第28話 祈りを食らい尽くす炎

 九藤はその端正な顔を引きつるような笑みに歪めてこちらを睨んでいた。


「神血の瞳を見つけたばかりか、そこからソピアーの分身なるものが現れようとは……」

「見ていたのか」

「当然、監視カメラは付けていましたから。途中から映像が映らなくなりましたが、ノイズ交じりに辛うじて会話は聞こえていましたよ」


 そして九藤が「行け!」という合図と共に腕を振ると、トビバチたちは一斉にこちらに襲いかかった。


「君をここでみすみす逃がす訳にはいかない。君は、シルは我々トウノ呪機商会、ひいては人類のためには無くてはならない存在だ! 君の意志など知ったことではない。これが君の宿命なのです!」


 トビバチは数に物を言わせて猛攻する。だが僕も決して引かなかった。その大きさの割には身軽な体を躍らせて長い尻尾を振り回し、打撃と同時に発生する爆裂でトビバチを撃ち落とし、口から吐く炎で焼き払っていく。


 こちらにも容赦なく炎弾や熱線が撃ち込まれるが、竜の体はすぐに再生し、その動きが鈍ることはない。羽ばたき、上空から放った炎で残りのトビバチを一気に吹き飛ばし、蒼き竜は悠然と九藤を見下ろした。


「なるほど。大した力だ。ならば……!」


 九藤が青い炎を手の平の上に圧縮していく。彼の霊力がものすごい勢いで高まっていくのを感じた。僕は初めての覚醒で頭が痛むのを堪えながらも目の前の敵に集中した。



「――喰霞さんか



 九藤が炎の名を呼んだ直後、竜の体勢が大きく崩れた。

 いや、これは……翼を撃ち抜かれたのだ。


 やむなく地上に降り、二撃目が来る前にと炎を吐く。九藤の体を丸々飲み込む青の火炎放射は確実に彼を捉えた。が、展開された炎の盾で防がれてしまった。周囲のタイルがごっそりと剥がれて土煙を上げていたが、九藤は立ったままだった。


 これを止めるのか? クロオニを一撃でもっていけるだけの威力はあったはずだ。

よく見ると九藤の炎の揺らぎ方は普通の炎よりも刺々しく、まるで獲物を求めるかのように蠢いていた。覚醒で炎の形態が変わったのだろうが、一体どんな能力だ?


 九藤が手をかざし、こちらに炎を向ける。そして目で捉えられないような高速の弾丸が竜の体を撃ち抜いた。弾丸を撃ち込まれた所から炎の体が消滅し、痛みはないがその感覚ははっきりと伝わった。   


 僕は飛び上がり、九藤の攻撃が届きにくい距離まで下がる。

 再生は出来る。だが霊力にも限界はある。竜の体で防げない以上、本体である僕自身がいつ被弾してもおかしくない。理屈は分からないが、あの炎は見た目以上の攻撃力を有している。恐らくそういう方向性の能力なのだ。


 強い。流石は訓練された兵士だ。単騎になってでも果敢に向かってくるということは、それなりに勝算があるという自信の表れだろう。実際、覚醒を習得したからといって勝てるかどうか分からない。


 だが勝たなくてはいけない。まずは奴の攻撃の手を止めなければ。

 僕は竜の翼を大きく羽ばたかせ、大量の青い火の粉の雨を降らせた。それは散弾のように地面を削り、九藤は炎の盾を広げてそれをしのいだ。


 すかさず飛びかかり、九藤を噛み砕かんとする。

 今度こそいける。そう確信した。

 だが、


「無駄だっ」


 九藤は巨大な火球を目の前に展開。それに突っ込んだ途端、竜の頭は水をかけられた綿飴のように溶けて消えてしまった。


「な……っ!」


 そして――。

 次の瞬間には九藤の炎が荒々しく全身を食い荒らし、青い竜の巨躯を消し飛ばしてしまった。

 吹き飛ばされた僕の体が、宙を舞う。体をしたたかに打ち、水たまりの上を転がった。


「かはっ……!」


 肺の中の空気が全部吐き出される。内臓が破裂したかと思うような衝撃が全身を打ち据え、激痛が走った。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 九藤が僕を見下ろしている。体に力が入らない。僕は、負けたのか……? そんな、まだ駄目だ。これ以上負ける訳にはいかない。嫌だ、僕はこんなところで……っ!


