自由の街の大魔導
赤魂緋鯉
第1話
「――ッ……。また、この夢……」
リーベはこのところ、妙な悪夢に悩まされていた。
それは、人間への憎悪の
1週間程前から毎日、彼女はそれと全く同じものを見ては、体中汗まみれにして目を覚ます、という事を繰り返していた。
張り付いているシャツを肌から剥がし、立ち上がったリーベは、やや色あせたカーテンを開いた。
上にスライドする窓を開けると、朝の空気と一緒に鳥のさえずりが入ってきた。
リーベは新しい肌着とシャツに着替え、ジーンズのパンツを穿く。
それから、やや
彼女が居候しているのは、2階が安宿になっている酒場で、冒険者や戦士など、流れ者達やその関係者の憩いの場になっている。
大あくびをするリーベが、階段を降りたところにあるドアを開けると、
「おはよう、リーベさん」
まだ人が居ない店の床をモップ掛けする妙齢の女性が、ふんわりとした笑顔でリーベへそう挨拶する。
彼女は、地味めなブラウスとキュロットスカート、という飾り気のない服装をしている。腰の辺りには、年季の入ったエプロンが巻かれている。
「はい……。おはようございます、アリスさん……」
アリス、と呼んだ女性へ、そう言って微笑み返すリーベだが、いまいち元気がない。
「あらあら、また怖い夢でも見たのね?」
「まあ、そんなところです」
自分を見上げるアリスへそう返事したリーベは、店の奥の
桶の氷は、アリスが簡単な魔法で作った物だ。
「あ、でも、身体は健康そのものですよ」
それを飲み干してから、心配そうに自分を見ているアリスへ、彼女はそう言った。
「うふふ。それはよかったわ」
一段と明るい笑みを見せたアリスは、黒くなったモップをバケツに突っ込んだ。
「じゃあこれ片してくるわね。机に乗ってる椅子、床に下ろして貰えるかしら?」
「あ、はい」
リーベが頷くのを見たアリスは、バケツに向かって単純なスペルを唱えた。
すると、それは少しだけ空中に浮かび上がった。彼女が裏口に向かって歩き出すと、それが彼女の後ろを付いてくる。
20数個ある椅子を全て下ろし終わった所で、台ふきと水桶を持ってアリスが戻ってきた。
2人でテーブルやカウンターを拭いた後、アリスが自分たちの朝食の準備を始めた。
あまり手先が器用ではないリーベは、オレンジを搾る程度の簡単な手伝いをする。
ややあって。
厨房にある小さめのテーブルを挟んで、2人はソーセージやシリアルといった、素朴な食事を取りつつ雑談をしていた。
「ねえリーべさん。昔のこと、何か思い出せた?」
「いえ……。まだ、何も」
そう言いつつかぶりを振るリーベへ、早く思い出せると良いわね、と、励ますマリアはコーヒーを一口飲んだ。
数ヶ月前、様々な人種の人々が住み、商人が行き交うこの街にリーベは現れた。
過去の記憶を全て失い、途方に暮れていた彼女に手を差し伸べたのが、偶然通りかかったアリスだった。
「あ、でも、ゆっくりで良いのよ?」
いつまで居てもらっても構わないから、と言われ、不安そうな顔のリーベへ微笑みかけた。
「……はい。ありがとう、ございます」
街でも5本の指に入るほどの美人、と評判のマリアのそれに、リーベの表情が自然と緩む。
朝食を食べ終えると、アリスは厨房で昼営業の仕込みを始めた。
「じゃあ、行ってきますね。アリスさん」
「ええ、気を付けてね」
リーベは身支度を調えると、日雇いの仕事を探しに、街の中心部の西側にあるギルドへと向かう。
女性にしては背の高い彼女は、見た目通り腕っ節が強い。なので、主に女性達から重い荷物を運ぶなど、力仕事の代行としてありがたがられている。
「うーん。残念だけど、今日はないね」
ギルドの受付係に職がないか訊ねたが、日雇い仕事は一つも無かった。
「そうですか。ありがとうございました」
そう言って頭を下げてから踵を返し、リーベは建物の外へと出た。すると、
「おいテメエ! 誰に物を言ってるか分かってんのかぁー?」
ギルドの右手にある市場の方から、若い男の恫喝が聞こえた。
……ケンカ、かな?
