エピローグ
それからのことを、どう説明すればいいのだろう。
結論から言って、僕は己の正体を全て明かした上で再びニンフの集落に受け入れられた。いや、そもそも初めから拒絶などされていなかったのだ。ただ自分が勝手にそうなると思い込んでいただけで。
もちろん初めは警戒された。僕が神血の瞳を宿し、妖精が忌み嫌う智神ソピアーと繋がりを持っている存在であるということを。それでも、トウノ呪機商会の人間に迫られ、神の分身シルを前にしても、神を復活させ物質界と精霊界の境界を閉ざしてしまうという計画を最後まで拒み続け、挙句に神器たる自分の目を抉り出しさえしたという話を聞いて少しは信用してもらえたようだった。
ヒノアさんを守れなかったことは、言い逃れようもなかった。しかしそれに関して僕を責める者は誰一人としていなかった。
「お前はよく戦ったよ。それは疑っちゃいない。だから俺はっ……駄目だな、理性では分かっていても、こう、やっぱやるせねえな……。すまん、もう少し気持ちの整理がつくまでは、一人にしてくれないか」
施療所の寝室で二人きりになったとき、リクトさんはそう言って声を震わせていた。伴侶であるヒノアさんを失った悲しみは誰よりも深く、トウノ呪機商会が入ってくる前の平和なエナを知り、自分なりにニンフのためにできることを模索していたからこその無念は察するに余りあった。
「すみません。リクトさん」
「いや、俺の方こそソウばかりにこんな重荷を背負わせているんだ。俺にお前を責める資格なんてない。ヒノアの犠牲は決して無駄じゃないはずだ。お前が手に入れたその力と真実が世界を変える鍵だろうと、呪いだろうと、きっとそこに意味がある。だから前を向け。俺も必ずそれに続く」
そう言ってリクトさんは部屋を後にした。
「ヒノアの魂はいま精霊界にあります。精霊には地上の生物のような明確な死というものは存在せず、再びニンフとしての自我を再生しつつあるところです。ただその記憶がどこまで保たれるか分かりませんし、再び地上に受肉するにしても、ゼロ歳の子供に戻ってしまいます」
リクトと入れ替わるようにして部屋に入ってきたマルシィさんはそう告げた。
「それは喜ぶべきこと、なんですよね?」
「人の感覚では難しい話かも知れません。でもあなたたちがヒノアのことを忘れなければ、その思念に引き寄せられ、形作られ、いつかきっと帰ってきます」
そして一旦言葉を切り、マルシィさんは全てを飲み込んでしまいそうな深い青の瞳でこちらを見つめた。
「それともう一つ、あなたの今後について話しておく必要があります」
「……はい」
「あなたは私たちニンフの善き隣人です。しかしここの長として、これまで通りにあなたを放っておく訳にもいきません。ですから、あなたのことは以降私とエコナの二人で監視します。いかなる時も、エコナの目の届く所にいなさい。そして自身やシル、神器に関して気になったこと、分かったことは必ず報告するように。もしニンフ、ひいては地上の精霊たちに仇なすようなことがあれば……まあ、言うまでもありませんね」
寛大かつ妥当な措置だった。だがそうなると、
「基本的にはずっとエコナと一緒に行動ってことか。仕方ないとは言え、迷惑をかけてしまいますね」
「ならいっそ婚約の儀を交わしては?」
さらりと告げられたマルシィの提案に、僕は目を丸くした。
「なっ、婚姻って、そんな」
「いいじゃありませんか。既に想い合っている仲なのでしょう? エコナがあなたをさらった最初の目的がそれだということを忘れましたか?」
「それは、確かにそうですが……」
僕が照れて口ごもるのを見て、マルシィさんはますます楽しそうに口角を吊り上げた。
「まあそれはそれとして、ソウ君の右目についても話しておくことがありました」
そう言われて、僕は新しい包帯が巻かれた右目に手をかざした。今この包帯の下は空洞だ。抉り出された右目が今どこにあるのかは知らない。マルシィさんあたりが管理しているはずだが。
「あの目はですね……――」
後日。施療所から退院した僕はエコナと共に広場のそばの河原まで歩いた。僕の首には植物のつるを編んで作った首輪が嵌められている。これはエコナと一定距離を離れられないようにするための呪術拘束具だ。半分は僕がニンフの管理下にあるという視覚的証明でもある。
