第四章 雨の降る日は天気が悪い

第21話 嵐の前に

 数日後の夜のこと。


 僕とエコナ、ミネット、ヒノアさん、そしてマルシィさんの五人は酒場の長テーブルで一枚の紙(紙と言っても植物の繊維をして固めた分厚くザラザラとしたものだ)を囲んでいた。テーブル一杯を占領する紙には森の中を這う巨大なムカデの絵が描かれていた。絵と言ったが、厳密には念写と呼ばれる呪術によって紙面に投影された写真のようなものである。


「これが、先日『水晶と霧の森』で発見された未知の大型機械兵器です」


 マルシィさんは真剣な面持ちで僕らに説明する。


「見ての通り竜にも劣らぬ巨体を持ち、頑丈な金属装甲に覆われたムカデのような姿をしています。発見したニンフはこれに気付かれる前に逃げることができましたが、おそらくクロオニ以上の戦闘能力を有する危険な機械兵器だと思われます」

「それがこの集落の近くに現れたってことは……穏やかじゃないよね」


 マルシィさんの説明を聞いたミネットが生唾を飲み込んだ。


「トウノ呪機商会はいよいよ北を占領するつもりなのかな」


 エコナが落ち着いたトーンで口を開くと、マルシィも「着実と外堀を埋めにきていますね」とぼやいた。

 そのとき、ふと脳裏に一つの疑問が浮かんだ。


「思ったんだけれど、トウノはどうしてそこまでしてエナの支配を広げようとするの? こちらから何かしている訳でもないし、こんな都市から離れた土地をこれ以上取り戻したってしょうがないじゃないか」

「神器だよ」


 そう答えたのはリクトさんと五番目に婚姻の契りを交わした黄色髪のニンフ、ヒノアさんだった。


「神器?」

「うん。この世界を創造した智神ちしんが地上の人間に加護と知恵を授ける媒体として生み出した神の器。大災厄アセンションの時に古き精霊たちの手でほとんどは破壊されたのだけれど、今でも僅かに残っているらしいの。その一つがエナのどこかにあるとかで、トウノ呪機商会はそれを狙ってエナの支配を広げているみたい」

「そんなものを信じ込んだばかりに、こんな……」


 未だエコナたちの語る「創造と知恵の神」なる存在に懐疑的だった僕は首を左右に振りながらため息を吐いた。


「もちろんそれだけじゃないとは思うけれど、結局はトウノがこの地を独占したがっているって所に行き着くかな」


 そうエコナが補足する。


「それでですね。あなたたち四人に、このムカデ型機械兵器の調査と、できれば討伐をお願いしたいのです」


 マルシィさんが本題を切り出してきた。


「一応聞きますけれど、勝算は?」

「エコナとミネットは集落でも指折りの戦士です。この二人が力を合わせればクロオニ一体程度なら造作もありませんが、今回の討伐対象は恐らくそれ以上の強敵。二人がアニマの炎の覚醒を使用してようやく優位……という可能性も否定できません。加えて他の機械兵器も相手にしなければならないとなった場合、二人だけでは危険です」


 そう言ってから、マルシィさんは僕とヒノアの方を見遣る。


「そこでサポートの得意なヒノアと、期待の新人ソウ君にもついて行ってもらいたいのです。危険な仕事ですが、お願いできますか?」

「はい。やります」

「……」


 僕は口を一文字に結んで首肯し、ヒノアは胸の前で手を組みながら黙って頷いた。

 かくして水晶と霧の森に現れた謎のムカデ型機械兵器の討伐依頼を受けた僕ら。その夜は店番をしていたリクトさんにもてなされた酒などを交わして士気を高め、討伐を視野に入れた探索の準備を整えると早々に床に就いた。


 エコナにさらわれて集落で暮らすようになってから約一カ月余り。初めての大仕事を前にして心は高揚と不安でせめぎ合い、なかなか寝付くことができなかった。






 翌朝の空は灰色の雲で覆い尽くされていた。


 チュニックの上からベルトを締め、そこに傷薬やら食料やらを仕舞った革のポーチをぶら下げて、探索用の丈夫な長靴を履く。アニマの炎や蜻蛉燐羽せいれいりんうを攻守移動の主力とするために武装らしき武装はない。

 エコナの家で簡単な朝食を済ませた後、家の扉の前で僕らは向かい合った。


「今回の最優先事項は未知の機械兵器の情報を掴むこと。倒すことじゃない。だから決して無理はしないで」

「うん、分かってる」

「緊張している?」

「まあ、ね」

「大丈夫。私がついているから」

「ありがとう。でもエコナの方こそ無茶しないでね。今度こそ君と肩を並べてみせるから」

「ふふ、馬鹿。あなたはもうとっくに私と肩を並べているよ」

「……うん、ありがとう」


 言葉を交わし、互いの手を胸の前で合わせるようにして握り合い、そして誓いを立てるように額を突き合わせた。

 遂にこの日が来た。戦うことを選んだ以上は、いつかこうなることは覚悟していた。でも僕は決して挫けない。理想がある。信念がある。帰りたい場所があるんだ。


 ――そして、これが僕の数奇な宿命との戦いの、本当の意味での幕開けとなるのだった。







 水晶と霧の森とは、先日ミネットと模擬戦を行った集落北の丘を下り、更に北へ行った所にある森林エリアだ。旧恵那市街を含む二つの旧市街の間に広がり、森の中を鉄道が横断する形になっている。

