第11話 誰がための選択

 ヒノアさんが戻って来てようやく乾杯を交わすと、僕の痺れた味覚も正常に戻ってきた。


「初めましてソウ君。ヒノアです」

「ええ、よろしくお願いします」


 幼げな顔立ちを銀杏の落ち葉で染め上げたようなポニーテールが際立たせる彼女は、実年齢こそ定かではないがやはり年上の匂いがした。全く不思議なものだ。


「ちなみにヒノアは俺のパートナーなんだ」

「え? じゃあ婚姻の儀を……?」


 僕が尋ねるとリクトさんとヒノアさんは同時に頷いた。


「まあ、私は五番目だけどね」

「ごばっ……!」


 思わず梅ジュースを吹き出しそうになった。


「一人の人間が複数のニンフと契りを交わすのは珍しいことじゃない」


 エコナが横から補足を入れてくれた。何その合法ハーレム。婚姻の儀による不老化といい、そういうの知ったらニンフにさらわれたがる男共もわんさか出てくるだろう。


「ちなみに俺をさらってきた最初のパートナーはマルシィでさ」

「ぶふっ……」


 今度は梅ジュースが鼻から出そうになった。


「……そう言えば随分気の置けない関係のようでしたね」

「仲良いだろ?」


 アレを見た後だと素直にうんとは言えないなあ。


「俺の場合、最初はすげー嫌だったんだ」

「そうだったんですか?」


 僕は少し身を乗り出す。


「だっていきなりさわわれて、しかも二度と記憶を保って帰れないって言われたらなあ。いくら美人の嫁がもらえるって言われてもな。だから初めはどうにか集落から逃げ出そうと必死だった」


 まあそれが本来正常な反応だろう。


「まあ、言っても所詮、俺も身寄りはなくってな、お金もなかったんだ。孤児だったからな。割り切るのにそこまで時間はかからなかった」

「そうだったんですね」

「ああ、あと……あれだ、なんか情が移ったって言うとあれだけどさ……ニンフたちを少しでも助けてやれないかなーって思い始めたのもあってさ」

「……」


 それは僕も似たようなものだ。ここに来たのは半分、人間に暮らしを脅かされるエコナを助けてあげたいと思ったからだ。だから僕も神妙に頷いた。


「……まあ、って言うのも俺、むかし多治見たじみステーションキャンプ所属の探索者をやっててさ。知ってるか? エナと名古屋の中間にある最前線のキャンプ、探索者の町だよ。トウノが進出してくるよりも前からな」


 そう言ってリクトさんは手に持った木のフォークでちょうど西の方向を指した。


「俺がさらわれたのが確か七年前で、あそこで働いていたのも七年間だったから……十四年前ってことになるのか。あのころのエナには機械兵器もほとんどいなくてさ、鋼鉄の馬にまたがった俺らの探索者とニンフ集落はよく物々交換とか情報交換とかをして、互いに対話があった。警戒は緩かったし滅多に戦闘も起きなかったし、領土回復の『りょ』の字もなかったが、平和な時代だった」


 リクトさんはこれまで見たこともない真剣な顔つきで「それが、な……」と零し、やるせない思いを飲み下すように酒をあおった。その言葉の先は言うまでもなく、トウノ呪機商会に牛耳られた前線の現状だろう。


「だからこう、皆のこと放っておけなくってよ。人間の俺によくしてくれたこの集落に対して何ができるだろうって考えたとき、『俺がさらわれた意味』を、そこに期待される役目をできる限り全うして、一人でも多く幸せにしてやるのが一番だって思ったんだ」

「それで、多重婚を……」


 それ以上は言葉にならなかった。僕がエコナを守るために命を懸けたように、リクトさんもまたニンフたちのために腹を括った人間だったのだ。


「リクトのことは探索者だったころから知っていたけど、そんなことを思っていたなんて知らなかった」


 エコナは少し虚を突かれたようにリクトを見ていた。ヒノアさんはと言うと彼の思いを知っていたのだろう、切なそうに、でも少しくすぐったそうに視線を落とした。


「あ、いや、景気のいい話じゃないだろ? それに、あんまりこんな話しても俺が同情で女作ってる偽善者みたいじゃん。……ほら、しらけた白けた。おーい、こっちにリンゴ酒おかわり! あと今朝絞めた鶏まだー?」