そして、河原ではミネットが待っていた。
「ソウ……!」
遊園地廃墟での決戦以降、施療所で傷の手当てを受けていた僕は事実上の隔離状態にあり、マルシィさんとリクトさん、そしてエコナの三人を除いて面会を禁じられていた。
ミネットはその桜色の髪を振り乱して駆け寄り、両の拳を振り上げたまま一瞬固まり、やがて力なく僕の胸に押し当てた。
「馬鹿……!」
「ごめん。こんなことになって」
するとミネットは「違う!」と叫び、切れ長の瞳を儚げに潤ませた。
「心配したんだからっ。ほんとにすぐいなくなるのかと思って……」
その後は涙で言葉が続かなかった。エコナが後ろで見ているから少し気が引けたが、僕はミネットの背を優しくさすってやることにした。
こんな言葉をかけるのは、自分には場違いな気がした。でもそれが彼女を慰める一番の言葉になるだろうと考えて、僕は言った。
「――ただいま」
もう一カ月ほど前のこと、互いのことを何も知らなかった僕らこの河原で初めて出会い、言い争った。それも今となっては、僕はミネットにとって「帰って来て欲しい存在」になれた。僕もまた、こうして彼女と再会できたことが堪らなく嬉しかった。一時はもう二度と会えなくなるものだと思っていたから尚更。
エコナに抱く恋愛感情とは少し違う。もちろん女性としての魅力は強く感じるが、それ以上にニンフを、妖精を愛するという感覚を、ミネットは教えてくれた。
自分の選択はやはり正しかった、と諸手を上げて言うことはできない。今はまだ、何が正しいのか自分の中で折り合いが付かないところはある。
それでも、これで良かったとは、素直に思うことができた。
「ねえ、ソウあんたその目……」
「え、ああ」
今更ながら僕の顔をよく見たミネットが驚く。包帯は、もう取れていた。
「それ、どうなって……?」
「ああ、まあこれは何て言うか、少しややこしい話になるんだけれどね」
「うん、聞かせて。ちゃんと聞くから」
ミネットの真剣な表情。僕は右目を眼帯で覆ったエコナとアイコンタクトを交わしてから、ゆっくりと事の次第を話し始めた。
――数日後。
「なるほど、よく考えたものね」
集落の東の端。小さな谷になっているその場所にぽつねんと立っている石造りの『牢獄塔』。その最上階に、僕とエコナはいた。
長らく使われなくなっていた場所だが、今その役目を取り戻していた。玉籠の中で緑色の光を放つアニマの炎に照らされた巨大な水晶塊。その中に下半身と両腕を飲み込まれて拘束されていたのは、他でもない神の分身シルだった。顔と胴体だけは水晶漬けにされずに済んでいるが、その格好はまさしく
「互いの目を交換して、別々で管理しようってわけ。しかも一つは固く封印まで施して。これじゃあまともに力を発揮できないなあ」
へらへらと力なく笑うシル。幼気な少女のそれには似つかわしくない哀愁と諦観を帯びた表情は何とも背徳的で、神秘的ですらある。
シルと向かい合っている僕とエコナ。僕の左目は相変わらず神の血を宿した赤目だ。しかし右の眼窩には新緑の森を鏡に映したような緑の目が嵌まっていた。それはエコナの右目だった。
そしてエコナはと言うと、右目を眼帯で隠している。だがその眼帯には強力な封印呪術が施され、その下には僕が抉り出した神血の瞳が嵌まっている。
これはエコナが妖精だからこそできた芸当だった。厳密な物質の肉体を持たないエコナの目は一定の手順を踏めば簡単に僕の体と同化し、また僕の目を受け入れることもできた。そしてエコナは百年前そうしたように右の神血の瞳を壊そうとしたが、僕はひんしゅくを買う覚悟でそれを止めた。
「どうしてそれを壊さずに封じ込めるに留めたの?」
シルが尋ねた。それに対して僕はこう答えた。
「まだ結論を、この神器を壊して君を消すという結論を出すには早いと思ったから。それに他ならない」
「一度は本気で壊そうとしたくせに」
シルは自分のことを棚に上げてからかった。
「意地悪を言わないでよ。あの時はとても冷静ではいられなかったんだ」
「この私に情でも移った? 結構この造形には自信があるんだ」
「それに関してはホント憎たらしくらいだけど、そう言うんでもない」
そして一呼吸置いてから続けた。
「シル、君の可能性に賭けたいんだ。君の能力が、あるいはその影響力があれば、人間と妖精の領域争いを終結させ、灰化病を止める手立てが見つかるかも知れない。つまり……」
