第9話 舞台上に揃いゆく役者たち

「ああ、起きましたか」


 ニンフだ。見た瞬間に直感した。海のように深い青の瞳と、同じ色をした長く艶やかな髪。儚げな微笑をたたえた顔付きは、まるで年齢が読めない超俗的な雰囲気を醸していた。


「ようこそ、ニンフの集落へ。気分はどうですか?」

「ええ、まあ……」

「ほら、お茶を」

「あ、はい」


 慌ててハーブティーを口に含む。熱い。これは舌をやけどしたかも知れん。


「まずは、災難でしたね」

「それは、どちらに対してですか?」


 僕は渋い表情をして尋ねた。その含みに気付いて、ニンフは朗らかに笑った。


「ふふふ。まあこちらでの生活も悪いものではありませんよ。慣れるまでは大変でしょうが、めとる嫁には困らないし、空気も美味しい。君はそれを享受するだけの資格を持って楽園に招待された、選ばれし青年なのですよ」


 うわあ、外連味けれんみがやばい。


「まあそれはそれとしてですね。機械兵器との戦闘は辛かったでしょう。よく打ち倒しましたね」

「……あれは、エコナがいたから運よく切り抜けられました」

「謙虚なやつだなあ」


 男がニヤニヤしながら僕の肩を叩く。危うくハーブティーをこぼしそうになった。


「そうだ、エコナは無事なんですか?」

「ええ。今は自宅で休ませていますよ。ここは安全ですから、君も安心して休んでくださいな」

「よかった……」


 そこでようやくひと息ついて、カップに口をつけた。最初は酸っぱいだけだと思っていたハーブティーも、少し美味しく感じてきた。


「そう言えばまだ自己紹介をしていませんでした。私はマルシィ。この集落の長をしているものです」


 そう言ってマルシィさんは恭しくお辞儀をした。見た目は上限せいぜい四十歳にしか見えないのに長とは、不思議なものだ。

 すると、男が笑いながら言った。


「こんな美人さんだけれど、実は二百歳を優に超えているんだぜ? すごいだろ? 呪術の力はもちろん、妖精でも一、二を争う知恵を――」


 そう言いかけたとき、彼の後頭部が思い切り殴打される。いやに鈍い音が響いた。


「ぐっ……ごお……!」


 生々しいうめき声を上げて崩れ落ちる男。彼の背後には――どこから出してきたのか――片手で握れる大きさに割られた薪を振り下ろしたマルシィさんの姿があった。


「あらあら、いけませんね。乙女の年齢をペラペラと喋るだなんて」


 乙女……? だめだ、疑問を持つな。決して口に出してはいけない。表情に出してもいけない。さもなくば僕もあの薪の餌食になってしまう。

 その結果死んだ魚の目になって口をつぐんでいた僕を見て、マルシィさんは恥ずかしそうに薪を男の背中に放り投げる。死体蹴りは止めてあげてください。


「これはお見苦しいところを。彼はリクト。もう分かっていると思いますが、この集落の住人で、かつて君と同じようにさらわれてきた人間です」

「……よろしくね、兄弟」


 リクトと呼ばれた男は未だダウンしていながらも気丈に親指を立ててみせた。


「ええっと、僕は成木宗です」

「ソウがめいですか?」

「はい」

「では今日から姓の『成木』は捨てましょう。ここでは必要のないものですから」


 表情を崩すことなく告げられるその言葉に、僕は少しひるむ。


「それは僕に、人間としての生きることを止めろという意味ですか?」

「そんな極端な話ではありませんよ。君は人間でいいのです。ただ私たちの世界で生きていくことを覚悟して欲しい、そういう意味です。そもそもニンフには苗字というものがありませんから。それに、呪術の世界においてはむやみに真名を明かすものではありません。姓はなるべく隠しておいた方がよいでしょう」


