第24話 打ち壊された夢と突きつけられる宿命

 無機質な鋼鉄の天井。そこからぶら下がった白い電球。そんな人間的な景色が目蓋の向こうにあった。


 硬い床の上に横になっている体をもぞもぞと動かしてみる。手足が拘束されていた。それに霊力が少しもおこる気配がない。霊力封じでも施されているのか。


「目が覚めましたか?」


 声のする方を向いてみると、僕とさほど年の変わらない一人の青年がパイプ椅子に座っていた。オールバックに眼鏡をかけた利発そうな顔つきをしている。カーキ色で上着の裾が長い特徴的な戦闘服に身を包み、この狭い箱のような空間が退屈だったと言わんばかりに一冊の本を開いていた。


「あなたは、トウノ呪機商会の傭兵か?」

「理解が早くて助かります」


 鎌をかけるくらいのつもりで言ったのだが、間違っていなかったようだ。


「それで、犯罪者の僕をどう裁くつもりなんですか?」

「そう警戒しなくて結構ですよ。君が協力的ならいかようにもなる。何せ君は妖精ニンフにさらわれた身。あの女狐どもにそそのかされ、あるいは操られて我々の兵器を壊したやったというのなら咎める謂れはない」


 あくまで温和に語りかける兵士の青年。

 女狐だと? そそのかされ、操られていただと? ふざけるな、悪辣な侵略者の分際で。

 だがここで下手に感情的になって相手の神経を逆撫でするのは下策だ。ぐっと言葉を飲み込む。


「君の戦闘は壊された機械兵器が記録していた映像で確認済みです。下手な言い逃れはせず、ありのままを話してくれるとお互い助かる」


 そして青年は少し間を開けると、含みのある声色でこう続けた。


「――その『神血の瞳』を何に使うつもりだったのか、とかね」

 聞き慣れない単語に僕は眉をひそめた。


「……しんけつの、瞳?」

「驚いた。君は何も知らないのですか。その目ですよ。先程の戦いでも絶大な力を見せていたじゃないですか。まさか無自覚で使っていたのか?」


 そのとき、彼の言葉と僕の目に対するエコナの不可解な態度が繋がったような気がした。


「あなたはこの目の何を知っているんですか?」

「やれやれ、知らないなら仕方がない。その紅い目は神器・神血の瞳。智神ソピアーの血で出来た人類再生の希望ですよ」

「な……っ」


 とても冗談を言っているようには見えない。この目が、神器? 神の血で出来ているだって? 確かにそんなものがこの体に宿っているのなら、今までの奇妙な現象にも説明がつくが……。


「言っておきますが、瞳の紅い人間が全て神血の瞳を持っている訳ではありませんよ。ほとんどは神が作ったダミーだ。本物は一つだけ。それが、君です」

「待ってください。この目はこれまで、この身に命の危険が及んだ時のみ力を貸してくれるだけだった。人類再生だなんて、そんな大層な力を持っているようには……」


「それは神器の存在が不用意に知られることを避けるためです。我らが神は大災厄の時に古き精霊どもによって神器を奪われ、自らも封印されて長い眠りに就いてしまったのだから」

「封印……?」

「そう。精霊が地上をのさばる今の世界は神の加護が途絶えてしまったことが影響しているのです。だからこそ僅かに残された神器は智神ソピアーを目覚めさせる重要な鍵だ」


 青年はそこで思考を整理するように一呼吸置いてから、続けた。


「神血の瞳は、恐らく平時は持ち主の命を守る際にしか力を発揮しない。まあ君の力を見るに霊力あたりに補助をかけているのかも知れないが、何にせよ基本的には他の何千という赤目の者とまるで区別がつかない。だからこそ、我々も今まで見つけ出すことができず、同時に精霊どもの目に留まって破壊されることもなかった。我々はもともと他の神器を探していたのですが、まさか神血の瞳の保有者に出会えるとは」


 そう言って青年は、「……しかし、持ち主も自動的に自覚を持つ訳ではないのか。持ち主の意志で制御できるものでもないのか……?」などとぶつぶつ呟いた。


「だが知らなかったのなら知らなかったで話が早い。君、名前は?」

「は? ……成木、宗」


 勢いに押されて名乗ると、青年は微笑を湛えて右手を差し出してきた。


「私の名前は九藤くどう悠世ゆうせい。成木君、その神器の力を我々のために使ってくれませんか? ……いや、その言い方だと君はイエスと言わないでしょうね。単刀直入に言おう。その神器でこの世の神ソピアーの封印を解いて欲しい」


