第2話

 リーベはポラリスを連れて、まず人々が行き交う市場を訪れた。


 さっきあれほど食べたのに、ポラリスはリンゴやらなにやらを買い食いし、リーベを苦笑させた。


 続いて、職人達が額に汗して働く工場こうば街や、街の中央にある住人の憩いの場である公園、馬車に乗って南部の農業地帯を回った。


 最後に、広い街をぐるりと円形に取り囲む、石造りの城壁の上にやってきた。


 大分傾いた2つの太陽に照らされる景色を眺めつつ、


「なあ、そういや、昼間の連中は何者なんだ?」


 座って休憩しているリーベへ、ポラリスがそう訊ねた。


「あ、はい。確か彼らは、街の北を根城にするマフィア、らしいです」


 街の北部は彼らが幅を利かせているせいで、あんまり治安が良くなく、壁で他の区域と区切られているが、たまに中央にやってきて暴れる、という事をリーベが説明した。


「ほーん」


 ポラリスがあんまり興味なさそうにそう言うと、彼女の腹の虫が盛大に鳴いた。


「んじゃ、腹減ったし、そろそろ帰るわ」


 ちょうど夕日が1番綺麗きれいな時間帯なのだが、ポラリスは見向きもせずに、下へ降りる階段へと向かった。


「あっ、待ってくださいっ」


 リーベは慌てで立ち上がり、そんな彼女の後を追いかけた。




「にしてもオメー、そんなでけえタッパしといて、荷物運びはちと役不足じゃねえか?」

「ひゃっ」


 城壁内部の階段を降りながら、そう言ったポラリスは、リーベの背中をべしべし叩いてそう訊く。

 内側の壁に付いた燭台しょくだいには、白っぽい炎が灯っている。


「わっ、私はその……。見かけ倒しなので……」

 

 叩かれたところをさすりつつ、リーベは自嘲気味じちょうぎみな声色でそう言って苦笑する。


「そういうことなら、オレがきたえてやってもいいぜ。金取るけど」


 ポラリスはサムズアップしてそう提案したが、リーベはそれを丁重に断った。


「つまんねえの」


 しゃーねえ、自警団の連中にでも売り込むか、と、ポラリスは、不満げに口先を尖らせてそう言う。


「あはは……」


 地上まで降りた2人の元に、


「あっ、いたいた。おーい旅人さーん」


 ギルド職員の若い男が、ポラリスを呼びながらけ寄ってきた。


「んだよ」


 いぶかしげな顔をするポラリスへ、ギルド職員は、しばらく滞在して路銀ろぎんかせぐなら、ギルドで登録しないといけない事を説明する。


「へいへい。了解」


 心底面倒くさそうにそう答えたポラリスは、リーベに先に帰るよう言って、ギルド職員と共にギルドへと向かっていった。


「半日どうもなー」

「あっ、はい」


 ピラピラと手を振ったポラリスの、その後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、


 今日の晩ご飯、なんだろう?


 そんなことを考えつつ、リーベは鼻歌交じりに帰路についた。




 酒場近くまで帰ってくると、リーベはなにやら騒然そうぜんとした空気を感じ取った。


 店の真ん前に幌馬車ほろばしゃが止まっていて、その周りに常連の戦士達が数人伸びていた。


「――ッ!」


 その後ろの幌には、街北部のマフィアのマークが付いていた。


 リーベが店の方に駆け寄ると、


「リーベちゃん……。アリスさんが、危ねえ……」


 出入口横に倒れている戦士の男が、そう言って彼女に自分の剣を渡して気を失った。


「アリスさんッ!」


 リーベが店内に突入すると、気絶させられて、マフィアの雑魚の肩に担がれたアリスの姿が見えた。

 その隣に、猛烈もうれつにつまらなそうな顔で腕組みする、はかま姿の少女が立っていた。


「おっ、真打ち登場にござるか」

 

 リーベの姿を見た途端、彼女は楽しそうな顔でそう言って、腕組みを解いた。


「あ、アリスさんを放してください……ッ」


 震える手で剣を抜いて構えたリーベは、たどたどしくそう言ってにらみ付けた。

 

