第10話 不器用な僕らの顔合わせ

「おはよう、ミネット。今朝は冷えるね」

「おはよー……って、そうじゃなくて! 人間をさらってくるって本当だったの?」

「嘘なんかつかないよ」

「それは分かってるけどさあ……」


 ミネットと呼ばれた少女はきりりとして快活そうな桃色の瞳を吊り上げてエコナに絡む。かと思えば、今度はこちらを睨みつけて言った。


「ふーん、あんたが……ええと、何だっけ」

「ソウ」

「そうそう」


 駄洒落か。


「また軟弱そうな男ね。ほんとにクロオニを倒したの?」

「いや、僕が最後の最後にとどめを刺してギリギリ倒せただけで……」

「ま、そんなとこだろうと思ったわ」


 ミネットは偉そうに腕を組んで勝手に納得する。僕は何か彼女に嫌われるようなことをしたのだろうか? なぜ初対面でこんなにも高圧的なのだ。

 それにミネットは女性にしては背が高い。僕とほぼ同じくらいじゃなかろうか。さらに膝丈の短いチュニックを着て、腰には男装のようにベルトが巻かれ、黒いタイツのようなものを履いて、革の靴はリンゴのように真っ赤ときた。よく考えなくても僕の苦手なタイプだ。裸足のエコナとは対照的である。


「あんた、どうせエコナにちょっと優しくされたからホイホイついて来たんでしょ?」

「なっ……!」


 挑発的な視線と共に投げかけられた言葉は悔しいことに図星を指していた。


「どう? エコナにあんなことや、こんなことされたいって期待しているんじゃない?」

「っ……別に」

「えっ……」


 ちょっとエコナ、今そんながっかりしたような顔しないで。話がややこしくなるから。ちゃんと異性として魅力感じているから。


「いい? エコナはすごく純粋なの。もし押し倒そうものならタダじゃおかないから」

「分かってるよ」


 僕はミネットの剣幕に内心ビクビクしながらも必死に平静を装った。


精神的プラトニックな愛に留めなさいよ。それと、婚姻の儀なんて私は認めないから」


 好き勝手に言うミネット。さすがに僕も腹の底が煮えてきた。


「き、君に認められなかったら何だって言うんだよ。これは僕とエコナの問題だ」

「っ……!」


 僕は彼女の神経を逆撫でする覚悟で言い返したが、ミネットは意外にもひるんだ。これは……もしかして押し勝てるか?


「……おおかた君はエコナの友達で、僕と婚姻を交わすことでエコナが取られるのが嫌なんでしょ? でも、この状況はあくまでエコナの意思決定による部分が大きいってことは分かっているよね?」

「そ、それは……」

「友達なら彼女の意志を尊重して、然るべき時には祝福するくらいの心積もりでいるべきなんじゃないかって思うけれど」

「だ、だって……」


 ミネットの顔がどんどん赤くなって、瞳も潤み始める。冷静になればその辺にしておくべきだと分かるのだが、自分の尊厳や居場所を脅かされる恐れを前にして、僕は少々冷酷になってしまった。


「自分の依存心や独占欲だけで勝手に敵視されるのは困る。すごく。ましてやあんな際どい問答、僕だけでなくエコナの尊厳にも関わることを考えた方が――」

「ソウ」


 エコナが僕の腕を掴んだ。「もうやめて」と目が語っていた。

 ようやく僕は冷静になって、苦いため息を吐いた。


「……ひぐっ」


 見ると、ミネットの瞳から一筋の涙が零れていた。泣くのを必死に堪えているが、嗚咽おえつのたびに涙を湛えた瞳がふるふると揺れていた。

 そんなに自分の想いが否定されたことが悲しかったのか。これもエコナに対する執着の負荷さ故なのか。正直、僕にはどうして彼女がそこまで感極まってしまったのか分からなかったが、何にせよ、

 ……ああ。やってしまった。


「ごめん。僕もついカッとなっちゃって……」

「……謝んな」


 片手で口元を抑えながら、ミネットが精一杯の強がりを見せる。


「そんなつもりはなかった。いや、そんなこと言ったって責任逃れにしかならないことは分かっている。でも……」

「……うるさい。別にあんたは悪くないし」


 顔を背けて素早い挙動で涙を拭い取ると、桃色の瞳と充血した白眼で熟れた果実みたいになった目をきっと向けた。


「……あたしも言い過ぎた。でもやっぱりあんたのことは気に食わない」

「あ、あはは……それでもいいよ」


 僕は力なく苦笑した。するとミネットは「だから何でそうやって……」と言いかけて、むずかゆそうに口をつぐんだ。


「エコナ。僕は施療所に戻るよ」

「じゃあ、私も……」


 そう言いかけるエコナを、僕は手の平をかざして制した。


「友情っていいものだよね」

 その言葉は自分に対する皮肉でもあったが、同時に二人への精一杯の配慮でもあった。


「ちょっと頭冷やしてくる。まだ体調も万全じゃないみたいだし、休ませてもらうね」


 そう言って背を向ける。ひとまずこの気まずい空気から逃げて、ミネットのケアはエコナに任せよう。


「待って」

 エコナが呼び止め、僕の方へ歩み寄って来る。そして何のつもりだと訝しがる僕の頭を、優しく撫でてくれた。危うく泣きそうになった。






 その日の夕方。僕はエコナに呼ばれて集落の酒場に案内された。

 施療所は集落の中央広場に接する形で建っていて、酒場もまた同じように広場に面して造られているので、施療所から酒場までの距離はごく近い。


 この集落の建物は本当に独特で、木組みとモルタル漆喰しっくいの白壁、もしくは単なる木造の家々が基本なのだが、それらのどの屋根もが苔むしているのだ。あえてそうしているのか、壁がツタに覆われているものも珍しくない。まるで建物がそういう自然物として大地から生えてきたかのようだ。


