第26話 語られる真実。迫られる選択

「私の名前はシル。智神ソピアーの意識があなたの神器を介して顕現した分身体」

シルと名乗った少女は鈴を転がすような声と共に曇りのない微笑みを投げかける。

「神の分身……?」


 思わず聞き返したが、正直に言って疑問を挟む余地などなかった。それほどに圧倒的で神聖な存在感を、彼女は放っていたのだ。それに、この神血の瞳を通して彼女と繋がっているからか、シルが自ら名乗らずともそれだと分かるような直感があった。


「ようやく会えたわね、私のいとし子」

「まさか、あの戦いで守護が発動したときに……」


 あのとき脳裏に響いた声。


 『――この時を待っていたわ』


 それは間違いなく目の前にいるシルのものだった。


「その通り。あなたが神血の瞳を目覚めさせてくれたおかげで、私の封印が少しだけ緩んだ。だからこうして分身を現世に顕現させることができたんだよ。もちろんあなたのことも、世界のことも、その目を通してずっと見てきたけれどね」

「……」


 人が神に触れる瞬間、奇跡を目の当たりにする瞬間を前にして、僕は茫然としながらシルの話を聞いていた。

 あくまで仮の姿ではあるはずだが、これが神か。もっと威圧的で荘厳な感じだと思っていたが。とは言っても、こんな可愛らしい姿をしておいて全く隙が見えない。まるで全身から余計な力や感情、思考が抜けて抵抗できなくなるような、不思議な支配力を感じる。


「あなたの封印を解けと、直々に訴えに来たのか?」

「そんなに慌てないで。まずは少し話をしましょう? どんな質問にも答えてあげる」


 シルは無粋に本題へ切り込もうとはせずに、対話のチャンスを与えてきた。


「そうは言われても」

「どうして? 知りたいことはないの? それとも私のことが信用できない?」

「……じゃあ君は、いや、ソピアーって一体何?」

「そうこなくちゃ」


 シルは満足げに微笑んでから言葉を続けた。


「ソピアーはこの宇宙を創造し、支配し、知覚する者の名よ。便宜上神の名を冠しているけれども、『創造主』とか『観測する宇宙の核』とかいう表現の方が正しいわね。途方もない年月をかけて天地を創造し、精霊界から霊魂を降ろし、地上に人間を放ったのも私」


 この辺はエコナや九藤から聞いた話と矛盾しない。そしてエコナは物質的な肉体のことを「肉の殻」、この世界のことを「箱庭」とも呼んでいた。そして、神があえてこの世に悲劇と闘争、そして偽りを撒いたとも。


「何のために?」

 問うと、シルは大きく両手を広げてどこか楽しげな笑みを浮かべた。


「――世界の全てを知りたいから!」

「……は?」


 頭上に疑問符を浮かべる僕を見て、シルはさらに面白がった。


「ふふふ。あなたの宗教観が如何なるものかは知らないけれど、全知全能の神、高位精霊体だなんてそうそう居るものじゃないんだよ。私も一応は精霊界の誕生と共に在る『原初の神々』の一柱ひとはしらなのだけれど、序列は最下位。この鉄の天井の上、空の向こうの宇宙よりも遥かに広大で複雑神秘な世界の全てを知るにはとても追い付かなかった。……でも、私はどうしても知りたかった」


 そう言って、シルは指をパチンと鳴らした。すると狭苦しいコンテナの暗がりは一転して足がすくむような宇宙空間に変化した。足元は灰色の岩肌で、月面に似ていた。これは幻覚なのか?


