第17話 儚い夢の、最初の一歩

「――そこまで」


 僕とミネットの間にエコナが割って入った。

 蜻蛉燐羽を展開し、僕を背に両手を広げる。


「覚醒は使わないって約束だったでしょ?」

 エコナは冷たいトーンで静かに告げる。


「だって、それじゃあ! ……ごめん……」

 ミネットはしぶしぶ炎を収め、地に降りた。


「リクト、終わらせて」

「しょうがないなあ……やめやめ。勝負は、引き分けだ」


 リクトさんの宣言によって模擬戦は引き分けに終わった。

 その瞬間に僕は力が抜けてしまって、がくりと膝を突いた。


「大丈夫かよ、ソウ」

 リクトさんが心配して駆け寄ってくる。


「いやあ、終わったって思ったらつい。あのまま戦ってたらヤバかった」

「ははは、大したもんだよ。ミネットに覚醒を使わせるまで追い込むなんて」


 リクトさんの肩を借りて僕は立ち上がった。


「それぞれの魂に対応する『炎の名』を呼ぶことで発動する特殊能力……でしたっけ。直接対峙するのは初めてです」

「競技の世界においては使用が原則禁止されているくらいだもんな。無理もない」


 一方のミネットは、エコナにたしなめられてしゅんとしていた。きっと、覚醒を使わなければ負けてしまう状況に陥ったことへのショックもあるのだろう。


「ミネット……」

 リクトの支えを離れ、彼女のもとへ歩み寄る。


「まったく、余計なこと言うんじゃなかった。負け筋こさえるし、せっかくこれで全部チャラにしようって話だったのに」

 ミネットはばつ、、が悪そうに頬を掻いた。


「ううん、これでおあいこにしよう。確かに……ああ言われた時はムカついたけれど、おかげで吹っ切れることができたから、いいよ」

「……あっそ」


 ぷいと視線をそらすミネット。不愛想な態度には今更なにも言うまい。


「認めるよ。あんたのことも、あんたがエコナの隣で戦うことも」

「いいの?」

「あんたにもあんたなりの覚悟があって戦っているんだってことは、何となく分った。実力も、それだけ戦えれば問題ないんじゃない?」

「……そう、よかった」


 思わず表情がほころぶ。僕が右手を差し出すと、ミネットもその意図を察したのか、照れくさそうに服で手汗を拭いてから握手に応じてくれた。

 そして住人たちの間から湧き起こる拍手。その瞬間、僕は初めてこの集落に受け入れられたような気がした。


「ごめんな、ソウ。その……まだ、ちゃんと謝っていなかったよね」

「え、いや、いいよそんなこと」


 あんなに気の強いミネットの口からこぼれた素直な謝罪の言葉。彼女のことを誤解していたのは僕の方だったのかも知れない。そんな風に思わされた。

 僕らは互いによく知らなかっただけなのだ。初めは分かり合えなくとも、分かり合おうとする努力を惜しまなければ、こうして手を取り合うことだってできる。僕がエコナと共に戦う先で目指しそうとしているものは、まさにこういうことなのかも知れない。あるいは、僕が人間の世界にいた時からずっと願っていたことなのかも知れなかった。


 エコナは僕とミネットの間に立ち、ほっとしたように笑みを浮かべていた。彼女と目が合ったとき、一瞬注意深く瞳をのぞかれた気がしたが、やがてエコナは小さく頷いた。どうやら今は目の異変は起きていないらしい。目が熱く痛みを持ち、紅く燃えて見える現象、そのトリガーは単に霊力を一度に使い過ぎることではないようだ。

 ひとまず今は、そのことは頭の隅に追いやることにし、僕は勝負の余韻に浸ることにした。






 ミネットとの模擬戦を終え、僕は疲れた体を休めるためにベッドの上で横になっていた。衝撃であちこち打ちつけられた体の痛みと霊力を消耗したことによる鉛のような倦怠感により、僕の意識はすぐに微睡まどろみの底に沈んで行った。

 夕方になって、僕はエコナが寝室に入ってくる足音で目を覚ました。それは何だかとても幸せな目覚め方で、僕は彼女に甘えるように再び目蓋を閉じようとした。


「ソウ、酒場で待っているから、お腹が空いたらおいで」

 エコナは狸寝入りする僕にそう告げて寝室を後にしていった。


 酒場か。歓迎会のとき以来だな。

 本来あまり騒がしい場所は好きではないが、ロウソクの火に照らされた酒場のどこか郷愁的ノスタルジックな喧騒が急に恋しくなった。まだ住み着いて一週間ばかりの土地に郷愁とはおかしな話だが、きっとここがもう自分にとっての帰る場所になっているのだろうと解釈すれば、別段おかしなことには思えなくなった。


