第12話 激動の二日間を振り返って

 エコナの家は山に囲まれた集落の西端、つまりトウノ呪機商会の基地がある西の平原に隣接する地区に建っていた。


 そこはちょっとした丘の上になっていて、坂のすぐ下はこちらと西の平原を隔てる川(ダム湖の下流にあたる)が流れている森林だ。竹林の手前にぽつんと建つエコナの家の前からは、西の平原のただ中にぽつんと身を寄せ合う、無機質な建物の白い灯りが輝いているのが見えた。

 エコナは家に入ると微かな月明かりを頼りにロウソクに火を灯し、ダイニングテーブルにて僕を待たせて家中をぱたぱたと走り回った。


「はい、これ」


 やがて戻って来たエコナからタオルと寝間着を渡される。


「ありがとう」

「まずは体拭こっか?」


 エコナはそう言って燭台も持たずに僕を促して廊下を進んで行く。

 廊下の右手に洗面所があった。エコナがアニマの炎を灯して、天井に吊るされた植物を編んで作った球籠に飛ばす。すると球籠の中にアニマの炎が灯って、洗面所内を柔らかな緑色で照らした。ロウソクの火よりも光は弱いが、十分な視界は確保された。


「一時的に灯りが欲しい時はこうするの」


 そう言いつつ一抱えほどの水瓶へ向かい、手に持ったタオルをその中に浸した。あ、これもしかして僕が黙っていたらやっこさん平気で服を脱ぎ始めてしまうのでは……。


「ねえ、何の気なしについてきちゃったけど、僕は外で待ってた方がいいよね?」

「ううん。勝手が分からないでしょう?」

「いや、勝手も何も、その水にタオル浸して体拭けばいいんだよね?」


 そう言うとエコナは初めて「それもそうね」という顔をした。


「じゃあお先にどうぞ。脱いだ服とかはここに置いといて」

「うん」

「あ、それと髪はこの柄杓ひしゃくですくってそこの流し台で洗って」

「うん」

「タオルは二度漬け禁止ね」

「う、うん」


 ここは串カツ屋か。いや、それとも注文の多い料理店か。はは、笑止。

 エコナは浸したタオルを一度絞ってから水瓶の縁に引っ掛けて出て行った。


「まったく、ひやひやするなあ」


 エコナと一緒に体を拭き清める、それは別に僕にとって何が不味いという訳でも、むしろ美味しいはずなのだが、こればかりは倫理的かつ男のプライド的な問題だ。


 僕一人が緑の燐光に照らされる洗面所で、水瓶に浸したタオルを絞る。ハーブの香りがした。なるほど、体を清めるために何か薬草成分を抽出して呪術活性させてあるのだな。確か人間の世界でも一時期流行っていたような。ラベンダーやタイムを使うとかなんとか。植物系の呪術が扱える人間は限られているので普及は難しかったようだが。


 そんなことを考えながら服を脱ぎ、体を拭いていく。清涼感のある芳香が心地よかった。それから柄杓でハーブ水をすくって髪を流し、最後に乾いたタオルで水気を拭き取る。

 汚れものを一か所にまとめ、寝間着に着替え、ついでにハーブ水で口をゆすいでから僕は居間に戻った。


「エコナ、済んだ……けど……?」


 エコナの姿がない。どこへ行ったのか。あまり勝手の知らない家の中をうろつくものではないと分かっていながらも、僕はひとまず居間の奥にあった開きっぱなしの戸をくぐってみた。

 そこは寝室だった。東に面した鎧戸は無防備にも開け放たれていて、晩春の涼しい夜風と月光を招き入れている。ベッドが二つ並んでいて、その片方に、エコナが横になっていた。


「寝てるし……」


 疲れ切ったような寝顔で可愛らしい寝息を立てているエコナ。

 彼女も彼女なりに、この二日間は体力や霊力だけでなく精神をもすり減らしていたのだろう。別に悪い意味だけではなく、単純に彼女も緊張とか不安とか、逆に喜びとかを感じていたのだなとという話だ。


 ベッドに腰かけ、エコナの緑色の髪に手を伸ばす。一旦手を引っ込め、二度目もためらい、三度目でようやくその髪に指をかけた。

 柔らかかった。さらさらとして、敏感な指の間を優しく撫でていくのに、緩やかなクセがくんっと絡みつく。いつまでもこうしていたいという思いに囚われた。


「ありがとう。エコナ」


 自然と、そんな言葉が口を突いて出た。

 結果的に、悪くはなかったのだ。いや、むしろ僕はこの状況を歓迎している。楽しかった。エコナとのお喋りも、見てきた景色の数々も、酒場でのひと時も。

 心に影を落とす出来事もあった。機械兵器との死闘、ミネットとの一件、エナのニンフと人間との間に渦巻く確執やしがらみ


 だがそれらも含めて全てが、長い間死んだように生きてきた僕に生き生きとした時間を与えてくれた。生きていると実感することのできるこんな強烈な感覚があることなんて、知らなかった。

 僕に新たな人生と居場所を与えてくれたエコナに、そしてニンフの集落に報いるために生きよう。


 それが、今の僕の結論だった。

 ニンフというのは、なかなかどうして憎い妖精だ。生きていても違和感しかなかった僕は、ずっと待っていたのだ。こんな馬鹿げた非日常を。そしてこれからは、今が日常となるのだ。待っているのは幸せなやり直し。

 なぜニンフが人間をさらうという生態を持っていながら表立って大きなヘイトを集めず、単に領土争いの相手としての認識ばかりが強かったのか、今ならその訳がよく分かる。はみ出し者を選んで恋して、妖精の世界に引き込んでいるだけなのだ。


 所詮は昔に流行っていたライトノベルと同じだ。人間としての僕は一度死んでしまったものと思えば、悲しむ必要なんてどこにもないのだ。

 でも、この場所で僕が望むものを手に入れるためには……きっとまた戦わなければならない。僕の魂がささやく直感だった。


 だからそのことだけは、覚悟しておこうと思った。

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