 マルシィさんは優しく微笑んだ。そうか、ニンフにはきっと血のつながりとか、家系とか、そういう概念がないのだろうな。


「そうですね……人間の世界に戻ることは、諦めたつもりです。機械兵器に炎を向けた時から、これまでの人生を捨ててエコナについて行く覚悟は出来ています」

「へえ、達観しているなあ」


 ようやく起き上がったリクトさんが後頭部をさすりながら感心したように言う。


「僕の場合、もともと世の中への執着が薄かっただけです」


 そう答えると、マルシィさんが小さく吹き出した。そんなに変なこと言っただろうか。


「ふふ、ニンフにさらわれてくる人間の大半はそう言うんですよ」


 ああ、そういうことね。ニンフは身寄りのない青年を好んでさらってくるのだったか。


「でもよかった。家に帰せとか言って暴れ出したらどうしようかと」

「僕に帰る家なんて、もともとありませんから」


 そう言いつつハーブティーを口に含む。枯渇した霊力がじわじわと湧いて体内を巡り出してきたのか、寝不足の朝にコーヒーを飲んだように、鉛のような倦怠感が和らいでいくのを感じた。


「では私たちはこの辺で。今日はこの部屋でゆっくり養生してください。明日の晩、君の歓迎会を開く予定ですから、お楽しみに」


 そう告げてマルシィさんは個室を後にして行った。


「俺は明日までこの施療所にいるから、分からないことがあったら聞いてくれよ。ちゃんと食事も用意するから安心しな」

「はい、すみません」

「おう」


 そしてリクトさんもマルシィさんの後に続いて出て行った。

 再び一人きりになった施療所の個室。僕は改めて安堵のため息を吐くとともに、いよいよ自分が引き返せない所まで来てしまったのだなという感慨に浸った。

 窓の外から見える林は、夕暮れの青みがかったいオレンジ色の光に包まれてセンチメンタルに煌いていた。



 それから僕は、リクトさんが用意してくれたふかし芋とイノシシの香草焼きを食べ、洗面用の水瓶みずがめで体を拭き、屋外に設置されたトイレで用を足し、日が沈んで間もなくして眠りに就いた。それほど眠くはなかったが、何せやることがなくて退屈だったし、ずっと夢の中にいるような感覚のせいで、眠っていることも起きていることも大して変わらないような気がしたのだ。



 翌日。僕は朝食に出された焼きリンゴとスモークチーズを食べるとニンフの伝統衣装に着替え、西洋絵画の農民Bへと仲間入りした。

 その後マルシィさんが施療所にやって来て、背中の打撲と霊力の枯渇が回復していることを確かめ、ようやく僕は施療所の外に出ることが許された。

 僕の歓迎会が催される夕方までは集落内を自由に散策していいとのことだった。ただし条件として、エコナの案内を伴うこととなった。



「ソウ……!」

 エコナの透き通るような肌には健康的な血色が戻っていて、その頬に至っては興奮で紅潮していた。


「おはよう、エコナ」


 僕は何だか照れくさくて、首元をしきりに掻きながらあいさつした。

 ロビーにて再会した僕らはリクトさんとマルシィさんに見送られて施療所を後にした。


「どこへ連れてってくれるの?」

「いきなり集落全体を案内することは難しい。今日は私がよく行く場所に連れて行くね」


 エコナの足取りは軽く、昨日の激闘の影響を感じさせない。眠そうで感情の読めない顔付きは、デフォルトよりも少し口角が上がっている。

 それだけ僕との再会を、互いの無事を喜んでくれているのだと……僕は自惚れていいのだろうか。僕だってこの状況は素直に嬉しいし、エコナの想いも決して悪い気はしない。だが、俗世での薄っぺらい人間関係に疲れていた僕にとって、無防備に他者の好意を受け取るのは難しかった。

