第4話 翠の舞踏
それから僕たちは森を抜けて、雑草の生い茂る道路の上を歩いて行った。やがて右手は崖になり、その下には大きな湖が広がっていた。深緑色の
そうして歩いている間に、エコナはまた色々と説明してくれた。
「この湖は大昔に人間が造ったもので、今は遺跡の一部。この先に私たちの集落がある」
「ニンフの集落か……一体どんなものなんだろう」
「素敵な所だよ。見てからのお楽しみね」
「僕はこれからその集落で暮らすことになるの?」
「うん。これはソウをさらうことにした時からの決定事項」
「改めて滅茶苦茶な話だ……」
「……ごめん」
「いや。今なら分かるよ。人間とニンフってほら、色々あるだろ?」
そう言う僕の言葉の含みに、エコナも察して頷いた。
「お互いがもっと歩み寄ることができれば、こんな手段に頼る必要もなくなるのかな……」
「ソウ……」
少しの間、気まずさとも感傷とも言えない沈黙が漂った。
だが間もなくして、低い音程で口笛を吹いたような機械的な飛行音が二人の沈黙を破った。
「何だ?」
「下がって!」
いち早く状況を察知したらしいエコナが僕を制して前に出た。
目の前の道路は左へカーブする曲がり道になっていて、その陰から三体の黒い塊が飛来してきた。
「トビバチだ!」
僕は戦慄する。トビバチというのは人間が所有する蜂型の「機械兵器」で、そのフォルムはずんぐりむっくりとして本物の熊蜂そっくりだ。大きさは約一メートル。全身は黒色の金属板で覆われていて、胴体の狭い箇所だけ金色に塗装されている。背中の羽は青いクリスタル状で、本物の蜂のように細かく羽ばたくことなく静かに浮遊している。
人間が自然界の探索や調査で数多く投入しているのがあのトビバチだ(ちなみにトビバチという名称は漢字で「
僕とエコナの姿を認識した三体のトビバチが尻から生やした針をこちらに向ける。すると針の先に青い炎が灯り、次の瞬間には熱線となって放射された。
あれは、まずい!
全身の皮膚が粟立ち、僕は反射的に両腕で顔を覆い隠しながら身を縮めた。
青い閃光が一気に迫り来る。衝撃と痛みに備える。
……が、最悪の瞬間は遂に訪れることはなかった。
恐る恐る目を開くと、そこには緑色の光が煌いていた。
「……エコナ?」
そこに立っていたエコナは、トビバチとは対照的に緑の炎をまとっていた。彼女の手の平から放射された炎が盾となって僕らを護っていたのだ。
そしてその背中には、炎と同じ翡翠色の四枚の羽が生えていた。細長く、半透明で、
「大丈夫」
僕を安心させるように放たれた彼女の言葉。その姿は、恐怖も戸惑いも一瞬で忘れさせてしまうほどに、美しかった。
「いま……倒すからっ」
エコナはそう言って、展開された炎の盾を解くのと同時に炎の矢を放った。三本連続で射出された炎の矢は中央のトビバチに命中して数回の小爆発を起こす。金属がきしむ派手な音が響き、攻撃を受けたトビバチは地に落ちて動かなくなってしまった。
残された二体のトビバチはエコナを優先的に排除するべきと判断したようで、彼女に向けて二体同時に青い炎を放射した。
エコナは一度炎の盾で熱線を防御し、それから勢いよく宙に飛び上がった。
「こっち」
トビバチはエコナの狙い通りに彼女を追いかけ、僕は射線から外れることになる。
トビバチは軽快に飛び回りエコナを撃ち落とそうとするが、エコナはそれを上回るスピードで飛行して炎の矢を撃ち返す。止まっている状態に比べて
一対一、そこからは早かった。エコナは正面から放射された青い熱線を炎の盾でいなし、そのまま限界まで引き絞られた一矢がトビバチの顔面を射抜く。炎は内部から爆裂し、頭を失ったトビバチの残骸は重たい金属音を立てて盛大に地面に叩きつけられた。
「……すごい」
その光景は僕の目にくっきりと焼き付いた。風に遊ぶように舞い、翠(みどり)の火の粉を散らして戦う様は、まるで蝶のよう――いや、まさに妖精そのものだった。
エコナは僕の目の前にふわりと降り立ち、臨戦態勢を解くように「ふぅ」と息を吐いた。
「ケガはない?」
戦いの疲れを感じさせない涼やかな表情でこちらをのぞき込むエコナ。
「それはこっちのセリフだよ! そっちこそ大丈夫?」
「うん、平気。ありがとう」
そう答えつつエコナは壊れて動かなくなったトビバチの方へ移動する。そして再び緑の炎を手に灯した。
「それ、『アニマの炎』……だよね?」
僕が尋ねると、エコナは振り向いて炎を掲げて見せた。
「うん。緑色のアニマの炎は初めて見る……よね?」
「そうだね。僕ら人間の灯す炎はみんな青色だ。コイツと同じ」
僕らがさっきから話題にしている「アニマの炎」とは、大災厄後の世界において人間と一部の精霊が所持する「固有能力」のことだ。
――固有能力とは、読んで字の如し。異能力とも言える。呪術と違うのは、呪術というもの自体が他の精霊の力を借りて行う儀式的、他者依存的な術であるのに対し、固有能力は使用者が他の精霊の力を借りることなく、自身の持つ
そしてアニマの炎というのは人間が所持する唯一の固有能力にして、この時代における最も有効な戦闘手段だ。それは体内の
妖精の灯すアニマの炎の色は人間のものとは違うと聞いたことはある。しかし間近で見てみると――エコナの背に生えた蜻蛉様の羽とも相まって――やはり幻想的なものだ。そして僕ら人間の放つ青い炎よりもずっと綺麗に見える。
