第五章 それぞれの約束の日のために

第25話 よみがえる赤

 ――一年と数カ月前。



 僕は夜空を覆い隠さんと乱立する煌々たるビル群の中を一人歩いていた。行き交う人々の合間を縫うようにひたすら、降ってもいない雨に打たれるような顔で。


『見た? あの人目の色が真っ赤……』

『何あれ、気味悪い』

『あいつ、母親に捨てられたんだって?』

『父親は自殺したらしいよ』

『また炎を暴発させやがって! お前みたいな不吉な野郎は、さっさと戦場に放り込まねえとかなわんな』


 記憶の中からか、いま実際に聞こえてきているのか、はたまた幻聴なのか、とにかく色んな声が僕を苛む。


『何でお前はいつも外の世界ばかり見てるんだよ? いいじゃんか、確かに窮屈だけど食べる物には困らないし、安全だし、便利だし……楽しいことの一つや二つくらいあるだろ?』


 あるクラスメイトにそんな話をされたこともあった。

 ああ、あることにはあるさ。でも苦しいことの方がずっと多いよ。


「――速報です。先程、防衛軍が旧松本市街の奪還を完了したとの発表がありました。一帯を占領していたニンフ及び敵対精霊体は駆逐。死傷者数名。今後この松本駅周辺はコロニーとして再開発するとのことで……」


 街頭に表示された巨大なテレビ画面から流れてくるニュース。人々は立ち止まって歓声を上げたり、嬉々としてスマートフォンを起動してSNSを開いたりしている。

僕はそんな群衆には目もくれず黙々と歩く。日が落ちて一層冷えた空気が肌を刺す。季節は既に年末だ。


 どうして皆はこんなナンセンスなニュースに夢中になるんだ。僕と違ってあなたたちは色々なものを持っているだろう。恵まれているだろう。なのに何故これ以上を望む。

 ディスプレイの向こう側ではたくさんの血が流れているのだ。妖精だって人間と等しい自我を持っているはずだ。それでも平気なのか。そんなに百年前の繁栄が恋しいか。一体現状の何がそんなに気に入らなくて、人々は外に攻撃性を向けるのだ。


 ふと、横断歩道向こう側にあるファミリーレストランに目が留まった。

 暖色の光を反射するガラスの向こうで、家族連れや学生のグループ、カップルなんかが料理を囲んでいる。誰もかれもが楽しそうで、幸せそうで、まるで一つの映像を見せられているみたいに、僕とそれらの間には越えられない何かが介在していた。


 にわかに、胸がピアノ線できりきりと締め付けられる。だが僕はその残酷な光景から目をそらすことができなかった。

 ふと制服のポケットにしまった財布へ手を伸ばす。撫でるように合皮の感触を確かめながら、いま自分の所持金が千円にも満たないことを思い出す。これで年を越そうだなんてあまりに哀れだ。


「ここは、僕の生きられる世界じゃない……」


 流れる涙などとうに枯れている。ただ、ぽっかりと空いた胸の穴を愛撫することしかできなかった。



 ――…………ッ……。



「っ……?」

 刹那、誰かの視線を感じて振り返る。


 だがどこを見渡しても、あるのは僕に一切の関心を払わず通り過ぎてゆく人の群れだけだった。

 その時感じたかすかな気配だけが、寝ても覚めても僕の心の片隅に焼き付いて離れないのだった――。








「――……ソウ。起きて、ソウ」

「っ!」


 誰かの声に促され、コンテナの中で目を覚ました。いつの間にか手足の拘束はなくなっていて、肩の傷も塞がっていた。


「……エコナ?」

 その柔らかな声に大切な人の面影を探して、僕は目をしばたたかせながら強引に眠気を振り払い、体を起こす。


「おはよう」

 もう一度声が聞こえてそちらを見遣る。そこにエコナはいなかった。その代わりに、一人の天使が立っていた。


「君は……誰?」


 よわいにしてわずか十歳前後と思しき小柄な少女の身体、白無垢のワンピースらしき衣に、膝裏まで届く流麗な白銀の絹髪きぬがみ。腰からは繊細かつしなやかな銀翼ぎんよくを生やしている。そして、瞳の色は僕と同じ深紅。

 全身が輝いて見えるほど真っ白なのに、その目だけが新雪の中に落とされたルビーのように際立って、僕の姿を捉えていた。

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