第27話 研ぎ澄まされた信念は、神すらも貫くだろう

「シルは……いや、ソピアーは封印を解かれた後、どうするつもりなの?」


 僕が尋ねると、シルは真剣な顔つきになって答えた。


「私は……――物質界と精霊界の境界を閉じる」

「境界を、閉じる……?」


「ええ。今の物質界は精霊界との境界が薄れ、穴が開いていることで精霊が地上に受肉しやすくなっているの。ソピアーの力で境界を閉じることができれば、やがて地上からは妖精を始めとする精霊がいなくなり、人間の領土は全て回復する。そして停滞していた人類の繁栄と信仰を取り戻し、私は古き精霊から世界の支配権と観測能力を取り戻せる」

「それじゃあ、エコナたちは……?」


 僕は恐る恐る尋ねた。


「残念だけれど、地上に受肉した精霊は全てこの世界から駆逐される。あなたのお仲間も例外ではないわ。物質界において肉体の消滅は死を意味する。そうした意味では、彼女たちも死ぬことになる」

「……駄目だ」


 シルの口から語られた決定的な言葉。僕はそれに真正面から拒絶の意を示した。


「宗……」

「駄目だ。そういう話ならば、やっぱり僕は協力できない」

「彼女たちは人間ではないんだよ。あなたとは魂の構造からして異なる存在で、この世界を停滞させるものよ。あなたの決断一つで、多くの人たちが救われるんだよ?」


 シルは聞き分けの悪い子供を諭すように優しく、かつ毅然とした態度で語りかける。だが僕は首を横に振った。


「救われているよ、十分。土地も資源も限られているけれど、それでも上手くやっているんだ。神のいない世界でも、僕の見てきた人間の世の中はそこそこ平和だった。多くを望まなければ人類と精霊、人とニンフは共存できるはずだ」

「それでは駄目なの。精霊界は今も少しずつこの世界を浸食し、取り込んでいっている。それに『灰化の病』だって……知っているでしょう? 人類は緩やかに滅びに向かっているんだよ。だからこそ私の『目』と、あなたたちの『信仰』が要るの」


「……信仰? ソピアーに対する信仰って、何?」

「ソピアーに捧げられる信仰とは、すなわち『心』、だよ。人が生きる上で抱くあらゆる苦悩、そこから生まれる希望、絶望、喜びと悲しみ、そして愛。さらには神なるもの、悟り、真理、そうしたものを追い求めようとする想い。その全てがソピアーへの信仰となる」


 ルビーのような瞳は穢れを知らない子供のように、シルは白銀の髪をふわりと揺らしながら語りかける。


「だからね、私は目を覚まさなければならない。いつまでも眠っている訳にはいかないの。分かって?」

「……妖精は、駄目なの?」

「え?」

「ニンフの、妖精の心では信仰にはならないの? 彼女たちにも心はあるんだ。精霊に支配された世界だからこそ生まれる苦悩も、知もあるんじゃないのか?」


 強く拳を握って語りかける。


「この世界を見たいのならば、信仰が欲しいのならば、そのためにこの目を使えばいい。でも、封印から目覚めて境界を閉じることは、受け入れられないよ」


 しかし、シルは首を横に振った。


「私が封印されたままでは誰も人間を精霊の手から守ってくれない。そうしたらいつか人間は一人残らず地上から消えてしまうんだよ?」

「僕に言われても困る。だとしたら、それが定めだよ」

「その定めを、あなたは覆すことができるんだよ!」


 にわかにシルの瞳が紅く輝き、周囲に紅い炎が立ち込めた。神の血が顕現した特別なアニマの炎。あのときに僕をムカデ型の機械兵器から護ったものだ。神々しい威圧感に全身の皮膚が粟立った。


「確かにあなたにとって、人間の世界での日々よりもニンフにさらわれてからの暮らしの方が幸せだったのかも知れない。でもあなたは人間なんだよ? 正義は私と共に在るの! 私の手を取れば、あなたは英雄、いやそれ以上の神格的な崇敬と名誉を得られるわ。そこで初めてあなたの苦悩は報われるんだよ」


