第23話 雨が全てを奪いさらうように

「……うう、何が起きたんだ?」


 戦いの時に抱くような死への恐怖フィアーではなく、亡霊や暗闇に対して本能的に抱く底知れない恐怖ホラーに胸を掻き回される感覚に酷い吐き気を覚えながらも、何とか状況を確認しようとする。


「ソウ君、大丈夫?」

 すると、すぐ隣にヒノアさんがいた。額に汗を浮かべながらも、自分の胸に手を当てて息を整えているところだった。


「ヒノアさん、これは……」

「ゴーストよ。帰るべき場所へ還れなかった人間の魂が化けて出た哀れな精霊。居憑いついた場所に近寄られて怒ったのね。あれの術で森のどこかへ飛ばされてきたみたい」

「そんなっ、エコナとミネットは?」

「いま連絡を取るわ。それよりも、先に……」


 ヒノアさんは僕の胸に手を当て、不自然に早鐘を打つ心臓を捉えて呪文を唱えた。


「――風の精よ 慰めの鈴を鳴らして」

 すると、胸の内側によそ風が吹いたような爽やかな感触がした。


「大きく息を吸って……吐いて。心に溜まった毒を吐き出すように……」

 指示に従って大きく深呼吸をする。すると今にも吐きそうな気持ち悪さがすうっと消え、動悸が鎮まっていった。


「これでゴーストから受けた穢れは浄化したからね」

「ありがとうございます」


 僕への処置を終えたヒノアさんは少し離れた場所に立つと目を瞑り、両手で耳を覆い隠して何かを念じ始めた。

 機械兵器を警戒しながらしばらく待っていると、ヒノアさんは手を下ろしてこちらへ歩み寄ってきた。


「お待たせ。エコナと連絡が取れたよ。ミネットも一緒で、ゴーストの攻撃からは逃げられたみたい。でも分断された状態で探索を続けるのは厳しいから、一度集落へ撤退して合流することにしたわ」

「分かりました」


 と、そのとき一筋の水滴が頬を濡らした。それはやがて肩を、髪を濡らし、木々の葉を打ってぱらぱらと音を奏で始めた。


「雨……」

「まだ梅雨が明けないものね。飛んで帰ろうか。朱雀脚すざくきゃく、だっけ? 足滑らせないように気を付けてね」

「はい。急ぎましょう」


 そうして僕とヒノアさんの二人は集落へ撤退するために移動を開始した。

 ヒノアさんひとりなら蜻蛉燐羽せいれいりんうで森を飛び越えて行くことができるだろうが、朱雀脚で飛び跳ねるしかない僕は森の樹と地精水晶の間を縫って起伏のある地形を飛んで行かなければならないため遅い。無論そんな僕を一人置いて行く訳にもいかずスピードを落として飛行するヒノアさんに、僕は何とか遅れを取らないように跳んだ。


 だがその焦りこそが不味かった。ヒノアさんは集落の方向を探知するのと並行して僕に合わせて飛ぶことに集中し、僕も障害物を掻い潜りながらヒノアさんについて行くことに必死になっていたため、周囲を索敵しながら移動するという探索の基本を忘れていたのだ。そして、この雨もまた悪い相乗効果を生んでいたのだろう。