 夕闇迫る中、二階建てになっている旅館のような酒場の中に入ると、ロウソクの灯りに優しく照らされた暖色の空間が広がっていた。

 有機質な内装が、未だ先程のショックの尾を引いていた僕の心を癒した。長いテーブルがいくつも置かれ、既に席にはたくさんのニンフが腰かけていた。こうして見ると本当に綺麗な女性しかおらず、何だかいかがわしい空間に来てしまったような気分になる。


 とは言ってもみんな既に思い思いに食事を楽しんでいて、厨房の方から従業員らしきニンフが忙しなく料理を運び、注文を取っている。辺りに漂うは焼けた肉とハーブの匂い、ときどき甘い果実の香り。奥の空間では楽師たちがバイオリンやギターに似た楽器や縦笛を演奏していて、心地よいバックグラウンドミュージックが流れていた。


「いらっしゃいソウ君」

「よう、待ってたぞ」


 マルシィさんとリクトさんが僕を出迎えてくれる。マルシィさんが軽く手を叩くと、酒場にいたニンフたちが一斉に彼女に注目した。


「みなさん、新しくこの集落の仲間に加わる人間さんを紹介します」

 そう言って僕を前に促す。


「名前はソウ君。第一パートナーはエコナちゃんです。よろしくお願いしますね」


 マルシィさんが必要最低限のことは一通り言ってくれたので、僕はとりあえずペコリと会釈だけした。ニンフたちは愛想よく手を振ったり楽しそうに歓声をあげたり静かに酒をあおったりと様々な反応を示した。

 それに満足したように、マルシィはポンと手を叩いて合図した。


「はい、じゃあ解散!」


 ……え?

 ニンフたちは再びそれぞれの時間に戻っていった。


「はははっ! 拍子抜けだろう」


 リクトさんがあっけに取られている僕の肩を叩いた。


「最初に盛大にもてなしても引いちまうんだよなあ。だからこれは単なる顔見せと、めいめいが飲む口実、それだけのゆるーい宴ってことよ」

「はは……確かにこっちの方がありがたいですね」

脱力しながら笑うと、エコナが僕の手を引っ張った。

「食べよ?」

「うん、そだね」


 僕らはテーブルの端っこに隣り合って腰をかけ、リクトさんが僕の反対側に向かい合って座った。マルシィさんは他に用事があるらしく酒場を出て行った。


「ヒノア! こっちに適当に頼む」


 リクトさんがホールに出ている黄色髪のニンフに声をかける。ヒノアと呼ばれたニンフは「はーい、ちょっと待ってて」と酒場の喧騒に掻き消されそうな穏やかな声で返事をして厨房に去って行った。


「さあ、ささやかな歓迎会といこうじゃないか」

「ははは、お手柔らかに……」


 リクトさんの積極的で社交的な人柄にも少しだけ慣れてきた。何だかんだでズイズイ来てくれた方がこっちとしても手間はないなと思う。


「私はソウと二人で飲みたかったな……」

 エコナがジト目でリクトを睨む。


「まあまあ流石にそうは行かんでしょうて」

「ソウは今ちょっとセンチメンタル。だから騒がしいのは嫌かも」

「ははは。ならパーッとやって全部忘れようや」


 リクトは何で僕がセンチなのか聞かない。単に集落で始まったばかりの生活への不安とか、ホームシック的感情だと解釈したのか。


「お待たせ」


 そこへ、ヒノアさんがお盆を手にやって来る。彼女は手際よく酒の注がれたカップをリクトとエコナの前に置き、僕には梅のジュースを出し、さらにソーセージや素揚げしたジャガイモと獅子唐の皿が出された。


「ありがとう。ヒノアも上がってこっちで食べようぜ」

「でも今あがるのは……」

「大丈夫、店主命令だから」

「もう……」


 ヒノアさんは仕方ないとばかりに肩を落として厨房の奥に消えていった。


「リクトさんが店主?」

「そうそう。俺ここの店主なんだよ」

「さぼってばかりだけどね」


 エコナがちくりと刺すが、リクトさんはさほど意に介していない様子だった。

 僕らは乾杯を交わすのはヒノアさんが来るまで待つことにして、取りあえず料理をつまむことにする。みんなで獅子唐に手を付けたが、僕だけ辛いやつに当たってしまった。


「うわぁー辛いっ!」

「ふふふ。飲んでもいいんだよ?」

「の……飲まないっ」

「くくっ、律儀な」


 エコナの悪魔のささやきを払いのけるとリクトさんが面白がった。

 それからヒノアさんが戻って来てようやく乾杯を交わすと、僕の痺れた味覚も正常に戻ってきた。

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