 そして、水晶の霧の森と呼ばれる所以ゆえんなのだが……、


「水晶の、樹……? 綺麗だ……」


 森の木々に混じって、高さ三メートルはありそうな巨大水晶が何本も生えているのだ。歪みのない六角柱は水色をより薄めて透き通らせたような氷河青色グレイシャーブルーの光を仄かに放ち、辺り一帯に立ち込める深い霧を幻想的な色に染め上げていた。


 曇り空も相まって、森の中は日中にも関わらず不気味なほど暗い。霧は遠景を霞の向こうへと覆い隠し、巨大水晶の放つ淡い輝きが細かい水滴に反射してぼんやりとした青の光景を生み出す。森の何処かからはフクロウの重く空気を振るわせる声やキジの鋭い掠れ声が響き渡る。


 そして何かの精が飛び回っているのだろうか、時々正体の分からない光の筋が木々の間を走っていった。

 あまりに神秘的で、この世ではないどこかに迷い込んだかのようだった。


「ほんと、いつ来て見ても綺麗だよねー」

 息を飲んでいる僕の横でミネットがうんうんと頷いた。隊列にはエコナとヒノアさんも一緒だ。


「この水晶は一体?」

「地精水晶。大地の精気アニマが結晶化したものでね、この辺りにはたくさん生えているんだよ。呪術において優秀な素材だけれど、このでかさに加えて滅茶苦茶硬いから採取も加工も難しいんだよね」

「ミネットの頭よりも硬いものね」


 ミネットのありがたい説明に対してエコナが茶々を入れる。


「ちょっと! あたしそんなに頭固くないよう! この前だってハチミツ壺を盗んだピクシーのなぞなぞを解いて取り返してあげたし」

「そっちじゃなくて、ミネットって石頭でしょ?」


 ミネットの反論をひらりとかわして悪戯な笑みを浮かべるエコナ。


「あー、そんなこと言ってると本当に頭突くよ!」


 さらにムキになるミネット。単純と言うか、煽り耐性がないと言うか。何とも微笑ましい。


「まあまあ、まさかこの水晶より硬いなんてことはないだろうから」

「当たり前でしょうがっ」


 下手にやぶをつついたのが不味かった。ミネットに思いっきり頭突きを食らわされ、僕は額から煙を登らせながらその場にうずくまった。出発前にエコナと額を突き合わせのとはえらい違いだな全く。


「うぐっ……!」

「大丈夫? ソウ君」


 ヒノアさんが心配そうに駆け寄ってきた。


「ええ、お構いなく……」

「ちょっとじっとしてて」


 そう言うとヒノアさんは僕の額に手をかざし、「すうっ……」と息を吸い込んだ。


「――痛いの痛いの飛んで行け」

「……へ?」


 何をするのかと思えば、出てきたのは呪術の「じゅ」の字も知らない人間でもできる、それも転んで膝を擦りむいた子供にやってあげるような、ただのおまじないだった。


「ははは……ヒノアさんって意外と冗談好きなんですね……」

「えっ? いや、これはそういうのじゃ……」

「ねえ、ソウ。まだ痛む?」


 僕の言葉に困惑し慌てふためくヒノアさんを見てエコナが助け舟を出した。

 ……ん? だがそう言われてみると、


「……痛く、ない」


 いっそ地精水晶にも匹敵するミネットの頭突きを浴びたというのに、ヒノアさんにおまじないをかけられてからは額の痛みはきれいさっぱり消え去っていた。


「呪術とは、まじなすべ。本来の呪術とはこういうもの。加えてヒノアはこういう回復や補助の術が得意なサポータータイプなの」

「なる、ほどね」


 エコナの解説にヒノアさんは照れ臭そうにはにかんだ。


「ありがとうございます、ヒノアさん」

「いいえ、どういたしまして」


 するとそこへ、ミネットが口を挟んできた。


「ねえ、そう言えば何でヒノアに対しては話し方が丁寧なの?」

「え? うーん……流れ的にと言うか、自然とこうなったと言うか……」


 ここにいる三人のニンフは、みな若く美しい乙女の姿をしている。その中でもヒノアさんはどちらかと言えば童顔で背も低く、この中では一番幼く見える。マルシィさんはともかく、ヒノアさんに対してそういう接し方をするのは確かに不自然ではあった。


「でも、私これでも受肉して二十七年だから、人間の尺度から考えてもおかしな話じゃないとおもうよ」


 ……そうは見えない。いや、何も彼女に始まった話ではないか。彼女たちは妖精ニンフ。初めから物質界に存在している僕ら人間とは理が違うのだ。


「え、じゃあミネットは? いや、差支えがなければでいいん……」

「十四」

「……おお」


 意外、いや順当。

 身近に年下がいたことを知った僕は思わず頬を緩めてしまった。


「ねえ今『こいつガキじゃん』って思ったでしょ! ちょっと安心したでしょ! だからそうやってニヤニヤするなー! ちょっと頭撫でんなって、やっ、おい……あ、いや止めろなんて一言も言ってませんけど……あーもう、あと三回だけだからなっ」

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