 突然のことだった。

 目の前を一筋の青白いレーザーが走り、それがヒノアさんの脇腹に直撃したのだ。


「んああっ!」

 体勢を崩したヒノアさんは勢いを殺し切れないまま目の前の地精水晶にぶつかり崩れ落ちた。


「ヒノアさん!」

 彼女のもとへ駆け寄り、同時にアニマの炎で周囲に防御を張る。


「……うう、痛い……痛いよう……」

 涙を浮かべ苦悶の表情を浮かべるヒノアさん。腹部からは焼け焦げたような匂いがし、どくどくと血がにじんでいた。


「くそっ、どこだ!」


 ひとまず彼女を地精水晶に寄りかからせてレーザーが飛んで来た方を警戒する。

 すると霧の向こうから青白い光が瞬く。そしてそれを視認した瞬間にはあのレーザーが僕の右肩を切り裂いていた。


「っ!」


 とっさに負傷したヒノアさんから距離を置き、霧の向こうへと炎弾を複数放つ。肉が焼け、裂ける感触はあったが痛がっている場合ではなかった。幸い傷は浅い。

 すると森の奥から微かな金属音と何かが地を這う音がして、地精水晶の放つ光を反射し青黒く煌く装甲と金色の縁取りが見えた。


 それは、「大蛇と見紛う」という言葉では片付けられないような巨大なムカデだった。竜と呼んだ方がしっくりくるような巨躯。節ごとに生えた無数の脚。人の胴体くらい容易に噛み切ってしまいそうな大顎。触角のようになった二本の後脚の先端は青白い光を帯びていた。


「こいつだ。例の大型機械兵器……!」


 最悪のタイミングだった。主戦力となるエコナとミネットは別行動中。ヒノアは負傷していてすぐに逃げられる状況にない。相手は能力も強さも未知数。だが今の攻防ではっきりと分かったのは、こいつはクロオニよりも強いということ。

 やれるのか、僕一人で。


「……いや、やるしかない!」


 アニマの炎を全開に構え、青い炎が身を守るようにゆったりと渦巻く。

 唾を付けた一矢に神の加護でも宿ればよいが、そんな上手い話など実際にありはしない。

 完全に破壊するのは難しそうだ。まずはセンサーとあの厄介なレーザー砲を潰す。だとすれば狙うは頭と後脚。


「食らえ!」

 そして放たれた渾身の熱線は一直線に機械兵器の頭を打ち砕かんとした――。





 だが、僕の炎はムカデの機械兵器には届かなかった。





「……くっ……」


 あちこちの地面が抉れ、木々の枝葉が散乱し、地精水晶の塊の一つが砕けている。

 ムカデの機械兵器の装甲には何ヶ所か傷や凹みがあり、後脚の一本が破壊されていたが、まるで致命傷には至っていない。

 そしてその大顎は、まさにいま僕の体を挟んで軽々と持ち上げていた。


 圧倒的だった。まるで勝ち筋が見えない。

 ただでさえ硬い合金の装甲に加え、弱点となる頭部は口から吹き出すアニマの炎で防御されてしまう。後脚から放たれるレーザーは銃弾のごときスピードで確実にこちらの盾を削り、アニマの炎が追撃をかける。

 さらに本体の動きもその大きさに見合わず素早く、僕が消耗し動きを止め、防御が緩んだ一瞬をやられたのだ。そもそもあの重量と硬さで突っ込んで来られたら僕の火力を持ってしても止めようがない。


 機械兵器の大顎はモデルとなったムカデよりも長く、突き刺すというより挟む、クワガタムシのそれに近い形状をしている。万力のように胴体を締め上げるそれに手をかけて抵抗するが、せいぜい自重による圧迫を軽減することしかできない。

 両手に灯すアニマの炎も弱々しく、もはやこの拘束を解くだけの余力は残されていなかった。


 ――ここまでか。そんな想いが脳裏をよぎった。

 僕はここで死ぬのだろうか。それともここで機械兵器に向かって参ったと言えば人間用の牢屋にぶち込まれるだけで済むのだろうか。いや、そんなものは死ぬのと同じだ。


「――お前が私の死か……」


 いつか読んだ物語の台詞をつぶやく。

 恐怖よりも、絶望よりも、ただただ済まないと。ヒノアさんに、エコナに、ミネットに思った。そしてこれが的外れな理想を追ったはみ出し者の末路かと、清々しい自虐心を口に含んで飲み下した。