 結局それから再び寝付くことができず、僕は夕日が山の稜線の向こうへと隠れたころになって床から這い出て、軽く身なりを整えてから家を出たのだった。

 初夏の森は夕涼みには丁度よい。深い紺色に染まっていく空の下、吹く風が両わきの木々を揺らすたびに僕の歩みも軽くなっていった。





「おそよう、ソウ」


 太い木の梁が渡された白壁の酒場、その広いホールに入ってすぐに声をかけてきたのはリクトさんだった。次いでエコナが振り向いて、ひらひらと手招きをする。

 そしてその四人がけの丸テーブルには、もう一人見知った顔があった。


「あ、ミネット」

「ん、すわんなよ」


 あごをしゃくって空いた席へと促すミネット。僕が座るとちょうどエコナと向かい合い、右にリクトさんが、僕の隣にミネットが座る形となった。

 テーブルには既に四人分の飲み物とスモークチーズ、岩魚の塩焼き、ハムのサラダなどが並んでいた。相変わらずパンもご飯物もない低カロリーな食事だ。


「ひとまずは二人とも、お疲れ様」

 エコナが抑揚のないながらも柔らかな声音で労う。


「いやあ、熱い戦いだったよ。ミネットの実力も相変わらず流石だが、お前さんがあんなに強いだなんてな」

「あ、ありがとうございます……」

「ほんと、あたしもびっくりしちゃった。普段はこんなに覇気がないのに」

「ええ……」


 ミネットの軽口にリクトさんは大笑いした。既に結構酔いが回っていらっしゃるようだ。


「でもエコナ、こいつを本当に戦いに連れて行くの?」

 ミネットが問いかけると、エコナはコップの酒を一口含んでから答えた。


「うん。必要があれば。まあ私たち『ハンター』の仕事は主に狩りと住人の護衛だから、それを手伝ってもうらうってことになるね」

「たまには、あたしも連れてってよね」

「大丈夫。明日の山菜取りは一緒に行こう?」

「やった! エコナ大好き!」

「わっ、お酒がこぼれちゃうよ」


 無邪気にエコナに抱きつくミネット。ちょっとした目の保養になったことは秘密だ。


「ほら食えよ。体力と霊力の回復にはとにかく食べることだ」

 リクトさんに勧められ、僕もフォークを手に取った。


「どうも」

「ここの生活には慣れたか?」

「ええ、いくらか。お風呂と味噌汁が恋しくはなりますが」

「ははっ、それだけの余裕があれば上等上等」


 そう言いながら山ぶどう酒が入った竹の水筒を手に取る。


「酒、飲むか?」

「いや、アルコールの味にはまだ慣れないもので……」


 僕は香ばしく焼けた岩魚の身をつつきながら辞退する。


「もったいねえなあ。一杯くらい飲んでみなって」

 そう言って小さい空のカップに山ぶどう酒を注ぐリクトさん。


「こんなのジュースと変わらないからよ。すぐ慣れるさ――いでっ!」


 言い終えない内にリクトさんの頭ががくん、、、と下がって鈍い音が響いた。水筒の中身がこぼれそうなのを寸のところで止めたのは酒に対する愛着故だろうか。


「まったく、ソウ君をあまり困らせないでください」


 いつの間にか、リクトさんの背後には薪を持って片方の手の平をポンポンと叩いているマルシィさんの姿があった。


「あ、こんばんは」

 僕は自然にあいさつをする。この光景に慣れつつある自分が怖い。


「こんばんは。模擬戦、見ていましたよ。大健闘でしたね」

 スカートのポケットにいそいそと薪を仕舞いながら、マルシィさんは青い目を細める。


「いえ、そんな」

「当然。私が育てたんだから」

「いいや、あたしがこいつの才能を引き出してやったからよ」


 僕に続いてエコナとミネットが好き勝手に主張し、やがて互いの肩をつつき合った。本当に仲が良いんだな君たち。


「エコナ、あとついでにリクト。ちょっといいかしら?」

「うん」

「ついでって何だよ……」


 マルシィの手招きに応じて二人が立ち上がる。


「ごめんソウ。ちょっと外すね」

「二人で仲良く飲んでてくれな」


 そう言って二人はマルシィの後に続いて酒場を出て行ってしまった。


「……」

「……」


 かくして四人がけのテーブルに二人きりになってしまった僕とミネット。どうしよう、こういうとき何て話せばいいんだ? 僕はもともとお喋りが苦手なのだ。ミネットもミネットで気まずそうにコップを傾けて酒をなめているばかりだ。

 他の客が談笑する声と楽師たちの奏でる陽気な音楽が酒場の高い天井に木霊している。こんな状況じゃなかったらさぞ心地よいことだろう。


「あんたってさ……」

「?」


 唐突にミネットが口を開いた。


「結局のところ、エコナのことをどう思ってるの?」

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