第15話 覚悟の証明

 それから五日間、僕はエコナの指導のもとでアニマの炎を使った戦闘訓練(半分は狩りの訓練)に心血を注いだ。


 対象に突き刺さり爆裂する徹甲榴弾てっこうりゅうだんのような技・炎の矢の習得に始まり、朱雀脚すざくきゃくによる高速移動の練習、森の中での隠密行動、獲物の捌き方……などなど。


 中でも大変だったのは、言うまでもなく炎の出力コントロールだった。エコナとの一対一の模擬戦が基本なのだが、いざ下手な加減を止めようとすると本当に歯止めが効かない。直撃すれば致命傷レベルの炎が何度もエコナを襲い、攻撃しているこっちがひやひやする。しかし少しでも攻め手が甘いとエコナは容赦なく反撃してくる。だから結果的に霊力の垂れ流しも相まってボロボロになるのは決まって僕の方だった。


 それでもエコナの言う通り、次第に火力が跳ね上がるタイミングが掴めてきた。それによってフェイントや布石の攻撃を織り交ぜ、ここぞという時にだけ大きな一撃を叩き込む戦い方が身に付いてきた。相変わらず朱雀脚は苦手だったが、防御が固い分下手に動き回る必要もなかった。


 そして寝泊まりはもちろん、エコナの家でだ。

 あれから日常生活において取り立てて何かあった訳ではないが、エコナの穏やかな性格もあって僕はすぐに新しい生活に馴染んでいった。まあ、種族も年もかけ離れているとは言え、絵に描いたように美しい乙女のエコナと一つ屋根の下で過ごすのは心穏やかならないことだったが。





 そんなある日のこと。昼食を終えてダイニングテーブルでひとりローズヒップティーの赤をすすっていると、家の戸がノックされる音を聞いた。

 ん? エコナは普段ノックをしないから、来客だろうか。

 気怠い動作でイスから立ち上がり、竹製の引き戸を開ける。

 戸の向こうに立っていたのは、桃色の髪と瞳が映えるスラリとした長身の少女。ミネットだ。


「……よ」

 むすっとした愛想のない表情で片手を挙げてあいさつをするミネット。


「よ、よう……」

 五日前の一件から、僕はまだ一度もミネットに会っていなかった。だから今ものすごく気まずい。


「エコナなら今いないよ?」

「違うし。あんたに用があるの」


 ミネットは淡々とした口調と共に僕を睨みつける。


「エコナに聞いた。修行しているって。あんた、戦いたいの?」

「ああ、うん」

「なんで?」

「え……」


 威圧的な口調にすっかり表情が凍りつく。彼女に対する罪悪感から下手に回っていることも手伝って、僕はさしずめネコに詰め寄られたネズミだった。


「……あのさ、そんなビビらなくてもいいじゃん」

 ミネットは調子が狂うと言いたげに頭を掻いた。


「ごめん。その、色々と……」

「一々言わなくていいっ!」


 思いっきり肩を叩かれる。ミネットの頬は少し赤らんでいた。


「もう。で、どうしてわざわざ戦おうとするの?」

「エコナの隣に立って支えたいんだ。それに……いや、この話はいいや」


 もう一つの理由、ニンフと人間の共存の道を探したい。それはエコナ以外の相手にまで言うことではないだろうと判断した。


「……ふうん。死ぬかもしれないってことは分かってる?」

 ミネットは僕を値踏みするように腕を組んだ。


「クロオニと戦ったときに、嫌というほど」

「それでも戦うの?」

「うん」

「同族に刃向かうことになるんだよ? エコナの足手まといになるかも知れない。ここで適当に働いて静かに暮らしていた方がよっぽど幸せなのに。それでも?」

「……それでも」


 僕は静かに言い切った。ミネットの言い分はよく分かるが、僕はそれらの葛藤を引き千切って今ここにいるのだ。


「やっぱり、あんたはよく分かんない」

「よく言われる。自分でも分かってないとこあるから」


 そう言って苦笑いすると、ミネットに「はあ、なにそれ……」とため息を吐かれた。


「だからさ、ソウ。あんたがエコナの隣で戦うに相応ふさわしいかどうか、確かめさせてよ」

「え?」


 ミネットは初めて口角を上げ、ニヤリと不敵に笑ってみせた。


「模擬戦だよ、模擬戦。やっぱりあんたにエコナを取られっぱなしってのも悔しいし、もしあんたが口先だけの貧弱人間だったらとても戦いなんて任せられない」

「……なるほどね」

「それに……あんただって積もる恨みもあるでしょ」


 ミネットはにわかに視線をそらして居心地悪そうに桃色の髪を指で弄った。


「まさか、僕はもう――」

「ああもう、うるさい! 仮にあんたには無くてもあたしにはあるの! だから勝負して、ケリをつけようって話!」


 子犬のようにぎゃんぎゃんとまくし立てるミネット。初めこそ漂う零下のオーラに委縮していた僕だったが、不思議なことにだんだんと可愛らしく見えてきた。少しは情が移ってきたのだろうか。