「ヒャッハー! やっちまってください先生ぇ!」


 彼女のその姿を見て、アリスを背負う男と、もう一人の男が後ろに下がりつつ、そう叫んで少女をはやし立てる。


「……その変な声、止めては貰えぬでござるか?」


 男達の奇声が耳に触った少女は、顔をしかめて男2人に言った。


「あっ、すんません」


 やや小さい声でそう謝った彼らは、ちょっとしょげた顔になった。


「やー、残念ながら、それは出来ない相談でござるなあ」



 拙者せっしゃ、雇われの身ゆえ、と、肩の高さで広げた両手を上に向け、申し訳なさそうに少女は告げる。


「そう、ですか……」


 緊張でガチガチのリーベが持つ剣は、切っ先が細かく震えていた。


「失礼ながら、勝負の前に名乗らせて貰うでござる」


 そんな腰の引けた姿勢の彼女を見て、間を作るためにそう言った後、


「拙者、生まれも育ちも『輪の国』神州かみす。大神様で産湯をつかりました、風の吹くまま足の向くまま、諸国しょこくを旅する根っからの風来坊。姓はオオシオ名はミフユ。人呼んで『神速のミフユ』でござる」


 かなりの声量で、朗々とした口振りで口上をあげた。


「……はい? 何です、それ」

「演劇か何かですか先生?」


 しかし、ミフユと名乗った少女のそんな長台詞に、マフィアの雑魚も含めて困惑していた。


「おお。そういえば、こちらには無い文化だったでござるな」


 カッカッカッ、と額を抑えて天を仰ぎ、一通り高笑いした彼女は、改めて普通に名乗った。


「まあ、それはそれとして。お主、名は何というでござるか?」


 朗らかな表情でリーベへそう訊いた。

 困惑したままの状態でリーベが名乗ると、実に良き名でござるな、と、ミフユは感心している様子でそう言った。


「では、リーベ殿、――いざ尋常しんじょうに」


 後半の辺りから彼女の声が、凄みの籠もったやや低いものになった。

 それと同時に、人当たりの良さそうな雰囲気が消え、人斬りのオーラをまとい始めた。


 身体を貫く様な鋭い殺気に、リーベは完全に気圧されていた。だが、勇気を振り絞って、その場から一歩踏み出した。


「――ッ!? あ、ぐ……ッ」


 その瞬間、腰の刀に手をかけていた、ミフユの姿が視界から消え、リーベは腹に強烈な一撃を食らった。

 崩れ落ちたリーベが見たのは、刀を逆刃に構え、油断なく佇むミフユの姿だった。


 ふむ……。どうやら本調子、というわけでは無かったでござるか……。


 肩すかしを食らった様な顔で、ミフユはそう思いながら刀をさやに納めた。


「ヒャ――。……とっとと引き上げましょうぜ、先生」

「うむ」


 ミフユはそう言うと雑魚に先を行かせ、その後に続いた。


 店から出る直前、呻いているリーベの方を振り返ったミフユは、


「次は本調子の時に相まみえよう、でござる」


 そう言うと、目の高さで指を2本立てて、彼女の方へ指を小さく振り下ろした。


「うぅ……」


 黒髪のポニーテールを微かにたなびかせ、店から出て行くその後ろ姿に向け、リーベは必死に手を伸ばす。


「アリス……、さん……」


 だが、身体が言う事を聞かず、彼女はただ、見送る事しか出来なかった。


 間もなく、外から馬車の走り去る音が聞こえた。


 それと同時に、リーベの意識が闇に沈んだ。


 ややあって。


「――おい、何があった?」


 次に目を開くと、自分を見下ろすポラリスの顔が視界に入った。

 書類を書くのにかなり手間取ったせいで、彼女が帰ってきたのは全てが終わった後だった。


「そ、れが……ッ」


 痛む腹を押え、途切れ途切れではあったが、事の次第を手短に説明した。


「おいおい、マジかよ……」


 ポラリスは苦々しい表情で、荒らされているカウンターを見やった。


                    *


 それから約1時間後、アリスの祖父である市長の邸宅ていたくに、マフィアからの脅迫状が届いた。

 すぐさま、街の有識者達が市長宅に集められ、広いリビングでの会議が始まった。

