『日比月リリィの淫靡なる奇行』(12)邪気を払う太陽の八重歯


「ついに、そのときがやってきたわ。いまのあんたなら、十中八九ヤスと恋人同士の関係になれる。告白するのよ」


 私は次の日、パルムを呼びだしてそう伝えた。


「え……?」


「え、じゃないわ。昨日ヤスと一緒に過ごして気づかなかった? ヤスはあんたに夢中だったわ。鉄は熱いうちに打てって言うくらいだし、ここは一気呵成に攻め込むのよ」


「あいつがアタシに……」


「そう、夢中よ」


 すると、パルムはさっと顔を赤くする。


「そうかな……そんな風には見えなかったけどな……」


「そりゃ、あんたは目の前の物事に必死になってたもの。離れた場所で、冷静に見てた私が判断する限り、ヤスがあんたに特別な好意を抱いているのは間違いないわ。あいつ、夜美といるときよりも、あんたといるときの方がずっと楽しそうだった」


 それを聞き、むずむずと八重歯をのぞかせるパルム。


「もともとヤスが夜美に興味を持っていたのだって、あの子がイラストを描けるからってだけなのよ。いまはあんたも条件は同じだし、むしろ男そのものを苦手としてない分、有利とさえ言えるわ」


「でも……」


「好きなんでしょ? ヤスのこと」


 私がそう言ってからしばらく、場には沈黙があった。

 パルムは顔を真っ赤にしたまま、ひとしきりもじもじしたあと、


「……うん」


 と、頷きを返す。

 そんなパルムを見て、私はガンと頭を殴られたような気になった。


 ……え、素直すぎでしょ、と。


 いや、この子がヤスのことを好きなのはわかり切っていたことだったけれども、まさかそれをこんなにすんなりと認めるとは思わなかったから……。


「で、でしょ? だったら、きちんと思いを伝えないと……」


「わかった。リリィがそう言うなら、きっと間違いないはずだから」


 パルムは、信頼に満ちた目を私に向ける。

 そこには、どこか力強さを感じさせる光が宿っている。


 それが決定的だった。


 私はそのとき、自分が自分に見せていた悪夢が、途端にさっと払われていくような感覚を得た。

 明るみの中、いままで時折胸を襲っていた感情の正体をはっきりと自覚する……。

 私がその理解に打ち震えている間にも、パルムは追撃をやめない。やめてくれない。


「これまでだって、全部リリィの言うとおりになってきたもんな。アタシはこういうことからっきしだったけど、リリィがいてくれたからここまで頑張れた気がする。応援してくれたお前のためにも、ちゃんとヤスに気持ちを伝えてくるから」


「そ、その意気よ、うん……」


 はにかみながら、八重歯をのぞかせるパルムを前にして。

 私にできたのは、うわ、どうしよう……と、ただひたすらに狼狽えることだけ。


 ――眩しい。

 あまりにも、眩しすぎる。


 なんというか、「まだ夜でしょ~」と思ってカーテンを開けたら、そこにサンサンと朝の陽ざしが降り注いでいて、思わず「えっ」となってしまった感じ。

 私にとって、あまりにも素直すぎるパルムは太陽のように見えた。

 私の心の邪悪さを際立たせる、どこまでも清らかな光……。

 最初は、昔から夜美にうっとうしいちょっかいをかけてきた悪戯娘を、少し懲らしめてやれくらいの軽い気持ちで始めたこと。

 そこに私自身の欲求も加わって、今回の件は加速していった。

 ただパルムと一緒に過ごすうち、私はこの子が世間を知らないだけで、根は素直ないい子だということを知ってしまった。

 そうだ、どうしてもっと早くに気づかなかったのだろう。


 いまさらながら自覚した『罪悪感』が、むくむくと膨れ上がってくるのを感じる。


 ひょっとして、私はとんでもないクズ行為に手を染めていたのでは……?

 純粋無垢なパルムを騙して傷つけ、あまつさえ自分の性欲のために利用しようとしているのだから……。


「う、ううっ……!」


 自ずと呻き声がでてくる。こんな無知っ子を、いいように操っていた自分が恥ずかしい!


