第18話 深淵を覗くとき、深淵もまた僕を覗いている

「あんたってさ……」

「?」


 唐突にミネットが口を開いた。


「結局のところ、エコナのことをどう思ってるの?」

「エコナのことを……?」


 いきなりそんなことを聞かれたものだから、僕はしばし答えに窮した。


「……一言で言えば、好きだよ。その気持ちに偽りはない。でも、僕自身エコナとどうしたいか、どういう関係でありたいか、まだよく分かってないのかも知れない」

「私の口から言うのも何だけどさ、婚約の儀を交わそうとは思わないの?」


 ミネットはリクトが注いだきりの山ぶどう酒をひと息であおってから、表情を変えることなく尋ねてきた。


「いつかは……って思っている。でも今はまだって気持ちが強い。結局、まだ心の準備ができていないのかな。恋人というより、仲間とか、戦いの先生とか、そういう言葉の方がしっくりくるんだ」

「……そっか、ちょっと安心した」

「それは、僕がエコナに変なことしたりしないって納得できたから?」

「それもあるけど……まあ、ね」


 言葉を濁しながら酒をすするミネットの頬はいくらか紅潮していた。


「にしたって、よくわざわざ戦おうなんて思うよね」

「さらわれた初日に乗りかかった舟だし、個人的に人間のやっていることには前から不満を持っていたから。この際、妖精側についてみようって思ったっていうのもある。正直ね」

「なに、あんた人間のことが嫌いなの?」


 そのストレートな問いかけに、思わず苦笑いがこみ上げた。


「嫌い、か……そうかも知れない。僕にとっては住み心地の悪い世界だったよ。親に捨てられ、周囲からも爪弾きにされ、僕に居場所を与えてくれなかった世間が必死になって過去の栄光を取り戻そうとしているのを見るとさ……嫌でも『自分は違う』って思うんだ。同時に、皆があの平和な街で当たり前の日常を享受していることに一体何の不満があるんだって、なぜそこまでして妖精と争うんだって、ね」


 つらつらと胸の内を吐露した後で、


「まあ、ちょっと変な病がずっと流行っていて、それが精霊の仕業だっていう敵対感情を煽っているのも、あることにはあるんだけどね」


 と付け足して、喉の熱を冷ますように水を流し込んだ。


「そっか。あんたも大変だったんだね」

 僕とミネットの視線が交わる。僕を憐れんでいるのだろうか、それとも同情してくれるのか?


「そんな折にエコナにさらわれた。だからかな、今の生活はけっこう気に入っているんだ。同時に人間のやっていることも、この世界の在り方そのものも……ますます気に入らなくなった、、、、、、、、、、、、、。だから、僕の手でそれを変えたい。エコナや集落の皆のためなら、僕は命だって懸けられるよ――」


 そう言い切る僕の声色は暗く、半ば憎悪にも似た決意は自分で思っていたよりもずっと重く吐露された。


「ふうん……」

 ため息にも似たミネットの相づち。少しの間、自然な沈黙があった。


「――ソウはさ……自分の命があんまり大事じゃないんだね」

「……え?」


 はっとしてミネットの方を向くと、彼女は「ごめん、でも怒らないで聞いて」と前置きをしてから続けた。いつになく真剣で、切ない表情をしていた。


「やっぱりあんたって、理想のために死のうとしている感じがある。ヘタレているように見えるけど、実際は死ぬことを恐れていないみたいだね。でなきゃエコナを支えたいにせよ、人間のやり方に不満があるにせよ、そんな簡単に戦う覚悟を決められやしない」

「……」

「エコナとの関係に深く踏み込もうとしないのも、いつ自分が死んでもいいようにって思っているからじゃない?」

「それは……」


 言い返せなかった。だが今は不思議と自分の中身を探られることへの不快感を覚えなかった。


「エコナも前に言ってた。『芯は強いけれど、生きようとする勇気に欠けている』って」

「生きようとする、勇気……?」


 胸を貫かれるような衝撃だった。彼女たちはそこまで僕の本質を見抜いて……いや、僕のことを見ていてくれていたのか。

 非力なのにわざわざ戦う道理はない。誰かに強要された訳でもない。集落の中で静かに暮らせばいい。誰よりも二つの世界の調和を願っているリクトさんがそうしているように、戦わずともニンフたちの役に立てることはたくさんあるはずだ。


 だが僕はあえて機械兵器と戦うという道を選んだ。それは、はたから見れば命を捨てるようなものなのかも知れない。でも僕はそれが間違っているとは思わない。そして、そういうところが「理想のために死のうとしている」と言わしめられる所以なのだろう。


 結局、僕は自分の命をその程度ものにしか思っていないのだ。理想とか、倫理とか、正義とか、探求心とか、あるいは英雄願望(身も蓋もない言い方をすれば承認欲求)とも言うべきもの、そして、人間や世界に対する疑問と憎悪……そういうものの方がこのつまらない我が身より大事なのだ。