「独り善がりですよ、君は」

 戦闘の疲労で僅かに息を切らしながらも、余裕のある表情で冷淡に告げる九藤。


「生きていて苦しいことがあるのは当たり前だ。例え神がそう仕組んだのだとしても、私たちが肉の殻に閉じ込められてただ滑稽な劇を演じているだけなのだとしても、私たちが生きているのはこの世界に他ならない。――夜空が闇に覆われているからこそ星は美しく瞬く。私はそんな世界が結構好きだ。その世界を守るために戦うことがそんなに可笑しいですか?」

「僕だって……守りたいものがあるっ」


 何とか体を起こして九藤を睨みつける。


「多くの同胞を見殺しにしても、ですか? 土地や資源、文化の回復の問題だけではない。灰化病は今もなお人類を蝕んでいる」

「……」


 灰化病。それはある日突然深い昏睡に陥り、そのまま体が灰になって消えてしまう奇病だ。呪いと言ってもいい。大災厄の影響の余波だと言われている現象だ。古き精霊たちの仕業であることは前々から指摘されていた。


「社会に失望し、生への執着を失ってしまった君には分からないかも知れませんが、精霊をこの世界から駆逐することは我々の死活問題なのですよ。人々は、自分の体が灰になって消えてしまう恐怖から一刻も早く解放されたいと望んでいる。君はそんな現実から目を逸らし、人間はどうなっても構わないからニンフたちを消さないでくれと言う!」

「ソピアーを解き放って精霊を駆逐しても、待っているのは人間同士の闘争だ! きっと多くの犠牲が出る。灰化病なら、別に解決策を探せばいいじゃないか!」

「それを現実逃避だと言っているんです!」


 九藤の声がぴりぴりと空気を震わせた。


「そんな確証のない空論でまた十年、百年と滅びの道を辿るつもりですか。君は……自分を苦しめた世界を否定して、ニンフに肩入れすることで己の存在価値を確かめているだけだ。救われない……」

「それはっ……!」


 言い返そうとした。だが言葉が見つからなかった。宙を掻いて舌の根が乾いてゆく。


 そのとき、複数の足音が近付いてくるのが聞こえた。


 視線を上げて見ると、九藤の後ろに同じような傭兵やトウノ呪機商会の従業員と思しき作業服、スーツ姿の人々の姿があった。傭兵たちはアニマの炎を灯し、他の者たちの手には拳銃や縄が握られていた。騒動を聞きつけてこの遊園地廃墟キャンプにいた人たちが駆け付けて来たのだ。


 それを見た時、僕は無性に虚しくなって、悲しくなって、情けなくなって、彼らの敵意に満ちた視線だけで溶け去ってしまいそうだった。

 止めろ……止めてくれ。そんな目で、僕を見るな……!


「待って!」

 ふと上空から声がして、シルが降りてきて僕と九藤たちの間に立ちはだかった。トウノ呪機商会の面々がどよめく。


「これ以上ソウを傷付けないで」

 そう制して僕の方を向いてかがみ、膝を突く僕と目線を合わせ、腰から生やした純白の翼で僕を包み込んだ。


「シル……何を……」

「ごめんなさい。本当はこんなことしたくなかったけれど、これ以上は見ていられない。あなたの意識を奪って強制的に封印を解かせてもらうわ」


 労わるような優しい笑みとは裏腹に、その言葉は僕を絶望のどん底に突き落とした。


「やめろ……! 待って、駄目だ」

「大丈夫。何だったらニンフにさらわれた間の記憶は全部消してあげる。そうしたら苦しまなくて済むよね? ううん、今まで辛かったこと全部全部……! 忘れさせてあげるから」

「全部……忘れられる……?」


 聞くな。そう理性が叫んでも、摩耗した僕の思考は次第に抵抗を止めていく。


「そうだよ。もうこれ以上苦しまなくていいんだよ?」

「僕は……ぼく、は……」


 僕の瞳から光が消えていく。それはまるで死に向かうような心地で、恐怖と寂しさの中に不思議な安らぎを覚えた。


「そうだよ。さあ、私に身を委ねて……」


 シルが僕を抱擁する。深紅の炎が霧雨のように舞って煌いていた。

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