その方向を見ると、道の真ん中に野次馬が集まっていた。
人混みに近づくと、その縁にリーベの見知った顔がいた。
「どうしたんですか?」
「おう、市長の孫んとこのか」
振り返った中年男性は、リーベに場所を譲って、見ての通りだ、と言った。
その輪の内側にいたのは、旅人風の肩に黒猫を乗せるローブ姿の少女と、彼女と対峙する、モヒカン頭のいかにもチンピラな3人組だった。
少女の後ろは市場の事務所で、入り口のドアが蹴破られていた。
「オレの目の前にいる、騒がしい駄犬3匹だよ」
精悍な顔つきの少女は、思い切りバカにした顔で、チンピラ共を指さしてそう煽る。
「おいテメエ生意気だぞ!」
「ヒャッハー! 俺達をなめてると痛い目見るぜー!」
「ガキだからって許されると思うなよ?」
口々にそう言っていきがるモヒカントリオに、
「あー、はいはい。
少女の挑発に併せ、肩から飛び降りた黒猫が、モヒカンをバカにする様に鳴いた。
「こっ、このメスガキィィィィ!」
「調子に乗ってんんじゃねえ!」
「構うことはねえ、やっちまえ!」
まんまと乗ってきた3人は、拳を振り上げて少女に襲いかかった。
「はー、術使うまでもねえな」
怠そうだった少女の目が据わり、好戦的な笑みを口元に浮かべた。
「ひでぶッ!」
「あべしッ!」
「ぬかべッ!」
少女は右から順にフロントハイキック、逆の脚で後ろ回し蹴り、その逆の脚で延髄蹴りを食らわせ、全員を一撃でノックアウトした。
彼女のキレッキレな動きに、周囲の野次馬が大喝采を上げた。
「おっ、覚えてろー!」
チンピラは
「もう忘れちまったよー!」
親指を下に突き立てた少女は、彼らの背中に向けてそう叫んで煽った。
少しして、市場の組合長が中から出てきて、拍手
「いやあ、礼は要らねえよ。オレが勝手にやった事だからな」
そう言って豪快に笑った彼女の肩に、黒猫がひょいと飛び乗る。
事態の収拾が付いた事に安心して、リーベは他の野次馬と共にその場から立ち去った。
「ところでおっさん、どっか飯食えるとこ無いか?」
「ならば、旅人さんにはとても良いお店がありますよ」
少々お待ちください、と言って中に引っ込んだ組合長は、その店の名前と所在地を書いた紙を持ってきた。
お礼を言って組合長と別れた少女は、そこに書かれた文字を睨みながら、
「……これ、なに通りって書いてあんだ?」
首を傾げてそう
*
道行く人々の案内を頼りに、少女が道を歩いていると、彼女の大立ち回りを見聞きした住人が話しかけ、次々に用心棒を依頼してきた。
だが彼女は、「ある理由」でその申し出を全て丁重に断った。
それは、傭兵稼業にこの頃少し飽きていて、たまには別の事をしたいから、というものだった。
そうこうしているうちに、「旅人におすすめの店」にたどり着いた。
店はまだ開店前だったが、この街を拠点にする戦士や冒険者、街の南部にある農園の農夫、ここを経由地にしている旅商人など、10数人の常連客がすでに並んでいた。
「おう。さっきの姉ちゃんじゃねーか」
「あの大立ち回り、僕も見てましたよ!」
「連中には
少女の姿を認めた彼らは、列の最後尾に並んだ彼女へ、口々にそう賞賛を送った。
「よせやい。照れるじゃねーか」
それを受けて若干照れた様子の彼女は、また豪快に笑った。
「あらあら。今日はなんだか賑やかね」
少女のよく響く笑い声を聞き、店の中からアリスが出てきてそう言った。
彼女がクローズの看板を裏返し、どうぞ入って、と言って店に入ると、
「いやあ、アリス嬢は今日も
「おいじーさん。なーに鼻の下伸ばしてんだ」
「また嫁さんにドヤされるぞー」
彼女目当てに通う人々が、そう軽口を言いつつ、ゾロゾロと入店していく。
少女もその後に続いて店に入った。
彼女が席に着くと、アリス目当ての数人以外の客達がその周りに集結した。
彼らは、飯代をおごるから、旅の話をして欲しい、と少女に頼んできた。
断る理由がなかったので、彼女は快く引き受けた。
名前を訊かれ、ポラリス、と名乗った彼女は、一呼吸置くと、まずは旅先で聞いた不思議な話から始めた。
続いて、モンスター討伐の話になり、自らが倒してきた、数々の凶暴な大型モンスターとの戦いを
特に、世界的に著名な傭兵達と共に撃退した、超大型のドラゴンの話は、アリスやリーベも興味津々で耳を傾けていた。
話が終わった後、ポラリスは約束通り、食事をおごって貰った。
「あー食った食った」
細身の身体つきなのにも関わらず、彼女は軽く6人前程を平らげた。
「……」
「……」
ポラリスの凄まじい食事量に、あんぐりしている客達の一方、
「うふふ。育ち盛りなのねぇ」
ご満悦な様子の彼女を見て、アリスはホクホク顔で少々ずれたことを言う。
アリスさん、そういうレベルじゃないと思います……。
リーベは心の中でそう思いながら、
小遣いがなくなった何人が、トボトボと帰って行き、店の中は普段通りの様子に戻っていた。
「ところでポラリスさん。今晩の宿はもう決めたのかしら?」
椅子にどっかり腰掛けて、
ちなみにリーベは、調理で忙しい若手料理人の代わりに、厨房で皿洗いしている。
「んや? 今から探すつもりだぜ」
程々の安い宿はねえか? と訊いてきたポラリスに、
「それなら、ウチの2階なんかが良いと思うわ」
アリスはそう言って、あまり上等ではないけれど、と苦笑いして続けた。
「いや、雨風を凌げれば十分だ。野宿よりはずっといい」
そのポラリスの言葉に合わせるように、彼女の膝の上に乗る黒猫が一鳴きした。
値段がかなりリーズナブルな事もあり、ポラリスは即決した。
彼女がしばらくこの街に留まる、と聞いたアリスは、
「あらあら、じゃあ、この街を隅々までご案内しなきゃ」
皿洗いが終わって戻ってきたリーベへ、街の案内をするよう頼んだ。
「でも私だって、少し前に来たばかりですし……」
自分に務まるかどうか……、と、リーベは弱気な様子でそう言う。
「大丈夫よ。あなたはもう、この街の一員だもの」
アリスにそう言われた事が嬉しく、リーベは少し
「ありがとう、ございます。アリスさん」
そのまま、しばし見つめ合う2人に、
「あー、そんじゃ、荷物置いてくるから、ちょっと待っててくれ」
ポラリスは咳払いを1つして、やや目線を
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