第2話 何もかもが現実離れした出会い

 《この先に許可なく立ち入ることはご遠慮ください。遺跡の倒壊、精霊の襲撃、及び機械兵器の誤認攻撃の恐れがあります。》



 そんな警告書きが目の前のフェンスに取り付けられている。さっきの店から大通りを更に二百メートルほど歩いて行くと、ステーションキャンプの端っこにたどり着いた。フェンスが遺跡との境界線を引いている。フェンスと言っても高さはそこそこあるし、ちゃんとネズミ返しも付いていた。

 道路が突き当たる部分は観音開きのゲートになっている。雑草の生い茂る向こう側の道路にもわだちが延びていて、人の通った痕跡が見られた。


「ここまで、か」


 ひとまず行ける所まで来てみた。まあこんなものだろうと、浅くため息を吐く。

 ぼちぼち帰ろう。ここは料金を支払うことで廃墟遺跡内を散策できるサービスもないようだし、であればあとはもう飲食店くらいしかない。ここで生活しながら働く人向けの娯楽施設があることにはあるが、まあ別にそこまで行きたいわけでもない。

 目的は果たした。早く帰って学校の課題を片付けてしまおう。


 そう考えて踵を返す。


 目の前にはフェンス越しの廃墟遺跡が見えた。

 …………んん?


 違う。僕は駅の方向を向いたはずだ。

 もう一度回れ右をする。

 目の前にはフェンス越しの廃墟遺跡が見えた。


 ………………んんん?


 ああそうか、僕は疲れているんだ。日々のストレス社会にあてられて、自分でも気が付かない内に頭がイカレてしまったのだ。だからその場から動いていないのに方向転換したと錯覚しているんだ。明日にでも病院に行った方がいいのかな。

 そうだ。目を瞑ってやってみよう。視覚に頼っているから脳が騙されるのだ。

感じろ。筋肉の伸縮を、転回するときに僅かにかかる遠心力を、肌を撫でる空気の流動を……。


 いまだ!

 目を開く。

 ――四方は深い霧に包まれていた。


「……は?」


 よく目を凝らすと、足元にはひび割れたアスファルトと、その隙間から延びる雑草。両脇には廃墟となった住宅が立ち並んでいた。霧は前後左右だけでなく、足元にも、頭上にも及び、辺りは薄暗かった。


「ここ、廃墟遺跡の中じゃないか! どうしてっ」


 訳が分からなかった。いつの間にフェンスを乗り越えてきたのか、とかもうそんな次元じゃない。異常だ。そのことだけは分かる。

 スマートフォンを取り出してマップアプリから現在地を確認しようとした。だが、ない。スマートフォンがない。いつ落とした? ちょっと待って、財布もないじゃないか!


「とにかく、戻らないと」


 動揺する心を必死で落ち着かせながら、僕は性懲りもなく道を引き返そうとする。

だがどこまで歩いても景色は一向に変わらないし、どこかにたどり着く気配もない。嫌な汗が吹き出す。底知れぬ恐怖が襲った。こんな遺跡のど真ん中に一人っきり。いつ精霊や機械兵器が襲ってくるか分かったもんじゃない。

 ゆっくりと歩き続けることに耐えられなくなり、気を紛らわすように走り出す。するとようやく変化が訪れた。


「標識だ! 標識が立っている」


 それは青地に白い矢印。一方通行の標識だった。それが向かって右を指している。

半ば思考停止状態に陥った僕は、それがステーションキャンプへの道のりを示しているのだと根拠もなく信じ込み、次の曲がり角を標識の通りに右へ進んだ。

 しばらく走ると今度は左、次は直進、そのまた次は後方(後方?)と指示された。僕はそれに従って進んだ。だがその後方への一方通行標識に従って道を引き返したとき、ふと周囲の景色が変わっていることに気付く。


「……?」


 硬いアスファルトの道はいつの間にか柔らかい土の地面になっていて、両脇に立ち並んでいた廃墟の住宅は樹木に変わっていた。

 やがて白波が引くように濃い霧が晴れる。気付けば僕は、森の中にいた。

 つまり僕は、ステーションキャンプに向かって走っていたつもりが全く逆の森の方へ行ってしまったということか。頭が真っ白になって、めまいさえ覚える。何なのだ、これは。どうすればいいのだ。