「私に利用価値を見出した訳ね」
何の気なしに言葉を先取りするシル。そこには神のプライドや、自分の方が強大で高位であるという驕りや妄執は欠片も感じなかった。いや、この状況で泰然自若と振る舞っていることこそが神としての余裕の表れなのかも知れない。
「あなたはそれで納得しているの、古き精霊?」
シルはエコナに向かって問いかけた。
「もちろん」
エコナは短く答えた。
「歩み寄ってくれるなら、こちらとしても用意があると言った。それはあなたに対しても同じ。それに……」
ちらと僕の方を見遣る。
「人間をこの世の生から解き放ってあげることが必ずしも救いになるとは限らないと、今になって思い始めている。結局あなたも私も独り善がりだね」
その言葉を聞いて微かに笑うシル。それに合わせてエコナも微笑した。
「人間は私たちの想像を遥かに超える。私たちが差し伸べる手にすがる者もいれば、拒む者もいる。そしてこの醜くも美しい世界で、それぞれがめいめいの誇りをかけて生きようとしている。それこそ、私たちの救いなど必要ないと言わんばかりに」
そう言って、シルは遠い目をした。
「だからこそ愛おしいの。人間が。やはり、まだまだ知りたいわ」
その一言を聞いて僕は僅かに表情を固くしたが、シルはそれを見逃さなかった。
「そう警戒しなくていいよ。どうせ今の私には何もできない。だからね……」
そしてシルは、ふわりとして恍惚に満ちた笑みを浮かべた。
「人間のソウ、そして妖精のエコナ。あなたたち二人が手を取り合って向かう先の未来を、今は見届けてみたいの。あなたたちがどんな舞台を演じてくれるのか、それ次第では私も大きく考え方を改めるかもね?」
それは挑戦状だった。私の心を動かしてみろと、世界創生より貫いてきた神の信念を変えるほどの未知の世界を見せてみろと。
「ふん、その傍観者面がいつまで持つか見ものだね」
僕は強気に口角を吊り上げてみせた。言われなくとも、あなたが舌を巻くような最高傑作を。
「さてと、あなたたちとお話するのも楽しいけれど、もうそろそろ時間じゃないの?」
そう言われて僕とエコナははっとして目を見合わせた。
――今日は僕とエコナの婚姻の儀、当日だ。
「そうだった。行こうか、エコナ」
隣に立つ彼女に向かって手を差し出す。だが、エコナは少しだけ視線を泳がせる。
「ねえ、今このタイミングで言うことじゃないと分かっているけれど……本当にいいの? 私はただの妖精じゃない、古き精霊なんだよ」
「そうだね。初めて知った時は驚いた」
「恐ろしくない? 不気味じゃない?」
彼女の中ではとっくに決意は定まっているはずだ。それでもこの場に至って不安になったのは、彼女の優しさ、愛情の深さ故だろう。いつもマイペースに僕を振り回すくせに、肝心な時に遠慮をするのは彼女の奥ゆかしさであり、魅力でもあった。
だから、今度は僕からエコナを抱きしめた。
「……っ」
「知らないことは不安だ。だから、少しずつでいいから教えて欲しい。でもね、エコナが何であろうと、僕にとってエコナはエコナなんだ。例えどんな秘密があったとしても、それでも、君を愛しているよ」
「うん……うんっ……!」
エコナは一際強い抱擁を返した後で、僕の腕に抱きつき花のような笑顔を咲かせた。
「やれやれ、さっさと行きなさい」
シルは砂糖を吐きそうだとばかりにため息を吐いた。
「――運命の子らよ、汝に呪いと祝福あれ」
「ありがとう」
シルの言葉に素直に感謝すると、彼女は少し意表を突かれたような顔をして、「あなた、少し前向きになったね」と言って気怠そうに微笑んだ。
そして僕らは手を取り合って牢獄塔を後にした。薄暗い囚われの日々は終わりを告げ、日だまりの下で僕らは次の物語を紡いでいく。そう期待することだけは誰にも咎められる筋合いはない。今だけでいい。この先どんな試練が待っているとしても、いま僕は最高に満たされているのだから、それだけは確かにここにあるのだから。
今だけは、全ての
fin.
ニンフォ・アニマ ―妖精にさらわれた僕は平穏な明日のために世界を否定する― 西田井よしな @yoshina-nishitai
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