「どうしたんだ? なんか顔色が悪いぞ?」


 冷や汗をかく私の顔を、パルムが心配そうに覗き込んでくる。

 吐いた言葉を呑み込めるのならば、先ほどの言葉をなかったことにしたかった。

 このままでは、この子は勝算のない戦いに身を投じることになってしまう。

 振られて傷つき……そこを私が慰める?

 

 ――冗談ではない!


 こんなに汚れきった私には、穢れなきパルムとにゃんにゃんする資格などない!


「……もしもし、ヤス。話したいことがあるんだけど」


 私がガタガタと震えている間に、パルムはスマホを取りだして何やらそんなことを言いだした。

 背筋に冷たいものを感じながら、ゆっくりとパルムに目を向ける。

 ちょっと待って。それ、何してるの……?


「え、いや、いまは言えないってば! 直接会って話したいことがあるんだって。うん、うん。そしたら、明日でいいか?」


 とろんと夢見心地の表情で、スマホ片手に話すパルム。

 しばらくして、彼女は耳元からスマホを離し、液晶をタップする。ピロン♪ という音がして、画面が暗くなった。私も目の前が暗くなった。


「ヤスと約束を取りつけたぞ。うわあ、緊張してきた……」


「約束……?」


「うん、明日。そのときに、ちゃんと気持ちを伝えようと思って」


「ちょ、ちょっと行動が早すぎない?」


「だって悩んでたって、何も進展しないじゃん。決めたらすぐ動いた方がいいって、教えてくれたのはリリィだろ?」


「そ、そうよね……? それはその通りだわ……」


 目を逸らしながら言う。

 私はもう、パルムの笑顔を直視できなくなっていた。

 おお、マイ色欲ゴッド! 私は何という大罪を犯してしまったのでしょうか!

 こうなったら、ヤスとパルムをくっつけるより他はない――そう思ったとき、今度は私の携帯がピロン♪ と鳴る。

 夜美からのラインだった。


『決めました。ヤスとちゃんと話し合うことにします』


 ちょっと待って! あんた、いつもはもっとぐずぐずするでしょうが! なんでこういうときに限って、意思決定が早いのよ!

 そこに表示されている文字を見て、私は絶望的な気持ちになった。

 追い打ちのように、また携帯がピロン♪ と鳴る


『でもその前に、パルム先輩と話してみようと思います。私に仕返ししたいってだけで好きでもない人と付き合うなんて、先輩にとってもよくないと思いますから……』


「――あれ、夜美からメールが来てるぞ」


 背後でパルムがぽつりとそんなことを呟き、私はまた血の気が引く思いをする。

 それはダメよ! いま、夜美とパルムを会わせてはいけない!

 このままでは、恐ろしい修羅場が起こってしまう!


「話したいことがあるってさ。何だろ」


「断って、パルム! ヤスのことで感づかれたんだわ! あの子はたまに鋭いところがあるから……」


「夜美って、ヤスのこと好きなんだろ?」


「え……? それは、その……そうだけど……」


「アタシも好きだ。思えば、アタシはずっと夜美を対等な存在として見てこなかったかもしれねえ。落ちこぼれのダメなやつだって……でも、自分で何もできないダメダメは、アタシの方だった」


 恥ずかしそうにうつむきながら、パルムは言葉を続ける。


「一度、きちんとあいつにも謝らないと。ごめんって。そうじゃないと、後ろ暗い気持ちのまま、ヤスと付き合うことになっちまう」


 こんなときにサキュバスとして一皮剥けないでよ。

 そういう騎士道精神チックなやつ、いま求めてないから。


「ダメ! ダメよ、パルム!」


「もう返事したよ。いまからお前の家に行って、夜美と話す。ほら、一緒に行こうぜ」


 パルムは、はにかみながら私の手をぎゅっと握った。

 柔らかくてとろけそうなその感覚が、いまの私にはとてつもなく痛かった。

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