 ミネットに言われた「自分がない」という言葉の意味が、少しだけ分った気がした。


「それでね、つまり何が言いたいのかって話なんだけれど。せっかくこうして、その……な、仲良くなれたのにさ、あんたがすぐいなくなっちゃったら気分悪いじゃん……って」


 恥ずかしさを酒で飲み下しながらそう告げるミネット。


「だからさ、ちゃんと生き延びる努力をしろよって話。分った?」


 ミネットは照れのせいか酔いのせいか最早分からないほどに顔を真っ赤に染めながら僕に詰め寄った。


「……わ、分かった」


 僕は勢いに押されてこくこくと頷いた。色々な照れや気恥ずかしさで彼女を直視できない。潤んだ彼女の瞳が目と鼻の先にある。酒の匂いが漂う吐息ですら甘く、脳が痺れるように感じた。


「う~ん……」


 すると、ミネットの体がそのままこちらに倒れ込んでくる。慌てて支えようとしたが、その必要はなかった。その細い腕が僕の背中に回され、絡まるようにしがみついてきたのだ。


「ちょっ、ミネット……っ?」

 引き離そうとするが、ミネットは抱きついたまま離れようとしない。かなり泥酔しているな。


「……や……だ……」

 ミネットが何かつぶやく。僕の胸に顔をうずめる彼女の目尻が涙に濡れていた。


「ひとりに……しないで……」

「……っ!」


 普段の気の強い彼女からは信じられないような弱々しい言葉が、その可憐な唇から紡がれた。


「……痛いのは嫌。誰かが消えるのも嫌。構ってくれなくなるのも嫌。全部怖いよ……なんで、あたし戦っているの……? ううん、でも大丈夫……あたし強いもの。……ちがう、違う違う! 強くなんかない。あたしは駄目な子なの……許して? だって、だって、あたしはただ幸せに暮らしたいだけ……綺麗なものだけを見ていたいのに……」

「ミネット……」


 支離滅裂だ。

 大粒の涙をぽろぽろと流すミネット。まるで精神が幼子に退行してしまったかのようだ。泣き上戸とはこういうものなのだろうか。どうやら、僕の吐露がミネットの不安を煽って悪酔いさせてしまったらしい。


 僕にはもう彼女を引き剥がすことはできなかった。「ひとりにしないで」、か。思えば僕の行動原理も一緒だ。大切だと思えた誰かに遠くへ行って欲しくないし、僕自身が要らない奴だとは思われたくない。


 そうか。初めて出会ったときにあれだけ機嫌が悪かったのは、そういうことだったのか。

 呆れるほどに、ミネットの言葉は僕の想いを代弁していた。


「大丈夫だよ……ちゃんと努力するから」

 誠意を込めて、桜の花弁をいて流したような彼女の髪を撫でた。するとミネットは少し安心したのか、腕の力を解いて膝の上にずり落ちてきた。


「……ん……」


 不安定な体勢だが、落ち着いてしまったらしくミネットは動かなくなった。この場合どうすればいいのだ。嫌ではないのだが、いや、だからこそこの状態はまずい。このままだと変な気を起こしてしまいそうだ。


「……」

 まだ乾ききらない涙をそっと指先で拭ってやる。生温なまぬるくて、水に濡らしたガラス玉のようにきらきらとしていた。


 ――そして、ふと気付いた。僕はいま心から幸せを感じている。この瞬間に限らず、ここで過ごした日々が、エコナの存在が、ミネットとの交流が、僕を幸福たらしめていた。


 そして同時に不安になる。いつか失ってしまうのではないかと。こんな日々をいつまで続けられるのかと。これほどまでに執着を覚えたものなどなかった。だからこそ失うことがとても恐ろしく感じる。

 ミネットの涙は、その二つの感情を呼び起こした。


「生きようとする勇気……ね。確かに、前向きに生きるってすごい勇気が要るな、これ」


 酒場の喧騒に隠れるようにぽつりとつぶやく。息ができないくらいに口一杯の砂糖を詰め込まれたような気分だった。


「お待たせー……って、どしたのっ?」

 ちょうど戻ってきたリクトさんが僕らの様子を見てぎょっと目を剥いた。


「あ、ええと、これは……」

「またミネットを泣かしたの……?」


 同じく戻ってきたエコナが困惑顔でため息を吐いた。


「ち、違う! いや、違わないかも知れないけれど、これはそういうんじゃない!」

「まだエコナと出会って間もないってのにもう二人目か……意外とやりおるな」

「誤解です!」


 必死に弁解しようとすればするほど、二人は面白がって僕を追及していった。

 だがミネットとの間にどんな言葉を交わし、泥酔したミネットが何と言ったのか、それだけは墓まで持っていくことに決めた。



 ただし、翌日ミネットに「あたしあの後変なこと言わなかった?」と冷や汗たらたらで問い詰められたときは笑いを堪えるのに必死だった。

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