 アリスの無事か、それとも市場の管理権の譲渡じょうとか、の二択をマフィアから迫られた市長は、


「やむをえん。ワシが身代わりになろう」


 自身をアリスの身代わりにするように交渉し、その成立後、傭兵達にマフィアを潰して貰う、という、苦渋くじゅうの決断を下した。


 他に誰も、アリスを確実に救うための案を用意出来ず、有識者達の間に沈黙が流れる。


 そんな重苦しい空気を打ち破るように、


「はい、ちょっと失礼すっぞー」


 ポラリスが軽い調子でそう言い、室内に突入してきた。その後ろに、困惑しきりのリーベが立っていた。


『まーまー、ご老人。そう慌てなさんな』


 それに続いて、どこからか、ややハスキーで低い女性の声が聞こえた。


「どこから声が……?」


 声の主が見当たらず、ポラリス以外が辺りを見回していると、


『こっちこっちー』


 そんな気の抜けた声と共に、ポラリスの肩から黒猫が飛び降りて来た。

 着地と同時に、紫色の煙がその身体から吹き出し、わずかな間だけその辺りを覆った。


「はい、どうも。皆さん、生では初めましてー」


 それが晴れると、ポラリスの左隣に、くるぶし丈の真っ黒な貫頭衣かんとういまとった、銀色の長髪の美女が立っていた。

 赤い魔法石がいくつかあしらわれた、やや派手な金色のネックレス以外、彼女は装飾品を何一つ身につけていない。


「あっ、あなたはもしや……。『大魔導』、マリア様!?」


 真っ先に思い出したギルド長が、ひっくり返りそうになりながら、その美女の名前を叫んだ。


巻物スクロールで見たとおりじゃ……」

「なんと気品に満ちたお姿……」


 全員があんぐりとしている中、


 ……『大魔導』、マリア……?


 彼女の称号と名前を聞いたリーベは、軽い頭痛に襲われた側頭部を抑えた。


「なんだい。人を珍獣を見るみたいな目で見てー」

「そりゃ仕方ねえだろ。世紀の大引きこもりなんだからよ」

「……前から思ってたけどさ。ポラリスちゃん、私に辛辣しんらつすぎない……?」


 もうちょっと師匠を敬っても良いと思うよ、と、拗ねた顔をして、マリアは後ろからポラリスに枝垂れかかる。

 ひらひらしているマリアの服の袖が、マントのようにポラリスの身体をおおう。


「ならせめて自分の足で行動しろポンコツ」

「ぬわーん……。ポンコツ呼ばわりはあんまりだよー」


 ブーブー言いながら、ポラリスを抱きしめる彼女は、一緒に左右にゆらゆらと揺れる。


「それはいいから早く言えよ。このポンコツ」

「なー! また言うー……」


 反抗期だー、と半泣きで言うマリアを無視して、ポラリスは彼女へ、早く用件を言うよう催促さいそくした。


「……えー、おっほん」


 気を取り直したマリアはせき払いを1つして、


「この度の一件、このマリアに預けて貰いたい」


 誰も犠牲者を出さずに解決して見せようじゃないか、と、ポラリスの頭を撫でながら、全く締まりの無い顔で豪語する。


「言ってる事と顔を合わせろ。この変質者」


 そんな師に、ポラリスは半分あきれ顔でそうツッコミをいれた。


「うー、いちいち発言にとげがあるなあー……」


 子供の様にむくれてぼやいた後、マリアは、


「で、どうだい? 任せて貰えるのかな?」


 打って変わって穏やかな笑みを浮かべ、市長にそう再度訊ねる。


 彼女に頼む以外は、全く手がないと結論が出ていたため、市長は2つ返事でその提案を受け入れた。


「そんじゃ皆さん、夜明けまでには終わらせておくよ」


 グッナーイ、と市長達に言いながら、マリアは適当に手を振る。


「んじゃ、行こうポラリスー」

「へいへい」


 ポラリスにそう言うと、マリアは彼女のその小さめの手をとり、優雅ゆうがに歩みを進めて部屋から出て行った。


「おい、あんた。ちょっと来い」


 その際、まだ廊下で頭を捻っていたリーベに、ポラリスがそう呼びかけた。


「あっ、はい……?」

 