「よいしょ……っと」
エコナはアニマの炎を器用に操ってトビバチの残骸を解体し始めていた。黒光りする金属板の隙間に炎をねじ込み、歪んで脆くなった箇所からそれを引き剥していく。
「何してるの?」
僕もその作業をのぞき込む。
「私たちが機械兵器を倒した後の習慣。確かこの辺に……ん、あった」
何かの部品がやコードが引き剥される大きな音がして、トビバチの内部に入り込んでいた炎の手がするすると外に出てきた(まるで獲物の肉をあさる獣みたいだな)。よく見ると何か青く光る物体を掴んでいる。
「ほら」
エコナはその物体を手に取って僕の方へ見せてくれた。
「これは……」
手の平に乗る大きさの青いガラス玉だった。表面は金属製のフレームで補強されていて、フレームには所々コードで繋がれていたのだろう穴が開いている。ガラス玉の内部は謎の液体で満たされているようで、ほのかに青い光を放つ水晶が中心に浮かんでいる。それが脈を打つように明滅していて、それはまさに……、
「機械兵器の……心臓?」
「そんなとこ。私たちは『コア』って呼んでいる」
エコナはコアを腰に提げた
「これは機械兵器の動力源。取り上げてしまえば、機械兵器は正真正銘の鉄くず」
そう説明しながら二体目の外殻を取り外す。
「青い羽がなくなっているでしょ?」
「そうだね」
トビバチの背に生えていた青いクリスタル状の羽は消えていて、羽をもがれた蜂は太った
「トビバチは私の『
「蜻蛉燐羽?」
「この羽のこと」
エコナは背中に生えた四枚の翡翠の羽をパタパタと揺らして見せた。
「へえ……そんな名前だったんだ」
「かっこいいでしょ?」
ほんの少しだけドヤ顔を作って視線を遣るエコナに、僕は思わず吹き出してしまった。
「何で笑うの?」
「あ、いや、ごめん」
「むう、もういい」
むくれながらエコナは作業を再開した。何と言うか、何を考えているのか分からない風でありながら繊細な表情は豊かだ。正直、そういうのは嫌いではない。
「あと、コアの中に入っている青く光るクリスタル。これもちょっとした利用価値があって」
そう言って二体目から取り出したコアの中心を指差し、巾着袋にしまう。
「それにしても……機械兵器って人間にも平気で襲いかかるものなのね」
「ああ、それは僕が端末を持っていなかったからだね」
「……タンマツ? もしかしてさっき私が壊した……」
「いいや、違う。まあ、あれを壊されたのもだいぶ痛かったけど……それはそれとして。別にあれを持っていたところで機械兵器に襲われるのは変わらなかったよ」
「本当?」
「うん。機械兵器の多くは無人機、つまり人が乗ってないんだ。人工知能と遠隔操作で動いている。だから自らの領域に人型の生き物が現れたら自動でそれを記録、駆逐するよう設定されているんだけれど、実際人間も攻撃対象になってしまう。妖精と姿があまりに似通っているから識別できないんだ。皮肉なことに」
「そうね」
手を止めて頷くエコナ。僕は彼女のそばに寄って、三体目の残骸の外殻に手をかけながら続けた。
「そのためにっ……って、硬いなこれ。で、そのために機械兵器がうろついている領域に入るときは専用の端末を所持するんだ。そこから発せられる信号を認識した機械兵器は、端末の所持者を攻撃対象から除外する。だからそれを持っていないと、人間でも誤認攻撃されるって仕組み」
そう言って役立たずの両手をひらひらと振った。
「……そう。つくづく穏やかじゃないね、機械兵器って」
エコナはそう言いながら三体目に炎をねじ込んだ。先程よりも少し荒っぽく、外殻が剥される。
「ほんと、穏やかじゃない……」
その横顔は、何かに憤っているようにも、悲しんでいるようにも見えて。
「この辺も、機械兵器の侵攻が激しいの?」
僕がそう尋ねると、エコナは自分の表情を悟られたと思ったのだろう、素の眠そうな顔つきに戻って言った。
「ここ十何年でエナの地も変わってしまった。いつ集落が攻め滅ぼされるか分からない」
コアに繋がれたコードを引き千切り、最後は素手でコアを引っ張り出してから、エコナは再び真剣な眼差しになった。
「――だから戦うの、私は」
「……」
その瞳の先には何が映っているのだろうか。そのような悲壮な覚悟を抱かせるような過去だろうか、それとも人間の、機械兵器の脅威から解放された未来の光景だろうか。少なくとも、僕の知り得ぬどこか遠くを眺めている。そんな目をしていた。
なぜだろう。まだ会って数時間も経っていないのに、彼女は僕を何の前触れもなくさらってきた妖精なのに、僕の人生を現在進行形で滅茶苦茶に掻き回している張本人なのに、なぜこんなにも目を奪われるのだろう。なぜこんなにも心がざわつくのだろう。
分からない。が、少なくとも僕の心にはエコナに対する信用が芽生え始めていた。彼女は決して悪い奴ではないと。何の思惑があるにせよ、きっと僕の味方であるのは間違いないと。それは彼女に対する敬意でもあった。
「さ、行こ。私もそろそろ霊力がなくなりそうだし、早く集落まで着かなきゃ」
エコナは蜻蛉燐羽をたたんで解除すると、何事もなかったかのように僕を促した。
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