 その言葉に、僕は今度こそ固まる。


「何を、言っているんだ……?」

「言いましたよね、君の宿す神器は我らが神の封印を解く鍵だ。神血の瞳の守護を発動させ、ニンフと生活を共にしていた君なら薄々確信を抱き始めているはずです。神は存在する。神ソピアーはこの地上、宇宙を創造し、人類に知恵を与えた全ての生物の祖だ」

「説教なら教会でやってくれ……」


「これは宗教ではない。精霊や呪術と同じ、物理を超越したこの世の理の一つです。社会では表沙汰になっていませんが、全世界の学者たちが血眼になって神を、大災厄の真相を、そして精霊の正体を研究している。皮肉にも大災厄を経て世界の仕組みが変わったおかげでね」

「じゃあ神が人間を助けるという根拠は何ですか。ニンフは神を愚挙の王と呼んでいた。信用できません」

「だから、君はニンフに騙されているとは思わないのですか。あれは人類の復興を妨げる敵だ。妖精はもとより神の眷属では……いや、そもそもトウノを敵視している以上、私の言葉にも耳は貸してくれないでしょうね」


 そのとき、僕は乾いた笑い声と共に小さく首を振り、痛む体をおして壁にもたれかかった。


「ニンフたちに情が移っていることは認めます。ヒノアさんを殺した、そのことも許せない。でもそれ以前に、僕は人類再生だなんて下らないこと、、、、、、、、、、、、、、のために力を貸す気はないんですよ……」


 そう言い切ると、九藤は大きなため息を吐いて手元の本を閉じた。タイトルは「グノーシス主義から見る智神の新説」と書かれていた。

 そしてパイプ椅子から気怠そうに立ち上がり、僕の胸倉を掴んで引っ張り上げる。


「君は自分の置かれた状況を今一つ理解していないようだ……っ。協力的なら、と言ったが、そうでなかったらどうなるのか……想像できないほど君は愚かには見えませんよ?」


 声を荒げることはないが、静かに殺意を込めた声色だった。だが黙って圧倒される訳にもいかない。


「僕を殺すことはできない。死を強く意識した時点で守護が発動して、あなたたちを殺す可能性だってある」

「死んだ方がましだと、生きながらにして思わせる方法はいくつもある」

「どれだけ拷問し、拘束しようと、鍵の使い方を知らない者に扉は開けられない」

「ご安心を。それに関しては我々トウノ呪機商会が全力でサポートします。それに、長い付き合いになる。時間はいくらでもあるのですよ」


 九藤は不敵に笑って手を放し、部屋の扉へと向かった。


「歓迎しますよ、成木君。身も心もきちんとリハビリして、またお話ししましょう」

そう言い残して九藤は出て行ってしまった。


 そして僕は、崩れ落ちるようにして再び床に横たわった。


「エコナはずっと気付いていたんだ。それでも隠し続けた。きっと、仲間に知れ渡ることで僕が神器を宿した危険人物として排除されることを避けようとしたんだ。それなのに、僕は……ヒノアさんを守れなかったばかりか、神器を目覚めさせてしまった……。ああ……ここから逃げ出せたって、もう集落には帰れないな。ならトウノに協力するか……? はは、まさかな」


 自虐的に独り言ちながら、ここがコンテナの中であるらしいことにようやく気付く。結局行き着いた先は狭く暗い鉄の箱の中か。無様じゃないか、成木宗。


 僕はまるで駄々をこねる子供だな。人間の世界での十八年間がちょっと不遇だったからって、人間は嫌いだから人類再生という大義にも手を貸したくないなどと。

 トウノのやっていることも結局、人間だけの尺度で言えば正義なのだ。領土を取り戻せば生活は豊かになる。失われた技術や知恵、文化を取り戻せる。人々を苦しめる奇病も、恐らくは。ああ、素敵なことだとも。


 そして僕は人類の英雄にだってなれる聖剣を手にしたのかも知れないのだ。にも関わらず、意地とペシミズムと、ずれたヒューマニズムだけで拒絶しようと言うのか。どれだけ拗らせているのだ。


 それにもしかしたら、僕が神器を使って智神ソピアーなるものの封印を解けば、ニンフを始めとする妖精、精霊たちと共存しながら人類を復興させる道があるかも知れないじゃないか。もしそんな夢のような話があるとすれば、僕はきっとトウノに協力するだろう。


 まさに大団円、ハッピーエンド、誰も不幸にならない方法。


 ……………………。

 …………………………………………。

 ………………………………………………………………。

 ……………………………………………………………………………………馬鹿か僕は。


 そんなおとぎ話フエアリーテイルのように都合のいい話なんてこの世にはないことを、誰よりも知っているはずなのに。



「ああ、エコナ。もう一度君に会いたい……」

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