「だから私は精霊界の一番下に物質界を創り出した。精霊界の縮図、模倣として、独自の物理法則に基づく理路整然として観測容易な世界をね」


 言葉と共にシルの背後、その彼方で星雲煌く大爆発が起こる。凄まじいスピードで広がっていく星屑はやがて星になり、銀河になり、やがて月面からごく近い位置に一つの青い星が形作られた。


「宇宙が安定してきたところで精霊体を模した生命体を放ち、その進化を見届けてきた。やがてその一部が高等な知性を持った生命体に進化したところで、私の目的の半分は達成した」

「それが世界を知ることと、どう繋がるのさ?」

「宇宙の成長、そして人間の『進歩と愛欲の過程』は私の知らない世界の深淵を見せてくれるの。名も知らない種を撒き、咲いた花の色を、った実の味を見ることで私の知らない世界を知る。それこそがこの物質界を創造した意義」


 そんなことのために、この世界を創ったのか。

 それが僕の率直な感想だった。まるで人間の研究者みたいなことを言う。人間くさいと言えばそうだが、何と言うか腹が立つ以前に拍子抜けだった。彼女の可憐な姿と相まって、つい気が緩んでしまいそうになる。


「……じゃあシルは、ソピアーが創造したこの世界のことですら把握しきっていないってことか」

「だから私は観測者なのよ。もちろん、進化を誘発するためのきっかけ、、、、はたびたび与えていたし、因果律を読むことくらいはできるよ。神様だもの。神器もまた、地上へ干渉するための媒体として作ったものなのだから」

「ならどうしてあなたは封印され、大災厄は起きた? この世が不完全な世界だからか」


 そう尋ねると、シルは忌々しげに表情を曇らせた。


「不完全な世界、ね。確かにニンフのあの子はそう言っていた。でもね、その不完全性こそが重要だったの。悲劇と闘争、そして偽りと混沌の中で生まれるものこそが、あっちの世界では決して知り得ることのなかったものだから。成木宗、あなたがそうであるように、悲劇の中で抗い闘う者の姿こそが世界において最も美しいものなんだよ」

「っ……」

「それを彼らは理解してくれなかった。秩序と調和ばかり語って、美と知の全てを得たつもりでいる。違う。苦悩なき物語に価値なんてないわ。完全な世界からは何も得られない。私はこの残酷で美しい世界を愛し、愚かでも可能性に満ちた人間を愛していた。それなのにっ、彼らは私を玉座から引きずり降ろし、救済と称して人間を地上から消し去ろうとし、私を暗闇に閉じ込めた……っ」


 シルは悲痛な声色をにじませ、深紅の瞳を手で覆い隠した。



 何を言われても耳を貸さないつもりでいた――。


 智神ソピアーの封印を解けば必ず人類の再生にとって有利な状況が発生し、その結果エコナを始めとするニンフやダム湖遺跡で出会ったドワーフといった妖精たちが駆逐されると予測できたからだ。それに、確かにソピアーはこの世界を不完全なものとした上で傍観を決め込み、己の行き過ぎた探求心と知識欲のために舞台を続けようとする独り善がりの神だったのだ。


 ――だがそれでも、シルの言葉に揺れる自分がいた。


 この世界を創ったというソピアーは決して全知全能の神ではないが、悪辣な魔王でもない。もはやソピアーの干渉がなくとも「一度そういう風に創られた世界」はこれからも悲劇と闘争を繰り返すのだろう。この百年間が、僕自身の半生が証明しているように。そして崩壊と再生の狭間はざまで緩やかに進化していくのだ。


 例えそれが神の仕組んだシステムだとしても、実際に何を選択し、どう生きるのかを決めるのは僕ら自身だ。そういう意味において、「悲劇の中で抗い闘う者の姿こそが世界において最も美しい」という言葉は救いだった。


 それに、残された人類にとって、精霊たちが起こした大災厄はそれこそ悲劇でなくして何だと言うのだ。善悪の全ては各々の価値観と世界観、そして何を知っているかに左右されるものであって、誰が正しいのかを判断するには僕はあまりに未熟だ。

僕がここで選ばなければならないことは、ソピアーの封印を解くか、否かだ。



「シルは……いや、ソピアーは封印を解かれた後、どうするつもりなの?」


 僕が尋ねると、シルは真剣な顔つきになって答えた。


「私は……――物質界と精霊界の境界を閉じる」

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