「それで今までのことは全部チャラ。まあ、あたしに勝てるだなんて思わないことだけど、エコナの隣にいることを認めさせたかったら全力でその覚悟を示しなさい。いい?」


 緊張と不安で一瞬息が詰まる。だがここでひるんではいけない。これは僕にとっても決して悪い話ではないはずだ。乗ってやろうじゃないか。


「望むところ……!」


 お互いに視線を交わし、冷や汗を浮かべながら無言で挑発し合う。僕らの間に散った火花は、一触即発の危うい緊張感ではなく、純粋な闘争心から来る心地の良い音がした。それは僕とミネットの間に交わされた初めてのまともなあいさつだったのかも知れない。

 僕らは共通して頑固で負けず嫌いで、おまけに繊細である。そのことに気付いたのはもう少し後になってからだった。






 集落の北は小高い丘になっている。その上は視界の開けた土地になっていて、民家は少なく薬草畑が目立つ。集落の反対側を見渡すように物見やぐらが設置されていて、ここが集落と外界とを隔てる境界であることを示していた。

 そんな丘の上に立って、僕は集落の全景を見渡していた。


「わお……」


 ダムの上から見下ろした時よりも近くに見え、萌ゆる山々にいだかれるようにして広がる集落は木々と苔むした屋根が見事に調和している。廃墟遺跡とは似ても似つかない生命力に満ちていた。


「もっと早く見せてあげるべきだったね」

 隣でエコナがつぶやく。


「それはいいんだけどさ……これはどういう状況?」


 目の前の景色に対して言ったのではない。僕は自分の背後を親指で指す。

 意図的に木々が伐り開かれた草むら。その周りに続々と集まっていく集落の住人たち。そこにはリクトさんやマルシィさん、ヒノアさんの姿もあった。さらに何と言っても草むらの中央には、屈伸や伸びをしてアップを開始しているミネットの姿が。

確かに二人で模擬戦をするとは約束した。が、公開試合だとは聞いていない。


「だって、私がみんなを呼んだから」

「エコナの差し金かいっ!」


 数日振りにこのエコナ節を見た気がする。


「実はミネット、前からずっとソウと戦ってみたいって言ってて」

「え、そうだったの?」

「でもまだそういうのは早いから待って欲しいって、私が頼んだの。でもソウ頑張ってるから、そろそろいいかなって、昨日からこっそり計画してた」

「……ええ」

「隠しててごめんなさい。でもみんなにもソウのことを見て、知って欲しくて。いっそ公開試合にしたらって思って……」


 両手を擦り合わせながら上目遣いで弁明するエコナ。

 でもまあ、目論見としては悪くない。さらわれてきたばかりの人間が、集落に溶け込もうとするでもなくひたすら家の裏の竹林で戦闘訓練に明け暮れているとなれば、ニンフたちに警戒されても文句は言えない。


 そうだ、エコナとの関係に閉じこもり、甘えているだけでは駄目なのだ。居場所を掴み取りたかったら、自分の足で行かなければならない。ミネットとこれから炎を交えることも、その一歩なのだ。


「……大丈夫。行ってくる」

 エコナに向かって頷き、ミネットのもとへ歩を進めた。


「ソウ」

 エコナが呼び止める。


「頑張って。今のソウなら、大丈夫」

「うん」


 両の拳を固く握りながら送ってくれたエコナのエールに背中を押され、僕は草むらの中央へ。そしてミネットと向き合った。


「お互い、悔いのないように」

 ミネットは既に桃色の瞳を好戦的にぎらつかせていた。


「……ああ」


 僕が応えると同時に、草むらを取り囲んで見物を決め込んでいる住人たちの中からリクトさんが歩み寄ってきた。どうやら審判を務めてくれるらしい。


「よし、じゃあまず、急所を狙った攻撃は極力避けること。殺し合いなんてもっての他だぞ。正々堂々、スポーツマンシップにのっとって勝負してくれ。空中戦は認めるが、あまり遠くへ行かないこと。これ以上は危険だと判断した際には俺が止める。その時点で優勢だった方の勝利とする。いいな?」

「はい」

「ん」


 僕とミネットがそれぞれ首肯する。


「では、構え」


 その言葉に応じて、僕らは両手にアニマの炎を灯して構える。ミネットは翡翠色の蜻蛉燐羽せいれいりんうを展開した。桃色の髪と緑色の羽の取り合わせは、さながら葉桜のようだった。

 見物者たちのざわめきが耳の奥で響く。それまでの恐怖心がふっと引いていき、心中は嵐の前の静けさを呈していた。


「……始めっ!」


 掛け声と共に、ミネットが地面を蹴った。

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