘太は照れ隠しのように胸ポケットにしまっていた物を投げ渡す。

 それは飴玉だった、砂糖を溶かしただけ、俗に言うべっこう飴だ。

 「これ……」

 「まぁ受け取ってよ、さっき投げ技かましたお詫び」

 そう言うと淘太は照れ隠しのように背を向けると歩き始める。

 「あの」

 「もう時間遅いし、俺は家に帰るよ、場所はそこのコンビニを右に曲がったところにある二階建ての一軒家、他にも都市伝説居るから暇な時に来るといいよ」

 淘太はそのまま走り去る。

 その背中はさくらにとって大きな存在に見え。

 その言動はどこか子供じみていた。

 だからこそ、彼女はその背中にもっと仲良くなりたいと思った。

 流れていた涙を拭きとり、走り去る淘太の背中を見つめ、さくらは受け取った飴を口に含み小さく笑うのだった。

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