 野鳥たちが美しい声音でさえずっている。それすら今の僕には皮肉に聞こえた。


「~っ……」

 頭を抱え、地にうずくまり、口から魂が抜けそうな勢いで失望を露わにする。

と、



「――人間さん、こんにちは」



 そのときだ。透き通った少女の声がした。


「え……?」


 驚いて顔を上げると、さっきまで誰もいなかった目の前の空間に一人の女の子が立っていた。じっと、僕のことを見つめている。

 まるで現実感がない。僕がその少女を見て最初に思ったことだ。


 その若草のような色をした柔らかそうな髪や瞳も、麻特有のシワのが入った異国情緒あふれるロングチュニックも、ひざ下からのぞく白い足が何も履いておらず裸足であることも、その手に長い木の杖が握られていて、足元にある石の台座には大皿に水を張った水鏡やら六角柱の水晶やら束ねられた草花やらが置かれていて、あやしい呪術の儀式感が満載なことも……。


 そして何より、少女が現実離れして美しいことも。まるで現実感がなかった。

眠そうな顔をして、どこかあどけなささえ感じるのに、まとう雰囲気は凛としていて掴み所がない。少女と形容したが、十八歳の僕よりも年上かも知れない。


「誰?」

 恐る恐る尋ねる。


「私、ニンフ」

 少女は気の抜けた声でぽつりぽつりと言葉を発した。


「ニンフって、あの……!」

 僕は息を飲んだ。


「どのニンフか知らないけれど、うん、ニンフだよ」

「え、ああ……」


 変な切り返しをされたが、確かに彼女がニンフだからどうなるのだ……? 確かニンフの生態は……。だめだ、上手く頭が働かない。


「私のことはエコナって呼んで」

「はあ……」


 エコナと名乗ったニンフの少女は僕のことなどお構いなしに喋る。何と言うか話が致命的にかみ合っていな気がする。

 だがそれよりも、だ。


「ええと、エコナ、さん」

「エコナって呼んで」

 そう言って小首をかしげる。その仕草はずるいと思う。


「これはどういう状況なの?」

 するとエコナは眠そうなまなこを微かに見開き、「ああまだ言っていなかったっけ?」とでも言いたげな顔をした。


「あなたをさらった」

 そして「あなたの服も洗濯しておいたから」くらいの調子で言い放ったのだ。


「嘘でしょ……?」

「本当」

「さらわれた? 僕が、君に?」

「そう」


 だからなぜそんなに平然としている。もっと、こう、あるだろう。申し訳なさそうな顔をしろとは言わないが、妖精っぽい悪戯な雰囲気というものすら彼女からは感じられない。


「ここはエナにある『ダム湖遺跡』沿いにある森の中。……私が幻術と転送呪術を使って、あなたをここまで連れて来た」


 僕の脳内で一瞬、「エコナ」と「エナ」がごっちゃになった。


「エナ? どこだそれは。……いや待って、確か路線図で見たような……」


 そう、後者は地名だったはずだ。僕は記憶の糸をたどる。エナ、エナ、エナ……聞いたことがある。確か今日乗っていた電車がもっと内陸の方に行くと……、


「……っ、思い出した! 岐阜じゃないか、それも東の端っこ! 僕は一体どれだけ走って来たんだ!」


 岐阜(ギフ/Gifu)と言えば今や秘境も秘境。人類の文化圏のほとんどが精霊に浸食され、森と山と高地が面積の大部分を占める大自然。「探索者」が最も手を焼いている地域の一つだ。もちろん、僕が降り立った先のステーションキャンプとは徒歩じゃ効かないような距離がある。


「だから、私の呪術で……」

「あ……ああ、そっか」


 驚愕きょうがくして叫ぶ僕をエコナの冷静な一言が静めた。

 ニンフは魔法や奇跡の領域に片足突っ込んでいるような高度で豊富な呪術に加え、幻術が得意な妖精だ。そのニンフである彼女に化かされてさらわれたのだとしたら、先程までの奇妙な出来事にも一応の説明はつく。理屈は全く分からないが。


「ねえ……」

「は、はい」

 僕を呼ぶ平坦で儚げな声に少し甘い響きが混ざっていて、僕はどきりとする。


「――人間さん、私と契りを結んで」


 たたみかけるような状況説明の最後、それはトドメのように僕から言葉を奪った。

 一陣の風が吹く。五月の森を揺らして、エコナの髪を揺らして。

 そして僕はようやく思い出した。ニンフという妖精とは何ぞやかを。



 ここまでが回想である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る