 木漏れ日の差す林の中、朽ちたアスファルト道路の上を歩き、やがて僕らは川辺に到着した。

 都市のように両岸をコンクリートで固められてもいない河川は自然なカーブを描いて、魚釣りや水遊びくらいなら満足にできそうな程よい川幅であった。河原には名前の知らない小さな花たちがあちこちに咲いている。

 他にもニンフと思しき女性や子供たちが漁や洗濯をしている牧歌的な光景の中、僕らは土手の上に立ってそれを見下ろしていた。


「水の流れる音が落ち着くね」

「でしょ?」


 エコナが土手に腰を下ろして斜面に足を投げ出したので、僕もそれにならうことにした。


「昔はこのあたりも人間の住処で、田畑が広がる農村地だったの。大災厄の直後は人が絶えてすごく殺風景だった。でも少しずつ、私たちが住みやすいように手を加えていって、いまは廃墟もあらかた片付いて、こうして木々が生い茂っている」


 まるでエコナが大災厄当時からこの集落を見守り続けてきたかのような口振りだ。


「エコナってさ……」

「ん?」


 言葉を続けようとして、薪をリクトさんの後頭部に振り下ろしたマルシィさんの姿が脳裏をよぎった。


「……いや、何でもない」

「私が何歳か聞きたい?」


 遠慮なく顔をのぞき込まれて、僕はびくりとした。


「えっ、いや、それは……」

 すると、僕の慌てふためく様子がおかしかったのかエコナは「ふふっ」と笑った。


「百十七」

「ひゃく、じゅう、なな……?」


 僕は驚きを隠すことができずに口をあんぐりと開いた。マルシィさんのことを知っている手前慣れろという話だが、しかしそれほどの年月を生き永らえてなお、これほどの美しさと若さを保っているというのは現実離れした感覚だった。

 それに、その年齢だとエコナはちょうど大災厄が起きる数年前から生を受けていることになる。大災厄以前の旧時代においては物質界と隔絶された精霊界、、、、、、、、、、、、に住んでいたとして、大災厄が起きて地上に精霊が出現するようになった当時から存在している可能性があるのか。


「私たちニンフは不老属性。不死ではないけれど、ある程度成長した後は一生そのままの姿だし、人間よりもずっと長生きする」

「すごいな……」


 文字通り永遠の乙女か。ちょっとロマンチックだな。僕は素直に感嘆の表情を浮かべた。


「……怖がらないの?」

 エコナが少し不安そうな目をしている。いやいや、自分から涼しい顔で打ち明けておいて今更それを心配するの?


「エコナ自身が生きてきた年月や、それまでに見てきた世界を思うと、怖いと思うよ。でもそれは恐怖じゃなくて、こう……夜空を見上げて宇宙の広さに思いを馳せたときに足がすくみそうになる感覚と一緒……って言っても分かんないよね」

「めっちゃ分かる」


 ……めっちゃ。今めっちゃって言ったよこの子。そういう言葉遣いするひとだっけか。


「ま、とにかく。ニンフが人間と異なる仕組みで生きていることは理解しているし、エコナが何歳だからってどうなるでもないし……なんだ、エコナはエコナだよ」


 後半の語彙力の乏しさに内心呆れかえる。

 が、エコナはと言うと若草色の瞳を丸く見開いて、口は半開きになり、頬は薄紅色に染まっているように見えた。


「ええと……どした?」

「う、ううん。嬉しいなって、思って」


 珍しくエコナが焦っていた。


「ああ、それと。もし私と『婚姻の儀』を交わしてくれたら、ソウも不老の身体になれるんだよ」

「え? そうなの?」


 それは予備知識の中にもなかった。初耳だ。入信したら持病が治ったとか言う誘い文句の類ではなく?


「うん。ニンフと人間の契りは肉体的なものじゃなくて――」

「エコナぁー!」


 話の途中で誰か少女の声に遮られる。

 声のする方を見遣ると、桃色のミディアムヘア―をゆさゆさと揺らしてこっちへ走って来るニンフの姿があった。

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