 リクトさんは空元気で場の空気を切り替えようとする。偽善者、か。確かにそう捉えられても仕方ないかも知れない。だが、リクトさんが同胞である僕を前にしてその重い口を開いたということは、それだけヒノアさんたちとの関係を大切にしていたということの証明だろう。


「分かりますよ。僕も、いつか人とニンフがそんな関係に戻れたらと思います」

「そうだな。でもあんまり気負うんじゃねえぞ? まずは楽しめ。そうすれば自分がどうしたいのか自ずと分かってくる」

「……はい」

「リクトはもっと真面目に働こうね」


 エコナはリクトさんへの当たりがやや強いようだ。いや、元々彼がこういう道化キャラなのか。


「お、俺だって遊んでる訳じゃないぞ? 狩りに出かけたり、家畜の世話をしたり、薬草畑の様子を見たり。酒場はヒノアを信頼しているからどうにかなるんだ」

「また調子のいいこと言って」


 ヒノアさんが照れくさそうにリクトさんの脇腹をつつく。酒の席に楽しげな笑いが沸き起こった。

 それからテーブルには追加の酒と一緒に、僕のためにわざわざ絞めて捌いてくれた鶏のローストなどが運ばれ、酒の席は再び盛り上がっていった。僕はこれからどうするべきか、そんな考えが何度も頭をよぎったが、リクトさんのアドバイスに従ってまずはこのひと時を楽しむことにした。






 さて、そうこうして飲み食いしている内に歓迎会と言う名の個人的な食事会はお開きとなったのだが、僕はこれから集落で生活していくにあたって一つ重要なことを失念していた。

 リクトさんとヒノアさんと別れ、僕は当然のように施療所の個室に戻ろうとしたのだが、エコナに「どこ行くの?」と引き止められてしまった。


「部屋に戻るけど?」

「あそこはケガ人と病人のための場所だよ?」

「……ごもっとも」


 だがそうなると、僕はどこで寝泊まりすればよいのだ? 何も聞かされていないが。


「帰るよ。私の家に」

「うん、おやすみなさい」

「ソウ、お酒飲んでないよね?」

「……ええと、それってまさか」

「だから、今日から私と一緒に暮らすの」

「……せめて前もって言ってください」


 正直心のどこかでは想定していた、否、妄想していたシチュエーションだが、この有無を言わせぬ事後報告スタイルはどうかと思う。

 今度はすぐに観念して、僕は星のまたたく夜空の下をエコナと並んで歩いて行った。

 この集落でも人類が遺したアスファルトの道路は未だ生活道路としての機能を果たしていて、街灯などあるはずもない道は真っ黒い闇の上を歩いているようだった。左右に広がる林は、ともすれば暗がりの恐怖を呼び起こすものだったが、その中にぽつぽつと浮かぶ家の灯りが幻想的な光景に描き換えてくれていた。


「ねえ、あの子……ミネットは……」

「大丈夫。どうにか機嫌直してくれたから。ソウの言うことが余りにも的を射てどストレートだったから、頭が真っ白になっちゃったみたい」

「……」


 僕は居た堪れなくて首元を掻いた。


「精霊界から観察していた時も直感の鋭い人だなとは思っていたけど、その洞察力は本物ね」

「それは皮肉で言って……いや、何でもない」


 僕はこういうとき上手い切り返し方が分からない。頭を抱えると地面の暗闇ばかりが目に入った。


「ミネット、あの後言ってた。『あいつの言葉は良くも悪くも響く』って」

それを僕はどう受け取るのが正解なんですか。

「ミネットが部分的にもひとのこと褒めるのは珍しい。たぶんあと何度か会えば仲良くなれると思う」

「……善処します」


 それを聞いて、腹の底でわだかまっていた気持ち悪さが少しだけ和らいだ。


「私はミネットが二人目の婚姻相手になるっていうのもアリだと思うんだけれど」

「それはないです」


 エコナの悪戯な冗談に、僕は真正面から否定しておいた。

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