第一章 妖精にさらわれた日

第1話 それでも人の営みは続く

 時は五月も末。僕はひとり電車に揺られていた。


 電車の車窓からは廃墟となって朽ち果てた街が見える。

 ぼろぼろになった建物はツタに覆い尽くされ、アスファルトの道路には雑草が伸び放題。樹木が点々と無秩序に生え、もはや色の比率で言えば緑が圧倒的だった。

 そんな景色がゆっくりと流れていく。今ここで機能している人工物は、僕が乗っているこの電車とその線路ぐらいのものだ。電車は荒廃した世界に糸を通すようにして進んで行った。



 ――この世界は一度崩壊している。まずそれについて言及しておかねばならない。



 今から大体百年前のことだ。突如として発生した「大災厄」と呼ばれる出来事により、人類は一度終末の時ドゥームズデイを迎えた。数え切れないほどの人が死に、生き残った人々は都市に集まってその命と文明を首の皮一枚のところで繋ぎ止めた。

 だから現在に至るまで人間の文化圏は世界各地に残った都市の中に留まり、他の地域は車窓の外の廃墟群のように荒廃したままだ。


 しかし航空、海運、そして鉄道の三つは、人類の交通網として――あくまでここ日本に関していえば――何十年も前にほぼ復旧した。いま僕がこうして電車に乗っていられるのもそのお陰なのだ。

 しかし大災厄によって起きた大きな変化はもう一つある。

 それは……。



『間もなく、――。――。お出口は右側です。ドアから離れてお待ちください』



 気の抜けた車内アナウンスの後、電車の走るスピードが落ちる。もうすぐ目的の駅に着くようだ。

 僕は耳にかけていたイヤホンを外し、スマートフォンをいじって音楽を止めた。持ち物はあと財布だけ。ポケットに手を突っ込んでちゃんと切符が入っているか確認。それを手に持っておこうかまだ仕舞っておこうか迷い、やがてポケットの中に戻した。


 電車が止まる。ホームに出ると晩春の柔らかな暖気が漂ってきた。

 ここは僕の住んでいる都市の郊外にある駅で、まあまあ立派なものだ。言い忘れていたが、駅はきちんと修復、管理されている。

 一度階段を上がって空中廊下から線路をまたぎ、向こうのホームに渡ってから改札を出る。


 そこに広がっていたのは廃墟ではなく、ごく普通の、高層ビルこそないものの至ってごく普通の街の光景だった。ターミナルにはタクシーが何台か停まっていて、スーツや作業着を着た人たちがちらほらと立っている。


「いやだから俺、見たんだって! 竜みてーなでっかい『精霊』が泳いでいるのを」


 近くで作業服(普通のものよりぴっちりとしていて動きやすそうだ)を着た男が、同僚と思しきスーツ姿の男に向かって興奮した様子でまくしててていた。あれは探索者だろう。人間の生活圏の外に出て行って資源や情報を収集してくることを仕事にしている。


「んなこと言ったって、連れてった『機械兵器』に記録がなきゃ信用できるかよ。お前が妖精の幻術に化かされただけかも知れないだろ?」

「へっ、デスクワークばっかで探索へ出てもない奴には分かんないだろうな! 後で『記憶再生呪術』にかけて見せてやるよ」

「うわ、給料が消し飛ぶぞ」

「んなもん経費で落とすに決まってんだろ」


 そんな議論を繰り広げる彼らに興味をそそられつつも、僕は駅前の大通りを歩道沿いに歩いて行った。



 ――百年前の大災厄で起きたもう一つの大きな変化。それは「精霊」の出現だ。

精霊、それは僕ら人間や地上の動植物のような物質的な肉体を持たず、霊体によって構成された謎多き生命体で、それは微細な虫のようなものから見上げるほどの竜まで多種多様、かつ幻想的。妖精もまた精霊の一種だ。


 彼らは不思議な力を持っている。同時に人間もまたそうした力の一部を使えるようになった。これが「呪術」と呼ばれるもの。旧時代より受け継がれてきた科学文明の方が未だ優位ではあるが、呪術との融合も進んでいる。要はいいとこ取り、ハイブリッドだ。


 大災厄を経て、世界は崩壊と同時に大きく改変された。かつて空想の産物ファンタジーでしかなかったようなものが突如として現実となり、滅びかけの人類は精霊や妖精のはびこる不自由な世界で生きることを余儀なくされた。