だが、


「ダメっ!」


 突如緑色の煌きが走り、ムカデの機械兵器の頭を弾いた。

 中枢にもろに衝撃を食らった機械兵器は頭を大きく揺らし、拘束を緩めた。支えを失った僕の体が宙を舞ったが、気力で炎のクッションを展開し着地する。


「ヒノアさんっ?」

 僕の目の前に、負傷して動けなかったはずのヒノアさんが立ちはだかっていた。


「く……はぁ……。手を、出さないでっ。この子は私たちの宝、私たちの希望……!」


 少しは自己治癒を施したようだが、それでも息は絶え絶えでふらふらとしている。無茶だ、あまりにも。


「逃げてください! あなただけならまだ――」


 彼女に向かって叫ぶ。だが遅かった。

 ムカデの機械兵器は後脚の先端を青白く光らせ、触れるもの全てを焼き切るレーザービームを射出した。


 ヒノアさんは反射的に炎の盾を展開した。

 防ぐには、あまりに薄い盾だった。


「――……っ!」


 一条の光が、無情にもヒノアさんの胸を貫いた。

 飛び散る鮮血とレーザーの残滓が僕の紅い瞳に焼き付き、雨音だけがホワイトノイズのように頭の中で響く。


「ヒノアさんっ!」

 その小さな体を掻き抱く。彼女は僕の腕の中で悲しそうに笑った。


「ごめんね……足、引っ張っちゃって……」

「喋らないで! いやだ、そんな……!」

「大丈夫……少し眠るだけ、だから。でも……この器は、もう……」


 言い終わらない内に、ヒノアさんの体はみどり色の光の粒子となって散った。一斉に飛び散った蛍のように、ヒノアさんだった火の粉は霧と雨にけぶる森の中に消えてしまった。

 失ってしまった。ひとり。


「ああああああぁ!」


 絶叫が森に木霊する。

 枯れていた霊力がどこからか湧き上がり、炎を天に逆立てる。目の奥が熱い。脳がどろどろと溶けていくような感覚。何でもいい。今ここでこいつを壊せるのなら。


 だがそんな僕を押しつぶすように化けムカデの大顎が迫る。空元気で止められるようなものではなかった。本物の死が迫っていることは分かっていた。

 そしていよいよ金色こんじき凶角きょうかくが食らいつこうとした時だった。



――この時を待っていたわ。



 脳裏に響く少女の声。

 紅蓮に染まる視界。

 機械兵器の突進が止まる。

 僕を守護したのは、紅き炎。

 そして、

 機械ムカデの全身は一瞬で血の色に燃える炎に包まれた。

 焼き尽くす。

 存在そのものを否定するようにその巨体を喰い尽くしていく。

 地獄の業火で焼かれるようでもあり、天のいかづちに打たれるようでもあり。


 理屈は分からない。だが僕がそれをやった、、、、、、、、ことは理解できた。


「……っ」

 紅き炎が鎮まると、ムカデの機械兵器は物言わぬ鉄屑と化していた。


「一体……何が……?」


 静まった戦場を見渡す。と、急に強烈なめまいに襲われた。

 あの時と同じだ。限界を超える力を使って、目の奥を灼熱が走り、その後めまいがして意識を失う。

 駄目だ。まだ倒れる訳にはいかない!


「集落へ、エコナたちのもとへ……そして……報告、をっ……」


 無理やり朱雀脚を発動させようとするがどうにもならない。湿った腐葉土の上に倒れ込み、土を噛む。

 僕の意志とは関係なく、意識は闇の底へと沈んでゆく。


 起きろ。起きろ起きろ起きろ起きろ!

 ここで立てなければ何の意味もないんだ。ここで起きたことを伝えなければ、集落の皆を危険に晒すどころかヒノアさんへの弔いにもならない。僕はまだ、エコナのそばにいたい。そのために戦っていたのではないのか。僕は、僕は……。



 そのとき、森の奥から獣の足音が響いてきた。

 このリズムは犬……いや、馬か。それに僅かに混ざる機械音。もしや……。

 僕の思考はそこで途切れてしまった。

 

 最後に見たのは、漆黒の馬に跨った若い男の姿だった。

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