 そしてシルは厳しい顔つきから一転して慈愛の女神のごとき穏やかな笑みを浮かべ、僕の頬を包み込むようにその白い手を重ねた。


「さあ、おいで」


 巧みな言葉に、息を飲むような美しさに、どこか安心感すら覚える圧倒的な存在感に、思考が飲まれそうになる。

 だが、僕はその手を払った。


「……結局はエゴだろう」

「……?」

「シルはただ、封印に囚われ、この世界から知と信仰を得られなくなったことが耐えられず、助けて欲しいだけなんじゃないのか?」


「……だとしたら何?」

「今の世界はきっと、人間と妖精が互いの領域を侵し合っていることで生じる一種の均衡の上に成り立っている。もしその一方が崩れ、人間が好き勝手できる状況になったら、今度は人間同士の争い、、、、、、、が生じる。そういう因果を、君は既に読んでいるんじゃないのか?」

「……」


 シルは沈黙した。それこそが答えだった。


「それもまた世界の観測に必要な悲劇だっていうの?」

「人類の歴史は戦いの歴史でもあるわ。進歩と犠牲、愛と憎悪は表裏一体。その全てに意味が、価値があるの。精霊とではなく、人間同士がその業を背負うことで……」

「くだらない!」


 僕は叫んだ。弾かれたように後退あとずさってシルから距離を取り、シルの紅き炎から身を護るように青い炎を周囲に展開させた。


「身勝手だ! 神も、精霊も、人間も! いや、エコナも……それに僕だって。そうだ、皆自分勝手だ! ならば僕は自分の信じたようにする。悲劇はもうたくさんだ!」


 その時だった。

 真っ白になった頭の中で声なき声が反響する。形にならない言葉を、確かに一つの名として直感した。

 それは、僕自身の宿す炎の名――。



「――目覚めろ……双界乃竜そうかいのりゅう!」



 言下に僕を取り巻いていた炎が油を注いだように膨れ上がり、一つの形を取り始めた。

 獅子のごときしなやかな四本足の胴体、コウモリの翼、大蛇のごとき長く艶美な尾、立派な二本角を生やしたトカゲの頭。その胸部に収まりながらも、その全容が手に取るように分かる。

 それは、アニマの炎で出来た巨大な蒼き竜だった。


「土壇場で覚醒を……! あなたはそれほどの覚悟を……」

 シルの表情に初めて焦りが見えた。


「シル。僕は君を拒絶するよ」

 そして竜は全てを破壊し尽くさんと火を吹いた――。



 重い金属音が轟いて、コンテナの扉が吹き飛ばされる。気付けば僕はシルの生み出した空間から抜け出してコンテナの外に飛び上がっていた。広々としたアスファルトの駐車場らしき空間にいくつも置かれたコンテナと車、大きな幕を張ったテントが見える。


 シルは空高く舞い上がり、錆びついた鉄骨が円形に組まれた巨大なオブジェクトの上に降り立った。それは観覧車だった。


「少し、面倒なことになっちゃった……」


 シルは哀切な目で僕を見た。僕の視界とリンクしている、蒼炎の竜の目を。

 対して僕は身近にあった鉄製のレールの上にとまり、彼女と対峙した。その時になってようやく周囲の状況を理解する。


「ここは……遊園地、の跡か?」


 そう、ここは打ち捨てられ廃墟となった遊園地だった。僕のとまっているのもジェットコースターのレールだ。雨を降らせていた雲の隙間から黄昏れの赤が差し込み、錆びと雑草に浸食された閑寂たる遊園地廃墟を斜陽が物悲しく照らしていた。


 驚いた。こんな所に遊園地があっただなんて。いや、感心している場合ではないのだが、それでも余りに現実離れした夢幻のような光景だったものだから、一瞬我を忘れてしまった。


「私を拒絶して彼女たちを選んだところで、もうあなたに帰る場所なんてない。ニンフは私の血を宿したあなたという人間を認めない。あなたが今飛び立とうとしている先にあるのは何も生み出さぬ孤独と空虚だよ」

「それでも、僕はエコナを、皆を裏切ることはできない」


 そして蒼き竜は口一杯に溜めた炎を吐き出そうと首をもたげた。


「去れ、シル。僕はあなたを倒してでも――」

 そのとき、突如として脇から青い炎弾が降り注いできた。


「っ……!」


 驚いて地面に飛び降りるが、圧縮された大量の炎で出来た竜の体に守られて僕自身は傷ひとつ付かなかった。

 見ると、十体には登りそうな数のトビバチ、そして炎で武装した九藤の姿があった。

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