 そういう時代に、僕らは生きている。



 両脇の建物はほとんどが鉄筋コンクリート製。だいたい一階か二階建て。僕が歩いている歩道は赤やベージュのタイルがモザイクのように敷き詰められていて、中央の道路は黒いアスファルト。そして電信柱とLEDの街灯が等間隔に整列している。


 そう、ここは街として生きている。

 あちこちの看板に「ステーションキャンプ」という単語がカタカナで書かれているのが見受けられる。それは文字通り「駅を中心として作られたキャンプ」のことだ。キャンプと言っても、もちろんテントやらを張って大自然を満喫するための場所ではない。言うなれば「都市から離れた外界における人類の活動拠点」だ。


 だからこうして駅周辺だけは、廃墟となった旧時代の遺跡を綺麗に取り壊して新しく街を造り直しているの。

 こういうステだーションキャンプに足を運ぶのが僕の数少ない楽しみだった。都会での生活は本当に息が詰まる。どうしても、僕にはあそこの空気が合わないのだ。


 いっそどこかのステーションキャンプに賃貸を借りて住んでみたい。でもキャンプ自体の敷地が限られていて、地価とか諸々がべらぼうに高い。ほとんど別荘を買うようなものだ。ステーションキャンプで働く者には補助金が出るのだが、悲しきかな、十八歳で学生の僕にはどうしようもない。


 ビルの押しつぶされそうな圧迫感からいくぶん解放された空を仰いで、大きく息を吐く。そろそろ昼食時かな。

 ふと、道の反対側に「展望カフェ かすか」なる看板が掲げられた三階建ての建物を見つけた。いいな、あそこにしよう。


 横断歩道の前で信号が変わるのを待つ。電気自動車の静かなモーター音が右へ左へ。やがて青信号になると僕は早足で横断歩道を渡り店に入った。

 目的のカフェがあるのは建物の三階と屋上の部分だった。店内は暖色系で統一された落ち着きのある内装。休日だからか、僕のように観光に訪れたのであろう私服の人たちが、ステーションキャンプの外側に向けて取り付けられた大窓からの景色を眺めながら食事を楽しんでいる。


 僕はレジでコーヒーとホットサンドを注文して受け取り、階段を上がっていった。

屋上は一部屋根付きで、テーブルやベンチが備えられている。手すりの方まで行くと、ステーションキャンプの外に広がる廃墟遺跡が一望できた。


「おお……」


 思わず嘆息が漏れる。


 視界いっぱいに、廃墟となった街の光景が飛び込んできた。

 緑に浸食された建物の群れ。中には四階以上の構造を保ったままになっているビルもあって、塔のように一際目立っているのだが、天井は崩れ落ち、残った窓枠の向こうに花畑がのぞいていた。背の低い建物は百年近く経った今でも結構形を保っているようだ。

 この辺は住宅街だったらしい。斜めった屋根を被った家々が道路で区分けされながら密集している。電信柱も、頭が折れていたり電線が切れてしまったりしているが、まだ倒れていないものが多い。池のある公園の跡と思しき場所に小鳥や水鳥が群がっているかと思うと、目の前を鳩の群れが飛び去って行った。


 そして庭木や街路樹が成長して繁殖した結果なのだろうか、所々が林になっている。建物の壁を這うようにして幹を伸ばしている樹木もあれば、天井を突き破って枝葉を伸ばしている根性のある樹木もあった。

 それが遠くまで続き、やがて緩やかな傾斜がつくにつれて深い森へと変わり、地平線の代わりに連なる低い山々が街と空の境界線を引いていた。山がちな日本らしい景観だ。



「綺麗だな……」


 思わずそう呟いた。

 僕は言うまでもなく旧時代を知らない世代だ。人類が滅びかけて久しい世界に生まれ、かつて混乱と絶望に見舞われたであろう街並みが遺跡と呼ばれるような時代に生きている。だから僕は「綺麗」だと感じることを不謹慎だとは思わないし、実際にステーションキャンプが廃墟遺跡を観光資源として再利用することも珍しくない。

 哀愁とか喪失感は確かに感じる。だがそれさえ心地よいのだ。


「いつもより遠くまで足を運んでみてよかった」


 風はなく、往来から少し離れた屋上はホワイトノイズのかかった静寂に包まれている。僕は景色を堪能しながらゆっくりと食事をとり、スマートフォンでひとしきり写真を撮ってから建物を後にした。

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