 考えるのを一旦置いておくことにして、リーベは2人の後に続いた。


 3人が外に出て、リーベが玄関のドアを閉めた所で、


「つ、疲れた……」


 頼もしい様子で歩いていたマリアが、突然息を切らせ、ポラリスの傍らでしゃがみ込んだ。


「おいおい。たった82歩しか歩いてねえぞ師匠」

「あうー……。なんで数えてるのさー……」


 老人以下の体力の師を見下ろし、思い切り呆れているポラリスは、腰にぶら下げていた革製の水筒をマリアに渡す。

 彼女は中の水を3口ほど飲んで、大きく息を吐いた。


「だから自分で歩けって言ってるだろうが」

「分かってるけど、君の肩に乗ってる方が楽なんだもーん」

「もう『大魔導』名乗るの止めちまえ怠け者」

「まーたそんなこと言うー……」


 ちょっと怠けるぐらい大目に見てー、と、マリアは半泣きで要求する。


「これ以上余地がないから無理」

「ふえーん……」


 だが、ポラリスはきっぱりとそう言って、全く譲歩じょうほしてくれなかった。


「あの……。ご用件というのは……」


 そんなコントを繰り広げる2人へ、放置されていたリーベがおずおずと訊ねた。


「あ、スマン。忘れてた」


 悪い悪い、と、かなり雑に謝ったポラリスは、マリアへ猫になって肩に乗るよう言った。


「君のなんだかんだで優しいとこ好きだよー」

「い、良いから早くしろよ!」

「愛してるぜー」

「乗らねえなら置いてくぞ!」


 自分への愛情を直球で言葉にされ、顔が真っ赤になったポラリスは、照れ隠しでそう声を荒らげた。


「おわー、それは勘弁かんべん


 黒猫になったマリアが肩に乗ると、ポラリスはリーベに、付いてこい、と言って歩き出した。


 ポラリスの行き先は、外出禁止令が出て誰も居ない中央公園だった。

 その中の、さらに人目に付かない所で彼女は立ち止まる。


「君さ、記憶喪失きおくそうしつなんだってね?」


 ポラリスの肩から降りたマリアは、再び人間状態になってリーベへそう訊ねる。


「はい。……と言っても、物の名前とかは覚えているんですよね」


 そう答えたリーベへ、なるほどねー、と言ったマリアは、うんうん、と頷く。


「で、あの。ご用件というのは、その事なんでしょうか?」

「まあ、それも関係あるけど、メインはそっちじゃないよー」


 そう言うと、マリアは自分の隣にいるポラリスに、後ろから抱きついて寄りかかった。


「おい。もったいぶるなよ師匠」


 伝道師じゃねえんだから、と言うポラリスの表情は、まんざらでもなさそうだった。


 はいはい。今から話すから、と彼女の頬をムニムニしつつ、マリアは本題に入った。


「君を呼んだのは、アリスさんとやらの救出を手伝って貰いたくてね」


 ポラリスにうざかられつつ、彼女はリーベへそう告げる。


「えっ……? 何で私が……?」


 足手まといになるだけですよ……? と、あざになっている自分の腹部に触れ、怪訝そうに言う。


「いやね。君がいないと、作戦にならないんだよ」

「どうしてもオレらは目立つからよ、実働係がいねえと色々面倒でな」


 2人の説明に、リーベは納得はしたものの、


「じゃあ、もっと強い人の方が良いんじゃ……」


 私は何も出来ませんでしたし……、と、うつむいて悔しそうにリーベは言う。


「それはそうさ。相手は腕利きだし、君は忘れてるんだからね」

「……私はいったい、『何』、なんですか」


 やや大きい自分の両手を見たリーベは、ポラリスにじゃれつくマリアへそう訊ねた。

 最近見る、妙な夢の事を思い出し、彼女の浮かべる表情が不安そうになる。


「それは私の口からは言えないなあ」


 変な誤解があってもいけないし、と言うマリアは、何故か目を泳がせていた。


「この後に及んでごまかそうとすんな」

「ちょまってポラリスちゃんっ」


 その妙に尊大そんだいで不自然な態度に、苛ついていたポラリスは、


「お前の記憶喪失の原因は、このアホ師匠がミスったからだ」


 口を塞ごうとする師の手を力尽くで剥がし、彼女が隠そうとした事を暴露した。

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